ズブの素人だけど
雲雀珠加に出会って数日後、意外なところで彼女について耳にした。
道を挟んで校舎の隣にある公園で、ツツジの撮影を行っていた。
新入部員にデジタル一眼の使い方、シャッタースピードや絞り値、レンズのマクロや広角などの種類でどのように写りが変わるかを教えるためでもある。
そのほかにも、レフ板の使い方など。
スマホで簡単に写真が撮れて、アプリで現像もできる時代だけど、本格的にやるとなると覚えることが本当に多い。入部してから知った。
写真部に入ったのは、ただ興味があったから。
入部体験して、その場の流れで気づけば部員になっていた。
スマホでは背景がボケるなんてことはほとんどない。
スマホのカメラ機能では表現できない絵に引かれたのかもしれない。
中学の時、部活動に励んでいたのは高校進学のため。
つまるところ、内申書のためだ。部活をやっていた方が内申書で書くことに困らないからいいと、中学の担任ははっきりと言った。
当時の僕は、大学進学に有利な高校に入りたいという希望、野心的なものはまったくなかった。
両親もそうだった。
定職に就ければそれでいい。
典型的なサラリーマンが支える家庭。
結局のところ、大学進学においてセンター試験の点数がものを言うようになってから、内申書という存在は推薦入試、もしくは高卒で就職する生徒たちが気にするだけのものになってしまった。
ただ、大学に行くのだったら、奨学金をもらえなければかなりしんどいと、はっきり言われているため、奨学金選考のために、少しだけ内申書を意識した高校生活を送っている。
そして、学校側もその後の指定校推薦枠、就職枠獲得のために、内申書で生徒のことをよほどのことがない限り悪く書くことはない。
そんなカラクリを知ってから、一気にやる気が失せたというか、青春楽しんだ者勝ちじゃないかって。
青春の楽しみ方なんてこれっぽっちも思い浮かばないけど。
ただ、趣味的なものは持っておきたいと思い、カメラを手にした。
一眼カメラを手にした時の重み、何十万という価値。
一気に大人になった気がした。
腕はズブの素人だけど。
最近、撮り鉄――鉄オタ――鉄道オタク――鉄道、電車が好きな人たちが、好きな電車だったり、貴重な車体を撮影するために柵を壊したり、人身事故を起こしかけたり。
それと、アニメや漫画の登場人物の格好をするコスプレイヤーを撮影する「カメコ」という存在。その中に存在するある一定層、下半身的欲望むき出しのローアングラーたちの問題とか。
カメラを取り巻く世間の目も、たまに自分のことのように胸に突き刺さることもあるけれど、ルールの中にいても十分に楽しめる。それが趣味だ。
なんて、かっこよく言ってみたり。
副部長の桜木真穂先輩は僕と同じキヤノンユーザーで、今、彼女の五十ミリマクロレンズを試させてもらっている。
マクロレンズはその名の通りだ。
被写体にかなり近づいて撮影できる。
レンズは基本、撮影する被写体に近づける距離というのが決まっていて、近づきすぎるとシャッターが切れない場合がある。
カメラ側がピントを合わせられる距離というものが存在する。それを無視するとぼんやりした写真になってしまう、ということだ。つまり、ピンボケ。
多くの場合は、被写体が動くか、カメラを持った手が動いてしまったがために、ピンボケは起きる。
三脚というのは、カメラを固定するだけではなく、ピンボケを防ぐ役割を持っている。
ちょうど、マクロレンズの持ち主である桜木先輩が、一年生たちに三脚についての説明をしている。
クラスごとの集合写真を撮る時、カメラマンはカメラ本体につけられたシャッターではなく、本体から伸びた爆弾の起爆装置みたいなスイッチを用いる場合がある。
それを押すと、爆弾が爆発はしないが、猛烈なフラッシュが焚かれる。
あれも手振れを防ぐためらしい。
ビビッドピンクなツツジの花に、ファインダーを覗きながら近づく。
花の蜜目当てでミツバチだろうか? 小さいハチが飛び回っているのだが、なかなか花に止まっている瞬間に出会えない。
十人近くいる部員がガヤガヤパシャパシャやってたらそれどころではないか。
「お塩ー、なにかいい感じの撮れた?」
いかにも女性らしい、どこかの民族衣装を思わせる花柄のストラップを付けたオリンパスの白いミラーレスカメラを首からぶら下げた章乃が声をかけてくる。
ミラーレスカメラとは、簡単に言えばファインダーがないカメラ。
液晶画面を見ながらシャッターを切るカメラだ。
見た目はシンプルだし、軽くてかさばらないことから女性ユーザーが多いと聞く。
「桜木先輩からマクロレンズ借りたからさ、ハチと花をアップで一緒に撮りたいんだけど、根気比べだな」
「そうだね。菜の花とハチの写真とかも見たことあるけど、ああいうのって運とかもありそうだよね」
「いっそ、蜂蜜を仕込んでおくとか……章乃?」
話していた章乃の視線が、僕ではなく、僕の隣のツツジ――その向こうの道路に向けられている。
つられて振り返ると、そこには数日前、喫茶店の前で見た雲雀珠加の遠ざかる後姿があった。
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