覚悟
さぁ、いよいよこのストーリーは大詰め!
を、向かえようとしていますが、最短であと一話。
長くて2話語です。
たぶん、
では、本編開演です。
PS
左腕の手首付近が痛い
紫陽は自分の無力さを。弱さを呪った。
力があれば、今頃めいを救えたかもしれない。
吸血鬼どもを殲滅できたかもしれない。
だが、自分は吸血鬼が言った言葉を正しいと感じてしまった。
正しいと、受け入れてしまった。
今の自分では、めいは救えない。
生きたいと願う彼女の願いは叶えられないと、分かったから。
だから剣を捨てた。
一度握った武器を、手放して、吸血鬼が去るのを待った。
めいを担いだ吸血鬼に守られながら、他の吸血鬼が全員部屋から出ていくのをただ見ていた。
「……貴方が気に病むことでもない。と、私は思う」
と、すぐ隣を歩く長いピンク色の髪が綺麗な先生は言う。
前をまっすぐ見ているが、先生の表情は俺を心配している顔をしていた。
それもそのはずで、俺は先生の肩を借りてあの場所から逃げるように歩いている。自分一人では、立ち上がることができなかったからだ。
「…………っ、いいや。ここに居た人達が襲われたのだって、もとはと言えば俺がここに居るからで、これ以上迷惑はかけられない…………」
別に、怪我が痛かったからではない。
英雄の力……の片鱗によって、肋の骨は既に治りきった。
だが、立ち上がるための気力が湧かず呆然としていたところを、先生に頬を叩かれ今に至る。
そのため、肩を借りている状態なのだ。
「……決めたのね。どちらを打つのか」
ポケットに押し込んでいた注射器を二本取り出す。
一つは赤い液体で、もう一つは緑色の液体が入った注射器。
赤は英雄の力を身体から消すことの出来る、唯一の一本で。
緑は英雄の力を、今以上に引き出すことが出来るもの。
手のひらに乗せた二本の注射器を見つめて、二本とも握りしめて顔の前に近づける。
目を閉じて、呼吸を整える。
──赤を打てば、ただの人間に戻れる。
そうすれば、こんな争いに二度と巻き込まれないはずだ。
平凡な日常に戻れる。
仮に襲われても、ただの人間だから俺は関係ないんだ、関わらないでくれと、目の前で何が起こっていようとも、「俺は知らない」を通せる。
──緑を打てば、英雄になり、人間をやめる。
そうすれば、連れ去られためいを助けに行くことが出来るだろう。
この感じる無力感を、払拭できるだろう。
平凡な日常ではなくなる。だが、誰かを自分の手で救うことが出来るはずだ。
それは、悪いことではない。
「俺は。英雄になって吸血鬼どもを、めいを助けにいく」
緑の注射器を手に取り、首に押し当てる。
あとは、端のボタンを押すだけで力を得ることが出来る──
「あっはは、熱いね~。すごいね、さすがヒーロー。見知らぬたった一人の少女のために、人間をやめるんだもんね。これだから人間は面白い」
──が、愉快そうな声と大きな拍手が前から聞こえて指を止める。
目を凝らしてみるまでもなかった。
人生を楽しむことをやめたような、気の抜けた声。
それでいて、楽しんでいることを演じる声。
最初に先生と戦っていた、銀髪の吸血鬼の声。
「紫陽、離れ─」
先生はすぐに僕を後ろへ移動させ、ガターナイフのようなものを構える。が、それよりも速く、
「──いやいや、手負いの鬼は、迫力はあれど実力が伴ってないねぇ」
吸血鬼は先生の後ろを取る。
「ぐっ……がぁ、なにを……ぐはっ!?」
そして、目にも止まらない速さで俺の顎を掴み上げ、抵抗する間もなく壁へ投げつけられる。
反動で手から注射器が落ちた。
「貴様……!っ、くそ!」
「おっとっと。これが、力を使うための一つ目の鍵か。こんな危険そうな薬を投薬するなんて、なにを考えているんだか」
吸血鬼は、足元まで転がっていったそれを拾い上げると、先生の攻撃を容易く避け、終いには指先の上で注射器をバランスよく乗せはじめる。
一方で先生は吸血鬼が指摘するとおり動きが鈍い。
先ほどまでずっと戦っていたからなのか。
もしくは、シューベルト──茶髪の吸血鬼──が呼んでいた、アーシュベルとの戦いで何かしらの深傷を負っていたのかもしれない。
「っ、かえ……返せ!」
先生と鍔迫り合う状態で動けないであろう吸血鬼に迫る。
それに気付いて、先生が吸血鬼の袖を掴み、指に絡めるようにして拳を固める。
ピンッと張った生地が、やつの筋肉の動きを制限する。
「えぇ、この服気に入ってたんだけどぉ。シワになっちゃうでしょぉが~」
などと言って滑らかな動きで手首を器用に動かし、爪の先に乗せた注射器を上に弾く。
くるくると回転しながら放物線を描いて、先生の後ろへ落ちていく。
それに反応して離れようとした先生の手を取り、吸血鬼は踊るように先生を回しながら、口を開く。
「やめときなよ、紫陽くん。冗談抜きで、後悔するよ」
「紫陽、とりなさい!生きたければ、貴方が使うべき……ぐぅ!」
先生の苦悶の声で、紫陽は止まった。
止まってしまった。
少し先の方で、かつんっと床に落ちる音がする。
薄暗く、弱い照明の明るさではどこに落ちたのかわからない。
「離せよ、吸血鬼」
吸血鬼へ顔を向けると、後ろから抱き締められたような体勢で先生の首を絞めていた。
「止まらないで、お願い……ぐっ!」
「煩いなぁ、僕は彼と話しているんだ。黙ってよ」
少し吸血鬼が力を強めたのがわかった。
それだけで、簡単に先生は意識を失う。
「がぁ……っ、紫、陽……」
「先生!……おい吸血鬼、早く先生を離せ。じゃないと、これを打つぞ」
持っていた赤い液体が入った注射器を首に当てる。
ハッタリも良いところだ。と、内心思う。この液体は力を得るためのものではない。逆に失うためのもの。今ここで自分に打ってしまえば、一般人に戻る。何の力もない人間に戻るための薬。しかし、この液体の正体をやつは知らない。人間に戻る薬だとは知るよしもないはず。
「あらぁ?まだ持ってたの?」
だからか、吸血鬼は先生を後ろへ投げ捨てた。
「でもまぁ、それ、偽物でしょ。本当に力を得る薬なら打ってるよねぇ!」
が、同時に一瞬で距離を詰められる。
「くっそ!」
身体を後ろに倒して、振りだされた腕を避ける。
鼻先を服がかすったが、気にせず固めた拳を伸ばす。
が、吸血鬼が目の前から消え、目で追うよりも先に踵に衝撃を感じた。
瞬間、脚が吹き飛んだ。と、思えるほどの力で脚が上に蹴りあげられる。
宙に浮いたのは、ほんの数秒。
瞬きも一度しか出来ないほど僅かな時間。
だが、その僅かな時間で吸血鬼は動いていた。
腕が紫陽が薬を持つ、右手を目掛けて伸ばされる。
その光景を見て、紫陽は考える。
この吸血鬼は、『偽物だ』と考えていながらも、まだこれを奪おうとしていた。
それはなぜか。
ただたんに用心深いだけなのかもしれないが、こいつの場合、そうではない気がした。奪って研究したいやつとも、思えない。そもそも、こいつはそういうことに興味を示さないだろう。なら、何があるのか。考えられるのは、三つ。
一つは、この液体の正体を知っている。英雄の力を失わせる、その効果があることをこいつはなぜか知っている可能性。そしてこいつが、紫陽が力を失うことをあまりいいとは考えていない場合。
二つ目は、この液体の本当の使い道。本来は、吸血鬼を弱らせるため。殺すための薬である可能性。そして、それが自分に打たれることを避けるために奪おうとしている場合。
三つ目は、そう考えさせること自体がやつの思惑の可能性。ただただ、やつは『ついでだから奪っておこう』程度な考えで、深読みしすぎているのは自分だけ、の場合。
「………………」
一つ目はあり得た。やつは緑色の方をみてすぐにそれが力を発現させる薬だと言った。なら、力を失う薬があることくらい、知っていてもおかしくはない。最も、持っていたからそう言った。とも、考えられなくはないが。
そして、正直二つ目の考えは適当も良いところだと、自分でも思った。
そうだったら良いなと、子供が夢を語る程に、都合の良すぎる考え。
これ以上ない、思考を放棄した考え。
都合の良すぎる、安易な考えだった。
「…………ふっ」
だが、これに賭けるしかなかった。
そうじゃなくては、自分は今を。この場を生き延びることができないと、目を見開く。
身体にある、英雄の力の片鱗を眼と右腕に集める。
集まるように、意識する。
「う、ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!!」
口が裂けるぐらい、叫ぶ。
喉が痛くなるほど、声を出す。
筋肉が千切れていくのを無視して、身体を動かして。
吸血鬼の速さには、到底敵わない速さで腕を引く。振り下ろす。
「おっと、と、と?」
すると吸血鬼は逃げた。
少し驚いたような顔を浮かべて、ほんの少しの殺意を織り混ぜて、帯刀していた剣の柄に手を向かわせていた。
「ッ、!」
振り下ろした反動を利用して身体を捻り、左手を床につける。
全身を左腕一本で支えながら、紫陽は覚醒用の注射器が落ちた方へ目を向ける。
すぐに見つけた。
どこかへ繋がるドアの前に、それは転がっていたのだ。
取りに行けるか、と悩むよりも先にカチッと鞘から抜き出される音を聞いて、紫陽は指で床を弾く。
あえて吸血鬼の方へ跳ねると、
「だから、この服お気に入りなんだってば」
吸血鬼は首をかしげた笑顔で、一言だけ呟いて剣を抜いていた。
振る気配はない。
こちらの動きを待っているのかもしれない。もしくは、見てから動いても間に合うと高を括っているのかもしれない。
あるとすれば、後者しかないだろうが、それでも構わないと紫陽は吸血鬼を殺すために全力で動く。
吸血鬼の首に針を刺すために、腕を振り上げた。
が、やはり吸血鬼は素早く、剣を降ろした。
眼前に薄い、紙かなにかではないかと思えるほどに細い刀身が迫る。
「(……死ぬ)…ッ!」
左手を動かすが、すでに床を手離していて方向は変えられない。
剣は寸分の狂いもなく、正確に振るわれている。
がしかし、やつは紫陽の行動によって動いたわけではなかった。
それがわかったのは、頬を浅く刃が割いてから、すぐに視界を剣の腹が覆ったあとだ。
やつはどこからか放たれた攻撃から。紫陽を護るようにして、銀色の弾丸を剣の腹で滑らせ、軌道を変えた。
その際、弾かれた銀弾が握っていた注射器を破壊し、中の液体が全てこぼれ落ちる。
「ッ!」
空になってしまったそれを、紫陽は捨てる。
同時に距離を取る。
吸血鬼からも。
その置くにいる、謎の襲撃者からも。
置くに先生が居たはずだが、姿が見えない。
捕まったのかと、眼を凝らすがそうではないらしく安堵する。
「……(先生のことだから、どっかの通路から逃げた。……と、信じたい)」
「あっれぇ、なんで君がここにいるの?もうみんな帰ったはずでは?」
と、急に目の前の吸血鬼は、まるで旧友との再開を喜んでいるかのようなテンションで襲撃者へ話しかけた。襲撃者は応えない。ただ、ゆっくりと影からこちらへ歩いてきている。
薄暗い廊下では、奥の人物がどのようなものなのか、わからない。
分かるのは、やつが人間ではないと言うことただそれだけ。
「君が遅いから確認に来てみれば、神付が生きている。……シューベルトが殺したはずでは?」
「いやぁ、確かに彼は一度死んでるよ。でも、やっぱり剣で刺し殺したくらいでは死にきらないようだね?……ところで君はなんでここに?」
「……だから君が遅いから確認に─」
「…………君は今日ここに来る部隊に居なかったよ?」
その言葉にピタリと奥の吸血鬼は止まる。
「それは、君の確認不足じゃないかなベール。僕は初めから居た─」
「──それにその銃は『吸血鬼殺し』の銀弾が込められていた。どう考えても神付用のではない。僕たちはあくまでも捕縛を目的として来ているんだから、入っているのは麻酔薬のはずだよ」
話の先が読めない。
奴らはなんの話をしているのか、と落ちていた注射器を拾いつつさらに距離をとろうと下がる。
「あ、紫陽くん。僕は君に死なれたら困る側の吸血鬼だから、君の護衛をしてあげるけど、長くはもたな──」
「死ね!ベール、貴様を排除する!」
カツンっと、小さな発砲音が聞こえる。
同時に、目の前で吸血鬼同士の激しい剣戟が行われる。
「なっ」
意味がわからなかった。
死なれたら困る側の吸血鬼?
目の前で殺し合う吸血鬼ども。
なぜこんな状況になっているのか、理解の出来ないことが急に増えた。
「でも、今なら……!」
ボタンを押して針を出す。
が、少しだけ迷いがでる。
単純なことだった。どこに打てばいいのか教えられていない。
血管に打てばいいのだろうが、自分の首のどこの部分に血管があるのか、自分ではわからなかった。
変なところに打てば死ぬのではないか、などネガティブな思考が脳内を横行する。
だが、打たなければどうなってしまっても死んでしまうと覚悟を決めて右腕を掲げ、そのまま首に振り下ろす。
「……っぐ!」
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
痛かった。
それでもボタンを押す。
「ぐっ……うっ……すっ!」
液体が身体の中に流し込まれた。
自分の中に、薬が血を圧し殺して入ってくるのが分かる。
注射器を抜き捨て、打ったところを抑える。
少し、針が太かった分、血が止まらない。
「あらら、血の匂いって、えええ!待ってもう打ったの?もう少し、タイミングとか、ないわけ!?」
ベールと呼ばれた吸血鬼が襲撃者を押し返す。
本当に驚いているらしく、顔には冷や汗のようなものが一つ、浮かび上がっていた。
そんなに焦るものか?と紫陽は自分の左手をみて思う。
「……なにも、変わらない?」
痛みが引かない。
それなのになにも、変わらない。
たまたま血管の位置に刺さったのか、冷たい液体が血管を通して入ってきた感覚はあった。
ただ、それだけ。
力が湧いてくる。傷が早く治る。視力が上がる。などと言った変化はない。むしろ打つ前の方が傷の治りが早かったのでは、と疑問が過った瞬間。
「……っ、はっ、はっ、はっ…息が、苦しい…………」
ドクンっと、心臓が大きく脈を打った。
息が詰まる。
自分の息を吸いたいタイミングと、心臓の鼓動が合わない。
上手く呼吸が出来ない。
それなのに心臓は大きく、確実に脈を打っていく。
すぐに酸素が足りなくなった。
「あぁ、もう、だからタイミン──」
目の前の景色がぼやけて、辺りの音が聞こえなくなるほどの耳鳴り、指先足先から痺れ、その場に自力で立っていられなくなる。
右側に壁があったはずだと、たぶん。右へ倒れた。
もうわからなかった、自分が立っているのかもわからないほどに混乱している。
それでも、急に右足に何か液体がかかった。
それは赤黒くて、なにやら美味しくはなさそうな色をしている。
それがなんなのか、飛び散ってきた方向へ目を向けて息を飲む。
誰かが刺されていた。
銀色の綺麗な髪をもち、背の高い赤い瞳を持つ男。
そんな男が彼よりも小柄な誰かに刺されていた。
人が刺されていた。という光景をみて、ようやく自発的に息を吸うことが出来た。
新しく供給された酸素が脳へ、身体へ行き渡り、思考が、手足の感覚が戻ってくる。
「はぁ、はぁ、はぁ……逃げねぇと……っ!」
二匹の吸血鬼がなぜ戦うことになったのか、紫陽には理由がわからなかった。
だが、確実に言えることは自分が敵わなかった吸血鬼、ベールが負けたということ。つまり、やつはさらに強い。薬を打った直後で、思うように動けない自分はあっさり殺されてしまうことが容易に想像できてしまう。
だから逃げようと壁伝いで奥へ進む。
振り返らず、必死に身体を動かして逃げる。
「…………、それで逃げてるつもりか?」
後ろから声がした。
それでも振り返らない。
が、脚を後ろから蹴られたのか、右足に力が入らなくなりその場に倒れ込んでしまう。
「くっ、血が、でてやがる……!」
膝にあいた穴から血が溢れていた。
どうやら、蹴られたのではなく撃たれたようで、後ろをみればまだ襲撃者とは距離がある。
「くそ、傷の治りが、遅い!」
やはり治りが遅かった。
首の血もまだ止まってはいない。
今度は血が足りなくて意識が保てなくなるのではと考える間もなく、影が覆い被さった。
「神付の生き血を吸えば、俺たちはさらに強くなる……」
そう呟く影は襲撃者だ。初めてみる瞳はやはり赤い。
吸血鬼は全員赤い妖艶な美しさを秘めた瞳を持つ。
「!?なんだそれ、初めて聞いたぞ!」
押さえつけられる腕に無理やり力を込めるが、襲撃者の身体はピクリとも動かない。
「……ふっ、今あんたは私の瞳の魔力で思うように動けないんでしょう?男はみんな、そう。興奮しているの」
「んな、わけあるかぁ!!」
なにを馬鹿なことを、と少しさらに力を込める。
「私たち吸血鬼の目には、血を吸う対象の異性の動きを鈍らせる魔力が込められている魔眼でもあるの。でもね、一方的には発動できない。例外もあるけど、今みたいに貴方が弱ってる場合とか、もしくは、一度吸われた相手だった場合とかね」
動かない。
声を聞いてこいつが女の吸血鬼であることはわかっている。
だが動かない。
こっちは全力で力を込めているというのに、身体に乗った巌を退かそうとしているが如く、こいつは動かない。
「だからお前には私を退かせることはできない。はぁ……私もようやく上に立てる。死体からでも血を吸えばいいと思って来た甲斐があった…………」
女が口を大きく開いた。
鋭い牙のような犬歯が二つ。剥き出しにされて首筋へ迫ってくる。
身体を大きく振るが、腕の拘束は外せない。
左足に乗った脚は振り落とすことが出来ない。
「(くそ……どうすれば!)」
女の湿っぽく熱い吐息が首にかかる。
「く、そがぁぁぁぁぁぁあ!」
叫んでもどうにかなることではなかった。
だが、屈辱的な気持ちを晴らすには。
紛らわせるには、これしか出来なかった。
がぶりと身体の中に牙が立てられる。
注射のときとは違う感覚の痛みが、一瞬。
あとは身体から生気が抜かせていくような、不思議な快楽。
死へ駆け抜けることへ、苦しませないように脳から出る精一杯の抵抗の快楽。
めいが味わっていたのはこんな感覚だったのか。と、その快楽に溺れてしまうよりも先に意識がぼんやりとし始める。
「!?、!!!?……がっ、ガバッ!こ、れは!?」
が、完全に意識が落ちる前に女が口を押さえて後退する。
しかし、限界まで血を飲まれた紫陽は動けない。
「お前、既に誰かの眷属に……?」
と、口から火を吹いたあとのような、火傷を女は隠すように手で多いながら血を吐く。
女が言う『眷属』の意味は分からなかったが、女の身体をなにかが蝕んでいるようで、どんどん血を吐く。身体も末端から焼け焦げているように見えた。
「はぁっ……はぁ……はっ、くっ!」
血をたくさん作るために丁寧に、ゆっくり呼吸をする。
『──ザ』
どこからかスピーカーの起動音が聞こえた気がして目を開く。
『紫陽、紫陽!聞こえる?』
廊下中からその声は聞こえた。
『一人にしてごめんなさい。本当は一緒に武器庫までいく予定だったのだけれど。残党の吸血鬼に中央施設の生き残りが全員殺されてしまって。私がここから武器庫のロックを解除するわ、だから貴方は、どうにかそこまで行って。まだ同じ場所にいるなら、その道を真っ直ぐ行けば着くから──ッ』
プツンと放送が途切れる。
先生が死んでいなくてよかったと言う安堵と、同時にまだ他にも吸血鬼が残っていると言う知りたくなかった情報に内心絶望してしまう。
だが、くじけては駄目だと、己を鼓舞するように拳を固める。
ぐばぁっと三度目の嘔吐。その光景を視界の端に捉えるころには、ほんの少し動けるようになっていた。
「先生……、それは、無理難題だ…………」
相変わらずでたらめな鼓動を心臓は刻んでくる。
仰向けからうつ伏せの状態へ転がり、地べたを這うように進む。
とはいえ、なにか掴めるほどの凹凸があるわけでもない。
滑らないよう、必死になって腕を使い、身体を前へ進ませる。
「あぁ、ちくしょう……」
愚痴りながらも、紫陽は前へ進む。
教師の言いつけを守る優等生のように武器庫を目指した。
名前のない英雄どうでしたか?
紫陽くんがついに薬を打ちましたね。
それなのに超人的な力が湧いてくるわけでもない。
それどころか弱体化したのでは?と思えてしまうほどに吸血鬼には力で負けて、血を吸われまくる。
さて、紫陽は生きて先生と再会できるのか。
次回をお楽しみにしていてくれると助かります。
それでは、次の投稿で