28 女騎士
「……本当に行くのか?」
「ああ、もう決めたことだからな」
ウィザーの問いに答える女騎士。
その表情に迷いはなく、今までにないくらいに晴れやかだった。
「はぁ、愚かだとは思っていましたが、まさかここまでとは……脳に回るはずだった栄養が、全て胸に行っているとしか思えません」
「フッ、確かにお前の言う通りかもしれんな」
今までであれば激昂していたであろうドリィの皮肉にも女騎士は笑って返す。
その余裕の態度が気に入らず、ドリィは『この巨乳めが!』と女騎士の胸を鎧越しに叩いた。
女騎士が決めたこと。
それは、一人でクチカ村の防衛を行うというものだった。
つまり女騎士は、ウィザーたちの力を借りることなく、一万もの大軍勢に対して、たった一人で立ち向かおうというのだ。
とても正気の沙汰とは思えない行動である。
しかし、無理、無茶、無謀は承知のうえで、それでも女騎士は『やらねばならぬ』と思ったのだ。
クチカ村――王都とろくに交流がなく、女騎士も今回の件がなければ一生訪れることがなかったような場所ではあるが、それでも彼女たちの国の領土であることは間違いない。
ならば“騎士”として、祖国の領土が侵略されるのを黙って見ていることなど、彼女には出来なかった。
何より、あの村の住人たちには恩義がある。
実際に女騎士の命を救ったのはウィザーだが、それは村に迎え入れてもらえたからこその結果だ。
重症を負った見知らぬ人間。
端から見れば厄介事を呼び込む元でしかない彼女を、クチカ村の住人たちはそれでも迎え入れてくれたのだ。
確かに彼我の戦力差は絶望的で、勝ち目など万に一つもないだろう。
しかし、彼女は“騎士”なのだ。
困難な状況、強大な敵――それらは全て些末事に過ぎない。
あの優しき人々を守るために立ち向かう。
それが、祖国に残された“最後の騎士”である自分の務め。
果たすべき責務だと女騎士は思ったのだ。
既に姫にも事情は話してある。
姫の傍を離れること、また今後の面倒、特に衣食住に関してはウィザーたちが世話を焼くとの約束を(無理矢理に)取り付けたことを告げ――そして最後に、別れを告げた。
姫の近衛としてあるまじき行動を取ろうというのだ。
女騎士は、叱咤や罵倒など、どんなに厳しい言葉を浴びせられようとも、その全てを甘んじて受け入れるつもりであった。
しかし、予想に反して姫から返ってきたのは、叱咤や罵倒の言葉ではなく――沈黙。
姫は女騎士に背を向けたまま寝床にうずくまっており、最後の瞬間までただただ無言であった
それは、最後に姫の顔を見たい、声を聞きたいと願う女騎士にとって、どんな言葉を浴びせらるよりも堪えるものであった。
「……これを持っていきなさい」
不承不承といった感じでドリィは女騎士にあるものを渡す。
まるで押し付けられるようにして渡されたそれは、以前から女騎士が欲しがっていた武器、ムラサメブレードであった。
「これは……貰ってもいいのか?」
予想だにしていなかった贈り物に、女騎士は目を丸くして問いかける
「よくなければ渡していません」
「そうだな、その通りだ。では、ありがたく頂戴するとしよう」
「別に……倉庫で埃を被っていた不要品を押し付けただけですから、感謝されるいわれはありません」
そう言ってドリィはそっぽを向く。
普段の女騎士であれば『あの伝説の武器が我が手に!』と狂喜乱舞するところである。
しかし今はそれよりも、目の前の素直ではない少女を愛おしく想う気持ちがまさった。
(それにしても、まさか本当に餞別を貰えるとはな……)
いつかの想像が現実のものとなったことに、思わず女騎士は笑みをこぼす。
それが癪に触ったのか、ドリィは『何を笑っているのですか!』と、再び女騎士の胸を鎧越しに叩いた。
ドリィ――この少女とは見解の相違から何度も喧嘩するはめになったが、今ではそれも良い思い出のように思える。
そして――
「貴様の名を教えろ」
「……は?」
「は? ではない。思えばいつも『貴様』呼ばわりだったからな。俺も“餞別”として、貴様の名を覚えておいてやろうと言うのだ」
「あ、ああ……そう言えばまだ名乗っていなかったか」
『名を覚えておいてやる』とは、相変わらずの尊大な態度である。
しかし、女騎士はウィザーとの共同生活の中で、その態度がポーズであることに気付いていた。
だからこそ姫を託すことが出来たのだ。
その尊大な態度の裏に隠されたウィザーの本性。
きっとそれは誰よりも――
「――我が名はセリアス、“セリアス・アルファウト”だ」
「フン、その名、忘れるまでは覚えておいてやろう」
「そうしてくれ。愚かな女の名ではあるが、確かに私が生きていた証として、覚えておいてくれると嬉しい」
――こうして、女騎士セリアスは“リルガミンの迷宮”をあとにした。
彼女がこれより向かうは、紛れもなく死地である。
だというのに彼女の顔に浮かぶ表情は、随分と穏やかなものであった。




