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永遠の一秒  〜佐久間警部の帰郷〜(2024年編集)  作者: 佐久間 元三
差し迫る脅威
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すれ違い(2024年編集)

 ~ 某所 ~


「どうだ、そろそろ来るか?」


 男が、心配そうに、もう一人の男に問いかける。


「…いいや、まだ校内にいるようだ。今日は、もう無理かもしれないぞ…日を変えるか?」


 男は、手帳でスケジュールを確認し、首を横に振る。


「…ダメだ。今日しか、チャンスがない。明日は、北陸へ出張のはずだ。…プランBに変更する。電話で奴を呼び出す方法を取る。……仕方が無い。彼女を利用しよう」


(------!)


「彼女は、この計画に、参戦しない約束だったはずだが?」


 男が、食い下がる。


「取り逃がすことは、絶対にダメだ。いいから、命令に従え」


(………)


「……分かった。呼び出そう」


 時を同じくして、岡山県岡山市北区理大町。


 岡山市の中心部から、山間部に入った岡山理科大学では、学生たちが、学園祭を明日に控え、準備に追われている。


 男子学生の比率が高いこの大学では、学園祭が、何よりも、重要視されている。


 同市内には、女子大学や短大もあるが、彼女たちと交流を深めるためには、山を降り、市内中心部の商業大学や、他校の合同サークルに入る必要があり、奥手な生徒たちには、少しばかりハードルが高かった。


 そのため、自分たちから交遊を求め、外に出て行かなくても、異性が、自然と来てくれる学園祭に、一致団結しているのだ。


 吉田輝彦も、万年、彼女募集中の一人である。


 入学してから、遺伝子配合の研究に勤しむ吉田は、この四年間、彼女がいない。


(最後に、女子と話したの、いつだっけ?)


 顔は、普通だ。


 性格は、愛想が良い方ではないし、服装には、自信がない。


 市内の古着屋を回ってみたものの、どれが自分に似合うのか、よく分からず、結局は、市販量販店の無難な服を選んでしまう。ファッション雑誌も、半年に一回程度は、チェックするのだが、自分が着ても似合わないだろうと、見るのをやめた。


 しかし、今年こそ、独り身から、おさらばしたい。


(では、どうするか)


 そこで吉田は、同世代カップルの格好を真似しようと、市内のベンチに陣取り、三時間かけて観察しながら、情報収集すると、様々な古着を購入し、学園祭に備えた。



 ~ 十九時、岡山理科大学ゼミ控え室 ~


「吉田くん、泉水教授が探してたぞ。急いでいるみたいだったよ」


 学園祭準備の最中、鏡を見ながら、試着を繰り返しているところに、泉水教授からの呼び出しである。


(こんな時間に?…嫌な予感がする)


 吉田は、来春、大学院に進学する予定だ。泉水教授の機嫌を損なうことは、前途多難のおそれがあり、『学会で生きていこう』と志す者には、死に等しい。


 泉水教授が、学会で論文を発表する時は、一から十までの下準備を、吉田が受け持っている。


 今日ばかりは、居留守を使おうかとも思ったが、後々を考えると、無碍には出来ない。とりあえず、要件を聞いてから、善後策を考えようと、教授室へ向かった。


「吉田です、お呼びでしょうか?」


「入りたまえ」


 ドアノブを静かに回し、振動を出さないよう、慎重に部屋に入る。


(今日は、試験管が落ちませんように。いつも、暗いんだよな)


「失礼します」


 慣れているとはいえ、危惧した通り、紫色の電光が、室内を暗めに照らし、マウス検体や無数のフラスコ、試験管が、この上ない煩雑な状態で置かれ、泉水教授の姿が見えない。


(相変わらずだなあ。どこにいるのだろうか?)


 吉田は、不用意に動くのを避け、声だけで探そうと試みる。


「泉水教授、どこですか?」


「ここだよ、ここ」


 試験器具の端に、かろうじて、半身の姿が見える。


(少しくらい、片付けろよ)


 吉田は、決して指摘はしない。被害を1ミリでも、少なくしたいからである。


「お呼びでしょうか?」


「依頼してあった、治験データは出来たかね。明日の学会で、使用したいんだが?」


(そのことか)


「それなら、泉水教授に、データ送信済みです。三日前なので、他のメールと一緒に、埋もれてしまっているのでしょうね?」


「おお、そうか。そりゃあ、済まん。私の論文に、君の治験データが合わされば、完璧だ。今回も、利用させて貰うよ」


(………)


 吉田は、思いの丈を、少しだけ、打ち明けてみようと思った。


「ありがとうございます。…ところで、泉水教授」


「何だね?」


「今回の発表で、私の名前を、『泉水教授と連名』で、世に出して頂けないでしょうか?…大学院に進むためにも、そろそろ、成果として『箔』をつけたいのですが」


 研究室の空気が、静まりかえる。


 余計な一言だったと、瞬時に悟った吉田だが、上申しない限り、前にも進まない。泉水教授の表情は、こちらからは見えないが、しばしの間、出方を伺う。


(………)


(………)


(………)


 何分、経過したのだろうか?無言の圧に屈した吉田から、再び声を掛けた。


「あの、…泉水教授?」


(………)


「……そうだな。…君の名前を、そろそろ『連名』にしてあげても良いんだが。…その、……ね?」


(………)


(………)


 書類の壁の向こう側で、泉水教授がほくそ笑む姿が、目に浮かぶ。


(背に腹は代えられない)


 吉田は、深いため息をつくと、自分の表情を、教授に悟られないよう心掛けた。


「明朝までに、全ての論文英訳と根拠資料の差し替え、使用スライドの選定を完璧にしてみせます。教授は、学会で発表するだけで結構です。ぜひ、()()準備させてください」


 泉水教授が、再び、ほくそ笑む姿が、目に浮かぶ。間髪入れず、泉水教授は、口調を和らげ、声のトーンを少し下げて、手のひらを返す。


「どうしてもと言われたら、私も断れないかな。やる気を示す学生を、無碍には出来ないしね。責任は、私が持つから、頑張って、成果を出してみなさい。……私は、邪魔になるかもしれないし、君も、一人で準備する方が捗ると思うから、先に帰宅することで、君を助けるとしよう」


 泉水は、『これで憂いはない』と安心したのか、書類の山を、無造作に払いのけ、吉田に近づくと、耳元で囁いた。


「明朝の七時に取りに来るから、よろしくね。……秘蔵の弟子とは、このことだね」


 泉水教授は、軽やかな表情で、研究室を出ていく。


 吉田は、研究室のドアが閉まるまで、頭を下げながらも、恨むような目つきで、足元を追った。


(……博士号を取るまでの我慢だ。三時間もあれば、学園祭の準備も、何とか間に合うだろう)


 泉水教授のパソコン画面を確認した吉田は、時計を見ながら、深いため息をついた。


(……俺の学園祭は、終わった)


 学会は明日だというのに、何の準備もしていない。


(最初から、仕組まれていたんだ。学園祭の準備があることを知っていても、僕がどちらを優先するのか分かっているから、出来る手を打った。弱い立場の人間は、決して逆らえない。…それも、命令ではなく、あくまでも、自発的な意見で協力を仰ぐ、したたかで狡猾な罠だったんだ。……ちくしょう)


 明日の学会では、吉田が準備した研究成果を、さぞ自分が発見し、いかに、『世に貢献しているか』を声高に、発表するつもりだろう。


(権力を持つ者は、権力をない者を、とことん利用し、骨までしゃぶる…か。明朝の七時まで、あと十二時間切っている。…徹夜しても、ぎりぎり間に合うか?…せっかく買った古着も、台無しか)


 半べそで、作業に取りかかった。


 ~ 早朝 ~


 鳥の鳴き声が、ひんやりした空気とともに、研究室の窓越しに聞こえる。


(…何とかなった。というか、何とかした。泉水教授(あの人)のことだら、労いなどないのだろう)


 結果が全ての世界だ。こちらも、何も言うまい。諦めにも近い感情で、研究室のドアが開くのを待つ。


 約束の七時だ。


 吉田は、直ぐに出発出来るように、ノートパソコンとプリントアウトした学会資料、予備のバックアップデータを焼いたDVDを一式揃えて、学会用のバッグに納め、待機する。


(……我ながら、完璧な仕事だったぞ)


 七時二十分。


 いつもは、誰よりも、時間にうるさい男が、一向に現れない。


(………)


(………)


(…おかしいな?)


(そろそろ出発しないと、飛行機に乗り遅れるぞ。電話してみようか?…いいや、バスや電車の中だったら、『余計な詮索をするな』と怒られるかもしれないぞ。…もう少しだけ待ってみよう)


(………)


(………)


 八時を過ぎた。


(絶対に、おかしい。教務課に確認しよう)


 吉田は、受話器を取ると、内線で教務課へ問い合わせる。


「すみません、泉水ゼミの吉田です。泉水教授の学会資料を準備したんですが、約束の時間を過ぎても、一向に現れないんです。教務課(そちら)に、何か連絡入っていませんか?」


 教務課の職員は、『何も聞いていないのか?』と少し嫌み気味に、答えた。


「泉水教授なら、既に学会に行かれてますよ?奥さま経由で、『直接、現地に向かうから、三限目の講義は休講にする』と、連絡が入っておりますが?」


(------!)


「そんな馬鹿な。だって学会資料、研究室(ここ)にあるのですよ?」


 受話器の向こうで、教務課の職員が、ため息をついた。


「あのね、そんなこと言われても、知りません。教務課は、事前連絡を受けた以上、何の問題もありませんし、学生のあなたが、それを問うのは筋違いですよ。文句があるのなら、直接、泉水教授に確認すれば良いだけなのでは?」


(言われる通りだ)


「分かりました、直接、携帯に掛けてみます」


 吉田は、釈然としないまま、教授とのコンタクトを試みる。


(………)


「お掛けになった電話番号は、電波の届かない場所におられるか、電源が入っておりません」


(…ダメだ、電源が入ってないぞ。どういうことだ?)


 人の弱みにつけ込んで、身勝手に振る舞う泉水教授を、心底恨んだ。


(学園祭を棄て、出会いを棄て、頑張ったのに。この感情を、どうすれば良いんだ?誰か…、誰か教えてくれ!)


 吉田は、泉水教授の机に怒りをぶつけると、全てが嫌になり、帰宅することにした。


 外では、予定通り、学園祭が始まり、可愛い女の子たちが、正門をくぐり始めている。


「さあさあ、みなさん、お待たせしました。イケメンだらけの、理科大学園祭にようこそ!燃え上がっていきましょう!!!」


「あの日、あの時、この場所で。恋の華咲くこともある。まさに、それが今日です。もしかすると、運命的な出会いがあるかもしれません。そこのあなたも、そちらのあなたも、勇気をふるって参加してみてください。我が学生は、そんなあなたを待っていました。さあさあ、みなさん、ここにいる全ての方が、主人公です。一期一会を大切に、今日という日を大切に。楽しんじゃってください!!!」


 学園祭の準備に、余念がない学生たちは、万全な体制で、女の子たちを迎え入れる。既に、他校の女子学生と一緒に回り始める生徒、一所懸命、交渉している生徒、遠巻きに、女子学生からチェックされている生徒、女子学生から声を掛けられている生徒、早くも恋が散った生徒など、外から見るとよく分かる。


(……青春だなあ。本当なら、……僕もあそこで)


 フケだらけの頭皮と無精髭、口臭がきつい男が、ダサい格好で、どんなに頑張っても、可愛い女の子とどうにかなるはずもない。この場にいる、どの学生よりも、悔しさと恥ずかしさを噛みしめ、俯いたまま、誰とも目を合わないように、這々(ほうほう)の体で、帰宅の途についた。


(泉水の、クソったれ)


 怒りの感情で、何もかも見えなくなってしまった、吉田。


 約束したはずなのに、行き違いになってしまった、泉水教授。


 この二人が、再び、相見えることは、永遠になかった。


 変わり果てた、泉水教授の姿が発見されたのは、学園祭が終わった翌日であった。

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