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ウソつき勇者とニセもの聖女  作者: 佐倉 百
5章 享楽の帝都

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014 捕縛


 地下へ降りてきた貴族が顔を顰めた。わずかに漂う澱んだ水の臭いを感じたらしい。とっくに鼻が麻痺している男――イヴォンは、その様子を心の中で嘲笑う。


 ――あんたの腹の中は下水以上に腐ってるくせに。


 住んでいる場所が違うだけで、やっていることは同じだ。それなのに自分だけは汚れていないと本気で信じている。高貴な身分というものは、未来永劫にわたり揺るぎないものなのだと。


 運が良かっただけの奴らが何を言ってやがると、イヴォンはいつも思っていた。ただ生まれた場所に金があっただけだ。お前らと違って、俺は自分の力でどん底から這い上がってきたんだと自負している。


 真っ白なハンカチで鼻を覆う貴族を案内しながら、イヴォンは冷めた目で一行を見ていた。


 視察に来たのは加工した酒を買い取っている大店の経営者と、その後ろで利益を吸い上げている貴族だ。経営者は貴族へ金を渡し、貴族は権力で店を庇護する。昔から幾度となく繰り返されてきた構図である。


 ――何つったっけ……ジレ? ジゴー? そんな名前の商会だったような。


 イヴォンは名前を思い出そうとして止めた。酒が売れれば、それでいいではないか。貴族の名前に至っては、最初から知らされていない。あれが本物の貴族かどうかも怪しい。高級品を身につけていることだけは分かるが、彼には平民の金持ちと貴族の区別がつかない。


 掃き溜めで生まれ育ったイヴォンには、仲間とそれ以外を見分けるだけで十分だった。


 視察では酒を貯蔵している倉庫と、酒に混ぜる薬を作る光景を見せるだけだと聞いている。

 仲間には事前に知らせていたため、通路でうっかり出くわすような粗忽者はいなかった。言うことを聞けば金をやると言った甲斐がある。この視察を乗り切れば、酒を盗まなくても良くなるだろう。自分達は作った薬を商会へ卸すだけになる。


 酒を盗んでいたのは帝都で出回る酒の量を少なくするためだ。まともな酒が不足したところで、ただ同然の値段で売り捌く。あの酒を飲めば、また飲みたくなる。そうなるように細工しているから当然だ。十分に出回ったところで酒の値段を釣り上げ、金を搾り取る。


 酒を買う人間がどこで借金をしようが、イヴォン達には関係ない。掃き溜めに流れてくる女が増えれば、いい思いができると期待はしているが。


 地下水路を改造して作った工場では、仲間が大釜で薬を煮詰めていた。河原に生えている植物と魔獣の一部を混ぜたもので、枯草に似た臭いが立ち込めている。貴族があからさまに口元を歪ませ、イヴォンは笑いそうになった。この臭いは慣れていないと吐き気がしてくるのだ。


「一つの釜でどれだけ作れるのか?」

「ワイン一本分です」


 貴族の問いに答えたのは商会の者だ。イヴォンは直接会話するなと言われている。失言を警戒してるのだろうが、彼としても貴族風情とは口をききたくないからありがたい。


「この釜一つで十の酒樽を『商品』に変えることが可能です」


 興味本位で釜に近づいた貴族は、撹拌していた仲間に話しかけた。仲間は言い淀むことなく貴族の質問に答えてゆく。事前に担当を変えておいて良かったと男は安堵した。


 あれは最近になって仲間に加わった男だが、彼が来てから警備兵を楽に誤魔化せるようになった。外国で傭兵をやっていた過去があり、警備兵の巡回経路を割り出したり荒事以外でも役に立つ。新参者に警戒している仲間がいるものの、明るく気取らない性格で順調に馴染んできている。


 元傭兵が最後に何かを言って貴族を上機嫌にさせ、視察が終わった。あとは地下から商会と貴族を追い出し、地上で契約をするだけだ。


 まだ見ぬ大金に思いを馳せていると、通路から仲間の一人が慌てて駆け込んできた。


 ――くそっ。まだ貴族がいるんだぞ!


 イヴォンは心の中で毒づく。ここで失敗したら契約が水の泡だ。良い印象を与えたまま地上へ帰ってもらわないと困る。


「た、大変だ!」

「うるせえ! 大事なお客さんの前だぞ!」


 イヴォンは仲間に怒鳴った。胸ぐらを掴み、お前のせいで契約が無かったことになったら水路に沈めてやると小声で脅す。


 仲間は青ざめた顔で、慌てて違うと言った。


「襲撃だ! ココ仮面が俺達の拠点を襲ってんだよ!」

「……は?」


 その言葉を正しく理解できた者がいただろうか。


 耳をすますと水路に反響して高笑いが聞こえてきた。心から楽しげな声と剣戟の音。鈍い音は仲間が倒されるものなのか、襲撃者はどんどんこちらへ近づいてくる。


「逃げるぞ! こっちだ!」


 イヴォンは商会と貴族に向かって叫んだ。せっかく作った工場を捨てることになるが、こんなところで得体の知れない奴に殺されるよりはいい。


 ――生きていれば、いくらでもやり直せるんだ。


 狼狽えていた客が男に続く。イヴォンの怒声でようやく仲間が分散して逃げることを思い出した。警備兵が来た時を考えて、逃走経路をいくつも用意しているのだ。


 後ろを振り返ると、大ぶりなナイフを抜いた元傭兵が殿を務めていた。こいつが後ろにいるなら追っ手は心配ないだろうとイヴォンは安堵する。残りは捕まるかもしれないが、契約を失うことに比べれば些細なことだ。


 客に続いて通路の一つへ逃げ込もうとしたイヴォンは、後ろから来た何者かに引き倒された。


「ボス、あんたに逃げられたら困るんだよ」

「てめぇ……裏切りやがったな」


 首にナイフを突きつけてきたのは元傭兵だった。


「裏切る? 最初から仲間になった覚えはないね。あんただってそうだろ? 周りにいるのは仲間じゃなくて金を稼ぐための道具だ」

「何者だ? 経歴を偽って俺達に近付いたのは、いったい」

「偽ってないさ。外国で傭兵をやってたのは本当だが、帝国に来てからボスが拾うまでの経緯を話してないだけさ。さあボス、大人しくしてくれ」


 通路から悲鳴が聞こえた。慌てた様子で客が引き返してくる。


 のそりと通路から現れたのは真紅の竜だった。黒い瞳で鬱陶しそうに人間を見ている。口の端から炎がのぞくと、仲間の一人が腰を抜かした。


「なんで、こんなところに……」


 周囲が恐怖の悲鳴に満ちている。

 別の通路ではウサギの仮面をつけた小柄な女が立ち塞がり、見えない壁で逃走を妨害していた。無機質な仮面をつけた集団が次々と現れ、仲間を倒してゆく。


「悪党、捕縛の時間だ。逃げられると思うなよ?」


 ココ鳥の被り物をした男が、大剣を背に宣言した。奇抜な格好をしているくせに、堂々たる振る舞いには威厳がある。


 ――誰か、夢だと言ってくれ。


 動物の仮面をつけた、ふざけた襲撃者がイヴォンが作った工場を走り回り、彼の未来を壊している。イヴォンは抵抗することを忘れて呆然としていた。



 *



 地下水路に楽しげな笑い声が響く。声の主はもちろん鳥人間ベルトランだ。日頃のストレスを発散しているのか、抵抗してくる犯罪者たちを剣の腹で叩いて意識を刈り取っている。


「大丈夫か、この国」

「……それを言うな」


 由利が呟くと、たまたま近くにいたフェリクスが嘆いた。表の顔しか知らなかったフェリクスにとって、君主の新たな一面は目を背きたくなるほど衝撃的だったようだ。


 何せ総大将が後方に控えていない。喜び勇んで先陣を切って突撃してゆくのだ。どこの無双系武将だろうか。後ろをついてゆく親衛隊にはもう諦めの空気が漂っていた。


 むしろ似たような仮面を付けて嬉々として走り回っている隊員までいる。末期かもしれない。


「人って慣れるものなんですねぇ。最初はあんなにドン引きしてたのに」

「諦めることと慣れることは同じじゃないからな?」


 東雲が油に火を付けようとした男を眠らせてから言った。いつもの刀ではなく木刀を携行しているが、盾代わりに使うのみで魔法を多用している。


「フェリ――じゃなくて(ルー)!」


 盾を取り出した東雲はフェリクスへ向かって放り投げた。魔獣の鱗をエルフの技術で加工したという盾は、低めの軌道で飛んでゆく。


 受け取ったフェリクスは両手で掴んだまま、右から迫ってきていた男を盾の縁で殴った。倒れる男には見向きもせず、別の方向から襲ってくるナイフを盾で逸らす。ナイフを持った犯罪者が腕を引いて下がるよりも速く、フェリクスの蹴りが犯罪者の腹に叩き込まれた。腰に下げた剣は突入してから一度も抜かれていない。


「盾だけでよく戦えるな」

「ここにいるのは素人ばかりですから。ウサギさん、準備はいいですか?」

「おう、任せとけ」


 逃走経路の一つに立ち塞がった由利は、結界を使って犯罪者達の逃走を防ぐ役割だった。東雲がいなくなった途端に、必死な顔をした男達が由利めがけて刃物を振りまわし、結界を壊そうとしてくる。由利が恐怖を覚えるほど結界は強化されてゆくのだが、男達にそれを知る術はない。


「皆さん、お願いします」


 隣にいたモニカが庭で集めてきた木の葉や花びらを下に撒いた。植物はモニカの願いに応じて姿を変え、近くにいた男を絡め取った。突如として現れた植物に、地下は更なる混乱が満ちる。


「えっ……太陽の光が恋しい? すいません、今は我慢していただけますか? 後で日光浴をしましょうね」


 植物の一部が不満を訴えているらしい。人の形をした枝が床に座りこんで拗ねている。花の人は懇願するように身振りで天井を指し、木の葉の人が近くの人間に八つ当たりを始めた。


「ちゃんと元の庭へお連れしますから、ね?」


 植物達はぞろぞろと集まり、何事かを相談し始めた。勇気を出した人間が松明を手に襲いかかったが、呆気なく弾かれて気絶する。


 相談が終わった植物達は、モニカへ向かって一斉にサムズアップした。どうやらモニカの案が無事に採用されたとみられる。散り散りになり、手当たり次第に犯罪者達を捕まえては振り回し始めた。彼らを懲らしめるというよりも、日光浴が待ち遠しい様子だ。所詮は植物か。


「ど、どうなっている!? こやつらは何なのだ!」


 視察に来ていた貴族が叫んだ。近付く親衛隊を魔法で牽制し、大鍋や空き瓶の間を逃げ回っている。魔法に大した威力はないようだが、得体の知れない液体が入った鍋や瓶を投げつけてくるため、なかなか近付けないようだ。


「シモン・ド・パスマール伯爵だな?」


 ベルトランが巧みに親衛隊を使って貴族を追い込んだ。見るからに怪しい鳥人間に名を尋ねられた貴族は、右手に魔法の光を集めて向き直る。


「怪しい奴め、何故にその名を知っている!」


 解き放たれた魔法がベルトランの左腕をかすめた。袖が裂け、肌に薄らと鮮血が滲む。


「やれ」


 盾を手にしたフェリクスが貴族に詰め寄った。続いて放たれた魔法を天井へ弾き、突進の勢いを活かして盾で体当たりをする。


 親衛隊員が転倒した貴族を押さえつけ、両手に頑丈な手錠をつけた。魔力を吸収する拘束具を付けられた貴族は、呆気に取られた顔で鳥人間を見上げて何事かを呟いた。


「皇帝陛下暗殺未遂の現行犯として貴殿を拘束する」

「こう、てい……」


 親衛隊隊長であるデュラン侯に告げられ、貴族は抵抗を止めて俯いた。目の前にいる動物集団の正体に見当がついたようだ。流れる鼻血を拭おうともせず、大人しく連行されていく。


「そういや東雲はどこへ行ったんだ……?」


 由利に結界を使うよう告げてから姿が見えない。


「呼びましたか?」


 ふわりと爽やかな風が吹いて、東雲が現れた。大事そうに両手に獣人を抱えている。捕まっていた子供達を探しに行っていたようだ。


 セルスラと共に来ていた獣人が壁沿いに走って合流し、兄弟を心配そうに見上げている。


「ちょっと衰弱してるけど、大丈夫。生きてるよ」


 東雲が手元の兄弟を見せてやると、お互いに顔を近づけて鳴き声をあげた。ひとまず獣人を助け出すという目的は達成できて安心する。


 結界を解除した由利は集められた犯罪者へ向かって、少しだけ回復魔法をかけておいた。ベルトランの許可は得ている。打撲ばかりで効果があったのか怪しいが、鼻血は止まったようだ。


 ベルトランに斬られた腕の治療は必要かと聞くと、裁判の証拠にするから不要だと言われた。服にも魔法の痕跡が残っているため、下手に触らない方が良いという。

 貴族を拘束するために、わざと攻撃を受けたのだ。当然ながら支障が出ないよう立ち位置を調整しているだろうと思っていた。


「全員拘束したな? 帰るぞ」

「転移門を開け。犯罪者を輸送する」


 デュラン侯の合図で隊員の一人が床に魔法陣を描いた。青白い光と共に出現したのは、光る粒子で形作られた小さな門だ。隊員達は慣れた様子で拘束した犯罪者を連れて門を潜ってゆく。


「助かったぞ、お前達。この場は解散しようや。酒で労いたいところだが、まずはあいつらを裁くことを優先させてくれ」

「こちらは構いません。私達はこのまま帰宅してもよろしいでしょうか?」

「ああ。獣人が帰るときは知らせてくれ」


 ベルトランは獣人を頭や肩に乗せて遊んでいた東雲に尋ねた。


「お前、俺の下で働く気はないか?」

「無いよ」

「だろうな。俺も忠犬を主人から引き離すのは気が引ける」


 破天荒な皇帝は粒子の門を潜って帰っていった。最後に魔法陣を描いた隊員が潜り、門を構成していた粒子が儚く溶けた。


「何の話?」

「リリィちゃんは知らなくても大丈夫な話です。帰って子供達を休ませてあげましょう。ほら、お腹すいたーって泣いてますよ」


 空腹を訴えるネズミが小さな黒い瞳で由利を見ている。獣人をダシに誤魔化されたことは分かっていたが、切ない目に負けた由利は大人しく帰ることを選択した。

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