梅雨の青い春
その日の放課後、雲雀は用事があるからと、ゾヴとサティソルクの件は夜にネットでやりとりすることになった。
梅雨の晴れ間。
放課後に日差しが出て来たので、公園のほうに紫陽花を撮りに行こうと思い、写真部の部室に行った。
あまり遠くまで出歩けない高校生の身分。みんな考えることは一緒。
カメラバッグにレンズを入れたり、三脚の用意をしている部員が多かった。
ゲリラ豪雨なんかじゃなく、小雨程度なら、午後の日差しで虹ができやすいはずだ。
「薫、」
部の備品であるレンズフィルターを選んでいると、後ろから声がかけられた。
声をかけてきたのは章乃だった。
首からカメラをぶら下げているが、これから撮影に行こうというわりには、その表情は曇っている。
「なに?」
「ちょっと話があるんだけど」
そう言って、部室の外に連れ出される。
廊下に出て、人の気配が少ないトイレ前の手洗い場の前で章乃は立ち止まり、振り返る。
「話って?」
「あの……」
呼び出しておきながら、章乃の視線はせわしなく動くだけで、唇がなかなか動かない。
「なにか言いにくいことならメールで――」
「メールはだめ」
「なんで?」
「だって、」
章乃は花柄のカメラのストラップをいじりながら言う。「……メールだと、データが残るじゃん」
「そんなの、読んだら消せって言ってくれれば消すけど」
「だけど、私のとこには送信メールが残るじゃない」
それだって消去すればいいんじゃないかと思うのだが。
「……あの、雲雀さん……前に公園でツツジを撮影してる時に話してた子のことなんだけど」
「ああ、」
ここ最近、一緒に外で行動をすることが多かったから、一緒にいたという情報が章乃の耳に入ったのだろう。
だけど、その程度で呼び出しなんてちょっとよくわからない。
それこそメールで済む話だ。
「なにか?」
章乃は何か言い出そうと一度口を軽く開くが、すぐに閉じて、ため息をつく。
「どうしたんだよ? お前らしくないじゃん」
「それはこっちのセリフだよ。薫がなんのつながりもない女子と一緒にいるなんてさ」
俯いたまま、章乃は言う。
確かに。
章乃のクラスに知り合いはいても、会いに行ったりはしない。僕はいつでも相手が来るのをまっているだけ。
彼女にしたって、部活の連絡ならばスマホ一つで事が足りる。
「誰か、僕のこと言ってたのか?」
「駅で、薫が雲雀さんと仲良さそうに話ししてたって」
それだけで付き合ってるなんて噂されているとしたら、雲雀に申し訳ない。
雲雀は、美人に含まれるほうだと思うから。
「……あんまり、あの人と一緒にいない方がいいと思うよ」
「なんで?」
「それは、」
章乃の目が宙を泳ぐ。
「謎の転校生だからとか、そういうのじゃないだろ? 章乃が言いたいのって」
中学の頃からの付き合いだ。
変な噂があるとか、そういうことははっきり言うタイプだってわかってる。
さすがに人目を気にしてだけど。
「雲雀さん、人当たりはいいけどさ、やっぱりなんか普通じゃないっていうか、精神科に通院してるって言うし」
「電車通学の時のこと引きずってて、それでトラウマってやつを治しに行ってるんじゃないのか?」
「だったら、学校のカウンセリングルームでもいいじゃない。そうじゃなくて――」
章乃の言いたいことが簡単にわかった。
雲雀珠加が抱えている悩みは、学校のカウンセリングなんかじゃ解決しない。だから精神科に通ってる。もしかしたら薬を飲んでいるかもしれない。
つまり――
「メンヘラとは関わらないほうがいいって?」
「そこまでは言ってない」
「だけど、章乃が言いたいことってそういうことなんじゃないのか? 精神病持ちなんかと仲良くするなって」
仲良くしていれば、その相手も仲間じゃないかって、単純な思考。
「D組の人たちって、彼女のことそういうふうに見てるの?」
「全員かどうかは知らないけど、」
「そういう勝手な想像は好きじゃないって、章乃言ってなかったか?」
「そうだけど、転校してきたことだって、保健室登校だって事実だもん」
「だったら保健室登校とかしなくていいように、事情知ってる人だけでも少しは気を使ったらどうなんだ?」
「気は使ってるよ! だけど、雲雀さんは大丈夫って言うだけで、全然打ち解けてくれないっていうか、私たちに向けてるのは表の顔って感じで、なんだか近寄りがたいっていうか……」
「信用、されてないだけじゃないか」
「だったら、」
章乃がこちらに身を乗り出して言う。
「なんで、薫はあんなにも打ち解けてるの? 信用されてるから?」
その言葉がまるで呼び水だったかのように、章乃は続ける。
「クラスで薫と雲雀さんが駅に一緒にいたって聞いた。私の話を聞いて、それで駅で会って親切に声かけたのかなって思った。でも、薫ってそういう柄じゃないじゃん。それに、雲雀さんは歩き通学なのに、なんで駅ホームに二人でいたの?」
「それは用事があって――」
「二人でネカフェとか行ったりさ」
そこまで知ってるのか。
今こうして章乃から聞いて、案外人って、周りの人のこと見ているんだなって。驚きよりも恐怖が先行する。
「薫、雲雀さんと、……付き合ってるの?」
「そんなつもりはないけど」
「だったら、私と付き合ってよ」
しめた蛇口から零れ落ちた水滴の余韻。
「え、」
突然の告白に、口からこぼれた声が軽くうわずる。
「何度も言わせないでよ。……私、前から薫のこと、好きだった」
そういう彼女の顔は僕じゃなくて、床に向けられたまま。
「……突然、言われても」
なぜだろう、ここに来て僕は冷静に思考している。
なんだこれ、すごく青春っぽくないか?
「付き合うって言ったって、今までと何も変わらないんじゃないか?」
「私だって、薫ともっと一緒にいたいし、いろんなところに行きたいし」
「……ごめん、」
それしか言えない。
だってそうだろ。
「章乃のこと、友達としてしか見れない。なんか、そういう関係じゃなく、いつも通りどうでもいい話で盛り上がりたい。……付き合ったらそういう、今の楽しいがなくなると思う」
「私はそんなことない!」
「章乃はそうだとしても――」
なんでこんな時に限って雲雀が浮かんでくるんだろう。
色々振り回されて、出会ってまだ二か月程度なのに、喧嘩もして、仲直りもして、純粋に夢の「仲間探し」が楽しいって思ってる。
「今は、そんな気持ちにはなれない。ごめん」
はっきりと、章乃に告げる。
まっすぐ、彼女の泣き顔を見つめながら。
「……私、しつこいからね」
「うん」
「今はフラれたけど、また、告白するからね」
「うん」
「ごめんね、急に呼び出したりしてさ」
「いいよ」
章乃は涙を拭って笑う。
笑ってるそばから、目から涙が零れ落ちる。
「私、トイレよってくから、じゃあね」
「うん」
そう言って、章乃は僕の脇をすり抜けて女子トイレへ。
その姿を目で追うことはしなかった。
今振り返ることは、彼女の精一杯の告白を断ったことに対して、未練があると言っているようなものだから。
章乃の勇気を穢したくはなかった。