聡明たる灯 ゾヴ
七月。
制服は夏服に完全移行。
高校総体を最後に、三年生たちは受験勉強に本格的に励むようになる。
インターハイに進むことができた先輩たちはより一層、練習に励んでいる。
月末からは夏休みが始まる。
だがその前には期末試験という試練が待ち構えている。
梅雨の余韻のような湿度と、連日の猛暑。
それでも、学校の中はどこか浮足立った雰囲気に包まれている。
そんな中、ゾヴとリアルで会うことになった僕は、不安よりも緊張が先行していた。
ゾヴは過去に西荻窪に住んでいたことがあるというので、会う場所はノイセテスと、なんだか運命的というか、必然的に決まった。
当日、日曜の午後、僕と雲雀は少し早めに店に入って昼食をとった。
喧嘩別れしたあの日から、二人そろっての入店はこれが初めてだったが、秋山さんはいつもの温和な笑顔で迎えてくれた。
「ゾヴさんはここの場所わかってるのか?」
食後、雲雀に聞く。
「うん、ここは線路沿いだし、わからなかったとしてもメッセージ入れてって言ってあるから」
「それにしても、本当に来るのかな?」
「これで来なかったら《十二の燭台》崩壊だね」
なんて他愛もないことを話していたら、店のドアが開き、扉の上につけられたベルが小さくなる。
雲雀とそろって店の入り口に顔を向ける。
店に入ってきたのは二十代後半程度の若い男性だった。
接客に出た秋山さんに「待ち合わせなんですけど」と言う声は柔らかい。
告げられた秋山さんは、僕らの座った四人席に案内する。
――この人がゾヴさん?
雲雀が立ち上がり、問う。
「あなたがゾヴさんですか?」
「そうです。初めまして、君がセパス王かな?」
「いえ、私はアヌトロフです。セパスはこっちです」
と紹介されて、慌てて立ち上がって頭を下げる。
「今日はよろしくお願いします」
そう言って、ゾヴは微笑む。
夢の中のゾヴとはまったく別人だ。
僕の隣に雲雀が移動してきて、ゾヴと向かい合う形になる。
「ゾヴさん、お昼ご飯は?」
「大丈夫ですよ。軽く済ませてきましたから。お腹が空いたら何か頼ませてもらいます。ところで、ここはノイセテスの夢を見る方が作ったお店なんですか?」
「私の亡くなった家内がノイセテスでした」
秋山さんが三人分のアイスコーヒーを運びながら言う。
「他に仲間がいると知ったら、驚いていただろうね」
「それは、お悔やみ申し上げます」
ゾヴさんは秋山さんに頭を下げる。
「まあ、ゆっくりしていってください。日曜日はお客も少ないんで」
そう言って、彼は厨房のほうに引っ込んでいった。
「まず自己紹介でもしようか?」
ゾヴさんは、僕が頭で思い描いていたイメージと全く異なっていた。
まず、眼鏡をかけていない。
服も紺のポロシャツにジーンズでラフだ。休日スタイルといったらそれまでだが。
ただ、腕時計だけは高いもののような気がする。
オメガとかロレックスといったメジャーなメーカー名しか浮かばないけど。
髪も短くて清潔感がある。
何かスポーツをやっている、そんな雰囲気がある。
「言いだしっぺの私から始めようか」
隣の椅子に置いた黒いナイロン製のショルダーバッグから、カードケースを取り出し、名刺を僕と雲雀の前に差し出す。
カウンセラーと聞いていたが、渡された名刺に「研究センター」という文字。
「私の名前は猪野又要。普段は埼玉のメンタルクリニックに派遣されてカウンセリングをしてるけど、大学の非常勤講師もしていてね。それで日中帯はほとんどメールはできないんだ」
「そうだったんですか」
雲雀は名刺の文字を見つめながら呟く。
「あと、先に断っておくけれど、カウンセラーは職業上、自分のクライアントの情報を他人にもらしてはいけないんだ」
「クライアント?」
「患者さんという意味だよ」
僕の問いにゾヴ――猪野又さんは言う。
「つまり、サティソルクのことに関しては詳しく喋れない、ということですね?」
雲雀が確認する。
「申し訳ないけどね。ただ、メッセージでもらった問いには答えられる。私がサティソルクを演じている。そういうことは一切ない。サティソルクはちゃんといる」
「仕事で出会った、というのはカウンセリングでですか? それとも大学のほうでですか?」
「うーん、なかなか難しいね」
雲雀の問いに対し、猪野又さんは腕を組んで苦笑を浮かべる。
いや――
「職業上、患者のことを言えないということは、サティソルクさんはあなたの患者ということですね?」
僕の言葉に、一瞬だけその場の音が消える。
猪野又さんは再び苦笑を浮かべる。
「そうだね、そういうことになる。なかなかの慧眼だ。君がセパス王だったね」
「はい」
そこで、こちらが自己紹介をしていなかったことに気づく。
「僕はセパスで、今の名前は塩入薫と言います。こっちは――」
「私はアヌトロフ。名前は雲雀珠加と言います」
「今の名前、というのは?」
その質問に、雲雀が答える。
「私たちが見ている夢は、学者さんに言うと笑われそうですが、前世じゃないかと思うんです」
「前世……ああ、生まれ変わりの話だね。じゃあ、あの空に浮かぶ二つの月は?」
「たぶん、ここではない……地球以外の世界じゃないかなって。……こんなこと言うと頭おかしいと思われるかもしれないですけど」
「いいや、そんなことはないよ。私もクライアントと話をしていて漫画の話をしたり、私自身も興味を持って読んだりするから」
意外だった。
クライアント――患者との話は、一般的な病院と同じくどこそこが痛いとか、症状を言うだけだと思っていた。だが、カウンセラーとなると、その限りではないということか。
猪野又さんは続ける。
「私は家庭心理学が専門だから、クライアントは子供の方が多いんだ。カウンセラーの仕事はもちろん、君たちがイメージする通り、悩みを聞いてあげること。だけど、簡単に打ち明けてくれるクライアントはほとんどいない。まずは信頼関係を作らないとだめなんだ。
悩みを聞くのは信頼を得てから。その前段階として、相手に、本人の意思で口を開かせる。それがカウンセラーの仕事」
さすが、大学で教えているだけあって、わかりやすい。
なにより、話しのテンポがゆっくりしていて聞き心地が良い。
「前世というのは思い浮かばなかったよ。私は中学の時から君たちと同じ世界の夢を見続けているんだけどね、他にも同じ夢を見ている人がいるなんて、それこそ夢にも思わなかったよ」
「なにか、科学的にこういう現象って発表されてるんですか? 夢とか、心理学では結構研究されていると思うんですけど」
雲雀の質問に、猪野又さんは首をひねる。
「夢分析、心理学者として有名なフロイトやユングは夢の意味を探ろうとしたね。二人は真逆の結論を出したけど、同じ夢を見るというのは特殊だね。双子で虫の知らせって、若い子にわかるかな? 虫の知らせって」
「はい」
雲雀と一緒に頷く。
「よかった。最近は死語が結構多くてね。――虫の知らせ、いわゆる第六感というもので通じ合うとか、科学的には解明されていないけど、そういう事例は多く存在する。
だけど、私はサティソルクとはなんの血のつながりもない。どこかでつながっていたとして、今度は二人、全部で四人も同じ夢を見ている人間が出てきたとなると、これはこれで論文が発表できそうだね。まあ、これは軽い冗談だよ」
「猪野又さんは、なぜ同じ夢を見るのか探ろうとは思わなかったんですか?」
雲雀の問いに対し、彼は首を横に振る。
「乱暴な言い方になってしまうけど、そんな暇はない、というのが現状かな。ただ、夢の分析がクライアントの治療に役立つ、というのならば話は別だけど、まずはクライアントを優先しなきゃいけないからね」
そう言って、彼はアイスコーヒーを一口啜る。
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