屋上での誓い(2024年編集)
~ 東京都千代田区 ~
中村光利の灰が、天に帰ったのは、佐久間が、急遽、東京に戻った二日後の十四時であった。佐久間は、祈るような表情で、遠く離れた屋上から空を仰ぎ、無二の友人を見送る。
(…どうか、……どうか安らかに。…無念は、必ず晴らしてみせる)
葬儀に参列する予定だったが、事態が動き、ここ、日本大学の屋上に立っている。事後検証をするためである。祈りが終わる間際、山川が一報を入れにきた。
「警部、やはり見つかりました。犯人は、日本大学に、盗聴器と小型カメラを設置して、校内を監視していた模様です」
「よくやった、撤去作業を続けてくれ」
(…ということは、蘇生させた時の、私の言動は、犯人に筒抜けか。…ある意味、威嚇できたな)
佐久間の元に、捜査二課から連絡が入ったのは、二日前の早朝に遡る。佐久間が、目を腫らして、遺体安置室を出た直後である。
「佐久間警部、早朝、申し訳ありません。どうしても、至急、お耳に入れたいことが…」
「構わんさ。まだ病院内だから、そのままで少し待ってくれ」
佐久間は、携帯電話の『使用可能』のマーキングがある場所まで移動する。
「待たせたね、それで?」
「船津大介、泉水孝太郎の共通点が、やっと判明しました」
(------!)
「徹夜させてしまったな、本当にすまない」
「徹夜作業は、気にされないでください。それよりも…」
「話の腰を折った、続けてくれ。どちらも、中村光利と、医療品を取引していたのか?」
「いえ、元同僚です」
(………?)
「元同僚?どういうことだ?」
「崇城大学と岡山理科大学から、まず二人の履歴書を確認しました。それで、彼らの職歴を辿った結果、約二十年前に、法政大学の同じ研究室で、勤務していたんです」
(……なるほどな)
「なら、次に、捜査するべきことは、分かるか?」
「他の関係者を探す…でしょうか?」
「半分正解だ。いや、正確には、他の同僚だな。今から、警視庁に戻る。まだ、浜松市にいるから、山さんたちと合流して、……三時間くらい掛かるな。出来れば、東京駅に着くまでに、泉水孝太郎が、過去一年間に、参加した学会のリストを、もう一度洗って欲しい。二十年前に、法政大学に勤務していた者を捜すんだ。私の予想では、リスト者の中に必ずいる。そして、次の事件関係者は、恐らくその人間だ。急いでくれ!」
「了解です。手分けして、すぐに取りかかります」
「疲れてるところ悪いが、頼む。一人の生命を、救えるかもしれない」
佐久間は、病院を飛び出すと、慌ただしく帰途についた。
~ 東海道新幹線の車内 ~
「捜査二課の話からすると、警部の予想では、次の事件関係者が判明すると?」
「ああ、高確率でね。氏原、アトロピンの準備はどうだ?」
「万全を期している。第二化学科の、専用ロッカーに入っている」
「山さん、悪いが、日下に連絡してくれ。『東京駅まで持ってくるように』と、伝えて欲しい。警視庁に寄らず、場合によっては、そのまま現地へと向かう」
氏原は、腕時計に目をやると、
「間に合うかな?」
「総力を挙げている。必ず、間に合うよ。…山さん、悪いね」
「とんでもない。直ぐに、連絡してきます」
山川は、車内電話を掛けるため、二号車から八号車へ移動していった。山川を見つめる佐久間の様子に、氏原は、少し安堵した。
「吹っ切れたみたいだな」
「落ち込んでいる暇などないさ。これ以上、サリンで、人殺しはさせない。警視庁管轄で、止めてみせる。氏原、アトロピンは、サリンが使用される前でも、効果は期待できるのか?」
氏原は、首を横に振る。
「いや、解毒成分が働くのは、体内にサリンが入った後だ。予防としては、期待出来ない」
(………)
「では、念のため、事前説明して、当事者に、アトロピンを手渡そう」
「受け取るかな?」
「受け取らせるさ、どんな手を使っても」
山川が、戻ってきた。
「段取り出来ました。東京駅ホームで、受け取れます。それよりも、朝飯食いましょう」
幕の内弁当を、黙々と食べる中、佐久間は、しきりに腕時計を気にしている。
「九時五分か。何とか、間に合えば良いがな」
(………?)
「捜査二課からの情報は、佐久間が言ったとおり、間に合うさ。俺も、捜査二課を信じるし。それにさ、まだ、犯行が起きた訳でもないし、真っ直ぐ向かって、対策を練れば、十分間に合うんじゃないか?まあ、焦る気持ちは、分からんでもないが」
(………)
「いや、私の予想が正しければ、必ず、今日、これから起こるぞ」
(------!)
(------!)
「あり得んだろ?犯行予告も、出てないのに」
佐久間は、慌てて、氏原を御す。
「大きな声を出すな。後で、キチッと説明するさ。とりあえず、私の勘を信じてくれ」
(………)
「…信じよう。その代わり、必ず説明してくれよ」
「私は、警部の勘を、いつでも信じていますよ」
「ありがとう、山さん」
~ 一時間四十分後、東京駅 ~
「佐久間警部、お疲れ様です。アトロピンを持参しました」
「ご苦労さん、悪かったな」
「とんでもございません。それから、捜査二課からも伝言を預かっております。このメモを、『必ず、東京駅で手渡すように』と。そして、『捜査指揮を、お願いします』とのことです」
(------!)
「日下、少し、待っていてくれ」
(……なるほどね)
佐久間は、捜査メモを一読すると、捜査一課長の安藤に、電話を入れる。
「安藤課長、お疲れ様です。今、東京駅に到着しました。これより、日本大学の佐藤圭一教授を確保します。場所は、千代田区 九段 南四丁目。捜査一課からも、捜査員を十名程度派遣し、念のため、全員に、アトロピンを持たせてください。私が間に合えば、佐藤圭一に説明して、身を守りますが、万が一、犯人の動きが早い場合は、その場で、アトロピン投与をお願いします」
「日本大学の、…佐藤圭一だな?その情報は、間違いないのか?」
「はい。私は、捜査二課の成果を信用します。そして、これから、サリンが使用されるでしょう」
(------!)
「何だって!一体、どういう……。…いや、分かった。詳細は、あとで聞く。急げ!」
「助かります、では」
~ 東京都千代田区 日本大学 ~
そこからの佐久間は、素早かった。
日下も連れ、日本大学に到着するなり、教務課に向かった。教務課に事情を話し、研究室に入ると、当の本人は不在で、三十分程前に、誰かに呼び出されたという。
「どこに行くとか、言っていましたか?」
「いえ、貴重品はそこにありますし、多分、教務課か他の棟かと。すぐに戻るとだけ…」
(………)
『外出した形跡がない』と分かると、迷う事無く、屋上を目指した。周囲も、半信半疑で、佐久間の背を追いかける。
(見つけた!)
全身を痙攣させた佐藤圭一が、屋上ベンチに、うつ伏せで、もたれ掛かっている。佐久間は、すばやく介抱し、表情を確認すると、口元から泡が吹き出しているが、息はあるようだ。
(これなら、まだ)
「氏原!どうだ?」
「ああ、ギリギリだな。アトロピンを投与する」
(………)
(………)
(………)
佐藤圭一の顔が、紫色から薄いピンク色に変わっていく。まだ、痙攣はあるものの、口元の泡も消えつつある。
「日下、付近を捜索し、不審者がいないかを確認してこい」
「はい!」
「……ふう、間に合ったようだ。紙一重とは、正に、このことだ」
不思議なのは、氏原たちである。
「合点がいかん、そろそろ種明かしを頼む。……しかし、よくぞ、ピンポイントで、『屋上』って判断したな?日本大学にだって、雑木林はあるぞ?」
佐久間は、屋上から、眼下に広がる雑木林を眺め、微笑みながら、首を横に振る。
「犯行時間に余裕があるなら、雑木林だっただろうね。今回は、犯人も、相当慌てていたのだろう。人間ってのは、犯行を行う時、余裕がない程、人目に付かない場所を選ぶ傾向がある。この大学で、該当する所といえば、まず屋上に目がいく。土地勘があれば、兎も角、おそらく、私と同じレベルだろう。だから、迷わず、屋上を選択出来たんだよ。刑事としての勘だが、熊本県・岡山県の捜査を、誰かに監視されている気がしていたんだよ」
(------!)
(------!)
氏原たちは、この発言に衝撃を受けた。
「何じゃ、そりゃ。初耳だぞ」
佐久間は、ほくそ笑む。
「きっかけは、中村光利の死だよ」
(………?)
(………?)
「岡山県から帰ってきて、僅かな共通点を、警視庁で話した途端、事件関係者の中村光利が殺された。この上ない、タイミングでな」
「つまり、警察関係者の中にスパイがいるのか?」
(………)
「それは、まだ分からない。もし、内部にスパイがいる場合は、こんなに回りくどいことはしない。捜査情報を握って、先回りできたはずだからな。岡山県で、雑木林を捜索しただろう?あれを、『犯人が、どこかで、捜査状況を監視している』と仮定した時に、今回の犯行においても、『捜査一課が、駆けつけたとしても、岡山県のように、雑木林から捜索するだろう。なら、捜査一課の裏をかいて、屋上で始末してしまおう。捜査一課には、どうせ分かるまい』と裏をかくと予想したんだ。結果は、ご覧の通りさ。…現行犯で、確保出来なかったのは悔しいが、生命を救えたんだ。まあ、良しとしようじゃないか」
氏原は、犯人の行動に対して、冷や汗をかいた。
「ということは、浜松市の捜査も、犯人に見られていた。……ということか?」
「恐らくね。犯人、いや、犯人たちは、『組織で動く輩』と考えた方が良さそうだ。そして、知力も高い。少しばかり、相手の能力を、軌道修正した方が良さそうだね」
佐久間は、さらっと答えたが、山川は、心底、恐れる。
「相手の姿が、全く見えません。今回は、間に合ったですが、次は防げるかどうか。……いや、そもそも、今回、よく間に合ったな……と」
「実は、新幹線に乗る前、もっと正確には、病院を飛び出した時から、こうなるのではないかと予感はしていたんだ。犯人が、近くの距離から監視しているとね。となると、我々の行動は、常に把握されていることになる。おそらく、新幹線の車内、東京駅にも連絡役がいたのだろう。警視庁に寄ってから、日本大学に行くと、犯人たちは思っていたから、少し余裕があったと思う。私たちが、日本大学に到着するまでに、佐藤圭一を殺せば、良いのだからね。でも、東京駅で、私が『真っ直ぐ向かう』と宣言したのだから、さぞ、犯人たちは、慌てて行動するしかなかったのだよ。結果、雑木林での殺害は諦め、不本意だが、屋上で行動を起こした。という訳だ。研究室で、三十分前に、誰かに呼ばれたと言っていただろう。その三十分が、正に、生死の境を分けたのだよ」
安藤が、応援部隊とともに、屋上へ合流する。
「そっちの方が、早かったみたいだな?……間に合って、良かった」
「ええ、間一髪でした。アトロピンを投与しました、エイジング的も問題ないかと。警視庁の威厳は、何とか保てたと思います。ところで課長、不審者の行方は、どうなっていますか?」
「芳しくないな。日下たちが、懸命に追っているが、あまり期待出来んだろう。まあ、事件関係者を、一名、警察組織で確保したんだ。絶対に、解決の糸口になる。それにしても、良くやってくれた。あとは、救護班に引き継ごう。ところで、佐久間。お前に、強力な助っ人を呼んでみたぞ」
(強力な助っ人?)
安藤の背後から、見に覚えがある人物が、ひょっこり顔を出す。
「ヤッホー、警部。助けに来てあげたよ」
(------!)
(------!)
(------!)
「おっ、おっ、お前は???」
山川と氏原は、思わず、同時に指を指す。
「九条大河じゃないか?いやあ、久しぶりだ。何故、日本大学に?」
「実はさ、千春さんと、歌舞伎を観に行こうって、約束してだんだ。自宅へ行ったら、『佐久間警部が、難事件を捜査しているから、しばらく帰って来られない』って聞いてね。捜査一課に立寄ったら、安藤課長さんに、連れて来られたんだ」
安藤は、大笑いする。
「さぞ、驚いただろう?」
「ええ、久しぶりに、驚きです」
「そうだろ、そうだろう。昨日の敵は、今日の友だ。九条大河に、佐久間警部の推理を聞いて貰え。この戦力は大きいぞ?」
佐久間は、苦笑いしながら、頭をかいた。
「丁度、良かった。色々、仮説を立てているのだが、ぜひ、意見が欲しい」
(………)
「宜しくてよ」
佐久間は、事後を託し、九条大河とその場を後にした。
~ とある喫茶店 ~
「あなたって、いつ来ても、難事件に挑んでいるわね。千春さん、可哀想」
「まあ、そう言いなさんな。ウインナーコーヒーで、良いかな?」
(………)
「んー、難しい話になりそうだから、ブルーマウンテンで。奢りでしょ?」
「…お見通しか。すみません、ブルーマウンテンを、二つお願いします」
ブルーマウンテンを二人で飲みながら、今までの事情を説明する。
「……ここまでが、事の経緯と、私の犯人像だ。客観的な意見を、ぜひ聞かせてくれ」
(………)
右手で顎先を撫でるように、触っている九条大河は、髪を、後ろで束ね直すと、そっとメモを差し出す。
「今は、九条大河ではなく、川上真澄としての意見よ」
『この会話は、盗聴されている可能性があるわよ。だから、メモでお答えします』
(……流石だね、気がついたのか)
「ミステリー作家らしい意見だね。よろしくお願いします」
九条大河は、もくもくと、メモを書き出す。
『あなたの推理は、正しい。犯人像も、川上真澄が、思い描いた人物と同じ。でも、まだ中心人物が、いるはず』
「ほう?そこは、私と意見が分かれるね。ぜひとも、教えてくれ」
『中村光利は、サリンで殺された訳ではないようだけれど、三件の事件としてカウントするべき。そして、今回は、四人目の被害者だけではなく、加害者になるかもしれない人物と見るべき。組織的な犯行であり、間違いなく、知能指数が高く、警察関係者か、学校関係者と判断すべき。動機は、『死んだ中村光利を含めた、三人が握っている』と考えるのが妥当』
(………斬新な意見だ)
佐久間は、ブルーマウンテンを、再度、九条大河へ振舞った。
「なるほどね、言われてみればそうだ。犯人は、どうやら焦ったようだ。殺すはずの人間を殺せず、警察組織に渡してしまった。どんな策を講じても、私は、佐藤圭一を守ってみせるぞ」
佐久間は、わざと回りに聞こえるように、宣戦布告した。事情を知らない店内の客たちは、関わらないように、見て見ぬ振りをしている。
(どこかで、聞いているはずだ。犯人は、次にどう動く?これからは、頭脳戦だ。悪いが、容赦は、一切しないぞ。犯人は、私の友人と思い出を奪った。必ずや、法の名の下に、裁きを受けて貰うぞ)
九条大河は、美味しそうに、ブルーマウンテンを飲み干した。
「その顔なら、大丈夫みたいね。あなたなら、助言なくとも、私の推理なんかより、さらに先へ、思考を進められるはずよ」
「ありがとう。何と無くだが、次の一手が、見えてきたよ」
九条大河は、興味津々だ。
「へええ、どんな内容?」
佐久間は、九条大河に、耳打ちする。
「ボソボソボソボソ」
(------!)
九条大河は、思わず、腹を抱えて笑った。
「はあ、なるほどね、そういう展開かあ。その一手は、九条大河には、思いつかないわ。……でも、良いの?ある意味、悲しい結末よ?」
「それが、私の宿命ならば、甘んじて受ける。刑事だからね。でも、まだ、『引っかかるところもある』んだ」
(………?)
「犯行の動機だよ。犯行の規模が見えないのと、サリンを使用する割には、周囲に影響が出ないよう、密に計画されている。どんな因果関係なのか、さっぱり分からない。その点を、キチッと押さえないと、解決は出来まい。整理するには、まだ相当、時間が掛かりそうだ」
(………)
「分かった。しかし、あなたの思惑通りなら、犯人は、本当に気の毒よね。だって、いくら策を講じても、通じないんだもの。では、佐久間警部が動く前に、今夜は、千春さんと女同士で語らうとしますわ。翔子も連れてきたから、絢花ちゃんに遊んで貰ってるしね」
「ああ、遅くなると伝えてくれ。どうか、ゆっくりしていって欲しい、彼女も喜ぶからね」
佐久間は、九条大河と分かれ、捜査一課に戻る。
(まだ、事件の全容は見えないが、中心人物を早く炙り出すか。私の予想が正しければ、高確率で、あの手を使い、陽動作戦を取るだろう)
見えない犯人との、駆け引きが始まる。