013 作戦会議
早朝に家庭訪問をしてきた皇帝ベルトランにより、作戦会議という名の命令下達が始まった。
敵は地下に潜伏する犯罪組織。目的は上層部の捕縛。居合わせた末端構成員については、可能なら捕縛という表現にとどまった。つまり、武器を持って抵抗してきた場合や、収容できない人員は斬り捨てても良いとのことだ。人未満の扱いである。
国にとって大切なのは勤勉に働いて礎となる国民なのだから、はみ出した者が捨てられるのは仕方のないことでもある。長年にわたり魔獣の暴走で国土を荒らされていたため、彼らの更生に割く人員が足りていないのだ。最も豊かな帝国ですらこの有様なのだから、他の国では推して知るべしである。
テーブルに広げられた簡素な地図は、地下水路の見取り図だった。ベルトラン側が用意したもので、必要と思われる部分のみ抜粋してある。東雲が作っていたものと比べると少し雑だ。
――詳細な地図は国家機密って聞くからな。
敵の手に渡れば侵略の足掛かりにされる。どこに自軍を置けば有利になるのか作戦が立てやすくなるため、世間には公開されていない。
由利はモニカの隣で、地図なんて分かりませんという態度で立っていた。東雲は『それだけ剣が使えるなら、地図も読めるだろ』とベルトランが謎理論を展開して捕まっている。御愁傷様だ。
捨てられた子犬のような目で助けを求められた気がしたが、きっと幻覚だろう。
「――概要は以上だ。酒の密売には一部の貴族が関与している。その貴族が視察へ行くという情報が今朝入ってきた」
要するに貴族を現行犯で捕まえたいそうだ。数々の噂はあるが、明確な証拠が見つかっていない。強制的に取り調べれば、名誉を傷つけられたとして反発が起きるのだ。
「犯行が露見しなかった理由の一つが、貴族の不正を監視する機関にある。職員が買収されて情報が握り潰されていた。治安部隊を動かすには『根拠となる情報』が必要になるんだが、監視機関からの報告書の力は大きい。俺の一存だけじゃ、兵隊は動いてくれん。馬鹿な君主が安易に戦争を吹っかけないための法律が足枷になっていてな」
「建前が必要なことは分かりました。ですが皇帝陛下が自ら前線に出てくる理由は?」
由利は今だベルトランに対して敬語を使っている。気にするなと言われたものの、この皇帝に隙を見せてはいけない気がした。親しみやすい雰囲気に隠れている、君主としての顔が怖い。
「こちらの動きと連動して、監視機関の取調べを開始する。貴族に気付かれずに、地下へ突入させられる手駒が親衛隊数十名しかいない。お前らを含めれば戦力的には問題ないんだが、坊主はよその騎士団所属、お前らは帝国民じゃない。親衛隊には皇族の警護以外で人を捕縛する権限がないわけ」
扉の前で護衛として立っているデュラン侯が頷いた。
「わざと刃物を向けさせて、皇帝への反逆罪で引っ張るわけ? 無茶するなぁ」
東雲は呆れたように言う。由利と同じことを考えているようで、ベルトランへの口調は崩しつつ、喋る言葉は厳選している。
「でかい国ほど規則だらけだからよ、抜け道を使うしかねえの」
ベルトランは駒代わりの小銭を地図に置いていった。周囲の水路を封鎖して、逃げ道を絶った上で踏み込む計画だという。
「セルスラはこの通路で竜化して立ってるだけでいい。わざわざ竜がいる通路へ突っ込む奴はいないさ。威嚇してもいいが、咆哮で水路を壊すなよ? やったら百年ぐらい奴隷にすんぞ」
「お主といい、ユリといい、我を信用しておらんな?」
「竜はその手の実績が豊富だからなあ。どこかの教会が竜の咆哮で吹き飛んだって噂は本当か?」
「我には人間の建物の違いが分からぬ。まず教会とは何ぞ?」
「これだけ言えばセルスラも分かってくれるよ。竜だって地上の建物が崩れたら無傷でいられないんだし」
教会を破壊した二人が誤魔化した。セルスラは本当に分かっていないが故の発言だろうが、ベルトランは深く追求しない。もともと本気で問い詰める気は無かったのだ。
由利は地図上にフェリクスの駒が並べられるのを見て、モニカに尋ねた。
「モニカとフェリクスが外国へ行くの、今日じゃなかったっけ?」
「そのはずでしたが、問題が発生したと聞きました」
「訪問先の国で反乱が起きたらしい。しばらくは国境を閉ざして様子見だな」
耳ざとく聞きつけたベルトランがモニカの答えを補足する。
「どうも民衆を扇動してる奴らがいるらしくてな、あちこちで煙が上がり始めてやがる。うちも他人事じゃねえのが辛いわー」
「ちっとも辛くないように聞こえるけど?」
「俺達はフェリクスや教会から情報をもらってたからな。取れる対策は全てやった。扇動してるのは間違いなく聖典派絡みの連中だろうよ。わざわざ知らせてやったのに荒れてる国は……まあ、色々あるわな。逆の立場なら、こっちが反乱を起こされてたかもしれん」
一概に無能と片付けるのも可哀想だ。友好国であったとしても、外国からもたらされた情報を無条件で信じるわけにもいかない。こうならないために帝国やクリモンテ派が中心となって動いていたが、残念ながらその国では聖典派が上手だったようだ。
「とりあえず突入組はこんなもんか。そういや嬢ちゃんは回復魔法が使えるらしいな?」
「つい最近覚えたばかりですが」
「頑丈な結界も使ってたよな? 丁度いいから後ろからついて来いよ。斬りすぎた害虫で魔法の練習でもしとけ。失敗しても構いやしねえ。どうせ後で軍医に見せるんだからよ。ついでに聖女様も来るか?」
「よろしいのですか?」
「陛下!?」
慌てたのはフェリクスだ。
「そう睨むな。賢者の居場所を突き止めたら殴りに行くんだろ? 荒事に参加しろなんて言わねえが、慣れておけ。常に守ってもらえるとは限らねえぞ。それともフェリクス、お前はここにいる全員を敵に回しても勝てるほど強いか?」
「それは……」
言い淀むフェリクスの肩をベルトランが叩く。
「そういうことだ。一人で守るのは限度がある。だから俺達は集団になるんだろうが。全体で考えろ。己の研鑽だけじゃねえ。他人の能力を伸ばす機会が巡ってきたら大いに活用しろ」
「その話に便乗して、陛下に要望があるんだけど」
東雲がさりげなく口を挟んだ。重苦しくなりかけた空気が途端に和らぐ。
「何だ?」
「帝都で魔法を使う許可が欲しいな。陛下の側にいれば問題なく使えるって言うけど、乱戦になったら適用範囲から離れる可能性もあるし」
デュラン侯が無言のままベルトランに書状を手渡した。
「そう言うと思って、今回限りの許可証を作ってきた。作戦中に無くすなよ?」
「今回だけ?」
「贅沢言うんじゃねえ。外国人に発行するのは初めてなんだよ」
「そう……まあいいか。ありがたく『活用』させてもらうよ。これは後で回収するのかな?」
「ああ、悪いな。ちょいと特殊な紙とインクを使ってるせいで、持ち逃げされると懐が痛む」
書状を受け取った東雲は上着の内側に入れる。
――こいつ、今すぐ解析してコピー品を作る気だ。
あまりにも素直な態度は逆に怪しい。付き合いが浅いベルトランは気付かなかったようだが、目の前に便利な道具を置かれた東雲がレンタルするだけで満足するはずがない。とことん解析して、可能なら複製するに決まっている。
「ついでに転移魔法についてだけど」
「おう、善意で協力してくれてたってのは聞いた。個人利用しようとした馬鹿をシメるのは、もうちょい待ってくれ」
「うーん……そこを何とか」
「いやいや、貴族ってやつは俺が一方的に言って聞くような連中じゃねえのよ」
「ふむ、皇帝陛下は別件で忙しいと。ではこれならどう?」
東雲は何故かデュラン侯に見えないように、魔石がはまった腕輪をベルトランに差し出す。
「これは?」
「これには認識妨害の魔法式を刻んであるよ」
ベルトランの顔色が変わった。面白いおもちゃを見つけた子供のように目が輝く。
「まずここに使用者の魔力を登録して……」
「こうか?」
「そうそう。腕に着けている間だけ有効だからね」
「これは他にもあるのか? よそで出回るとやっかいだ」
「いや『腕輪』はこれだけ。エルフの品だからね」
「ほう……確かに。いいだろう、貴族どもにはよく言っておく」
「まいどありー」
由利は詐欺の現場を見たのかもしれない。
ベルトランは部下を撒いて帝都へ行く時に必ず使うだろう。悪い笑顔で上着に隠している。
「おいユーグ。陛下に何を渡した?」
デュラン侯と打ち合わせをしていたフェリクスが、不審な動きを察知して戻ってきた。
「何って、自衛のためのアイテム?」
「細かいことは気にすんな。そろそろ着替えて襲撃の準備でもするか。部屋、借りるぞ」
「……ご案内します」
皇帝を問い詰めるわけにはいかず、フェリクスは渋々といった様子でベルトランを連れてゆく。寡黙な護衛に徹していたデュラン侯も後に続こうとしていたが、東雲に引き留められる。
「デュラン侯爵には、これを差し上げます」
「これは……?」
小さな薄い板だ。クレジットカードとほぼ同じ大きさだろう。光点が一つだけ点滅している。
「逃亡が大好きな上司の居場所が分かる道具。陛下の魔力に反応して知らせてくれるよ」
「ふむ……君が陛下にあれを渡してから、どうやって取り上げようか頭を悩ませていたところだ。どうやら杞憂だったようだな」
さすがと言うべきか、デュラン侯には東雲が何を渡したのか分かっていたようだ。
ベルトランが腕輪に魔力を流したとき、同時にカードにも流れるように細工をしていたと思われる。やはりあれは詐欺の現場だったのだ。東雲がベルトランだけ得をする取引をするわけがない。
「一方に肩入れするのは僕の好みじゃない。それに親衛隊が市街を走り回るのも限界があるだろうし」
「全くだ。感謝する」
デュラン侯は疲れたように笑い、部屋を出て行った。
「詐欺師め」
「策士と言って下さい。親衛隊の隊長に道具を渡すな、なんて言われてませんし」
確かに言われていないが、皇帝にお忍びのための道具を献上した直後に、その皇帝を見つけるための道具を護衛に渡すとは思わなかった。
「そんなことより、貴族に顔を見られると厄介なんで、皇帝から仮面を作るよう言われたんですが」
「ああ、昨日言われてたっけ。庭で作ってたのは仮面だったのか?」
「由利さんのは、これです」
差し出されたのは、それはそれは可愛らしいウサギの仮面だった。長い耳にはリボンもついている。パステルピンクが目に眩しい。
「……おい」
「モニカはこっちのシカね」
「私の分もあるんですか? ありがとうございます!」
東雲の仮面は伝統的な狐面だ。少し不公平ではなかろうか。主にデザイン的な意味で。
「顔が隠せるなら、シンプルなものでも良かったんじゃね?」
「クライアントがフクロウ仮面ですから、動物で揃えた方がいいかと思って」
「何の配慮だよ」
「モニカは喜んでますけど」
純粋さに定評がある聖女は、獣人の子供に仮面を見せていた。人形の獣人は小さな手で拍手をしている。瞳の輝きで判断すると、カッコいいとか似合うといった意味のことを訴えているらしい。
「俺も狐面が良かったな」
「我の仮面は無いのか」
「竜化するなら要らないだろ。おい、そんな物欲しそうな目で見るな。使い終わったらウサギ面やるから」
「み、見ておらぬわ!」
誇り高いはずの竜人様は、大事に使え傷を付けるなと念を押し、やたらと仮面を気にしていた。やはり欲しかったようだ。




