009 新しい魔法と教会の魔法
狼魔獣の胸を切り開くと、心臓の近くに赤い輝きが見えた。ゴルフボール大のそれは由利が見た中では一番大きい。
取り出して東雲に見せると、良かったですねぇと輝くような笑顔で言った。
「安定して魔法が使えるようになったみたいですし、今日はこれぐらいで引き上げますか?」
「安定ねえ。攻撃系はさっぱりみたいだけどな」
使えるものはないかと手当たり次第に試した結果、由利が魔法を使うには想像力が大きく影響していることが分かった。回復魔法が一向に上達しないのは、傷が治る過程を思い浮かべられないせいだった。
そもそも傷が治るってどんな状態だ。傷口を塞ぐのは学校教育やら医療系のテレビ番組のお陰で、血の中の血小板が集まる様子を思い出すだけで良かった。その先の知識がないために、中途半端な魔法になってしまう。
反対に初めて成功した結界魔法では、人をダメにするクッションまで出せるようになり、引きこもり魔法と東雲に命名されてしまった。頑張ればジュースが出せる日も近いかもしれない。
由利が血まみれになった手に魔力を込めると、淡く光って汚れが消えた。同じように東雲の剣についた血糊を落としてやり、回収したばかりの魔石を渡した。
「便利ですよね、その魔法。まさかアンデッドを倒す浄化魔法で、血糊が落ちるとは思いませんでしたけど」
「一言多いわ。浄化が上手く想像できないんだから、しょうがないだろ」
由利はゾンビ映画は観ないたちだ。もちろんゾンビを倒してゆくゲームもしない。子供の頃に死体が動く映画を観たトラウマで、奴らが苦手だなんて言えない。魔法を使えばゾンビが動かなくなる程度の想像では成功しないようだった。
「その代わり、足止めに使える魔法が使えるようになったし」
「あの地獄の使者みたいなの、どうにかなりませんかね……」
東雲はドン引きした顔で由利を見下ろす。
先ほどの狼に使った魔法のことらしい。無数の白い手が地面から生え、敵を掴むというお気に入りの魔法だ。発動が速くて広範囲に出せるので、群で襲われても楽に動きを封じることができる。
「あと幻を出すやつ。何でレオタード着た小太りのオッサンが反復横跳びしてるんですか」
「MMORPG最高傑作のプリズナークエストに出てくるレアNPCだよ。遭遇して捕まえたらレアアイテムくれる妖精なんだよ」
「要りませんよそんな情報。由利さんは魔法が絡むと発想が斜め上すぎです」
呆れられてしまった。
太陽の位置を確認すると昼に差し掛かっていた。
魔獣の死体を焼いて始末していた東雲に竃を作ってもらうと、フライパンに油と刻んだニンニクもどきを入れて火にかけた。塩漬けにして発酵させ、油づけにした小魚をヘラで潰し、乾燥させた赤い実を加える。
横で暇そうに見ていた東雲に食材や調味料を投入させ、水を入れてからは焦げないように煮込んでいくと、異世界風アクアパッツァが出来上がった。
戦闘や異世界での交渉に全く役に立たない分、由利は食事を作ったり金銭管理を担当している。役割分担といえば聞こえはいいが、単に東雲に料理をさせるとゴミが出来上がるからだった。就職して一人暮らしをするまで、キッチンに立つ機会がなかったらしい。料理ができる環境になっても、仕事の忙しさを理由に飲食店やコンビニを利用していたとか。
美味しそうに料理を食べる東雲を見ていると、洋犬を餌付けしている気分になる。そのうち限界まで振られた尻尾が見えるのではないだろうか。
「海側に来て魚が食えるようになったのはいいけど、そろそろ米が欲しくなるな」
「米ですかー」
東雲は首を傾げてから言った。
「この国では流通してませんね。かなり西の方へ行かないと育てられませんし、存在自体知らないかと思いますよ。それに稲が育ちそうな西側は、エルフの支配地域なんで情報がないですね」
「東雲ウィキは人間の知識で構成されてるのか?」
「そうみたいです。あ、おかわりください」
満面の笑みで空になった皿を出されると、作った側としては嬉しくなる。フライパンに残っていた魚を入れてやると、ふにゃりと東雲の表情で笑って、ありがとうございますと言った。
異世界に来て一週間も経てば、体の変化にも慣れてきた。朝起きたときに、夢じゃなかったのかと思うことはあるが、絶望するほどの落ち込みはない。
職場でしか交流がなかった後輩と異世界で生活することになったが、意外と上手くいっているのは東雲が合わせてくれているからだろう。
彼女が森を探知して単価が高い魔石を見つけてくれるので、その日の食費だけなら半日で回収できる。夜は町の宿を利用しているのでなかなか貯蓄に回せないが、安全な場所で休まないと心から病みそうだからだ。
少しずつではあるものの、異世界に馴染んできた。人間って案外図太いんだなと考えたところで、由利はふと気がついた。
「俺たち、最初の目的を忘れてね?」
「目的?」
後片付けをしようと立ち上がりかけていた東雲は、食器を両手で抱えたまま座り直した。
「日本に帰る方法、そろそろ探し始めないとな」
「あー……リズベルに来てみたのはいいですけど、一般人を見てるとあまり魔法に詳しくなさそうですよね」
それは由利も感じていたことだ。
まず町の中で魔法を見かけたことがない。東雲が彼らのステータスを見てみると、魔法を使うほどの魔力がなかった。魔石を使う道具は、由利達が機械を使うときのように、仕組みが分からなくても扱える。
「現地人情報によると、魔力が高い子は半強制的に国が召し抱えて教育するんです。能力によって給料が高くなるから、悪い話じゃないんですけど。色々と制約もあるので庶民が魔法に触れる機会は少なそうです」
「国は魔法を兵器として扱ってるのか」
「使える能力によりますけどね。由利さんの結界も要人警護に使えますけど、人手が足りているうちは野放しです。人を傷つけるものじゃないし、緊急時にのみ徴集する契約なら、支払う給料を引き下げることもできます」
「聞けば聞くほど異世界も夢がないな」
「人間ですからね」
「ところで、そんな事を知ってる現地人って何者なんだよ。海鮮の店を教えてくれたのもそいつなんだろ?」
「ハンター登録した日に、たまたま知り合ったんです。情報屋みたいなものですよ。こっちの情報はほとんど漏れてませんし」
本当に大丈夫なのかと由利は思った。営業の仕事をしていたとはいえ、高度な交渉が必要な職種ではない。日本とは違って何が命取りになるか分からない世界なのだ。
東雲の検索能力なら、この国の法律ぐらいは調べられるが、末端の国民にまでそれが守られているとは言い難い。脳内マップに索敵レーダーが完備されているものの、常にそれが正常に機能するのだろうか。
「金で情報を売り買いしてる奴を、あんまり信用するなよ? 俺には分からんが、東雲の言動だって、現地の奴らから見れば浮いてるかもしれないんだからな」
「分かりました」
東雲は素直に言ったあと、黒さ溢れる笑みを浮かべた。
「いざとなったら、そいつの記憶を改竄するんで大丈夫です」
「それ一番やったらダメなやつ!」
由利は見知らぬ情報屋が哀れになった。
東雲はやると言ったらやる子だ。もしかしたらリズベルを離れる時に、彼女に関する情報を綺麗に消そうと思っているのかもしれない。異世界を混乱させないうちに日本へ帰ろうと約束したが、そこまでやれとは言っていない。
もう少し穏便に行動しようと提案すべきか悩んでいるうちに、東雲は竃を消して地面を均した。
「日本へ帰る方法なんですけど」
背中を向けたまま東雲が言う。
「私達、魂だけこっちに来て、異世界の人の体に入ってるって言ったこと、覚えてますか?」
「ああ。ちゃんと覚えてるよ。日本に帰るなら、魂だけ飛ばさないとな」
出来るかどうか知らないが、体ごと転移されたら今度こそ由利の心が死ぬ。魂が抜けた自分の体と対面するのも怖い。
それに今の東雲が地球にいたら、社会的な反響が凄そうだ。きっと嫉妬で由利の心が荒む。
「魂に作用する魔法をよく使うのは、宗教関係者です。信者の心を落ち着かせて話をよく聞いてくれるようにしたり、難しい儀式を平常心で行えるようにしたり」
加減を間違えると何でもできそうだが、魔法の悪用はどうやって取り締まっているのだろうか。
「それで彼らが行う儀式の中に、取り憑いた悪霊を祓うものがあるんですが」
作業を終えた東雲が由利に向き直った。
「エクソシスムみたいなものか?」
「私は映画でしか見たことありませんが……たぶんそんな感じです。こっちの世界の悪霊は、心が弱っている人の体に無理やり入ってくるんです。見ただけで分かるので教会から専門家を呼んで追い出してもらうんです」
「放置してるとどうなる?」
「睡眠も食事もしないので、どんどん体力を消耗して衰弱死するだけです。他人を攻撃したり物を壊しますから、よほどの僻地に一人暮らししていない限り、誰かが通報してくれますよ」
「入れ替わることはできないんだな」
「体の正当な持ち主じゃありませんから。生命活動をしようとすると、拒否反応でも出るんじゃないんですかね」
「それでその――面倒だからエクソシストって呼ぶけど、そいつらが除霊に使う術で体から抜け出して、日本へ帰るって段取りになりそうなのか」
「今の私達が、頑張って習得できそうな術の上限がその辺りかと。魂に作用する魔法って扱いが難しくて、同じ術者でも心理状態とか環境で左右されるんです」
異世界のエクソシストも術を使う前に香を焚いたり、部屋の明るさを調節して成功する確率を上げるそうだ。聖句を読んだり宗教のシンボルを触らせて、対象者の意識が現れた瞬間に術で魂から引き離す。術を使うのは一瞬だが、準備期間を入れれば平均して五日ほどかかる儀式だ。
「宗教由来の術ってことは、当然、教会内にしか伝わってないんだよな?」
「そうなんですよねー……いっそ高位の聖職者とトモダチになろうかなぁ」
後半は小声だったが、由利にはしっかり聞こえた。友達の発音がおかしい。これが彼女の本当の性格なのか、異世界で吹っ切れた結果なのか。後者であってほしい。
「異世界の奴らを敵に回すとか止めてくれよ。魂関係の術を使えるってことは、その耐性もあるってことだろ。難易度抜きで他に使えそうな魔法は?」
東雲は記憶を掘り起こすように、腕組みをして斜め下を向く。
「魂を呼び出す降霊術かな? 最後にもといた場所へ返す方法が使えるかもしれません。ただ黒魔法として規制されてますから、バレたら間違いなく投獄されますね。さっきの悪魔祓いとも関係してるんですけど、大半は悪霊を呼び出してしまうから、怒った教会が権力者に掛け合ったんですよ」
「そりゃ次々に悪魔憑きが出たらキレたくなるよな」
「あとは魔法の効果を逆転させる術と組み合わせて、反魂の術とか? でも反魂の術は成功例がありませんし、そもそも使えるレベルの聖職者が滅多にいません。リリィちゃんの体のスペックなら使えそうなんですけど……」
「中身の魂がポンコツで悪かったな」
オリジナルの魔法もどきしか使えないのだ。高位の魔法が使えるようになるには、何十年かかるだろうか。
東雲は、そこまで言ってませんよと苦笑した。
「もともと私達はこの世界の人間じゃありませんし、切っ掛けさえあれば簡単に体から出ていけると思うんです。一番の問題は、こっちから日本へ飛ぶ方法かと」
「教会で情報を集めるとして、心当たりは?」
「やっぱり教会内の図書室かな。この国で一番大きな教会は王都に。総本山は隣国の隣にある、ザイン神聖法国という小さな宗教国家です」
「一般人に公開……されてるわけないよな?」
「残念ながら。侵入してこっそり読むしかないです」
「だよなぁ……」
結局、そこに行き着いてしまうのだ。
異世界の人間に異物がいると気付かせないまま、由利達は帰りたいのに。知りたいことは厳重に守られていて手出しができない。
多少の危険は覚悟すべきだと思うが、主になって動けるのは東雲だ。由利は異世界の文字が読めない。後輩だけ危ないことをさせるのか。
彼女は守られる子供ではないし、便利な能力もある。柔軟に対応できるところもあるから、東雲が思いついたことはどんどんやらせるべきなのだろう。
「情報屋に、使えそうな魔法がないか、それとなく聞いてみます」
「東雲」
大丈夫ですよ――東雲は困ったように笑う。
「いざとなったら、相手を殴って記憶喪失にさせますから。もしくは逆らえないほど脅してきます」
「俺はお前と情報屋、どっちを心配すべきなんだろうな」
発想がいちいち物騒で困る。
由利は違う意味で東雲が心配になってきた。




