015 獣人の帰還
保護をした獣人の看病や事情聴取をしているうちに、気がつけば一週間たっていた。
獣人の兄弟から聞き出せた情報は少なく、せいぜい食料品を盗み食いした店と、酒を盗む時に鍵を開けた店ぐらいだ。
彼らは精霊嵐に巻き込まれて帝都の近くに飛ばされ、食料を探している最中に運悪く捕まったと語った。兄弟は引き離され、抵抗すれば目の前で殺すと脅されていたそうだ。外へ出るのは常に一人だけ。店の鍵を開けたり、自分たち兄弟の食料を調達してくるよう命令されていた。犬を飼っていない店を選んでいたのは、自分より大きな獣に追いかけられると分かっていたからだ。
散々脅された後のため、由利達に対して警戒するかと思われた獣人達だったが、全くの杞憂に終わった。彼らにとって強者であるセルスラが全く警戒していないことと、先に助けられた兄弟が説得したことが大きい。ただ出会った当初から美味しそうな料理や菓子には反応していたので、彼らが懐柔されるのは時間の問題だっただろう。
お菓子に釣られて人間について行ってはいけませんと、帰るまでに教えておくべきと思われる。
ベルトランは宣言通りに獣人に対して厳しい罰則を設けなかった。誘拐の被害者であり無理矢理犯罪に加担させられていたことを考慮して、人間形態をベルトランに見せるだけで済ませた。
帝国では獣人に関する資料が少なく、獣に近い獣人は特に珍しいそうだ。宮廷料理人が作った菓子を持参して餌付けし、好きなだけ撫でてから名残惜しそうに居城へ帰っていった。動物が好きなのだろうか。
撫でられた獣人が嬉しそうにしていたので、由利は少し悔しかった。動物の撫で方なら負けないつもりだったが、上には上がいるらしい。
「もう会うこともないと思うておったが、すっかり世話になったのぅ」
帝都近郊の平原で竜に変化したセルスラが言った。体力を取り戻した獣人を故郷へ連れて帰るため、人間を驚かせないよう帝都から離れた場所から飛び立つことにしたのだ。
別れの場には由利と東雲だけでなく、フェリクスとモニカも来ている。当然のような顔をしてベルトランもいるが、皇帝としての仕事はどうしたのだろうか。
「快く子供らの捜索を引き受けてくれたこと、異種族を代表して感謝する」
「精霊嵐に飛ばされて不安になる気持ちは分かるからな」
「そうですね。残された側の気持ちもよく分かりますよ」
東雲からの棘が痛い。由利の身体能力がもう少し高ければ回避できていた事故だ。批判は甘んじて受け止めようと思う。
獣人の子供達は蔓を編んだカゴに入れられていた。空を飛ぶセルスラから落ちないよう、蓋つきのものを選んでいる。毛糸のマフラーも一緒に入れ、上空でも寒くないよう対策した。今も開いた蓋から外を覗いたり、マフラーに潜り込んだりと忙しい。
カゴの中だけでなく、親しくなった人間の肩や頭の上に登って、覚えたばかりの帝国語で喋ることもあった。意外にも獣人に人気だったのはフェリクスだ。彼の魔力が『陽だまりで昼寝をしている気分』に似ているという、獣人にしか分からない理由で事あるごとに纏わりつかれている。フェリクスは鬱陶しそうにしながらも、獣人を振り払う気は無いようだった。
ついでに由利の魔力について彼らに聞いてみると『お祝いに貰ったパントンの実』と返答された。ますます分からない。とりあえず不快ではないようで安心しておこうと思う。
「ユリィ」
「アリガトー」
獣人の中でも年長の二人が由利の背中をよじ登って喋った。片言かつ名前も由利とリリィが混ざっているが気にしない。ここ数日、セルスラと練習している光景を見かけてから、いつ喋ってくれるのだろうと心待ちにしていたのだ。
「みんなで分けて食べてね」
モニカが布に包んだ食事と菓子類をカゴへ入れる。ネズミの兄弟が一斉に興味を示し、そわそわと包みの周りで動き回っていた。
「食べてもよいが、我の分も残しておくのじゃぞ」
ネズミの兄弟は一斉に目を逸らした。守れそうにない約束だと言いたいらしい。表情が分かりにくい竜の顔が悲しみに染まった。
「……心配しなくても、お前の分はこっちにある」
地面に着きそうなほど翼を下げたセルスラに、フェリクスが袋詰めにした食料を渡した。紐を前足にかけてやると、瞬く間に機嫌が回復する。竜人の威厳はどこへ消えてしまったのだろうか。
「して、皇帝も我らの見送りに来ておるが。仕事はよいのか?」
「良くはないな。黙って抜け出して来たから、最後の仕事が終わればすぐに帰るさ」
「最後とな?」
ベルトランはやけに優しい声で言った。
「俺は獣人の犯罪には目を瞑るって言ったがな、竜人族に関しては言及してないぞ」
あっ。嫌な予感がする――由利はセルスラが集られる未来が見えた。やはりベルトランに対して警戒していたのは間違いではなかったのだ。
「壊した扉の修繕費、まだ店舗に払ってねえよな?」
「うっ!? どこでその情報を……ま、魔石で良いか……?」
「それじゃ面白くない。魔石の換金には決まりがあってな。皇帝といえど魔石の出所には気を使うんだ。そのチビどもを送り返したら、また帝国に来いよ」
「な、何故に……?」
「そう怯えるなって。背中に乗せて言われた場所まで飛んでくれりゃいい。帝国の歴史はそれなりに長いけどよ、竜に乗った皇帝はまだいなくてな。あんま仲良くない国へ行くときに重宝しそうじゃね?」
「ぬぅ……我の一存で決められることではないのぅ」
「おう、しっかり親と話し合ってこい」
ベルトランは悩むセルスラに手紙を渡し、荒っぽく竜の額を撫でた。
「気が重いのぅ。しかし……人との交流は絶えて久しいが、我らも変わる時が来たのやもしれんの」
翼を広げたセルスラが、ゆっくりと地面を離れる。
「ではの。生きておるうちに再び会えるようなら、我にできる範囲で助けとなろう」
空高く上昇した竜が南へ飛んでゆく。短い付き合いだったが、いなくなると寂しいものだ。
「さて、俺も戻るとするかね」
ベルトランは離れた場所で魔法陣を展開した。先日、地下で親衛隊が使用していた粒子の門だ。
「次にお前らと会うのは、つまらん玉座の間かもな。まあ、また機会があれば協力してやってくれ」
「今回みたいな大捕物が頻繁にあるとは思わないけどね」
「いや分からんぞ。人だけは多いからなあ、この帝国は」
粒子が空に溶けだした。帝国を背負うベルトランが意味深に笑って門を潜る。姿が見えなくなると粒子が一斉に広がり、秋の空へと弾けて消えた。
「捕まった奴らがどうなったのか、聞くの忘れたな」
特に植物に振り回されていた者はトラウマを抱えていそうだ。
「昨日決定したことだが、帝都近郊を流れる河川の整備に、犯罪奴隷が駆り出されることになった。地下で捕縛した者達も、その中に含まれるだろうな」
内情に詳しいフェリクスによると、犯罪奴隷以外にも労働者を募集し始めたそうだ。力仕事ができるなら貧富に関係なく雇うと告知したため、貧民街から多くの者が集まってきている。給金を日払いにしていることが、彼らが集まってくる最大の理由だろう。
「斬り捨てていいとか言っておきながら、全員生かしたまま連れて帰ってたよな。俺が癒したのも打撲ばっかりだし」
「貧民街でばら撒いていたお金、あれは皇帝の小遣いから出しているらしいですよ。下層民の救済案ができるまでの繋ぎだとか」
どこで聞いてきたのか、東雲が苦笑しながら言った。
「皇帝って小遣い制だったのかよ……色々と制約が多くね? 皇帝よりも貴族の方が好き勝手に金を使ってるような」
「国を長く繁栄させようとすれば、節度が必要ですからねぇ。この勇者様みたいな贅沢に興味がない貴族もいますから、一概には言えませんが」
「飾り立てて何になる。余計な装飾は邪魔なだけだ」
「獣人にプレゼントされた革紐のブレスレットは邪魔じゃないんだ? 大事にポケットに入れてたもんね」
「……うるさい」
保護してから帰るまでの間に、由利達はそれぞれ獣人から手作りの品を受け取っていた。染色した革紐を使った装飾品で、全て違う編み方だ。
フェリクスは特に言い返すことはしなかった。獣人が帰って一番寂しく思っているのは、案外この男かもしれない。
「獣人の子も、皇帝陛下も、噂通りではなくて良かったです」
モニカの感想に由利も同意した。獣人は一方的に略奪するような性格ではなく、皇帝も筋を通せば理解を示してくれる。国民が思っている以上に、人の命と生活を守ろうとしていたのだ。
「でも由利さんは最後まで警戒してましたよね?」
「だって怖いもん。あれは絶対、何年経っても会話の細かいところまで覚えてるぞ。親しみやすいオッサンみたいな雰囲気に騙されて、あれこれ余計なことを言ってたら、足元を掬われるに決まってる。さっきのセルスラを見ただろ? 取引先にいたら最大限に警戒すべきタイプだ」
「うん、確かに私も取引はしても駆け引きはしたくないですねぇ」
ふと沈黙が降りた。由利が帰ろうかと声をかけ、東雲は転移の準備に入る。
「このまま帝都観光するのもいいな。出土した古代文明の博覧会が始まったらしいし、一度くらいは異世界の歴史に触れるのも楽しそう」
「だから、なぜお前は俺より帝都の事情に詳しいんだ……」
なぜと言われても、文字が読める庶民向けに観光案内が掲示されている広場があるのだ。食品を扱う市場の近くだから、フェリクスが知らなくても仕方ない。
「庶民と貴族じゃ情報の仕入れ方が違うんだよ。じゃあ東雲、よろしく」
「はーい。フェリクスの家まで転移しまーす」
「ちょっと待て。帝都への転移は禁止されていたはず……まさか、許可証を偽造したのか!?」
「バレたら君も同罪だね!」
東雲は暗に肯定した。やはりコピー品を作っていたようだ。
「ふざけるな! 今すぐ転移を解除しろ!」
「聞こえなーい。あっモニカも帝都観光に来る?」
「はい。お供させて下さい」
「人の話を聞け!」
急に賑やかになった会話が平原に響く。笑ってはいけないと思いつつ、由利は溢れてくる笑いを堪えられなかった。仕事に忙殺されて忘れていた心地よさは、由利がこの世界に馴染んできたからだろうか。いつか別れるのだと分かっていても、他人事のように実感がない。
周囲に魔力が満ちて優しい風が吹いた。丁寧に包み込んでくる力は東雲の魔力だと思い至り、獣人が言っていた魔力の感想がようやく分かった。




