筋肉と大海原に乾杯
結局、毎度おなじみ「ノイセテス」で話しをしようということになった。
雲雀が電話で秋山さんに確認したところ、今日も特に予約もなく空いているそうだ。
――というのも、土日祝日は中央快速が西荻窪停車しないという点もある。
一方のサマダは東京の土地勘といったら、池袋や新宿、渋谷辺りは少しわかるものの西東京はよくわからないということだったので、西荻窪駅に午後一時に集まるということで決まった。
サティソルクの家がどこにあるのかわからないが、大宮駅からだと約一時間ほど。
家で朝食兼昼食のそうめんを食べて高円寺駅へ。
総武線に乗って西荻窪で降りるとまだ誰も着いていなかった。
スマホで時間を確認すると待ち合わせ時間の一時、五分前。
そのうち来るだろうと、改札近くでスマホをいじりながら待つ。
雲雀が先に着いていたらきっとここで文庫本でも読んでいそうだ。
「君が一番だったか」
そんなことを考えていたら、雲雀が改札とは別方向からやって来た。
「あれ? もしかして自転車で来たとか?」
「さすがにこの炎天下で自転車こぐ気にはなれないな」
そう言って、彼女はツバの広い麦わら帽子をかぶり直す。
服装も濃紺のワンピースに、半袖の薄手のアウター。腕に赤い革ストラップの腕時計を付けている以外、アクセサリーのたぐいは身につけていない。
「少しトイレに寄ってただけだよ。サマダさんはまだ来てないみたいだね」
「うん、すごくわかりやすい黒のTシャツだからって、サティソルクから連絡があったけど」
なぜサティソルクが連絡を入れてくるのだろう?
サマダはスマホに疎いとか?
電車内で、タブレット端末でニュースや本を読んでいる老人もいるこのご時世で、それはそれで希少種だ。
それまで改札のほうに身体を向けていた雲雀が、スッと後ろを向く。
まるで、会いたくない誰かを見つけてしまい、隠れるかのように。
「どうかした?」
「……もしかしたら、あれがサマダさんかなって」
「え?」
彼と待ち合わせ中だというのに、彼女はなぜ視線をそらしたのだろう。
彼女とは逆に、改札に目を向ける。
雲雀の態度に「禿同」という文字が頭に浮かんだ。
「激しく同意」を略して「禿同」。
日本人って、なんでも略すのが好きだなあ。
黒いTシャツにダメージジーンズ。足元はビーチサンダル。
その黒いTシャツの胸元に大きく「筋肉」と、白い毛筆の二文字。
しかもガタイがよくて、まさに筋肉。
背も高い彼が改札をくぐり、周りを見渡している様子から、たぶんサマダで間違いないと、軽く手を上げて振って見せる。
逆に、改札を通ろうとしている人たちが、彼の胸元を見て、サッと視線をそらす。
痛Tシャツってやつだろうけど、似合いすぎ。しかも威圧感ありすぎ。
僕に気が付き、彼は大股に近づいてくる。
「おー! 斎賀んとこの弟が言ってたのお前たちか!」
ついでに声も大きい。
「こんにちは、あの……サマダさん、ですか?」
「おう! 斎賀んちに行ったのはアイツの弟に会うだけだったのによ。他にもトンチキな夢見てるヤツがいるなんて思わなかったぜ」
トンチキって、何語だ?
「ま、まあ、立ち話もなんなので、お店の方に移動しましょうか?」
何も話そうとしない雲雀をよそに、テンプレセリフを吐く。
「おう。ところで、その店、メシ食えたりする?」
「はい。今はまだランチタイムなのでお昼ご飯頼めますよ」
「斎賀んちでも、家出る前に少し早めの昼飯食ってきたんだけど、電車に揺られてるうちに腹減っちまってよ」
立派な体躯と、昔染めたであろう金髪の名残りが残る黒く固そうな短髪。そして燃費の悪い胃袋。
彼は、今まで出会った中で一番夢の中での人物像と大差ない人物だった。
「おお、さすが東京! シャレオツな店だなあ」
ノイセテスのクーラーの効いた店内に入るなり、彼は店内を見渡しながら言った。
ここに来るまでの道中、サマダさんのインパクトかTシャツの文字が気になるのか、雲雀はまるで「私は他人です」と言わんばかりに、僕と少し距離つつ歩いていた。
「店の名前って、やっぱりあの王妃さんの名前か?」
「はい、すでに亡くなっているんですけど、ここはその旦那さんがやってるお店なんです」
「その人がセパス王ってことか?」
「いえ、セパスは……僕です」
「お前が!?」
四人掛けのテーブルに腰かけながら僕は苦笑いを浮かべる。
僕自身、セパス王と性格的に似ていないことは重々承知している。
「いらっしゃい。待ってたよ」
秋山さんがテーブルにお冷を持ってくる。
「また、夢のお仲間さんが見つかったみたいだね」
「や、あなたが王妃の旦那様ですか!」
サマダさんは秋山さんに身体をしっかり向けて、深々とお辞儀をする。
「奥様のことはお悔やみ申し上げます。しかし、お姫様と結婚なんて羨ましい限りです!」
「私は妻のことをお姫様なんて呼んだことはないけれども、そう言われると私も照れるよ」
秋山さんは、彼の押しにもいつもの笑顔で受け答える。
さすが、接客業。
だけど、奥さんのことを「お姫様」と言われてまんざらでもなさそうだ。
「ところでご主人、自分ご飯を頂きたいのですがよろしいですか? なにかおすすめなんかがあればそれを頼みたいんですが」
「大丈夫だよ。少し時間がかかるけど、人気があるのはオムライスかな」
「じゃあ、それを」
「オムライス一つね。君たちはいいのかな?」
ポケットから出した伝票に注文を書き込み、秋山さんは僕らに向かって問う。
「僕たちは家で食べて来たので。……すみません、いつも軽食ばかりで」
「気にしなくていいよ。こうしていつも利用してくれるだけでもとても嬉しいから。飲み物は?」
「じゃあ、僕は前に頼んだレモンスカッシュで」
「私もそれで」
僕の隣に座って、麦わら帽子を床に置かれた荷物入れの上に置いた雲雀が言う。
「じゃあ俺もそれをお願いします」
「レモンスカッシュ三つだね。飲み物は先に持ってくるよ」
そう言って、秋山さんは奥の厨房に消えた。
「あの人の奥さんとなると、王妃は俺らとは結構歳の差があったんだな」
お冷を一口で半分ほど飲んだサマダさんが言う。
「僕らが今まで出会った中では一番年上だと思います」
「となると、一番年下は斎賀んとこの弟か」
「あの、サマダさん」
雲雀が恐る恐る手を上げる。「今の名前って、教えてもらえますか?」
「おう、そういえば自己紹介がまだだったな。俺は岩男海洋。岩男は岩の男。海洋は海洋高校とか、海の海洋を『みなみ』って読ませてる。当て字ってやつだな」
岩の男に大海原。
名は体を表すという言葉があるが、名字名前共にここまでぴったりな人も珍しいだろう。
「俺のことは好きに呼んでくれていいぜ。で、お二人さんは? セパスはお前だったな」
「ええ、今は塩入薫と言います。調味料の塩が入ると書いて塩入。薫は薫陶の『薫』一文字で『かおる』です」
「うん、『くんとう』がわからん」
あれ? この人って大学生じゃなかったっけ?
「そっちのお譲さんは?」
「私は雲雀珠加です。雲雀は鳥の雲雀で――アヌトロフの夢を見ています」
「マジで!? あのおっかねぇのがこんな可愛くなるのかよ!?」
「怖いかどうか、自分じゃわからないですけど……」
「だって俺、夢の中でポカした時にコテンパンにされたぜ」
「そ、そうなんですか」
たぶん、雲雀はその夢を見ていないのだろう。
そう言われれば、サマダが何か失敗すると大抵ログルフかアヌトロフが叱って、ゾヴがため息をついて、セパス王が周りをなだめていたような。
「はい、先にレモンスカッシュね」
厨房の奥から香ばしい匂いがしてきたところで、秋山さんがレモンスカッシュを持ってきてくれた。
雲雀に初めて連れてこられてから飲んだここのレモンスカッシュ。今では他のお店のものでは満足できないほど虜になってしまった。
「じゃあ、とりあえず乾杯するか! 何を祝してかわかんねぇけどな!」
一応、再会を祝して?
現世では初対面だけど。
三つのグラスがカツンと乾いた音を立てる。
グラスの内側の炭酸の粒が浮き上がり、水面ではじけた。