011 上様の家庭訪問
「どこで拾ったのかは知らないが、もといた場所に捨ててこい」
屋敷の主人であるフェリクスは、鳥人間を見るなり無常にも言い放った。
セルスラに会わせるよりも前に、玄関ホールで鉢合わせた結果がこれだ。格好は怪しいとはいえ、人間に対して酷い言い草ではある。気持ちは痛いほど分かるので黙っていたが。
「いや、君、そんなご無体な」
「黙れ。ここは治療院じゃないんだぞ。竜人だけでなく、こんな怪しい風体の奴を家に連れ込むなど……」
東雲に掴みかかる勢いで詰め寄ったフェリクスの視線が、ふと鳥人間が背負う剣に止まった。見てはいけないものを見てしまったように固まり、瞳から光が消えてゆく。
どうやら気づいてしまったようだ。
「……オレリー」
「かしこまりました」
フェリクスが老女の名を呼ぶと、優秀な使用人は詳しい指示など不要とばかりに一礼した。相変わらず、いつ現れたのか分からなかった。実は暗殺者だと言われても不思議ではない。
「……後ほど……部屋へ参ります。しばしご容赦を」
目を合わせないように鳥人間に言ったフェリクスは、東雲の襟首を掴んでホールに隣接した部屋へと引きずった。
「お前はこっちに来い」
「えっ僕だけ別室?」
「当然だ! 一体何を考えている。俺は火種を持ち込むなとあれほど――」
扉が閉められ、中から早口の帝国語が聞こえてくる。翻訳の道具からは断片的にしか聞こえず、頻繁に電子音がしていた。どうやら外交上不適切な単語が含まれているらしい。
「こちらへどうぞ」
「うむ。よろしく頼む」
一方で使用人に促され、屋敷の主人よりも主人らしく皇帝ベルトランが鷹揚に頷く。傅かれることに慣れた者ゆえの、堂々たる振る舞いだ。フェリクスの相手は東雲に任せ、由利は雛鳥のように後ろをついていった。
通された部屋は、家格が上の者を接遇するために整えられていると一目で分かった。寝泊まりに使わせてもらっている部屋とは、明らかに調度品が違う。曲線を用いた装飾は、優雅な印象を受ける貴族文化そのものを表している。屋敷の持ち主であるフェリクスの好みとはかけ離れていた。
鳥の被り物を取ったベルトランは、香り高い茶を警戒もなく楽しんでいる。毒見役は必要ないのか聞いたところ、毒を事前に感知する術なら心得ていると返ってきた。ついでに解毒の魔法は皇族や貴族では必須なのだと教えられ、文化の違いを実感させられる。
「俺を殺すつもりなら、毒なんて面倒なもん使わなくてもいい。あの小僧なら剣で勝てるはずだ。力だけじゃなくて技術も上がってる。お前の男は知らん。ありゃ剣士じゃなくて奇術師の類だろ」
「私の男ではありませんが、そうでしょうね」
足りない技術と経験を魔法でカバーしているのは確かだ。こちらの魔法の法則を使用しつつ、東雲にしか分からない理論で自分が使いやすい魔法を構築している。後輩が言うにはプログラミングと同じということだが、それを聞いて魔法書を開いたところで同じことが出来るとは思えない。
「指輪までしてるのに違うのか?」
ベルトランは訳がわからない様子だ。
――こっちの世界に結婚指輪は無いって言ってたはずだが。
結婚の意味はなくても、婚約や恋人といった意味はあるのかもしれない。後で東雲を問い詰めてみるべきか。
「お互いの所有物ではないということです」
「それはエルフの文化か?」
「いいえ。私達が育った場所の……考え方の一つですよ」
「ほう。そういう生き方もあるんだろうなぁ」
一瞬だけベルトランが為政者の顔になった。隣国を取り込んで大きくなった国だからこそ、思うところがあるようだ。大きな内乱もなく治世が続いているのは、異文化を排斥するのではなく受け入れてきたからだと聞いている。ただ全てを取り込むには至らず、こぼれ落ちてしまったものも多くありそうだ。
しばらくして疲れた顔のフェリクスと、いつも通りの東雲が部屋に現れた。後ろには獣人を肩に乗せたセルスラを連れている。
「遅れて申し訳ございませんでした」
部屋に入ってすぐ、フェリクスはベルトランに対して臣下の礼を取った。
「構わん。急な訪問だったからよ、ただの非常識な客として応対してくれや」
「さすがにそれは……」
「真面目だねぇ相変わらず。お前が一番、親父にそっくりじゃねえか」
苦笑したベルトランがフェリクスを対面のソファーに座らせ、改めてセルスラに話しかけた。
「こうして会うのは初めてだな、竜人族の姫」
「そのようじゃな、人間の王よ。主らの言葉では皇帝と呼んでいたか」
「臣下の家で皇帝を名乗る気はねえな。ベルトランでも何でも好きなように呼んでくれ」
「では我もセルスラと呼ぶといい。まずは手続きを踏まずに都へ入り込んだことは謝罪しよう」
「問題を起こしてねえなら不要だ」
セルスラが会話に不自由するなら補助に入ろうと思っていたが、この様子だと必要なさそうだ。由利はそっと席を立ち、東雲の隣に移動する。
由利が移動したのを見て、セルスラの肩に乗っている獣人がそろりと膝の上に降りた。所在なさげに視線をさまよわせていたので手招きをすると、二匹揃って由利のところへ駆けてくる。拾い上げて額の辺りを撫で、柔らかい毛並みを堪能させてもらう。東雲も真似をしてもう一匹を撫で回し、ネズミを手懐けていた。
「目的はそこの二人に聞いた。迷子になった獣人の回収でいいか?」
「うむ。残りの三匹は良からぬ輩に捕まっておるようでな。生死すら分からぬ。見つけ次第に出て行くゆえ、多少の活動は見逃してはもらえぬか」
「その犯罪者どもは俺らも探してる奴でな。獣人の捜索に協力するからよ、手伝ってくれんか」
「ふむ……」
セルスラはチラリと由利を見た。
「構わぬが、我は人間のように狭い範囲の攻撃は苦手でのぅ。そこの二人に止められておるのじゃが」
「ああ、そうらしいな。安心しろ、俺だって帝都を壊されたくねえからよ、攻撃以外のことで手を貸して欲しいだけだ」
「……ついでに、人間の契約やら細かい法律にも詳しくないのじゃ。あまり難しいことは言うてくれるな」
「見た目通りの精神年齢ってことか……そういや、何でセルスラが来た? 人間のことを知ってる竜なら、他にもいると思うが」
「む……そ、それは我が優秀だからであろうな!」
若干、ベルトランの視線が生ぬるくなった。
「そこ、どう思うよ?」
「僕?」
急に話題を投げかかれらた東雲は、焦るセルスラを観察したのちに答えた。
「たぶん、少し前にお菓子が原因で人間に捕まったから、かな? 自分たちより劣るはずの人間に負けただけじゃなく、魔族と勝手に戦ったことも関係してるかも」
「あああっ!?」
「図星かー。罰として獣人を探してこいって放り出されたんだろうねぇ。見つけるまで帰ってくるなって言われてるのかも」
「な、何故お主は真実を言い当てるのじゃ!?」
「おい姫さん。人間の国は流刑地じゃねーよ」
「我に言うでないわ!」
「そう言う事を通達しねぇから摩擦が起きるんだがなぁ……相変わらず自分達のことしか考えてねえな。こっちも感情とか規則ってもんがあるんだよ」
「うぅ……」
「まーこいつに言っても仕方ねえか。子供だもんな」
ベルトランは苦悩するように腕を組んで考え込み、やがて帰るかと呟く。
「今日はもう遅いから帰るわ。小僧、どうせ親衛隊に通報したんだろ? なら、そろそろお前の親父が到着する頃か」
「はい。表で待っているよう伝えております」
フェリクスがすぐに来なかったのは、皇帝の護衛と連絡をとっていたためか。彼の最初の反応からすると、身内から皇帝のことは知らされていなかったようだ。さすがに皇帝が変装して帝都を賑わせているなど、言っても信じないだろうが。
ベルトランが呑気に鳥の被り物を手入れしていると、勢いよく扉が開いて誰かが入ってきた。
「ここに居られたか!」
「うぉ!? 何だよ下で待ってるんじゃなかったのか? 驚かすなよ」
威圧感を纏わせ入室してきたのは、フェリクスの父親だという親衛隊長だった。癖混じりの金髪と緑色の瞳という外見以外は、フェリクスとはあまり似てないようだ。ただ彼の振る舞いから、性格が似ているというベルトランの言葉には納得できるものがあった。
「陛下を放っておくと、また何処かへと姿を消してしまう。僭越ながら、お迎えに参上したまで」
一言声を発するたびに威圧感が増してくる。こちらまで怒られている気がして、由利は東雲を盾にした。間近にいるセルスラはすでに泣きそうになっている。
「おいおい、お前が怖いから客人が泣いてんじゃねぇか」
「な、泣いてなどおらぬぞ!? 竜人族たる我が、人前で涙など見せぬわ!」
強がっているが、傍目には怒られて泣きそうになっている子供にしか見えない。
「陛下が今すぐ城へお帰りになれば、客人の少女も安心して眠れるかと。皇子の戯れに付き合うのも限度がございます」
「そうは言ってもよ、あんな期待を込めた目で見られたら断れねえだろ?」
何のことかと思えば、ココ仮面は幼い皇子の発案だったらしい。正義のヒーローは世界が違っても愛されるもののようだ。誕生日に変装して現れたところ、大変好評だったために辞め時を見失ってしまったという。ダメ親の見本のような男だ。
「お前らは俺が市街をうろつくと文句言うだろうが。自分が治めてる場所を見ずに皇帝を名乗れるかよ」
「民を思うお心は立派ですが、その変装はいかがなものか」
「だって俺が行くと、みんな身構えるし。ありのままの生活を知るためにだな」
「だって、ではございません。子供ですか」
「いいじゃねえか。ここは玉座じゃねえんだよ。外に出てまで王様ごっこなんてできるかよ」
「やかましい。さっさと帰るぞ、このボンクラ」
「ハイ」
ついにベルトランが折れた。デュラン侯の迫力に負け、しぶしぶ立ち上がる。
「くそっ幼馴染を任命するんじゃなかった……でも、こいつ以外に適任がいないんだよなぁ……」
皇帝陛下は激しく後悔しておられるが、これまでの言動を考慮すると自業自得ではと言いたくなる。
怖がっていたセルスラは、フェリクスから飴をもらって気持ちが回復したようだ。すぐに口へ入れて幸せそうに味わっている。テーブルには茶器とクッキーしか置かれていないが、フェリクスは飴を携行していたのだろうか。
部屋を出る直前、ベルトランが東雲を見て言った。
「あ、そうだ。えーっと」
「ユーグ」
「そう、ユーグ。顔を隠せるものを用意しておけよ。バレると多分、面倒なことになるぞ。これ使えや」
「はーい」
東雲は投げ渡された小袋を危なげなく受け取る。
「じゃあな、小僧ども。後でまた連絡する」
フェリクスはベルトランを見送るために、すでに部屋を出て行った。帝国民ではないが何もしないのも薄情な気がして、彼らについていく形で玄関へ向かう。
ホールではフェリクスの他にモニカと使用人が揃っていた。非公式とはいえ皇帝への礼を欠かす気配は全くない。
「聖女か。今日は帝都を見て回ったと聞いたが」
口が悪い下町の親父が消えた。これが皇帝としての顔なのだろう。ベルトランは威厳すら感じる口調でモニカに話しかける。
「はい。とても活気のある良い都でした」
「楽しんでいただけたようで何より。法国とは勝手が違うが、不自由しておらんか?」
「ございません。皆様によくして頂いておりますので」
「それもまた聖女の人徳ゆえであろう」
「わ……私など、まだまだ未熟者です……」
頬を赤らめて俯くモニカを、ベルトランは微笑ましく見守っている。陰謀が渦巻くようなところにいると、彼女ほど素直な反応が新鮮に見えるのだ。
「世話になった。帰るぞ」
「は」
デュラン侯が合図をすると、玄関扉の前にいた親衛隊が動く。両開きの扉があけられ、外の涼しい夜風が入ってきた。門の外には質素な馬車が停まっている。非公式かつ急な訪問だったため、親衛隊が所有しているものを持ってきたそうだ。
堂々と退場するベルトランは皇帝の地位に相応しい足取りだったが、小脇に抱えた鳥の頭が全てを台無しにしている。職務に忠実なはずの親衛隊ですら、動揺が隠せないようだ。だがすぐに元通りの無表情に戻るところは、練度の高さを伺える。
「息子が世話になった。またいつでも家に来るといい」
「……近いうちに、お伺いします」
デュラン侯は別れ際に東雲へ言い残していった。俯きがちに答えた東雲の耳が赤い。珍しい反応だ。フェリクスの実家に滞在していたこと以外は聞いておらず、由利にははっきりとした理由が思い浮かばない。
――悪い体験じゃなかったみたいだから、きっかけさえあれば話してくれそうだな。
ただ言葉を選び間違えると、はぐらかされてしまうことは予感していた。
誤字報告をして下さった方、ありがとうございます
とても助かりました




