五十二話 悪魔人形
リヴァトーンと分かれて上空から捜索することにしたアダルは、眼下に広がる海原をくまなく観察して異変がないか調べていた。
「分かりやすい異変と言ったらあの渦くらいの物なんだけどな」
その視線は先程から起っている半径一キロはあるであろう巨大な渦潮の所に向く。自然現象ではないのは分かっている。そもそも渦潮というのは陸と陸に挟まれた海峡などで起る物で、決して何もないところでは起る事はまず無い。それなのに今それが目の前で起っている。それだけで自然の物では無いと言い切れる。
「あれは誰が起こしているんだ?」
自然の物では無いと分かると、その疑問が思い浮かぶのは当然の事だ。最初は軟体獣が起こしているのかもと思って居たが、あの渦潮の中に軟体獣はいないと言うことは分かっている。スコダティの可能性も考えたが、それも可能性も薄い。彼は生物を狂わすことが出来ても、自然現象まで狂わすことは出来なかったからだ。それでもここ百五十年でそれが出来るようになった。或いは前の時はその力を自分に見せなかっただけの可能性もあるが。
「まあ、誰がやったかなんて見当はついているが・・・・」
悪魔種が地上に来ている事が分かった瞬間。これを起こしているのは間違い無く其奴だと言うことは直ぐに見当がついた。しかしどういう目的でこれを起こしたのかは分からない。おびき寄せと言う事は分かっている。しかしそれならもっと他の方法があったはずなのだ。水平線に軟体獣の影を映すだけでそれが出来る。水平線は陸が見えない限りずっと続く。そうした方が、おびき寄せと時間稼ぎが出来そうな物だが。
「考えても埒が明かないな・・・・・。あっ?」
考えるのを止めて、再び渦潮から目を反らし他に異変がないか観察を始めた途端。アダルは一つの異変に来痔他。港から五キロほど離れた所の色が夜でも分かるくらいに変色していた。
「あれは・・・・・。海底のヘドロが海面まで巻き上がってる」
言い終わると同時くらいにアダルは察した。軟体獣はあそこにいると言うことを。そして何をしようとしているのかも浮かび、舌打ちをする。
「誰だよ。あいつにこんな知恵を与えやがった悪魔は」
『妾だ。黒の天敵よ』
突如背後から妖艶な女の声がした。焦る様に振り返り、声の主から距離を取る。声の主は相当の実力者。何せアダルに気配を悟らせる事無く、背後まで近づけた。そのまま刃物で背中を突き刺せたかも知れないのに態々声を掛けてきた。警戒するほかない。喩え姿が二頭身の女悪魔のぬいぐるみだったとしてもそれは変らない事だった。その器から収まりきらぬ力によって、周りの空間が少し歪んでいる。油断などは出来るはずがないほど実力者だと一目で分かる。
『ほおっ! この姿を見ても警戒を解かぬとはな』
素直に驚いた様子を見せる。それはスコダティの見せる反応になれているアダルに取って新鮮な物で内心戸惑いを見せた。
『なんじゃ? 妾の反応がそんなに珍しいか?』
顔には出さず、体にも変化が起きないように心がけていたのに、それは見抜かれた。その事実が余計にアダルを困惑させた。それも読み取っている人形はクスクスと笑い始めた。
『やはりあやつの言っていたとおり、良い反応をするのぉ。』
この言葉を聞いて、この人形を仕掛けてきたのはスコダティだと察することが出来たアダルは、今まで良いように遊ばれていたことに不服の意を示すために睨みを効かせる。大抵の者はそれを見ただけでアダルに恐怖を抱く物だが、人形は違った。声の主からして女。彼女は上品に愉快そうな笑い声を上げながら肩を竦めた。
『そう睨むな。顔が良いのだ。そのような顔をしていたら娘等にモテぬぞ?』
「余計なお世話だ。女悪魔」
放たれた言葉に、カチンと来たアダルは反射的に言っていた。異性に好かれないことは自分でも分かっている。しかし心配される程ではない。それに加えて今の厳つい表情にさせているのは間違い無く目の前のぬいぐるみの女悪魔なのだ。言われる筋合いなど毛頭ない。聞く耳も持たない。そんな素っ気なく返された言葉にぬいぐるみは肩を震え刺し、俯いてみせる。
『そんな強く言わんでもいいではないか。妾はただおぬしのことを思って・・・』
嘘か本当かは分からないが、声からして泣きそうダというのは分かった。ここで泣くのかと訝しげに見ていると何やら独り言を呟き出す。
『妾は駄目だな。直ぐに人を怒らせてしまう。いくら治そうと思っても直ることがない。今回だってアドバイスのつもりじゃったのに、それで怒らせてしまった。どうして妾は余計な時だけ人を怒らせてしまうんじゃろうか。戦闘時にはこういうことは何のに・・・』
人前で反省している姿をさらけ出す。こういう手合いの女と前世ではこう呼ばれていた。自身の不幸をただ嘆くだけの面倒臭い女。アダルは初対面ながら、彼女をそれに認定した。ここまでの奇行をやるだけで、それに与えするだろう。まあ、それは心の中で思っておくだけで決して口にも反応もしない。そう思っている事がバレたら、面倒な未来にしかならないと言う事を知っているから。
「いじけているところ悪いんだが、そろそろ話しを進めてくれると助かるんだが・・・・」
そう促すと、彼女は本来の目的を思い出したのか顔を上げて焦った様な表情を浮べる。
『ソウデあったな。いや、恥ずかしいところを見せてしまった』
「・・・・・・」
『ふむ。呆れて黙りか。これに関して言えば妾に否がある故何も言い返せぬな。これ以上茶番に付き合わせるのも得策ではないため本題に入るとしよう』
あえて無返答をしたことで、彼女はようやく本題に入る事を決めたようだ。人形はない胸を誇らしく突き出す。
『妾は藍色の悪魔将。真名は名乗らぬが、インディコと名乗っておこう。以後よろしく頼むぞ? 黒の天敵よ』
インディコと名乗ると人形は右手を左の胸に添えて頭を軽く下げる。アダルは彼女から警戒を解くことない。喩えいま無防備でもだ。それでも構えはしない。ここで構えてしまったら、コチラに戦闘の意思があると言うことを示す結果になってしまう。今彼女と闘うのは得策ではないというのが頭を占めている。何せ、未だ軟体獣を片付けていないからだ。そんな状況でこの悪魔と戦闘を始めたら、終った頃には街が滅茶苦茶になっているだろう。
「何を頼まれなきゃ行けないんだ? 俺としてはあんたとは以後関わりたくないんだが」
『はははっ! そうはいかぬさ、黒の天敵よ。其方には妾も愉しませる義務があるのだから』
話してみて分かった事だが、彼女は自己主張の高い酷く好戦的な快楽主義者のようだ。愉しませて欲しいと言っているのは完全に娯楽認定されてしまった証拠だろう。
「正直言って迷惑だな。遊びたいなら他を当ってほしいものだ。今あんたを構ってやるほど暇じゃない」
『あの獣の対処であろう?』
「知っているなら聞くなよ」
頭を抱えてく成る衝動を抑えても、溜息までは抑えられず、それを吐いてしまう。
『なんじゃ? 溜息を吐きたくなるほど妾との会話はいやか? 黒の天敵』
先程から彼女の口から聞える黒の天敵という言葉。それが何故か気になり始めた。黒の天敵。黒を指すのはスコダティの事だろう。しかし何故自分に奴の天敵と呼ぶのかが気になった。正直彼自身ピンと来ていない。何故なら自分にはスコダ的を倒しきる力がないことをあダルが理解しているからだ。確かに持っている力的には拮抗しているだろう。しかしあっちの方が長生きして全ての事で経験豊富だろうし、明らかにアダルより頭が良い。力が拮抗した程度じゃとうてい叶わない。それなのに彼女は自分の事をそう呼ぶ。
「なんだよ、さっきから俺の事を黒の天敵っていう変な呼び名で呼びやがって意味が分からない」
だから、こうしてブラフを立てて向こうにその言葉の意味を答えさせる事にした。彼女は言いたがりと見ているため、こうしてやるだけで勝手にべらべらと話してくれるだろうとアダルは踏んでいる。果たしてこの考えは当るかどうか。次の彼女の言葉に掛かっていた。




