56 ふたりの距離の概算
今、ミルディンの目の前には、到底信じられない光景が広がっていた。
あと一息、ほんの一息だったのだ。
途中、どこかに潜伏していたらしい数十人の反逆者たちが戦闘に参加してくるなどのトラブルはあったものの、それらは大勢に影響を与えることはなかった。
ゆえに、あと少しであの生意気な女騎士と老人どもを仕留めることが出来たはずであったのに――
全てをあの男が、突如上空に現れた謎の男が、高笑いをあげながら全ての盤面をひっくり返してしまったのだ。
(あ、あいつが報告にあった……!)
その男の正体はすぐに検討がついた。
なにせ男の背後には見知った顔、彼が滅ぼした国の姫――リセティアが佇んでいたのだから。
ならばあの男こそが報告にあった姫と手を組んだ魔王――いや、魔王を名乗る愚か者であろうことは容易に想像できることであった。
(だ、だが、これほどの力を持っているなどと……俺は聞いていないぞ……!)
ミルディンは本国に置いてきた無能な部下たちに怒りをぶつける。
しかし、それは少々お門違いというものだ。
かの部下たちは必死にウィザーの危険性を説いていた。
が、ミルディンはそれを、姫を確保出来なかったことへの言い訳だと断じて一切取り合わなかったのだ。
(これではまるで……本当にやつは……!)
ミルディンは恐怖で体を震わせる。
彼の予定では、この遠征は小さな村の制圧と、多少の力を持っているらしい“魔法使い”を討伐するだけの極簡単なもののはずであった。
こんな強大な力を持った――まさに魔王がごとき力を持った男を相手どることになろうなどとは、考えもしていなかったのだ。
「あ……ああ……!」
しかして悪魔がやってくる。
今まで上空にいた男たちが、ミルディンの眼前へと降り立ったのだ。
「フッ、どうしたミルディンとやら、随分と顔色が悪いではないか。まるで――運命を敵に回したかのような顔をしているぞ?」
「ヒィ――ッ!!」
ついに恐怖が限界に達したミルディンは、その場にへたりこんでしまう。
このままでは殺される――そんな言葉がミルディンの頭の中を占めた。
どうやったかは分からないが、目の前の男は一瞬で数千人の兵を仕留めてしまうような相手なのだ。
如何なミルディンとて、そんな相手に正面切って勝てると思うほど愚かではなかった。
ミルディンの心が絶望に染まりかけたその時――それは訪れる。
目の前の男がミルディンに背を向けたのだ。
それは油断か慢心か、ともかく千載一遇の好機であることは間違いない。
ここしかない、この機を逃せば勝機は永遠に失われるとミルディンは意を決した。
ゆえにミルディンは――
「――ッ、死ねェェェェェェーーーッ!!」
なりふり構わずウィザーに向けて突進するのであった。
※ ※ ※
「ククッ……クハハハハハハッ!! 何が魔王だ! 所詮は生物、殺せば死ぬのだっ!!」
ミルディンは声を張り上げて笑う。
この男さえ仕留めれば、あとはなんの力も持たない女が二人残るのみ。
勝利を確信しての高笑いであった。
しかし――
「あー、マントと服に穴が空いてしまったではないか」
「「……え?」」
ミルディンと、そしてリセティアは同時に間の抜けた声をあげる。
「大丈夫ですよ、ウィザー様。裁縫は淑女の嗜み、私がすぐに縫い合わせてさしあげます」
対してドリィは、ウィザーの体に剣が突き刺さったことなど気にも留めていない様子であった。
「うむ、頼んだぞ。あと、すまんがこれ抜いてくれ」
「はいはい、お任せください」
そう言ってドリィは、ウィザーの体に突き刺さっていた剣をスルリと抜き取る。
「あの……体は平気、なのですか……?」
信じられないといった面持ちで一部始終を見ていたリセティアであったが、ようやく平静を取り戻しウィザーに尋ねた。
「フン、この程度でくたばるほどやわな体ではないわ。それともなんだ、心配してくれたのか?」
おどけた調子で尋ねるウィザー。
リセティアはその問いに答えることはせず、ただ一言――
「……バカ」
――とだけ呟くのであった。




