3、復活の若獅子
気づけばそこは幻想的な場所だった。
ポッカリ空いた穴からは爛々と光が差し込み、岩肌から伸びた水晶がその輝きを讃えている。そんなダンジョンの奥深くのような場所。
眼前には巨大な龍。背後には瞳を潤ませる少女。
そしてオレは、酒に溺れる前の引き締まった身体に若返っている。
「こいつぁ夢だな」
それ以外に考えられない。
時空魔法に飲まれたものは、二度と現世には帰れないという。
なら目の前の光景は死ぬ前に見る最期の夢に違いない。神様も粋な計らいをしてくれたものだ。
「そこのお嬢さん」
髪をかきあげつつ、イケボを意識して声をかける。
ギルドでそんなことしたら即セクハラ案件でボコボコにされるが、彼女はコクンと頷いただけだった。
生け贄と呼ばれていたからか。すっかり怯えてしまっていて、瞳の焦点が揺れている。オレはそんな彼女に対して庇護欲が掻き立てられるのを感じた。
「私が来たからにはもう安心です。すぐに目の前の悪龍を退治してご覧に入れましょう」
大仰に手を振ってお辞儀をする。
ちょっとクドいかとも思ったが、これはオレの夢だ。夢の中でカッコつけて何が悪い。
『貴様……悪龍と呼んだか』
振り返ったオレの頭に直接声が響く。魔素による念話。
龍王の姿といい、威圧感といい、以前1匹倒してるからか夢とは思えない再現度だ。
盛り上がってきた。
「そうだ悪龍。オマエを倒して世界に平和を取り戻ーす!」
『ならば死ねぇ!』
精龍王はガバァと口を大きく開ける。そのアギトを見せつけるかのようにオレの前に突き出すと、暗い喉の奥がキラリと蒼く光った。
次の瞬間、輝く焔の奔流がオレごと水晶の頂きを焼き尽くす。
「キャアアアア」
悲痛な少女の叫び。
奔流は柱となり、熱線となって岩壁を燃やし、溶かしていく。
遠くから見ればその蒼い輝きはさぞ美しく眼に映るだろう。しかしそれは龍の怒り、触れたものに死を与えるブレスだ。
液体と化した鉱石が煙を上げる中、精龍王は口を閉じた。金色の瞳を細めながら鼻を鳴らす。
『熱くなりすぎたわ。まさか人の子を相手に龍王の力を誇示してしまうとわな』
「まったく大した力だぜ。人一人殺せもしねぇんだからよ」
足元に居たオレはデカイ図体を見上げて言った。大きく見開いたヤツの目とすぐに目が合う。
『貴様、何者だっ!』
精龍王は思い切り下顎を地面に叩きつけた。大口を開くと地面を削り取りながらオレへと向かって来た。
今度はブレスではない。直接攻撃だ。
大きいモノだと、オレの背丈ほどもある牙。それが暴れ馬も逃げ出す速度で迫り来る。丸呑みはもとより、掠っただけでも瀕死ものだ。
チラリと後ろを見ると少女がうずくまっているのが見えた。このままでは彼女も巻き込まれてしまう。夢の中とは言え、これ以上怯えさせるのは忍びない。
オレは龍王へ向かって走り出していた。信じられないくらい身体が軽い。夢だからか、若いからか。久しく忘れていた感覚に胸が震える。
大地を蹴って跳び上がり、上顎の先へと降り立った。
予想外の出来事に龍王が動きを止める。
「オレは退魔の若獅子、冒険者のレイシュ!」
紅い柄に手を掛けて、腰から一気に剣を引き抜いた。
待たせたな、黒龍剣。
10数年ぶりに見る剣身は、それこそ夜を閉じ込めたような曇りなき漆黒。何も変わっていない。どんなに借金して貧しくても、決して質に入れなかった。紛れも無い、オレの相棒。
「そして龍王を殺す者だあぁ!」
剣を逆手に持ち替えて、思い切り顔へと突き刺した。
足から伝わる岩のような硬さ、透き通った氷のような冷ややかさ。
それらを無視して、黒い部分が見えなくなるほど、深く突き立てた。力は要らない。手を離しても重力で沈んでいくとさえ感じてしまう。それほどの斬れ味なのだ。
『グオオオオオオッ!?』
ダメージが通ったのか、悶えるように首を振り回し始めた。オレを振り下ろさんと何度も壁に頭を打ち付ける。
斬れ味の良さが仇となったか。抜けそうになる柄と鱗の隙間を掴みながら、オレが必死に機会を伺った。
精龍王は苦し紛れから天を仰ぐように首を上げる。掛かる重力が垂直になり、剣を持ったまま身体が宙に放り出された。
すぐに態勢を立て直し大地を見る。すると真下に精龍王が大口を開けて待ち構えていた。
空中にいては回避も出来ない。重力に引かれるまま、巨大な口へと吸い込まれていく。
「こうなりゃ、一か八か!」
オレは地面に剣先を向けながら背筋を伸ばした。脚を閉じて空気抵抗を最小限に抑えながら、自らが矢になった姿を意識する。
目も口も固く固く閉じて、オレは龍王の中へと突入した。
落下の衝撃と肉を引き裂く感覚が、剣を通して腕に伝わってきた。
生暖かくてネットリしたものに包まれる。臭いがキツく無いのがせめてもの救いか。
「うおおおおおおおお!」
勢いのまま力に任せ、オレは剣を横へと薙いだ。
まとわりつく粘液、むせ返るほどの魔素、人を見下し続けて来た悪意。それら一切合切を、漆黒の刃が断ち切る。
『グアアああ……』
くぐもった断末魔。
その巨体が地へと墜ち、息も絶え絶えになろうとも、まだ心臓は止まっていない。
オレは剣を振り続けた。
足元も不安定なまま、剣の斬れ味を頼りにやたらめったら臓物を傷つける。
オレの呼吸も厳しくなって来たところで、終わりは突然訪れた。
まぶたの裏からでも分かる光が差し込み、外気がオレの顔に掛かる。すごく寒い。
急いで外に出て振り返る。
地に伏した龍王の身体は、急速に冷えていった。命の火と共に体温を失った身体は、水晶の鱗の輝きも相まって、巨大な彫刻のような美しさがあった。
体内に残されていた魔素が尽きると、龍王の身体は自壊を始めた。崩れ落ちた部位が、ことごとく地面に落ちて砕けていく。
やがて塵になるまで細かくなると、風に呑まれて大穴から外へと消えていった。
勝った。
舞い上がるパウダースノーを眺めながら、大きく息を吐く。
戦いを通して得る充足感。こんな気分はいつ振りだろうか。久しく忘れていた感覚に、目頭が熱くなる。
そう言えば、悔し涙以外で泣いたのもいつ振りだっただろうか。湧き出る気持ちの懐かしさに感情が追いつかない。こんな時、どんな顔すれば良いんだっけか。
オレはただ無言のまま、震える手で涙を拭った。
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