物語の結末は 1
青い果実に回復魔法をかけると食べごろになる――この世界には、そんな面白い法則がある。
果実全体に魔力を浸透させるのは難易度が高いため、この魔法を使える人間にとって良い練習法だった。手練れの者は表面にできた傷を治しつつ熟成させる。回復魔法の技量を見る目安として最適だ。さらに回復魔法で追熟させた果実は病気に効くと信じられ、高値で取引されるので小遣い稼ぎにもなる。
由利は柔らかい日差しが差し込む庭で、青臭い果実へ回復魔法をかけている最中だった。水を弾く布に果実を包み、慎重に己の魔力を流してゆく。
この練習はとにかく制御が難しい。同じ種類の果実でも魔力の許容量が違い、一定量を超えると簡単に内部から崩壊してしまう。対象物を観察しつつ、許容量を見極めることが成功するための方法だった。
この観察は人に回復魔法を使う時に重要になってくる。回復は観察が八割を占めるとまで言われ、必要な箇所に必要なだけの魔力を使うことで消費魔力を節約し、より多くの怪我人を癒すことができるのだ。
「あっ……」
まずいと思った途端、包んだ果実から水っぽい音がした。そっと布を開いてみると、熟した果実の甘い匂いがする。また制御に失敗したようだ。やはり果物は難しい。
人間の体は体内で生成される魔力が反発してくるので、こうした事故は起こりにくい。湯水のように魔力を流し込まれなければ、回復魔法で死ぬことはないのだ。
由利は深皿に果実を入れた。失敗したとはいえ、魔力を注いだ果実の味は、普通に追熟させるよりも美味しい。ただ見た目が良くないので、ジャムやジュースに加工して消費するようにしている。使用人のオレリーに頼まれて、失敗した果実を料理用に提供することもあった。
「最初に比べたら、少しは上達したかな」
魔法を使って数秒で爆発させていた初期に比べれば、一部に裂け目ができている現在は成長したと言えるのではないだろうか。
失敗した現実から目を逸らし始めた由利は、庭の端から視線を感じて深皿から顔を上げた。
日光浴を楽しんでいた植物人間が、一箇所に固まって由利を見ている。人間のような目鼻はついていないが、何となく怯えているような顔だった。
「もしかして……見てた?」
ざわりと体が揺れる。
「だ……大丈夫。君たちに使わないから」
植物は顔を見合わせ、全員が首を横に振った。信じてくれないらしい。次々と果実を破裂させる由利は、彼らにとって恐怖の対象として映るようだ。人間らしい仕草のくせに、やはり本質は植物だ。
「もう使わないから。安心して日光浴しててくれ」
由利は深皿を持って室内へ入ると、植物達――正確には植物に入り込んでいる精霊達は、また伸び伸びと庭でくつろぎ始めた。
オレリーに声をかけて厨房を使わせてもらい、果実を全てジュースに加工することにした。果実のままでは多く見えても、加工するとコップ一杯分にしかならない。
由利は出来上がったジュースを持って部屋へ戻り、東雲が帰ってくるまで読書をしようと決めた。箱ごと購入した果実が底をつき、練習が続けられなくなったのだ。オレリーは食材を好きに使って良いと言ってくれたが、自分が使うものぐらいは自分で調達しておきたい。
買い物に付き合ってくれる東雲は、皇帝に協力して地下水路で暴れてから、転移の仕事以外でも城へ出入りしているらしい。東雲は『戦う経験が少ないからフェリクスと共に騎士団の修練に参加している』としか言ってくれない。相変わらず多くを語ろうとしないが、ベルトランと戦った時に何か思うところがあったようだ。
「熱心だよなー……」
由利が失敗しても自主練習を続けるのは、そんな後輩の後ろ姿を見ていることが大きい。
残念ながら、由利に攻撃魔法の適性がないことは判明していた。一つのことだけに集中できる利点はあるものの、同じことの繰り返しは苦痛に感じることもある。だが陰で頑張っている後輩に無様な姿を見せたくないという、小さなプライドで行動しているだけだ。
「使えるだけマシか」
引きこもりに特化した結界や初歩の回復魔法でも、無いよりはいい。東雲の助けになるからと思った由利は、なぜそこで後輩を思い浮かべるのかと自問した。
――いや、パーティに回復役は必要だし? 別に東雲だけが対象じゃないし。
心を落ち着けるためにジュースを一気飲みした由利は、テーブルに積まれた本を手に取った。
火照った頬に秋の風が心地よい。
「古代王国の悲劇に学ぶ幻影と魅了の魔法? こんな本あったっけ?」
表題は魔法に関する本のようだが、題名に見覚えがない。見落としていただけかと思って表紙を開くと、由利が読めない文字で埋め尽くされている。現代の帝国や法国で使われている言葉ではないようだ。
本から雫が落ちる音がした。
何かの魔法が動いている。本の文字が波打ち、紙面を抜け出して顔に近づいてくる。閉じなければと思った時には既に遅く、由利は本の中に吸い込まれた。
*
気がつくと泉のそばに座っていた。辺りは春の花が咲き乱れ、小鳥が空を飛び交っている。
「……あれ? 何でここにいるんだっけ?」
我に帰った由利は周囲を見回して呟いた。さっきまで別の場所にいた気がするが、霞がかかったように思い出せなくなっている。己の過去を思い出せないことに怖さを感じたのは一瞬だけで、そのことすら忘れようとしていた。
「お嬢さん、お嬢さん」
ふわふわと思考が綿に包まれるような不思議な感覚を味わっていると、下から男の声がした。膝の近くで大きなカエルが由利を見上げている。二足歩行する奇妙なカエルは、一目で貴族と分かる服を着ていた。
喋ったのはこのカエルだ。二足歩行するカエルがいても奇妙と思わないのは、獣人に会ったからだろうか。
――……獣人って何だっけ。
何かを思い出した端から消えてゆく。両手にすくった砂が溢れるように呆気ない。
「お嬢さん、聞いてる?」
カエルが由利の膝に前足をかけた。スカートに広がったシミを見て、心を覆う霧がわずかに晴れる。服を汚されることは嫌いらしいと由利は自己分析した。
「うん、聞いてる。何の話だっけ」
「僕はこの国の王子なんだがね、悪い魔法使いに呪いをかけられたんだ。呪いを解くには乙女のキスが必要なんだよ。お嬢さん、僕の呪いを解いてくれないかい?」
「えっ絶対に嫌」
「即答!?」
カエルが膝から手を離して後ずさった。拒否されるとは夢にも思っていなかったらしい。その自信はどこから湧いてくるのだろうか。
「い、嫌って君ね、僕は王子だよ? 呪いを解いてくれたら君を城へ案内するからさあ! そこから二人の仲を育むとか、色々あるよね! そんな素敵な未来が!」
「何で出会ったばかりのカエルにキスしなきゃいけないんだよ気持ち悪い。呪いを使った新手のナンパとか、最低だな」
喋るうちに思考の霧が晴れてゆく。
どうして自分はカエルと会話しているのか。
手についた果実の甘い香りで、明るい庭が脳裏に浮かぶ。窓から入り込む秋風と――本を開いてから記憶が途切れている。周囲は春真っ盛りだ。ここは本の中なのかと由利は見当をつけた。
表紙を開いたことで何らかの魔法が発動したと思われる。東雲が帰ってくれば異変に気付いてくれるかもしれない。前回の教訓を生かして、下手に動かずに泉の側で救助を待つべきだ。
「最低って……長い間カエルにされたら、なりふり構わなくなるさ。人間に戻りたいんだよ」
黙った由利には構わず、カエルは身上を語ってゆく。第一王子として生まれ、なに不自由なく育った自称人気者の彼は、嫉妬深い魔法使いによってカエルへと変えられた。何に嫉妬したのかと聞き返せば、お決まりのように類まれな美貌と誰もが羨む有能さだという。
ありふれたストーリーと男の外見に由利が興味を示すわけもなく、ただ退屈なだけだった。その反応の薄さにカエルは苛立ちを感じ始めたのか、また前足を膝に乗せて由利に迫ってきた。
「とにかく城へおいでよ。先のことは後で考えればいいのさ。さあ立って……おや?」
舐めるように由利の顔や体を見ていたカエルの視線が、左手で止まって動かなくなった。みるみる口元が歪んでゆく。
「けっ、なんだ人妻かよ。さっさと消えろ。背中の毒液飛ばすぞ」
毒を、吐かれた。
「手のひら返しすぎだろ。これ結婚指輪じゃないから」
「じゃあ婚約中か!? まだ割り込める隙が――」
「ねえよ」
飛びかかってきたカエルは結界にぶつかって落ちた。人を勝手に人妻認定した挙句、簡単に落とせると判断するとは、いい度胸をしている。卵からやり直してくれないだろうか。
由利は身を守るためにバットを探したが、残念ながら腰には何もついていなかった。家の中にいる時は部屋に置きっぱなしにしている。まさか家の中で災難に遭うとは予想していなかった。
「な、何やら奇妙な魔法を……ちょっと解いてくれないかな?」
「やだ。毒液飛ばすって言っただろ」
「あ、あれはだね、ちょっとした誤解だよ誤解。とにかく僕は呪いを解いて欲しいんだ。未婚の女性じゃないと解けないんだよ」
「他を当たってくれ。出会ったばかりのカエルに恋するような、おめでたい頭してないんだ」
「君はお互いのことを知ってから行動に移す性格なんだね! いいよ、気長に待とうじゃないか」
「待っても無駄だと思うぞ」
早く快適な部屋に帰りたい。カエルはしつこいが、結界を壊す力は持っていないようだ。このまま引きこもっていれば、諦めてどこかへ行くのではないだろうか。
「そんなことないさ! 僕は紳士だからね。安心して出てくるといい。あっ無視しないで! ちょっとだけでいいからさぁ!」
カエルが結界を叩いて懇願しているうちに、また由利の思考が鈍くなってきた。いつの間にか結界が解け、生ぬるい風が吹いてくる。
結界が消えたのを確認し、カエルがひたひたと歩いてきた。
「城へ、おいで。ゆっくり仲を深めるのも悪くない」
由利の膝にカエルの前足が乗る。ニタリと笑うカエルに対して、不快だと思う心と、言う通りにしたい心が芽生えて気持ち悪い。あと一押しで分裂しそうな不安定さだった。
「……分かった。納得してないけど、城へ行けばいいのね」
「分かってくれて嬉しいよ」
立ち上がってカエルの後ろをついて行くうちに、由利の脳裏に浮かんだ顔が消えてゆく。記憶が薄れることを焦る感情があったはずだが、抗う気持ちすら無くしていった。




