表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
永遠の一秒  〜佐久間警部の帰郷〜(2024年編集)  作者: 佐久間 元三
差し迫る脅威
3/26

秘匿情報(2024年編集)

 ~ 十月十二日、警視庁 捜査一課 ~


「ただいま、戻りました」


(------!)

(------!)

(------!)


 聞き覚えのある声に、捜査一課内の課員たちが、入り口に目を向ける。


 無論、一番早く反応したのは、山川刑事である。


「警部、明日からの出勤じゃ?」


「さっき、東京駅に着いたんだ。妻たちには、先に戻って貰ったよ。不在の間、大丈夫だったか気になってしまってね。火急の有無だけを確認してから、帰るつもりで寄ったんだ。これは、気持ちばかりだが、みんなで分けてくれ」


 大量の土産が、打ち合わせテーブルに並び、日下が率先して、仕分けに入った。


「えー、不肖ながら、日下が分けさせて頂きます。…まず、うなぎパイに安倍川もち、三ケ日限定のプリッツ、諏訪限定のせんべい、甲州ワイン。…ん?警部、静岡以外のお土産も、結構ありますが?」


 佐久間は、ほくそ笑む。


「何十年振りか、二週間も休んだからね。静岡県は、浜松市、天竜市。長野県と山梨県は、阿智村、飯田市、諏訪市、甲府市など回ってきたんだ。中々、豪華だろう?」


「阿智村に、行かれたんですか?」


「運良く、宿が取れたからね」


 田島が、尋ねる。


「阿智村って、何かあるんですか?」


「日本一の星空で、有名な観光名所さ。子どもたちに、満天の星空を、どうしても見せたくてね、立ち寄ったんだ。都内では、まず見られないからね」


「へー、警部もしっかり、『お父さん』してらっしゃるんですね」


(余計なことを言うな)


 山川が、田島の頭をこついたが、佐久間は、気にも止めていないようだ。


「家族には、何かと、寂しい思いをさせているからね。お前たちは、私みたいになるなよ」


「おー、佐久間。戻ったか!」


 安藤は、佐久間を見るや否や、嬉しそうに、肩に手を置く。


「安藤課長、ただいま戻りました。今回は、課長の配慮に、甘えさせて頂きました。ありがとうございます」


「うんうん、リフレッシュ出来たようで、何よりだ」


「課長、今日は、捜査状況を把握するために、立ち寄ったのですが?」


 安藤は、真顔で、淡々と告げる。


「小さな傷害事件が二件、性犯罪事件が三件、放火が一件。あと、府中市の山中で、白骨化遺体が見つかった。山川が現場に臨場し、科捜研経由で、科警研へ回しているところだ。あとの案件は、二課と三課に回したよ」


(………)


「そうですか、白骨化遺体が。…山さん、苦労を掛けたね。白骨化というからには、さぞ、辺鄙な場所だったのだろう。科捜研への連絡も、助かるよ」


 山川は、少し恐縮しながらも、嬉しそうだ。


「いいえ、とんでもない。警部がおられなかったので、氏原さんを経由せず、公式な手順を踏んで、識別鑑定を依頼したまでです」


「…そうか。あとで、科捜研に寄ってみるよ、ありがとう」


 安藤は、佐久間に耳打ちする。


「明日、話そうと思っていたんだが、ちょっと良いか?」


(何かあったな?)


 隣の部屋へ移動すると、安藤は扉を閉め、課員たちから見えないよう、ブラインドを下げた。安藤が、この仕草をする時は、良くない話をする時のみだ。


 佐久間は、事の重大さを直感で感じ取り、足を肩幅と同じ幅で広げ、手を後ろで組み、発言を待った。安藤も、一呼吸おいてから、話し始める。


「これは、まだ非公式発表だから、課員たちには言わんでくれ」


「何があったのですか?」


「サリンだよ」


(------!)


「信じられません」


「…事実だ。但し、警視庁の所管ではなく、九州でだ」


(九州?)


「熊本市内で、『サリンが使用された可能性がある』と報告を受けた」


(………)


「…箝口令が敷かれたとしても、現場は、ひどい惨状だったはず。全国のニュースは、いつもチェックしていますが、そんなことは、一言もありませんでした。徹底した、情報操作を熊本県警察本部(県警)がしたと?」


 安藤は、首を横に振る。


「箝口令が敷かれたのは事実だが、惨状には至っていない」


「惨状には至っていない?」


「そうだ。死んだのは、大学講師一名だけらしい。……変だと思わんかね?」


(………)


 佐久間は、左手で、顎先を撫でるように触った。


(松本サリン事件では、地下鉄の車両内で、ばら撒かれた。皮膚からの吸収と、直接、気化したサリンを吸って被害が拡大した。発汗、嘔吐、言語障害、錯乱状態と、影響が大きかったと記憶しているが…。対象者一名だけに絞って、使用するとは思えんが。…本当にサリンか?)


「課長、非公式ということは、熊本の科捜研では『まだ断定していない』、ということですね」


「その通りだ。被害者(ホトケ)の体内に残っていた成分から、メチルなんとかが出てきたと。確率は、かなり高いようだが」


「仮にサリンだとして、近くに誰かしら、いたのでは?」


「第一発見者、被害者を間近で確認した巡査、その他、大勢の学生がいたようだ。にもかかわらず、実被害の報告は、聞こえてこない」


(…気化したサリンを吸うだけで、錯乱すると思ったが、それもない。…妙だな)


 佐久間は、メモ帳で成分を確認する。


「メチルホスホニルジフルオソドと呼ばれる成分であれば、私でもサリンだと考えますが、被害拡大せず、対象が一名というのが気にかかります。熊本県警察本部(あちら)は、どう動くつもりですか?」


「何も分からんよ。何せ、テロと決めるには早計だし、被害者は一名で、この一件しか、事件化していない。迷宮化するかもしれん」


 佐久間も、首を傾げた。


「もし、テロなら、また同じ事件が起こります。次は、どこなのか見当もつきませんが。情報が少ない今では、警視庁(我々)も、動けませんね」


「もし、君が熊本県警本部(県警)にいたら、どのように考えるかね?」


(………)


「まずは、亡くなった被害者の身元から、関係者を洗っていくでしょう。ただ、大学の教授ではなく、講師が毒殺されたのが、妙に引っかかります。大学関係者にとって、講師は、決して特別ではないと思うので、なぜ被害者を講師にしたのか、私怨なのか、組織にとって邪魔だったのか、毒殺にした理由は何か、……あれこれ、悩みながら、捜査展開するでしょう」


「なるほどな」


「当然、熊本県警察本部(あちら)も、その線で、捜査をしていると思いますよ」


 安藤は、ブラインド越しに、課員たちの様子を眺めながら、改めて問う。


「また起こると思うか?」


(………)


「犯人の目的は、知る由もないですが、今回の事件は、序章というか、練習なのかもしれません。もし、練習であったのならば、『次が、近いうちに来るだろう』と考えておくべきです。最悪を想定し、今から手を打つのが、良いと考えます」


 安藤は、腕を組みながら、悩んでいる。


「最悪を想定してか…。警視庁管轄(うちの庭)ならどうする?」


 佐久間は、メモ帳を開く。


「万が一に備え、サリン治療薬を、確保しておく必要があります。プラリドキシムヨウ化メチルかアトロピンが有効だと書いてあります。秘密裏に、警視総監と科捜研に相談し、水面下で進めた方が、賢明かと」


「備えあれば、憂いなしだな。君の判断を信じよう。…但し、先ほども話した通り、まだ可能性の段階であることを、くれぐれも頼むぞ」


「承知しました」


 佐久間は、安藤との打ち合わせを終えると、部屋に戻り、課員たちに号令を掛けた。


「当面は、今、起きている事件に全力を尽くしてくれ。私と山さんは、府中市の山中で起きた事件を、中心に捜査する。他の者は、山さんの指示で、担当を割り振って、明日中に、私に報告してくれ。では、明日からよろしく頼むよ」


「はい!」

「お任せを」

「了解です」


 佐久間は、捜査一課を後にすると、捜査二課、捜査三課、組織犯罪対策部にも、順番に顔を出し、自分の不在中、サポートして貰った件で、お礼を言って回った。


 どの課も、課長自ら、別室で、熊本市内で起きたサリン事件についての意見を求め、佐久間も、現時点での、自分の考えを説明するに留まった。安藤と、水面下準備に入ることに関しては、言及を避けた。


(やはり、知っているのは、まだ課長以上の幹部だけか。テロとしての概念を認めてしまうと、警視庁(我々)だけでなく、多方面の組織調整もあるし、話が巨大化するだけだ。…次が起きた時点で、対策を練らないと、すぐに頓挫するだけだろう)



 ~ 科捜研 ~


「おっ、帰ってきたな。お疲れさん!」


 科学捜査研究所の第二化学科化学第二係に出向している氏原誠は、佐久間の顔を見るなり、検査中のフラスコを置くと、タバコを吸う仕草を見せた。


「ちょうど、一服しようと思っていたところだよ。その顔は、何か言いたげだな?」


 佐久間は、ほくそ笑む。


「ご名答だ。中部地方、甲信地方限定の酒と、タバコを買って来た。ほれ、美味いぞ?」


 氏原は、喜び勇んだ。


「いつもいつも、すまないねえ。さっそく、頂くとするよ」


(………)


「氏原、今日は、喫煙所じゃなくて、()()で、一服しようじゃないか」


(------!)


 氏原の表情が、曇る。


「……高いタバコに、なりそうだな」



 ~ 科捜研 屋上 ~


 秋風が、蒼の時間を駆け抜けていく。街のネオンが点灯し始め、街全体を、夜へと染めていく。佐久間は昔から、困った時、氏原を屋上に誘っていた。


「うん、美味いな。……では、高いタバコの話をどうぞ。…府中市の白骨化遺体か?」


「ああ、それもある」


(………?)


 氏原は、首を傾げた。


「他には、大した事件なかったが?」


「熊本市内で、サリンが撒かれた」


(------!)


 氏原の表情が、聞いた途端、険しくなった。


「なっ、サリンって、バカな!上九一色村じゃあるまいし。今の日本しゃ、不可能だ。()()()以外は!」


陸上自衛隊化学学校(自衛隊)だろ?」


「そうだ。日本で唯一、法律と施行令で、認められている。それでも、年間、グラム単位の合成しか、していないはずだ」


(………)


佐久間は、黙っている。その様子を見た、氏原は狼狽えた。


(------!)


「まさか、盗まれたのか?」


「いや、盗難の被害情報は、まだきていない。氏原、お前の方が、私よりも何倍も博識だ。だから、お前に、教えを請いたくてな」


 二人は、ベンチに腰掛けて、話を続けた。


「なあ、佐久間。昔、長野県警察本部(県警)が、『市販の農薬からサリンの合成が可能』と言っていたが、あれは誤りだ。イソプロピルアルコール、リン塩化物は入手可能だが、製造工程で、様々な化学用機材や、高度な脱水技術の他に、多段階の反応制御や管理が必要なんだ。それこそ、専門知識を持つ者、複数名と、医薬品メーカー並の工事施設が必須だ。宗教団体やテロ組織じゃあるまいし、一般人では、まず無理だぞ。上九一色村が、良い例だ。何名いた?いくつ施設があった?あれに匹敵する、広大な土地で、サリンを製造しようとしてみろ、すぐにマスコミが嗅ぎ付けるし、日本中がパニックになる」


「…だろうな。しかし、組織ならどうだ?」


(…組織か)


「…あり得るな」


「…やはりな。毒物の大半は、合成方法が、ネットで検索可能だからな。知識と財産があれば、誰にでもテロを起こすことが出来る時代だ。今日は、『それが起こり得る』ことを前提に、相談に来たんだ」


(………)


「お前の口ぶりから察すると、サリンが『関東で撒かれる』ということか?」


「最悪を想定するとそうなる。熊本市内で起きたサリンは、おそらく序章だ。『何グラム撒けば、何人死ぬか』を検証したと、考えるのが正しいと思う。対象者を、『単純に殺害するためだけに使用した』のかもしれないが、殺害するだけなら、製造過程が面倒な、サリンなど使用しないで、銃殺でも撲殺でも、いくらでも手法がある。そのことから、思考を前に進めると、テロなら、自然と受け入れやすいんだ」


 この意見には、氏原も同感だ。


「お前の、最悪な見立てだと、いつ関東に撒かれると?」


(………)


「私が犯人(ホシ)で、関東地方で使用するなら、十日〜二週間は空ける。そして、致死量を確かめるために、もう一度、練習をどこかで行いたいと考える。熊本市内と東京都内を結んだ中間地点か、マスコミが嗅ぎ付きにくい、山間部を選ぶだろう」


「熊本市内のサリンは、いつ撒かれた?」


「二日前の、十月十日だ」


「お前の読み通りなら、あと三日以内に、一回撒かれる。そして、関東地方では、あと八日しかないのか」


「杞憂で済めば問題ないが、次にサリンが撒かれた時点で、テロ対策本部設置を上申するつもりだ」


(………)


「お前の勘は、ヤバイ時ほど当たるからな。…お前の判断を信じよう。でっ、俺は何をすれば良い?」


「万が一に備え、この二つを頼めるか?」


 佐久間は、メモ帳を氏原に提示すると、氏原は、合点がいったようだ。


「プラリドキシムヨウ化メチル、アトロピンの2種類だな。問題ない」


「可能な限り、医療メーカーから取り寄せてくれ。安藤課長の許可は得ている。状況次第で、安藤課長から科捜研へ、公式に依頼しても良いそうだ」


「分かった。水面下交渉が出来ているのなら、地下鉄サリン事件を参考に、治療薬を確保しよう。エイジング時間は分かるな?」


「ああ。確か、五時間以内投与で、生死確率、五十パーセントだ」


「よろしい。秘密裏に動けるのは、そこまでだ。どこに、治療薬を配置するかは、捜査一課に任せるぞ」


「ああ。都内の重要駅を中心に、配置を考えてみるよ」


 氏原は、佐久間が差し出すコーヒーを、一口飲んだあと、次のタバコに、火をつける。


「話は変わるが、白骨化遺体は今、科警研だ。生物第二研究室(第二)で個人識別している」


「氏原、お前の見立てで、死後何年経過している?」


「…二十年だ」


「…そうか。私が帰郷しなかった期間と、同じ経過時間だ。…つまり、その当時に、その人は、人知れず殺害されていたんだな。……胸が痛むよ」


(………)


「事件を解決しても、休むことなく、次が来る。…因果な商売だぜ」


「身元確認出来ると良いな。一刻も早く、家族の元へ帰してあげたい」


「ああ、そうだな」


 二人は、星が数える程しか見えない夜空を、しばらく無言で眺めていた。


「なあ、氏原。休暇中に、長野県で満点の星空を見てきたんだ。街の余計な光が、完全に届かない田舎の夜空は、こんなにも、星がきれいに見えるのかと痛感したよ。今見ている夜空だって、本当は、星々が無数に存在するんだ」


「ロマンチックだな」


「事件も一緒だ。見えないところで暗躍しているだけで、実は、目の前で起きているのかもしれない。何としても、阻止しなくては」


「流石のお前も、この段階じゃ、まだ打つ手なしか。…ところで、他の地域が、『実は本命でした』っていう落ちはないか?」


「もちろん、あると思う。一警部の私が、想定するくらいだ。全国の警察本部(仲間たち)も、自分のテリトリーに及ぶかもしれない脅威を、放っておかないし、準備をし始めていると思う」


「だよなあ、普通に考えたって、そうなるよな」


「可能な限り抗おうぜ、氏原」


「ああ、気合いを入れるか」


 杞憂であればと祈りつつ、最悪を想定し、動き始める。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ