赤い三角マークの雑誌案件
◆
小さい頃から余の面倒を見続けてきたゾヴはきっと、余のことはすでに見限っているだろう。
さすがに、家臣の気持ちがわからないほど、余は落ちぶれてはおらぬ。
ただ……、いまさらこのように語ったところで、見苦しい弁明でしかない、そうとらえられることはわかっている。だが、言いたい。
ゾヴはゾヴで、余に読み書き以外の何かを教えただろうか?
いつも余の傍らに立ち、劇の台本のように言うべき言葉を余に伝えてくる。
ゾヴは聡明たる灯、この国においてもっとも知恵を持つ者。
そんな者に対抗できる意見を持ち合わせる人間がいるだろうか?
余は知らぬ。あの者以上に賢い者を余は知らぬ。
オレックはあからさまにゾヴに対し、嫌悪感をむき出しにしていた。
――知恵のある者は国を滅ぼす。
そんな古い伝承を信じていたのかは知らない。
だが、今思えば、オレックのゾヴと対なる意見というのは貴重だったのではないか? そう感じる。
今となってはすべて遅い。
手遅れなのだとわかっている。
だが、このままで終わらせるわけにはいかないのだ。
◆
乾杯の後、それぞれ飲み物で喉を潤す。
僕が頼んだジンジャーエールは普段僕が飲んでいるメーカーのものとは明らかに違った。辛みがあり、鼻に少しツンと抜ける。
よくCMでやっているビールの辛口とかって、こんな感じなのか? 僕が頼んだのは甘口だけど。
目の前の彼女は、ティーカップをソーサーに戻すと居住まいをただし、軽くこちらに向かって頭を下げる。
「あらためて、私の名前は雲雀珠加」
「ヒバリ? 鳥の?」
「そう、雲に雀と書いて雲雀」
「そんな名字があるなんて知らなかった」
全国に数件しかない名字ってやつ?
「私は雲雀って鳥がいることを知らなかった。雲雀は私の名字でしょって。で、君の今の名前は?」
今の名前?
妙に引っかかるな。
「僕は塩入薫。二年B組」
雲雀は、僕の自己紹介にクスッと笑う。
「なんだよ?」
「いやいや、君の名字も十分珍しいと思ってさ。しおは調味料の塩?」
「そう、塩が入るって書いて塩入。薫は薫陶の薫」
「薫陶ね。たまに本で見かけるけど、実際に声に出して言う人には初めて出会ったな」
「女みたいで嫌なんだけどね」
ストローでジンジャーエールの上のミントをいじめる。
お前はなんでここにいるんだ?
「それで、ヴォイシンクでの名前はセパスなの? 名字でも良かったじゃん」
「SNSって案外適当に名前つける人多いだろ。それで塩が使えなかったんだよ」
「なるほどね」
そう言って、雲雀はティーカップに紅茶を継ぎ足す。
「そっちは? なんでアヌトロフなんて名前つけてるんだ?」
「ダメ?」
上目使いで聞いてくる。
「ダメってことはないけど、アヌトロフって男っぽいじゃん」
「それはわかってるんだけどね」
ティーポットの中身は残り少なかったのだろう。残りのすべてをティーカップに注ぎながら雲雀は言う。
「仲間が見つかるかなって思ってさ」
ストローにつけようとしていた口をいったん離す。
「仲間?」
「そ、仲間。夢に出てくる人たち」
――夢、そうだ。自分のセパスという名前も、アヌトロフという名前も、すべて「僕」の夢に出てきた名前だ。
「まった、」
なぜ彼女は僕の夢に出てくる人物の名前を知っている?
そして、なぜ彼女はその夢の中の人物の名前をネット上でのハンドルネームに使っている?
「同じ夢を見てるってこと?」
自身に確かめるような小さな呟き。
「『僕たち入れ替わってる』じゃないんだ」
「いや……」
なんて言い返せばいいんだよ?
「二次元の話は置いておいて、いや、セパスとか、アヌトロフとか、小さい頃に見たアニメとか漫画とか、そういうのの登場人物とかの名前じゃないのか?」
「名前を憶えてるなら、その作品を見たっていう記憶もリンク張られてると思うんだけど?」
もう湯気を立てていない紅茶を飲みながら彼女は言う。
確かに。
名前だけが記憶に残るとしたら、「どこかから聞こえてきた」という情報が残る。だけど、その時の状況も思い出として蘇ってくる。
「じゃあ、君も僕と同じ夢を見てるってことか?」
「そういうこと。でもまったく同じとは言えない」
そう言って、彼女は自身の目を指差す。
「同じ夢だけど、見ている視点が違うはずだよ」
「視点?」
「そう、君は『セパス』、私の夢の中で彼は王様。つまり君は王様の視点で夢を見ている」
そんな風に意識したことはないけれど。
「私の場合は、『アヌトロフ』としての視点で夢を見ている。だから、同じ夢を見ていると言うよりは、同じ世界を夢で見ているってことかな」
同じ世界を夢で見ている。
さらっと言うけど、それって超常現象的な、あの赤い三角形が目印の雑誌案件じゃないのか?
僕は呆気にとられて、思わず乗り出していた身を、今度は椅子の背もたれに預ける。
「突然こんなこと言われて、信じろっていうのは酷な話だよね。でも、夢で聞いた名前を私たちは覚えていて、今度はその名前をネット上で使っている」
「じゃあ、僕らの他にも同じ夢を見てる人が、夢に出てくる人がこの世界に存在してるってことか? ありえないだろ、そんなSFっぽい話、漫画じゃあるまいし」
「少し不思議な話はどこにでも転がってるよ」
SFって、サイエンス・フィクションの略だろ。
彼女が言っているのは、国民的マスコット、青くてどら焼き好きな二十二世紀から来た、よくタヌキと間違われるロボットの生みの親の言葉だ。
ジンジャーエールが入ったグラスの中で、溶けた氷が鳴る。
僕は何か考えるわけでもなく、押し黙る。
「その様子だと、信じられないって感じかな?」
「……当たり前だろ。君が、たまたま僕の夢に出てくるアヌトロフという名前だけ利用して、話しを大きくしている可能性もある」
「そんなことして私になにかメリットでも?」
それはまったくない。
新手の出会い厨――性的行為を目的とした人たちをさす言葉らしい――彼女がそうだとは思えないし、仮にそうだとしてもこんな妄想話、「お巡りさん、こっちです」って、逆に人が遠ざかるだけだ。
――そう、僕の見ている夢は他の人が見ているものとは少し違う、そう思って誰にも話さず、心の内に留めて来たんだ。
なのに、名前一つで彼女は僕を「王様」と呼んだ。
僕は夢の中では王様。
そして、アヌトロフは――
「アヌトロフが所属してるって言えばいいのかな、その集まりの名前は?」
「《十二の燭台》のこと?」
「燭台のメンバーは全部で何人?」
「十二人」
「アヌトロフのあだ名は?」
「そういうのは二つ名って言うんだよ。雄々(おお)しい灯」
僕は静かに水滴が滴るジンジャーエールのグラスを脇に避けて、テーブルに額を付ける。
「完敗です」
頭の中で、アヌトロフがリングの上でガッツポーズを決めている。
試合終了を知らせるゴングが鳴り響いていた。
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