天才
涼やかな風に背を押され、私達は第一方面軍の拠点のあるガウメラに向かった。
今までほとんど使うことの無かった備蓄を削り、荷馬車を三台と死線を共に越えた部下30、そこにカサンドラの親族とエリアを含め、三日の旅路となった。
「そういえば、戦の天才と競争と言ってたが、そんなのが殿下以外にいるのか。」
「殿下の後継と目される十七の怪物が治める領土がガウメラなんだよ。以前何度か顔を合わせてはいるんだが、実に気難しい御仁だ。」
オルランドは特に興味を持つでもなく、馬車に積まれたパピルスをかじって聞き流した。
「レオ、レオ。貴方も間違いなく天才ですから。私が保証します。」
後ろから私の背に飛び乗り、エリアは最高の笑顔を作って見せた。
結局、都を出発する前に彼女の素性には切り出せず、今もこうして共にいる。
「私は天才じゃないよ。少なくとも彼と比較したら凡人だ。
彼はね、十四の若さで初陣を果たし、指揮官として一万の兵で六万の蛮族を撃退してるんだ。
正直どんな魔法を使ったか聞きたいくらいの怪物だよ。彼は。」
ゆったりとした時間は過ぎて、ガウメラはもはや目と鼻の先、新しい戦いの幕開けに背筋が伸びた。
エリアとカサンドラの親族を街の外れに待機させ、物資を大きな石造の建物の前に置いておく。
オルランド以外は物資の警備に当たらせて、領主の住まう屋敷へと向かった。
「ごめんください。」
扉を叩き呼び掛けると、幾人かの奴隷が顔を覗かせ、こちらに視線を投げてきた。
「当方、ガルタ領主のレオ。アレクシス殿下の命により、ガウメラに駐在することとなった。領主ハニバル殿にお取り継ぎ願う。」
奴隷達は屋敷の中へと誘い、私達は素直に応じた。
「すげぇ屋敷だな。石造の屋敷は都にもあるが、見たこと無い調度品とかたくさんある。」
オルランドは少し声をおさえ気味に、しかし興奮して話している。
「珍しいでしょう。それらは南の国からの交易品でしてね。並の領主ならまずお目にかかれない品々です。」
屋敷の奥から良く澄んだ声が響く。
「よくぞ参られました。ガルタの英雄。殿下より書簡は届いております。
ご存知でしょうが、私がこのガウメラ領主、殿下の後継であるハニバルです。
以後お見知りおきを。」
ハニバルは年相応の張りのある声で名乗りをあげた。
「当方は元、ガルタ領主、レオ二世であります。前回お会いしたときは昨年の都でしたかな。」
「申し訳ないが貴官とあった記憶がなくてね。まあ、凡百の地方領主の事を覚えてられるほど、暇じゃあなくてね。」
鼻から嫌味全開のハニバルに、オルランドは沈黙している。
「だがね。今回のガルタ防衛戦の記録を見たが、なかなかいい戦いをするじゃないか。
軍師を魔法使いか何かだと思ってる馬鹿共には分からんだろうが、君は間違いなく優秀だ。」
ハニバルは余裕をもって続ける。
「軍師とは何か、絶対勝てない状況から勝ちを得る魔法使いか、否。
毎回奇跡の様なバクチを打って勝ち上がる勝負師か、否。
勝つための用意と方策を事前に用意し、勝てないと分かった時は敵からの被害を最小限に切り抜ける臆病者、それが軍師と言うものだ。
十五日に渡る籠城は援軍を待ち逆転に備えたのだろう。
撤退のための奇襲はそのタイミングしか無かったのだろう。
街道の破壊も前々から用意し取り決めていたであろう。
これだけ見事な采配は馬鹿には務まらぬ。戦の天才、ハニバルが認めよう。貴官は優秀だ。」
思わぬ評価を受けて、私は面食らってしまった。
「まさかハニバル殿程の天才に評価して頂けるとは。」
「私の様な学に疎く知に乏しい賤民であっても、我等が指揮官は優秀であります。」
鼻息荒くオルランドが口をつく。
「彼は武官か。」
ハニバルは少し冷ややかな視線をオルランドに向ける。
「私の副官です。少し気が逸る悪癖が有りまして。」
「そうか。まあいいさ。」
ハニバルは一度姿勢を正した。
「貴官も私も殿下の兵を貸し与えられ、近隣の戦場に出向くことになるが、これをどう考える。」
ハニバルは試すように問い掛ける。
「ハニバル殿と私、どちらが優れてるかの競争か、又は私とハニバル殿を近付けたかったかのどちらかと推察します。」
ハニバルは静かに笑った。
「貴官は勝てると思うか。このハニバルに。」
臓物を穿つような鋭い気迫に背筋が凍る。
「ハニバル殿には勝てません。あんな美しい戦術に勝てるのは殿下くらいでありましょう。」
私は笑って続ける。
「それに、ハニバル殿に勝てずとも、蛮族に勝てればそれでよいのです。」
ハニバルは心底楽しそうに、私の顔を見る。
「よろしい。では我が競争相手よ。殿下のため、自らの領土がため、互いにその才を遺憾無く発揮しよう。」
ハニバルが伸ばした手を両手で囲い、笑って見せる。
これが、後々大きな転換期となる第一方面軍本拠地指揮官一日目である。
登場人物紹介
ハニバル
17才
ガウメラの領主として君臨する天才。アレクシスの後継と目される指揮官。
精神論や感情論を何より嫌い、理屈と才覚で障害を捩じ伏せてきた。それ故に、友と呼べる存在はほとんどいない。