三十一話 港の景色
アバッサに到着して八日目の昼過ぎ。ヴィリスはアバッサ産業の中枢である港を一望できる山の山頂にあるホテルのレストランにいた。遅めの昼食をここでとっているのだ。この日の午前も打ち合わせや挨拶回りなどで時間を浪費した彼女であったが、突如午後の予定を先方の希望でキャンセルになってしまい、時間が空いてしまったのだ。どうしようかと思った彼女が真っ先に思い浮かべた事はアダル達を訪ねて、彼らの訓練を見て時間を潰すというものだったが、それはすぐにやめた。彼らの邪魔になるようなことをしたくない。アダルたちは来るべき時の為に汗を流しているのを見物だけするというのは申し訳ないと思ってしまうのだ。彼らの元を訪ねることをやめたヴィリスはガイドルにどうしようかと尋ねた。
『港を一望できる場所で時間を潰してみては?』
即答で帰ってきた彼の言葉にヴィリスは確かにと納得してみせた。その場で見るのと上から見るのでは違うものがある。上からなら全貌もわかり、その場からでは見えない物も見えるようになって美しい景色となるだろう。彼女は一度でいいからその景色を目にしたいと思っていた。そのことをガイドルは気付いていた。だからこそ今この提案ができたのだ。彼の提案に乗り、ついでとばかりにここで昼食をとることにした。今目の前にはバイキングで取ってきた物が並んでいた。
「ここはいいわね。私が見たかったものが一望できる。ありがとう、ガイドル君。わざわざここを用意してくれて」
正面に座っているガイドルに柔和な笑みを浮かべつつ、感謝の言葉を贈る。彼は少しほほを赤らめながら軽く首を振る。
「いえ、それほどのことはしておりません。自分はすべきことをしただけなので・・・・」
照れ隠しなのか少し素っ気なく返してしまった。彼はヴィリスと二人で食事をしていることに緊張しているのだ。いつも二人で行動しているため少しは慣れたが、いまだに彼女のような美少女を体現した容姿を前にすると自分が失礼なことをしないかと緊張してしまう。
「それでもお礼を言わせて」
彼女はそんな態度に気にせず、変わらぬ態度でそう述べる。その姿にガイドルは見ほれそうになるが、すぐに正気を取り戻し、話題を変えた。
「そんなことより。自分は本当に普通に見えますか? それだけが心配です」
強引すぎる話題の変え方だったが、彼女は少し笑い自分の素直な感想を口にする。
「安心して。貴方はちゃんと普通の人間に見えているから。接しられている態度からわからない?」
現在ガイドルはフラウドより借り受けた魔法具を使用している。その効果は見た目を人間と変わらなくするというものだった。海人種である彼はこれにより周りから差別的な目を向けられなくて済んでいる。もちろんこれはほかの海人種であるリヴァトーンとユリーノにも渡されており、町に出る時などにしっかりと使用している。この魔法具を最も使用している彼は未だにこれがきちんと発動しているのか。それが心配で仕方がなかった。
「確かに。変な目で見られることはなかったです。しかしそれは彼らが人間以外の種族になれているからではないかと思ってしまって」
本当はこれは発動していないのではないかと思ってしまう。鏡ではちゃんと人間の姿で映るが、人の目には聞いていないのではとも。嫌な方ばかりに考えが至ってしまっている。それもこれも海人種が魔法という存在を知らないために至る考え方であるが。そんな彼にヴィリスは微笑みかける。
「大丈夫。ちゃんとそれは起動しているから。じゃないと君。今頃大変なことになっているよ?」
「た、大変なこと?」
聞き返された言葉に彼女は頷き、具体的なことを話し始めた。
「まずはここにいる人たちから一斉に嫌悪の目を向けられる。変な行動をとらなくても軍隊を呼ばれる。下手したら魔物と間違われて退治。最も不幸なのはさらわれて見世物になるかもね」
彼女は苦笑しながらそれらを述べた。ガイドルは彼女が冗談を言っているのではないかと疑った。なぜならあまりにも表情が変わらなかったからだ。しかし聡い彼はわかる。彼女は今、嘘など言っていなかった。そして同時に恐怖を抱いた。別に彼女の言ったことが怖かったわけではない。ガイドルはそれなりに強い。そのためリヴァトーンより弱いやからには負けるはずがない。だったら何に? その対象は間違いなくヴィリスだ。先ほどまで緊張と羨望の相手だった彼女対してだ。何故あそこで表情を変えずに言えるのだろうか。しかし具体的に何に恐怖しているのか。それはわからなかった。
「人って案外ほかの種族には厳しいの。だからそういう例がある。君、今彼らからそういう目を向けられていないでしょ。だから安心して堂々としていればいいの」
優しく諭すようにその言葉を言われた。こういう時も彼に取ったら恐怖でしかない。
「どうしても心配だったら鏡で見てきたら。君が見た姿が周りから見えている姿だから」
優しく促しながら、彼女はスープを掬ったスプーンを口に運ぶ。ガイドルはその様子を見ながら、どうしようかとその場で硬直して思考を巡らせる。
「そうですね。心配なので、確認しに行ってきます」
さわやかに言い放つと彼は立ち上がり頭を下げてトイレの方に向かっていった。彼としては少し助かっていた。ヴィリスは他人から向けられる感情に対して敏感だった。その為ガイドルが自分に対してどのような感情を抱いているのかというのを悟れた。彼女としてもkずっとわずかであるが恐怖を抱いた目で見られながら食事するのは避けたかった。それだけで食欲がなくなるからだ。
「そう仕向けるようなことを言ったのは私だから反省しないとね」
誰にも聞こえない独白を苦笑いを浮かべながら吐いた。先ほどのガイドルの去り際の表情が不意に思い浮かぶ。隠すのが上手かったが、明らかに怖がっていた。それがトリガーで過去に起きたことがよぎる。自分が殺した兄や姉から浴びせられる罵詈雑言の数々だ。それを耳から追い出そうと、これ以上思い出さないようにしようと、頭を振る。その行為によって嫌な過去をこれ以上思い出さずにすんだ彼女はずっと見たかった港の景色に目を向けた。 この港は今日も働いていた。船が往来していた。船人が貿易品の積み下ろしをしていた。商人が品の価値を見定めていた。これがここで見られるいつもの風景なのだろう。彼らは知っているはずだ。ここに悪魔種の襲撃があることを。きっと被害を最小限にするために別の港で貿易を行うのだろう。当たり前だ。誰もその被害は受けたくないし、死にたくない。そのための準備も進んでいる。こんな活気ある景色を見られるのはあと数日程。あとは違う拠点で貿易が始まるだろう。そしてそののちにこの港は甚大な被害を受ける。どの程度の敵が来るのかは知らないが、きっと猪王並みの巨体を持つ敵だろう。もしかしたらもっと大きいかもしれない。敵を倒すためにアダルも本来の姿に戻る。そして雌雄を決すため戦闘は行われ、ここは瓦礫の山と化す。そんな未来が彼女には見えていた。だから壊される前にどんな街だったのか思い出に刻んでおきたかった。どんなに美しかったのか、それを後世に伝えるために。壊されるこの景色を見て心が痛んで仕方がない。しかしそれでも見なくてはならないのだ。課せられた責任をより自覚するために。
「私ってやっぱり狂っているのかな」
そのような考えに至るのは狂ってしまっているからなのではないかと思ってしまうことがある。そんな考えに至っているとこちらに近づいてくる足音が聞こえる。それは男の物だとわかる。足音はヴィリスの正面で止まった。しかしいつまでも席に座りはしなかった。
「戻ってきたのなら座ったら・・・・・・いか」
言葉を言い終える前に完全に止まってしまった。ガイドルだと思って話しかけた。しかしそこにいたのは彼ではなく深々と紺色のフードを被ったローブの男。周りからも怪訝な目を向けられている。ヴィリスは誰だろうと彼を観察する。死して、あるものを見つめ目を見開いた。彼女が見つけたのは彼の胸についているバッチだった。
「ヴィリス様とお見受けいたします」
「・・・。え、ええ。そうですよ」
重く低く、勇ましい声で問いかけられた。彼女は戸惑いを隠せずに返す。すると彼はフードを脱ぎ捨てた。中から現れたのは騎士だった。しかしただの騎士ではない。顔がトカゲそのものだった。その肌は鋼鉄を思わせる光沢を放った鱗でおおわれていた。彼は半竜人。つまりリザードマンだった。そしてリザードマンの騎士が存在する国はただ一つ。
「私は竜の谷の使者の者です。貴方様に大母竜様からの手紙を預かってまいりました」




