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友人が酷い胸焼けに悩まされているらしい

作者: ラストラ

 私には仲の良い友人がいた。

 まだ学生だった頃に出会い、同じ職場へ就職した。そろそろ十年くらいの付き合いになる。冴えない男二人で飲みに出かけては仕事の愚痴を交わし、旅行に行ってはナンパをして撃沈し、もう少しで二十代に別れの挨拶をしなければいけないというのに、たいして浮いた話もないままに過ごしていた。


 そんな友人は、お世辞にもスタイルの良い人間ではなかった。いや、端的に言うとデブである。体重など詳しく聞いたことは無いが、彼自身、ひどいイビキを気にして旅行先では常にうつ伏せで寝ている程度には標準体重から逸脱している。五割増しと言ったところか。


 そんなある日、仕事帰りに安居酒屋へ寄った時だった。いつもの様に仕事の愚痴で盛り上がり、アルコールも随分進んだ。店に入って二時間ほどが経ち、そろそろシメでも食べようかというところで彼が少し浮かない顔をした。


「シメはラーメンでいいか? おお、鳥白湯スープだってよ、美味そうだな。……って、おいどうした? 暗い顔して」

「いや、さんざん飲んで食っての後に申し訳ないんだけさ、最近麺とか米とか食べると胸やけするんだよな。特にこの時間に食っちまうと、眠れなくなるんだよ」

「眠れないって、おいおい大丈夫かよ。じゃあ何か? 炭水化物抜いてる的なやつか?」

「……まあな。つっても、どうにか今日で一週間ってとこだけどな」

「はぁ~、カレーは飲み物だって言ってたやつが炭水化物抜きダイエットねぇ」

「いや、ダイエットじゃあないんだけどな」


 首を振った彼の表情は思っていたより暗く、本気で悩んでいるのだと分かった。私は茶化していた事を少しだけ恥た。


「そんなにキツイならよ、病院行って診てもらったほうがいいんじゃねぇの?」

「たかが胸やけでそんな、病院だなんて大げさだろう」

「逆流性食道炎とかって最近聞くじゃん。ひどくなる前に確認しとけって」


 彼はしばらくうつむいて考えると、小さく首を縦に振った。


 それからしばらくして、彼から病院に行ったと報告を受けた。なんでも今までにない画期的な治療法を教えて貰ったとかで、随分喜んでいた。心なしか背筋もピンと伸ばしているようで、今までの猫背君からも脱却した姿は妙に自身に満ちている。


 彼がシャキリとし始めてから一週間ほど続いたある日、そんな浮かれた彼と共に職場近くの洋食屋へ昼飯を食べに来た。


「そんなにすごいのか、その治療法ってやつ」

「まあな! スゲー楽になったよ」

「じゃあさ、何。例の炭水化物抜きダイエットはやめちゃったわけ?」

「あれ辛いんだよねぇ。一応、前よりかは少し減らしているけどさ」

「減らしてるって、お前が今食ってるソレはなんだよ」

「何って、そりゃあ……」


 不思議そうな顔をして、彼はさじでソレをすくう。食欲をさそう香りがふわりと沸き上がる。この日本の国民食であり、子供から大人まで人気のそれ。


「カレーライスに決まってんだろ?」

「オブだよオブ!」

「は?」

「そんなもん、炭水化物オブ炭水化物じゃねぇか! 米アンド小麦粉じゃねぇかよ!」


 何が少し減らしているだ。昨日もラーメン食ってたじゃないか。自分の体を本気で心配しているのかもよく分からない。友人として、先日の困っている顔が忘れられないのだ。しかし、そんな憤りが爆発している私に対して、彼はあっけらかんと言い放つ


「いや、大盛にしてないし」


 と。怒りどころか呆れすらも通り過ぎて、思わず笑ってしまった。その時私は、まあ医者にも通っているようだし無理はしないだろう、などという甘い考えを持ってしまっていた。


 それから更に一か月くらいした頃だろうか。いや、もっと前から薄々違和感を覚えていたのだが、ほぼ毎日顔を合わせているせいでその変化に気が付くのが遅くなってしまった。


「なあ、お前さ、スゲー痩せてない?」


 そう。彼の姿が明らかに細くなっていた。確かにまだ標準体重まではないだろうが、その上振れギリギリに近いところまで来ているのではと思える。治療を始める前からすれば、おおよそ二割引くらいだろうか。


「おう、お陰様でな!」


 笑顔でそう言いながら指で作ったピストルのポーズを私に向けてきた。


「え、何その手」


 意味が分からずキョトンとする私のリアクションが不服だったようで、今度は親指、人差し指と少し間を開けて順番に伸ばした。


「こう、二十キロ的な。ほら、十、二十って」

「は?」

「……なんかごめん」

「いや、どっちに驚けばいいか分からなくてさ」


 そのピストルポーズで伝わると考えた頭と、この一か月で二十キロも体重を落としたこと。それこそ二重の意味で彼が心配になる。


「でもさ、一か月で二十キロって例の治療法のせいなのか? 大丈夫なのかよ」

「大丈夫だよ。いたって健康だ」

「本当かよ。ほら、今もそれ! 手の感覚が鈍ってるんじゃないか?」


 そう言って私が指さした先、彼のシャツの真ん中に、五百円玉くらいのサイズでがっつりとカレーのシミが出来ている。その少し情けない姿に彼は苦笑いをするだけだった。


 それからも、彼は徐々に痩せ続けた。半年したころには標準どころか少しやせ型の体系だと言えるくらいになっていた。とはいっても、筋肉がついているようにも見えず、いわゆるヒョロガリに片足を突っ込んでいる。


 あまりにも急激に体型が変わっていくので心配だったが、本人も以前から体重を気にしていたこともあり、むしろ幸せなのだと言っていた。そうしているうちに、年齢の十の位が三になり、ささやかながら彼の部屋で誕生日を祝うことになった。


 アパート二階の角部屋。ガチャリとドアを開けると、頬のこけた彼が笑顔で迎える。


「いらっしゃい」

「おう、ほらビールと総菜買ってきた」

「お、サンキュー。総菜は温めるから適当に座ってくれ」


 総菜の袋を彼に渡すと、促されるままに部屋へ入る。変わらない、散らかった部屋だ。適当に座れと言われても、空いているスペースなどテーブルの上とベッドの上しかないではないか。


 まさかテーブルに座るわけにもいかず、ベッドの真ん中に腰を下ろす。体重を両手に乗せ、背筋をぐっと伸ばそうとしたその時。


「!!」


 思わず叫びそうになった。ベッドのクッションを期待していた右手が、すっぽりとベッドにのまれてしまったからだ。


「……なんでベッドに穴が空いていんだよ」


 私はぽつりとつぶやきながらも、彼の旅行先の姿を思い出していた。そういえば、彼は太っている時はうつ伏せで寝ていた。もしかすると痩せた今でもその癖が治っていないのではないだろうか。マッサージの店にあるような、顔の位置に穴の空いたベッドをわざわざ買っているのかもしれない。色々と苦労していたことを考えると、ダイエットに成功したことは良かったかもしれない。


 いや、それにしては少し位置が低い気もする。私はベッドの真ん中に座ったのだ。この位置が頭だとすると、足はベッドからはみ出してしまう気がする。


 そんなことを考えているうちに、キッチンからチンと音がした。


 温められた唐揚げの油の匂いが漂う。それとビールがかれば、男二人の誕生日会には充分と言うものだ。


「じゃ、先に三十路になった人生の先輩に、乾杯だな」

「うるせーよ! 二人まとめてアラサーで良いんだよ! オメーも来月だろうが」

「ハハハ、まあなんにせよ、誕生日おめでとう」


 そうして開けたビール缶を重ねると、ガシュリと鈍い音がする。グラスの高い音も美しいが、こんな場ではこの鈍さこそが乙なものだ。


 それにしても、最近のこいつは何を飲むにしても胸を張って尊大な態度だ。部の飲み会でもそうなのだから、偉い人の前など、たまにヒヤリとすることすらある。まあ、今は気心触れた二人なのだから、気にする必要もないが。


 そうしてしばらく唐揚げを摘まみながら談笑していると、不意に彼が真顔になった。あまりにも唐突だったので、何か気にさわる事でも口にしてしまったかと思ったが、それは杞憂に終わった。何故なら、彼が発した言葉が、


「か、唐揚げが……喉に……」


 だったからだ。それも、喉を手で押さえながら。私は慌てて水を持ってくると、何故か嫌がる彼に無理矢理飲ませた。少し昔を思い出す、猫背のように背中を丸める彼だったが、その懐かしさは一瞬で吹き飛んでしまった。


 ボトッ……ボトボトボト……


 と何かが床を叩く音がした。いや、落ちる音だろうか。跳ねるような少し高い音も含んだそれは、うつむき加減な彼のお腹の下から確かに聞こえた。


 ゴホゴホと何度か咳き込むと、喉のつかえが取れたのようで少し落ち着いた。まだ息は荒いままの彼がゆっくりと顔を上げる。凄く悲しそうな表情だ。


 水浸しの床に、咀嚼された唐揚げが散らばる。吐いたような素振りは無かったはずだが、まるで吐瀉物である。


 そしてその水の道は、彼の胸の中心から一本延びているように見える。


「おい、これって……」

「ああぁ、見られちゃったか……ごめんな、汚くて」

「見られたって、その胸のとこのやつか? それ、どうなってるんだ? まるで穴でも開いてるみたいじゃないか」

「……そうだ、その通りだよ」


 彼は小さく頷くと、汚れた上着をするりと脱いだ。


 その胸の真ん中、ちょうどみぞおちの辺りだろうか、赤黒い五百円玉くらいの穴がぽっかりと開いている。


 ドクリ、ドクリ、ドクリ


 五百円玉が一定のリズムで波を打つ。心臓、鼓動、そんな単語が脳裏に浮かぶ。ここから食べ物や飲み物が溢れるのだとしたら、少なくとも食道までは穴が通じているということだ。


 痛く無いのだろうか。鼓動がハッキリとわかるほどに揺れているが、どれほど無防備だというのだろう。いろいろな疑問が一気に浮かび上がるが、混乱して言葉に出来ない。


「なんで、穴が……」


 頭のなかを何一つ整理出来ないまま、絞り出した言葉がそれだった。


「治療だよ、治療。前に話した『画期的な治療法』ってやつだ。凄い効果だったろ? 俺はそのモニターをやってたんだよ。胸を張らないと食べたものがこぼれちゃうから自然と姿勢が良くなるし、うつぶせで眠ると夜に食べたものが全部胃から流れ出すんだ。吐くわけでもないから、歯もボロボロにならないしな。栄養は全て朝にサプリ飲むから足りているし、どれだけ食べても全部出るから、食欲の限り食べられるから楽だしな。とは言っても日中に食べ過ぎたらバレちゃうけど」


 饒舌だ。額に汗を浮かべ、沈んだ顔のまま、ぶつぶつと口だけが動いているように思える。


 一か月で一気に痩せた正体、画期的な治療の内容。そういえば、さっきベッドにも穴が開いていたのは、寝るときに胃の中のものを捨てる為だったのか。


「でもそれも今日で終わりだ」

「終わり、ってどういう事だよ」

「モニターをやってるって言っただろ? いや、これ以上は契約違反になっちまうな……すまない、今日はもう帰ってもらえないか」

「え、いやまてよ」

「ほんとすまない! 誰かにバレたらすぐに連絡しなきゃいけないんだよ。な、明日またちゃんと話すからさ」

「……分かった。絶対だからな」


 額どころか顔全体に汗をかいている友人を部屋に残し、私は帰路についた。嫌な予感がずっと胸を締め付けていたせいで、中々寝付く事が出来なかった。


 そして翌日、彼は会社に来なかった。そう、嫌な予感は的中した。LINEも電話も通じない。上司に確認しても、無断欠勤だと憤っていた。


 会社帰り彼のアパートへ様子を見に行ったのだが、近づいても灯りも人の気配も全くなかった。それから一週間、一度も連絡を取ることは出来なかった。何度かアパートへ行ったが、部屋はずっと暗いままだった。


 それから何年経っただろうか。結局『またちゃんと話すから』という彼の約束は守られることはなかったのだ。きっと、例のモニターとやらを管理している奴らに何かされたのだろう。


 彼が生きているのか死んでいるのかも分からない。十年の付き合いがあったからこそ、彼の顔を思い出す時はいつも太っていたころの姿で浮かぶ。むしろ、痩せた彼は本当に存在したのだろうかとすら思えるようになってしまった。痩せた彼の姿を思い出そうとすると強いストレスを感じるようで、胸が焼ける様に痛むのだ。


 一次は親友の失踪のせいもあって精神的に不安定になっていた。かかりつけの精神科医が親身になって話をきいてくれた事もあり、最近はまた仕事に集中できるように回復してきた。バリバリと仕事をこなすようになった私には、相応の責任がまとわりつくようになってしまった。


 キリキリと胃が痛む。胸やけがする。


 そういえば、助けてくれた精神科医に相談したとき、『素晴らしい治療』があると言っていたことを思い出した。今度また相談してみよう。きっと、この胃の痛みから解放されるだろうから。

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