中村真央の邂逅(2024年編集)
~ 東海道新幹線の車内 ~
りんかい副都心から、東京駅に向かった佐久間たちは、東海道新幹線で浜松駅を目指している。途中、停電による影響により、京浜東北線の車内で、一刻、足止めを食らったせいで、予定の新幹線に、乗車出来なかった。
「この時間帯は、流石に、ひかり号がないな。こだま号で、ゆったり行こうか」
佐久間たちは、遅めの昼食を食べながら、今夜のスケジュールを話し合う。
「氏原は、私が、中村真央と話している間、工場の設備を、再確認してくれ。陸上自衛隊化学学校にあった、化学用機材が、擬態されているかもしれない。前の訪問では、そこまで、疑って見ていないだろう?」
「そうだな、好き勝手、物色させて貰うさ。お前は、どう揺さぶるんだ?」
(………)
「まだ白紙だが、着くまでに考えるさ。…もしくは、真央と話しながらかな。どうも、感情移入しそうでな、正直、気が滅入るよ」
「仕方がないよ。俺がお前なら、公務でも、嫌だしな」
ビールを嗜むサラリーマンが、視界に入る。
「ビールを飲みたいねえ。まだ、お預けだが、今夜は、パアッと、飲みに行くか?」
「状況次第だ、中村光利の墓参りも、早くしたいしな」
氏原は、呆れた顔で、佐久間を諫める。
「お前なあ、いくら何でも、夜中に、墓参りは止めろ。明日の朝、早起きして行けば、良いじゃないか?何が悲しくて、そう生き急ぐの?」
(………)
「仕方がないな、今夜は、細江町から近い、湖西市で飲むか。宿が無ければ、舘山寺で。まだ年末年始シーズンじゃないから、空いていると思うよ。鰻の白焼きが、抜群に美味い店があるんだ」
鰻が大好きな氏原は、大いに食いついた。
「それは、どっちだ?湖西か、舘山寺か?鰻が食える方で、頼む」
「どっちでも、大丈夫だ。私の脳が、覚えているから、ちゃんと案内するよ」
東海道新幹線が、安倍川を通過すると、佐久間は、到着時間を確認する。
「もうすぐ掛川だ、浜松はすぐだぞ。降りる準備をしないとな」
浜松駅に着くと、駅前ロータリーから、遠州鉄道バスの細江町行きに乗り換えた。ここから、約一時間の道のりである。
「今日は、静岡県警察本部の迎えは、いないのか?」
「ああ、連絡していないんだ。何度も、押しかけてもな」
浜松市中区佐鳴台を経由するバスは、郊外へと進んでいくと、車窓の左側に、浜名湖が、迎え入れてくれる。
「やっぱり、静岡県は良いなあ。ダムがあり、清流の川があり、富士山があり、浜名湖があり、鍾乳洞まである。幼い頃から、住みにくいと思ったことは、一度もなかったよ。鮎釣り、ハゼ釣りも出来たし、鰻は、美味しいし。お茶も、匂いから違うし。都内の生活にはない、自然の全てが、静岡県にはある」
「ブルーインパルスもあるし、大凧も有名だよな?」
「そうだな。しかし、残念なこともある」
(残念?)
「どこかだ?」
「完全に、浦島太郎だったから、この間来た時に、小学校から中学校に行こうとして、道に迷ったんだ。身体が、自然と覚えていて、途中までは合っていたのに、急に分からなくなったんだ。慣れ親しんだ道をだぞ。二十年の月日は、空き地を住宅地に変え、道路に変え、景色を変えた。まだ、他にもあるぞ。浜北区の一部は、区画整理が上手くいってなかったよ。車一台が、やっと通れる幅しか、確保出来ていないんだ。電柱も、無造作に建っているし、官民境界の確定も、済んでいる様子はなかった。電線共同溝が、整備されていないから、無柱化計画が進んでいないんだ。あれでは、大震災が起きたら、どこにも逃げられまい」
氏原は、溜息をついた。
「東京と同じ感覚は、おかしいぞ。俺たちは、都会に慣れすぎてるんだよ」
他愛もない会話をしている間に、目的地の、役場前に到着する。
「では、昔のマドンナと、再会と行きますか?」
(………)
「綺麗という点では、そうかもな。だが、聖母マリアに例えられても、マリア様が可哀相だ。中村真央は、私の中では、とうに被疑者だよ」
その様子に、氏原は、少し安堵する。
(どうやら、吹っ切れているな。これなら、大丈夫だろう)
~ 中村製薬 ~
「いらっしゃいませ、工場見学なら、本日は、もう終了しておりますが」
「いえ、見学ではありません。中村真央さんに、お目にかかりたい。私は、こういう者です」
警察手帳を見た受付嬢は、直ぐに、内線を入れる。
「社長あてに、警察の方がお見えです。…はい、そうです。二名で、来店です。…佐久間さんと、仰る方です。……はい、畏まりました」
受付が、中村真央からの伝言を、伝えている間に、本人がやって来た。
「佐久間くん、わざわざ、どうしたの?」
「浜松市で、会議があってね。光利の墓参りをしたくて、寄らせて貰ったんだ」
「そうなんだ。またてっきり、捜査かと思って、身構えちゃった」
(身構える…か。警戒されているのか)
受付嬢は、真央から、お茶を用意するよう、目で合図を送られても、中々、動こうとしない。言葉で促され、やっと気が付くと、慌てて、奥の給仕室へと消えていく。
「ごめんなさいね、あの子、要領が悪くて」
佐久間は、『お構いなく』と、手振りで返事し、店舗内を見回した。
「少しだけ、元気を取り戻せたようで、安心したよ。少し、見せて貰っても、良いかな?」
真央は、クスッと微笑すると、
「ええ、自由に見て良いわよ。白衣と帽子は、お願いね」
「分かった、ありがとう。氏原、お言葉に甘えようか?」
(………)
「お前は、友達と、積もる話もあるだろうから、俺だけ、見させて貰うよ」
「そうか?何か、悪いな。気を遣わせて」
「気にするな、ゆっくり話すと良いさ」
氏原は、給仕室から戻った受付嬢に、着替え室を案内して貰うと、工場見学に行った。
「真央ちゃん。光利の墓は、どこに決めたんだ?浜北区の道本か?」
「舘山寺町のフラワーパークの近くに、浜名湖が一望出来る、丘が出来たの。一目で気に入って、無理を言って、入れさせて貰った」
真央は、受付の机から、パンフレットを取り出すと、佐久間に手渡した。
「良い眺めだ、光利も、幸せだろう」
「……そうね。あっ、お茶飲んで」
佐久間は、お茶を飲みながら、さり気なく、本題に入ることにした。
(さて、どう切り出すかな)
(………)
「この間は、あまり、世間話が出来なかったね。光利が、真央ちゃんと結婚するとは、夢にも思わなかったよ。泰成が、真央ちゃんに、ぞっこんだったから、二人が、結婚すると思っていたからさ」
「ふふふ、そう?…意外だった?」
「意外さ。光利は、大学時代、名古屋だっただろう?君は、浜松市内で、遠距離恋愛だったのかい?」
「んーん。こう見えて、海外留学してたんだ。そこそこの、お嬢様だったから」
「海外留学かい?そいつは、凄いな。どこの国だい?」
「ドイツよ。当時は、まだ、ベルリンの壁があったから、西ドイツだったかな」
「アウシュビッツか」
「あら?良く、知ってるわね」
「親父が若い頃、西ドイツで暮らしていたから、良く聞かされた。ユンゲ、何とかナハウス、バルドニィヤー、ヒナースってね」
「まあ、あなたの口から、民族哀歌が聴けるなんて、思いもしなかったわ。その何とかは、コンバルトニィーヤー、ナハウスよ」
「ああ、そうだ。そんな成句だ。しかし、何で、西ドイツに留学を?」
「どうしても、アウシュビッツを見たかったの。ナチスドイツの頃、ヒトラーは、ある命令を出したの。どんな命令か、知ってる?」
「少しだけ、知ってるよ」
「じゃあ、おさらい。アドルフ・ヒトラーの命令で、何万人ものユダヤ人が、分散して汽車に乗せられ、アウシュビッツの駅で、医師に判別された。女性、子ども、病気の男性や老人は、右の線路からある建物へ。健全な成人男性は、左の線路から、またある建物へ。それぞれ、どこに向かったと思う?」
「毒ガス部屋と、強制労働部屋だ」
(………)
「お父さんから、聞かされたみたいね。…そう、その通り。一度に、千人近く収容出来る建物に、右の線路から進んだ人間は、まず案内された。そして、身を清めるからと、全員が裸にされると、扉の鍵が掛けられた。すると、無数の穴から、シャワーではなく、毒ガスが出て来たの」
「その毒ガスは、VXガスだったのかい?」
「……いいえ、サリンよ」
(------!)
(まずい、気取られるな)
真央の口から、早い段階で、サリンの名称が出ることを、想定していなかった佐久間は、動揺しそうになったが、何とか、真顔でやり過ごした。
(………)
会話の節々で、こちらの表情が、真央に、観察されている気がする。
「へぇ、興味深いな。では、松本サリン事件は、これを参考にしたのかな?」
「おそらくね。あの事件は、思想が、ヒトラーに似ていたと思うの。だから、ヒトラーを調べ、アウシュビッツに辿りつき、サリンの存在を知って、実行した。と、私は思っている。それと、先程の続きなんだけれど、左の線路を進んだ人間は、死ぬまで強制労働や、医師たちの人体実験になった。って話だわ」
(………)
「どちらの道を行っても、地獄か」
「……そう。それは、選択権がない、地獄。だから、私は、アウシュビッツで、凄然な歴史と、毒物学を学んだ。明日を生きる人類のために。それと、毒に抗う人間のために」
「そんな二人が、帰国後、結婚したと?」
真央は、大笑いする。
「実はね、面白いエピソードがあるの。中村光利が、『医療品メーカーの二代目』と知ったのは、留学から帰ってきた時よ。昔からの知り合いなのに、互いに、『家業が何なのか』を話合ったこと、一度もなかったの。そんな二人がね、面白いことに、ある日、お見合いしたのよ。『初めまして』ってね。小学校から、クラスだって同じなのに、親同士は、全く知らなかったって訳。つまり、会社同士の政略結婚よ。今時、流行らないのにね。……びっくりした?」
「ああ、びっくりだ。ドラマで見る世界が、こんな身近にあったとは。光利の家には、良く遊びに行ったが、親の仕事までは、子どもの私には、分からなかったし、興味もなかった」
「それが、普通よ」
「でも、見合い結婚したとはいえ、元々は、恋愛していたのだろう?」
「……そうね、多分」
(………)
「詮索はしない」
「この歳になると、そんな感情は、とうに忘れてしまったわ。あなたも、同じでしょ?」
「私は、今でも、妻が大好きだぞ。短期の出張でも、会えないと寂しいし、声を聞きたくて、夜中に電話することもある」
「あら、そうなの?何だか、羨ましいわ。私も、あなたと結婚すれば良かったのかしら」
「そんなことは、ないさ。君には、光利がお似合いだよ」
氏原が、受付嬢と、工場から戻ってくる。
「連れが戻ったようだ。時間も遅いから、帰るとするよ。ゆっくり、話せて良かった。それと、光利の葬式も、結婚式も出られなくて、重ねて、すまなかった。明日、光利には、墓前で謝るよ」
(………)
「…気にしないで。捜査で、忙しかったんでしょう?光利も、分かってるわ」
「ありがとう。また、顔を出すよ。…頑張ってな」
「うん、バイバイ」
~ 浜松市 舘山寺温泉 ~
「氏原、何か、収穫はあったか?」
「いや、全くないな。受付嬢が、ピタリと張り付いて、最後まで離れなかった。挙動を監視されているようで、探りも、入れられなかったよ。ありゃあ、中村真央に、前もって、指示されていたとしか思えん。静岡県警察本部の捜査に、余程、不信感を持っている。お前は、どうだ?製造過程から、何か崩せたのか?」
氏原は、鰻の白焼きを頬張りながら、焼酎を、佐久間に注ぐ。
「製造過程の話は、出来なかったが、真央自体の、『生来の闇』を、垣間見たよ」
「生来の闇だって?」
「サリン発祥の地に、留学していたよ。そこで、第二次世界大戦の歴史と、毒物学を学び、人生の糧としたようだ」
(………)
氏原は、思わず、舌打ちをする。
「アウシュビッツか。……まあ、あそこに行って、歴史を学ぶと、迫害されたユダヤ人が、可哀想と思うわな。毒殺についても、詳しくなる。…もしかして?」
「ああ、サリンだ。しかも、私が切り出す前に、真央の口から出たもんだから、焦ったよ」
(------!)
「本人の口からか?」
「先に、楔を打ってきた感じだったな。顔は、笑っていたが、目は、笑ってなかったよ。こちらを、監視しているようだった」
「……勘づかれたかな?」
「どうだろうね。少し、引っかかる点がある」
「引っかかる?」
「ああ。葬式と結婚式に、出られなかったことを詫びた時、『捜査で忙しかったんでしょう?』と発言していたな。どこで、誰から、それを聞いたのかと思ってね」
「まあ、考えても、切りが無いさ。今日は、もう終いだ。楽しみながら、酒を飲もうぜ」
(………)
「付き合うよ。でも、明日は、早いぞ。程々に頼むよ」
長い一日が、やっと、終わろうとしていた。