37 理想と現実
(ふおおおおおっ!! き、気持ちいいィィィ~~~っ!!)
セリアスは、湧き上がる衝動に打ち震えながら、しかしそれを表に出さないように必死に抑え込んで平静を装う。
幼き頃より剣を取り、これまでに幾度となく剣戟を打ち鳴らしてきた彼女だが、さすがに剣身を断つなどという埒外の経験は今回が初であった。
その瞬間を思い起こすだけで、ゾクゾクとした感覚が背筋を走る。
その感覚の正体、それは高揚感や万能感、果ては嗜虐心といった様々な感覚がない交ぜとなったものだ。
余韻というにはあまりも大きすぎるそれは、やがて快楽の波へと変貌を遂げて、セリアスの体内をあますところなく、それでいてねぶるように蹂躙していく。
(~~~っ!!)
思わず腰が砕けそうになるのと同時に、色んなものが限界突破しそうになるが、セリアスは気力を振り絞って、なんとか絶対なる頂きに至ることだけは回避した。
汗ばんだ額を腕で拭ったのち、深呼吸を行う。
「……私の勝利、ということでよろしいか?」
セリアスは気恥ずかしさを誤魔化すかのように、ムラサメブレードの切っ先をミルディンへと向けて勝敗の確認を行った。
諸々の事情がバレていないかと内心ヒヤヒヤもののセリアスであったが、幸いなことにミルディンは、先ほどの出来事が余程ショックだったらしい。
まるで壊れかけのレディオのように『バカな』を連呼するばかりで、セリアスのことなどまるで気にしていない様子であった。
助かったのは確かだが、ただの一度敗北をきっした程度のことでこのショックの受けよう。
彼が自国で、どのような扱いをされてきたのかが窺い知れるというものである。
セリアスはそんな彼に侮蔑の目を向けながら、自身の体内にこもっていた熱が急激に冷めていくのを感じていた。
(剣の次は、その素っ首を叩き斬ってやろうか……)
一瞬、そんな考えがセリアスの脳裏に浮かぶ。
確かに今ならば容易く実行できるだろう。
しかし、理性が感情を僅かに上回り、セリアスはその一見魅力的に思える考えを打ち消した。
というのも、この戦はチェスのように、キングさえ倒せば終わるというものではない。
むしろ、それは隣国に“第一王子の弔い合戦”という大義名分を与えることになり、新たな戦の引き金を引く結果にすらなりかねないのだ。
もしそうなれば王都に残された自国の民が、どうような扱いを受けることになるか分かったものではない。
そう考えると、一時の感情に流されて目の前の汚物を処理するわけにはいかなかった。
家族の、友の、仲間の仇が目の前にいるというのに手をくだせない。
無念極まりなく、まさしくホゾを噛む思いではあるが、こればかりは仕方ないとセリアスは自分に言い聞かせて堪える。
現代風に言うと『マジふざけんなし』であった。
とはいえ、セリアスの当初の目的自体は、現在のところ順調に達成されつつあったことだけは僥倖と言えよう。
当初の目的、それはつまり時間稼ぎだ。
セリアスは、その目的があったからこそ決闘の申し出を受けもしたし、一瞬で決着をつけたりせずに、先のような茶番劇を繰り広げたのである。
タゴサクに聞いた話ではセリアスの予想通り、村人の何人かが避難を検討し始めていたらしい。
となれば、時間はいくら稼いでも稼ぎ足りないであろうことは明白であった。
一番良いのは、ミルディンがこのまま約束通りに兵を退いてくれることではあるのだが……。
しかし、約束とは本来対等な立場にある者同士が交わすものだ。
圧倒的強者の立場にある、ましてや出会ってから数刻と経っていないセリアスが『あ、ダメだこいつ』と判断できてしまうような性格をしたミルディンが、そんな約束を律儀に守るとは到底思えなかった。
――ゆえに、だ。
それはあらかじめ予想していた通りの展開であった。
敵兵の集団から一つの大きな影が躍り出る。
その影の正体は、身長が2mを越えているのではなかろうかというほどの大男であった。
「ミルディン様をやらせはせんぞぉーーーっ!!」
大男はそんなセリフを叫びながらセリアスへと突進していく。
この事態をあらかじめ予想していたセリアスは、虚をつかれることなく迎撃体勢を整えた。
しかし、次の瞬間セリアスがまったく予想だにしていなかったことが起こる。
大男とセリアスの間に割り込むようにして、一つの影が躍り出てきたのだ。
「……え?」
大きく、耳障りな音が周囲に響く。
大男が振るった斬撃は、本来の対象であったはずのセリアスではなく、割り込んできた影が代わりに引き受ける結果となったのだ。
その影の正体、それは――
「……まったく、人様のけっとーにちゃちゃ入れるなんて困ったもんだべ。これだから最近の若いもんは……!」
「タ、タゴサク殿ぉっ!?」
毎度お馴染み、不撓不屈のナイスガイ、タゴサク翁であった。




