生家の秘密(2024年編集)
~ 浜松市 西区 舘山寺町 ~
佐久間たちは、帰途の前に、浜松市フラワーパーク近郊にある、中村光利の墓前に、向かっている。広々とした霊園で、どこからでも、浜名湖が見渡せる。丘の上から、中村光利が眠る区画を探す。
「光利の墓は、G列の……7号区画か。……ん?氏原、あそこに、誰かいるぞ。どこかで見た気がする、誰だったかな?」
長い黒髪の女性が、中村光利の墓前で、お参りしている。邪魔になるからと、声を掛けずに、様子見することにした。
どのくらい前から、来ているのであろうか?
佐久間たちが来てから、既に、二十分は経過している。
女性が、やっと、立ち上がったところで、声を掛けた。
「お早いですね、以前、どこかで、お目にかかりませんでしたか?」
女性は、下を向いて、小声で返事をする。
「職場。……工場で、会っています」
(そうか、あの時の)
「そうか、そうでした。確かに、工場で、お目にかかりましたね。歳をとると、記憶力まで、低下するようだ。とんだ、失礼を」
(………)
佐久間の接し方に、安堵感を覚えたのか、女性は、佐久間の目を、しっかり見据えた。
「私、近藤智美っていいます」
「近藤さんですね。改めて、ご挨拶を。私は、佐久間と申します。いつも、こんなに朝早くから、お参りをして頂いているのですか?」
近藤は、微笑みながら、照れ臭そうに、頷いてみせた。
「…日課なんです。社長の墓参り」
「日課ですか?現社長は、一緒に、墓参りしないのですか?」
「まだ一回しか、来たことないんです」
(光利も、不憫だな)
「そうですか。でも、あなたが、毎日来てくれる。光利も、喜んでいると思います」
「あの人は、寂しがりやですから」
(あの人?)
「もしかして、あなたは?」
近藤は、静かに頷く。
「はい、社長のこと、大好きでした。……片想いなんです。昔も、…今も」
(………)
「光利は、死んでも、モテますね。羨ましい限りです」
「あっ、すみません、お参りされますよね?」
近藤智美は、そっと墓前を譲り、佐久間たちがお参りするのを、待った。
「……あの、刑事さん」
「何でしょうか?」
「私が、社長の、お参りしていることは、内緒にしてください。あっ、でも、現社長も、他の人と付き合っているみたいだし、バレても、問題ないですね?」
(ほう?)
「それは、驚きです。知らん振りをしましょう。現社長の相手は、ご存知ですか?」
近藤は、念のため、周囲を確認しながら、囁いた。
「村松という男性です」
(……やはり、な)
「近藤さん、工場内の同僚で、不倫を知っている人は、他にもいるのですか?」
「…何人かは。夜中に、工場の裏庭で、…その…不貞行為をしていましたから」
呆れてしまった。
「それは、いつ頃ですか?光利、いや、中村光利が、生存している時ですか?」
「ええ、亡くなる、一週間ほど前の話です」
思わず、氏原と顔を見合わせる。
(光利は、この事実を、知っていたのだろうか?それとも、知ってしまったから、殺された?……いや、不貞行為では、殺されまい。離婚すれば、良いだけだ。保険金のために、殺すという選択肢もあるが、二人とも、金には不自由していないだろうから、この線は、なしだな)
「近藤さん。あなたのお話は、大変興味深い。ぜひ、朝食を、ご馳走させてくれませんか?」
近藤は、またしても、周囲を気にしながらも、同意する。
(先程から、何度も、周囲を気にしているな。何を、警戒している?)
佐久間は、近藤が、ある程度、事情を知っていると察し、場所を移すことにした。
~ 霊園前の喫茶店 ~
「いらっしゃいませ。こちらの、テーブル席へどうぞ」
三人は、店の一番奥から、二番目の席に座り、モーニングセットを注文した。
「他にも、食べたいものがあれば、何でも、頼んでください。工場のことを、もう少し、誰かに伺いたいと思っていたので、あなたと会えて、幸いでした」
「本当ですか?」
「ええ。私と光利は、昔からの友人なのですが、友人としての一面は知っていても、どんな経営者だったのかは、知らないんです。どのような社長でしたか?」
「とても、真面目で、優しい社長でした。不況の煽りを受けて、工場が傾いた時も、粘り強く、誰一人、解雇しないで、社員一丸で、乗り越えました」
(良い社長だったようだな、光利)
「真央夫人は、どうでしたか?」
「会社経営には、全く、興味がなかったみたいです。経営より、新薬の開発に、誰よりも力を入れてましたから」
「新薬の開発ですか?例えば、どんな効能を目指していたのですか?風邪薬などですか?」
「基本的には、アルツハイマー病の症状を緩和させる薬です。アリセプト、レミニール、イクセロンなどです」
(かなり、情報を知っているな。であれば、もう少し掘り下げてみるか)
佐久間は、追加オーダーをしながら、他の話題も、振ってみることにした。
「村松という男ですが、光利の死後、工場に寄る頻度が、増えましたか?」
(------!)
温和な表情が、様変わりする。
「あからさまに、変わりました。工場内のレイアウトを、一夜で変えたり、現社長は、村松に、細かいところまで、助言を受けてました。従業員の意見は、全く耳を貸さないのに」
「レイアウトを?製造ラインも、変えたのですか?」
「はい。急に、一部の商品を辞めたり、新薬を試すとかで。従業員は、戸惑いました。中村光利が、生きている時は、何でも、皆で話合って、決めたし、あり得ませんでしたから」
「そうですか。それは、大変ですね」
「そうなんです。材料も、仕入先が、殆ど、変わってしまったし、戸惑いの連続でした。実は、他にも、不思議な点があるんです」
「不思議な点?」
「当社には、新薬開発をするため、規模は小さいですが、倉庫兼プラント施設があります。以前は、従業員が、自由に出入りしていたんですが、半年前から、立ち入りが禁止となりました。用がある時は、わざわざ、現社長、自らが赴きます」
「新薬の開発は、情報漏洩を防ぐため、信頼の出来る少人数で行うことは、理解出来ますが。…何か変ですね」
(……氏原)
(……ああ、当たりだ)
佐久間たちは、そこの施設で、サリンを製造していると、疑念をもった。
「場所は、どの辺りでしょうか?」
「浜北区の道本というところです」
「道本は、光利の生家があったところだ。プラントは、そこに?」
「はい。中村光利が、生前に教えてくれました。細江町にやってくる時に、『一度は売り払ったが、何年かしたら、妻が、新薬の開発施設が必要だからと、生家を買い戻したんだ』と」
佐久間は、左手で、顎先を撫でるように触った。
「それは、おかしいな」
氏原が、首を傾げた。
「どこか、不審な点を見つけたのか?」
「思入れのある生家だから、買い戻すのならば、合点がいく。何故、妻の一声で、買い戻した?普通に考えてみろ、新薬の開発であれば、本社の近くで行う方が、妥当だ。何故、何十キロメートルも離れた土地に、プラントを構える必要がある。明らかに、おかしいじゃないか?それに、光利の生家は、広大な敷地ではなく、普通の居住面積だった。どんなに見積もっても、七十坪程度だ」
「確かに、そうだな」
「近藤さん、従業員の意見は、どうでしたか?」
「プラント施設に行くだけで、一~二時間掛かるんです。皆、面倒くさがっていました。何故、近場に土地を借りないのかと」
「それが、普通の考えですよ。工場の周りは、空き用地が、幾らでも、あった」
「行ってみるか、そのプラントへ?」
「ああ、確認した方が良さそうだ」
「ご案内しましょうか?」
「中村光利の生家なら、覚えていますから大丈夫です。それよりも、あなたは、普通に、出社してください。あなたは、何も語らなかった。私たちが、『たまたま、中村光利の生家を、懐かしんで訪問した』という、体でいきましょう」
近藤は、黙って、頷く。
「では、あなたの連絡先を、教えてください。念のため、私の名刺を、お渡しするので、何かあれば、この番号に電話してください」
レジで、三人分の清算を済ますと、二人は、慌ただしく、店を出ていった。
その様子を、近藤は、黙って見送る。
(……どうか、中村光利の、仇を)
背後の観葉植物が、かすかに揺れた。