物語の結末は 4
「人間じゃなかったのかよ」
由利は東雲の邪魔にならない位置まで下がった。攻撃手段を忘れてきたのが悔やまれる。せっかく練習台になりそうな大きな的があるのに、肝心な時に武器がない。
「これは人間を捕まえて捕食する悪霊の一種です。詳しい説明は後でしますけど、女性が一人になる瞬間を狙って捕食してきます。今までは男の聖職者ばかりがいる環境にいたせいで、見つからなかったそうですよ」
「そうだったのか。なんて恐ろしい……ん?」
さらっと解説された中に、気になる一言がある。由利が問いただす前に、大トカゲが吠えた。
「その通り! ようやく餌になる女を吸収したと思ったら、余計なものまで入り込むとは。男の魂はいらん。死ねぇ!」
トカゲの前足が東雲に襲いかかる。一閃した刀が前足を斬り飛ばすが、すぐに黒い霧が集まって元通りに修復してゆく。
攻撃を中断した東雲は、由利を抱えて後ろに下がった。普通に戦っても意味がないと判断したようだ。噛み付いてくるトカゲの顎を蹴って軌道を逸らし、気だるそうに話しかける。
「あー……トカゲ君、非常に残念なお知らせがあるんだけど」
「時間稼ぎか!? この世界に引き込まれて助かると思うなよ!」
「いや、そうじゃなくてね。君は『餌になる女』って言ったよね?」
「それがどうした!? 女は夢を与えれば、すぐ落ちるからな! どいつもこいつも甘い顔して囁けば、簡単に俺のものになったぞ!」
ニタリと笑うトカゲは、いやらしい目で由利を見た。
「何が王子だ。呪いがキスで解ける? そんな簡単な話があるわけない。さんざん幸せな夢を見せてから絶望に叩き込むのは楽しかったぞ。終わりを知って発狂する女ほど美味かったね」
トカゲが火を吐き、床に落ちているシーツに燃え広がった。爽やかな風が炎を押し返し、由利がいる場所までは届かない。
「お前がここへ来たのは、その女を助けるためか? ならば目の前で切り裂いてやる。さあ、いい声で泣き叫んでくれよ。ここは俺の世界だ。全ては俺の思い通りに物語が進むんだよ」
迷っている場合ではない。由利はご機嫌で東雲を攻めるトカゲに向かって、全力で否定した。
「長々と語った後で悪いんだけど、俺は男だぞ」
「……はあ? そんな嘘が通用するとでも?」
「この可憐な外見に騙されるのは分かるよ」
心から楽しそうな様子で東雲が付け足す。
「でもね、この人、男として生まれて男として育ったから、体の性別も性自認も男なんだよねぇ。ちゃんと調べてないの? 心を操る魔法が使えるなら、どう生きてきたのか聞き出せるはずだよ」
「え……な……なん……?」
「ちょっと事情があって女の子やってるから、間違うのも無理ないよね。でもさぁ」
見上げた東雲の横顔は、悪事を企む感情に満ちていた。極悪非道な殺人犯ですら、もう少し優しい顔をしているだろう。
「女しか食べないって豪語してるくせに、男を取り込んじゃったんだ? 外に出さないまま飼ってたってことは、君が最高だと思ってるストーリーを提供して、恋に落とすつもりだったんだね?」
トカゲがふらりと後退りした。変化した時の勢いは、見る影も無い。
そんなトカゲを更に追い詰めるべく、東雲は畳みかける。
「もう少し様子を見れば良かったなぁ。なかなか男に靡かない由利さんにイライラして、どんな笑える話になるか興味あるし。ねえ、女だと思ってた子が男だって知って、どんな気持ち?」
「こいつ、鬼だ」
全力でトカゲの心を折りに来ている。トカゲを退治するためだとは思うが、容赦の無さに由利まで傷つきそうだ。
「あああああっ!? 嘘だ! 嘘だぁ!」
世界に亀裂が入った。耐えられなくなったトカゲの精神は、密接に結びついている空間にも影響を及ぼすほど均衡を失っている。トカゲにとってこの世界とは、心の中そのものだった。
本の中に造られた虚構の世界が崩壊し始める。
「フェリクス、本を斬れ!」
東雲は上へ向かって叫ぶと、刀でトカゲの首に斬りつけた。血の代わりに黒い霧が噴出し、トカゲの体が縮んでゆく。
天井を光の筋が走り、世界の外からフェリクスが空間を割いたと分かった。
「由利さん、結界!」
東雲に強引に抱き寄せられる。
世界が壊れて白くなる中、由利は結界に注ぐ魔力を最大に保つことだけに集中した。揺れが激しくなり、東雲とはぐれないように背中に手を回す。眩しかった光は足に触れる床の感触が戻ると同時に、急激に収束していった。
*
「……戻れた?」
耳鳴りがする。
壊れてゆく本の中から脱出するまで、吸収されていた人間から一斉に感謝の言葉を投げかけられていた。恐らく一生分は聞いただろう。
「ユリさん。大丈夫ですか?」
大掛かりな術を使った後で疲れ切っているにも関わらず、モニカが駆け寄ってきた。魔法の名残か、彼女の肩から淡い光が離れて消える。
本を抜け出した犠牲者の魂は、窓から秋空へと飛んで行く。光の玉や蝶に見えるものまで、一つとして同じ形はない。あの感謝の言葉は、ようやく解放された喜びでもあったのだろう。
「大丈夫。みんなのお陰で無傷だよ」
由利が礼を言うと、モニカは花が綻ぶように微笑んだ。疲れていた心が、みるみる癒されていくのを感じる。あのカエルのイヤらしい笑みを見た後なら尚更だ。
「戻ったか」
「うん、助かったよ」
フェリクスに答えた東雲は、騒動の切っ掛けになった本を拾い上げた。表紙が斬られ、側面に焦げている部分がある。装丁が最初に見たものと違っている。魔法書に見えるよう、悪霊が施していた偽装が解けたのだろう。
「……元は日記帳だったんですね」
東雲が中を読んで呟いた。しばらく流し読みをしていたが、あるページで手を止め、表情を曇らせる。
「なんて書いてあるんだ?」
気になった由利が尋ねると、東雲はこちら側に意識を戻した。由利をからかうネタを見つけた時の、子供っぽい微笑に変わる。
「おや、乙女の日記に興味があると? 由利さん、それは野暮ですよ」
「その日記を読んでるお前は何なんだよ」
笑って誤魔化された。それ以上追求できないのは、由利が東雲の笑顔を直視できなくなったせいだ。厄介なことに由利を黙らせる力があるらしい。
「まあ、ありきたりな……叶わなかった恋が書いてあっただけです。その想いに悪霊が目をつけて、道具として使っていたんでしょう。偽物の魔法書は、女性が好んで手に取りやすい『恋のおまじない』って内容で釣っていたみたいですから」
東雲は本を閉じ、そっと表紙を撫でた。
「日記をつけられるほどの高位の女性ですか。どこかの王家の方だったのでしょうか?」
「だろうね。望まない相手に嫁がされる、祖国の存続のためには仕方ないって嘆いてたから」
「王族ともなれば、自由な恋愛など夢だろうな」
帝国にいると忘れそうになるが、この世界の識字率は日本の半分以下だ。それも王侯貴族や富豪、商人などに偏っている。時代を遡れば更に低くなり、女性で読み書きできるほど文字を習得する者は、ほとんど存在しなくなる。日記の主人がとても教養高い人物だったことは疑いない。
開いた窓へ近寄った東雲が、日記を外へ差し出した。日記が歪んで黒い霧を吐き出し、青く光る。
「想いが通じても、どうしようもないんだよね」
日記は東雲の言葉に反応するかのように、青い蝶に形を変えた。
飛び立つ蝶は東雲の手を離れ、先に飛んで行った魂を追いかけて空へと飛んでゆく。
「来世まで飛んでいくといいよ。たぶん、記憶を無くした先に幸せがあるから」
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