45 意思
「あ、あの声は……」
苦痛と苦悶の中でタゴサクは声を聞いた。
それは決して、彼が死を目前にして作り出した都合の良い幻――幻聴などではない。
敵兵たちが邪魔となりその姿こそ見えないが、タゴサクには確かに声が、『今助けるぞ』と、年甲斐もなく張り上げられる友の声が聞こえたのだ。
「ゴンベエ……タケゾー……クニマサ――」
タゴサクは友の名を順に呟いていく。
姿は見えなくとも彼にはそこに誰がいるのかが手に取るように分かる。
ウィザーに初めて会ったあの日にかけてもらった“身体活性化の魔法”のお蔭で、彼の耳は若い頃と同じようにはっきりとものを聞き取れるようになっていた。
何より、毎日イヤというほど聞いてきた仲間たちの声を、彼が聞き間違えるはずがないのだ。
「オラなんかを助けるために……みんなバカだべ……」
確かに彼らの投げた石は、敵兵たちに届くことはなかったのかもしれない。
しかし彼らは、タゴサクにもっと大切なものを届けることに成功していた。
それは懸命に友の名を呼ぶ声であり、そして友を助けたいと心から願う想いだ。
しかしてそれらは“意思”となり、ロージンロードを伝いながらタゴサクのもとへと運ばれる。
タゴサクはこれを、彼らの“意思”を、万感の思いでもって、しかと受け取った。
「ま、一番のおおバカもんのオラが言えるこっちゃねーけんども……」
事ここに至り、タゴサクの心境に変化が訪れる。
彼は当初、ここを死に場所として定めていた。
もとよりこれは生還など望めぬ戦なのだから、それはさしておかしなことではないのだが、彼の場合は少し事情が違ってくる。
何故なら、彼の目的が運命への反抗であったことに間違いはない。
が、実のところその後に訪れるであろう“死”そのものこそが彼の目的であったこともまた間違いではなかったからだ。
要約すると、彼はさっさと死にたかったのである。
彼の場合、生には既に希望はなく、死にこそ希望は満ちていた。
人間死ねばそれまでであるということは、いくら学のないタゴサクでも理解している。
しかし、分からないではないか。
死後の世界なんて誰も見たことがないのだから、もしかすると死ねば妻と息子に再会できるかもしれないではないか――と、そんな風にタゴサクは考えていたのだ。
とはいえ、だからといって自ら死を選ぶほど彼は愚かではない。
残していくことになる仲間たちのことが気掛かりでもある。
ゆえに彼はその後の人生を漫然と、いつか訪れるであろう“死”をただ待つだけの日々として無為に生きていたのだ。
そんな中で起きた今回の件は、彼にとってまさに渡りに船であったと言えよう。
以前この戦はセリアスたちにとって、迂遠な自殺と同様であると表現したことを覚えておいでだろうか。
タゴサクに限っては、それは比喩でもなんでもなく、言葉通りの意味だったのだ
もちろん、理不尽に奪われることへの怒りはある。
ならばどうせ老い先短い我が身なのだ。
その怒りでもって、最後に一花咲かせてやろう。
そしてそれを語り戦、土産話として妻と息子のもとへと帰るのだ――
タゴサクは、そこまではっきりと考えていたわけではなかったのだが、これこそが彼の真の目的であったと言える。
ただそれは、先ほどまでの話だ。
タゴサクはさっさと死にたいのに、困ったことに隣人たちが邪魔をする。
夫婦の、そして父と子の感動の再会を『まだ死んではいかん』と邪魔するのだ。
本当に困った隣人たち。
ほとほと困り果てた、愛すべき隣人たちである。
「しゃーねぇ、もうちっと踏ん張ってみっか……!」
再度繰り返そう。
事ここに至り、タゴサクの心境に変化が訪れる。
どうせ彼女たちには、もう何年も長いこと待ってもらっているのだ。
大変申し訳ないことだが、あともう少しだけ待っていてもらうことにしよう。
なに、事情を話せばきっと彼女たちも笑って許してくれるだろう。
――そんなことを、タゴサクは思った。
「なんだこんなもん……邪魔くせぇっ!!」
そう言ってタゴサクは、自身の大腿部に突き刺さっている矢を抜き放つ。
「タゴサク殿っ!?」
セリアスはタゴサクの突然の行動に驚くが、上着を脱ぎ去り傷口に巻き付けるその姿を見て、彼がまだ諦めていないことを知る。
ならば自分の役割は、場を整えることだとセリアスは立ち上がった。
手当の手伝い? そんなもの彼には必要ない。
誰の助けを得られずとも、彼は一人で立ち上がるだろう。
何故なら今の彼は、紛うことなき戦士なのだから。
ゆえに今のセリアスの役目は場を整えること。
戦士が復活するその時まで、誰にも邪魔をさせないことなのだ。
「ふんがぁぁぁーーーっ!!」
かくしてその時は訪れる。
疲れや痛みはなんのその、軋む老体に鞭打って、友の意思を無駄にはさせぬと雄々しく戦場に立つ男。
その者、名をタゴサクといった。




