八話 休養
ヴィリスは二人に挨拶をすると返しを待たずに、カウンターに足を進めた。
「おはよう鳴海ちゃん」
「おはよう。今日は何にする?」
厨房から出て来たユリハは挨拶を返し、朝食の注文を効く。彼女の言葉にヴィリスは少し悩む様な仕草を見せる。
「今日は野菜ジュースだけで良いかな?」
「またか。ちゃんとした朝食を食べないとそのうち倒れるよ?」
「・・・・。善処するね」
指摘を受けたにもかかわらず、ヴィリスはそれを呟いき、その後に追加の注文はしなかった。ユリハは諦めたかのよう表情を浮べ、厨房に入っていき、三十秒もしないうちにコップに入った野菜ジュースを持って出て来た。
「はい、野菜ジュース」
「ありがとうね」
少し気まずそうにそれを受け取ると彼女はアダル等が座っている席に近づく。
「お前。良くそれで持つな」
すでに朝食を終えていたフラウドは彼女の手を見て信じられないといった風に言った。
「朝はどうしても食べ物が喉に入っていかないの」
自分でも困ったと言いたげな雰囲気を醸し出す彼女はアダルの隣の席に腰を下ろした。
「別に良いんじゃないか? そういう体質の奴もいるだろうし」
そう口にしたのはアダルだった。彼は徐ろに立ち上がりトレイを持ってカウンターに返しに行く。彼に続くようにフラウドは溜息を吐きながら立ち上がり、カウンターに足を進めた。それを目で追うヴィリスは彼らがトレイをカウンターに置くのを見届けると、視線を野菜ジュースに向けゆっくりとした動作で口に運ぶ。一気に飲むのではなくちびちびと口の中に含み、唇から離した。コップを見るとあまり量に変化は見られなかったことからほんの少ししか口にしなかったことが窺える。そのタイミングでアダル等は戻ってきて、先ほど座っていた席に腰を下ろす。彼らの行動に驚くヴィリス。そんな彼女にフラウドは声を掛けた。
「ヴィリス。最近どうだ? ここでの暮らしは」
彼の問いかけに彼女は必死に理解を追いつかせて返答する。
「う、うん。凄く居心地いいよ。朝は柔らかいベットで目を覚ませるし、ご飯も美味しい。だけど、自分がここにいて良いのかなって少し思うけど」
「それは何でだ?」
ヴィリスの言葉に疑問を持ったアダルは反射的に言葉を返していた。彼のことばに彼女は少し罰の悪そうな顔をする。
「だって。私は何もしてないから。報酬を得る様な仕事も、人に誇れるような偉業も。それなのに何もやっていない私がのうのうとここで暮らして良いのかなって」
彼女がそう言うとフラウドは口を開いた。
「気にする事じゃないと思うが。そんな事を考えるって事はきっと知らないうちに疲れていたんだな」
「別にそんなんじゃないんだけどね。疲れるようなことをしていた訳じゃないし」
フラウドの言葉にヴィリスは否定の言葉を入れた。そんな彼女にフラウドは囁く陽に言葉を呟いた。
「実はな。お前にアダルの王都観光の案内を頼みたいんだが?」
「! いいの?」
その言葉を聞いた瞬間ヴィリスは思わず立ち上がった。そんな彼女にアダルが声を掛ける。
「実はずっと暇を持て余していた。それをこいつに相談したら、王都観光の許可が出た」
「ずっとここで待機して貰ったのは猪王が出現した時に素早く対応をするためだった。だが、もう猪王は存在しない。ここで待機させる必要もないって訳だ」
アダルの言葉の後、離宮にいる必要の無いことを彼女に説明をし、言葉をつづける。
「少しはここ以外での息抜きをして欲しくてな。それにお前の意見を以前却下した件への償いでもあるから十分楽しんでこい」
彼の言葉を耳に入れると、ヴィリスは顔に満開の笑顔を咲かせ、それをアダルに見せる。
「よろしく頼む」
「うん! 任せて」
そう言うと、彼女は野菜ジュースを持って扉の方に歩いて行く
「少し準備に時間が掛かるからここで待っててね」
そう言うと彼女は扉の向こうに行ってしまった。
「本当に良いのか?」
神妙な顔持ちでアダルは口を開く。
「裏で動いている敵の正体が分かった。猪王が討伐されたことも事も分かっているだろう。報復でまた嗾けてくるかも知れないこのタイミングでここを離れてしまって」
アダルが思い描いているのはあくまで妄想だ。しかし限りなく現実になり得る妄想。悪魔種の伝承を知っているからこその警戒の表れである。彼のその考えにフラウドは口を開く。
「俺もそれは考えている。奴等は必ず報復に来るだろう。お前を倒せる存在を連れて」
言い終わると手にしていたコップを口に運び、口内を潤す。
「だが、逆に今しかないんだ。お前に休んで貰うタイミングは。この先、休む暇なんか無いだろうしな」
そう言うと彼はアダルに目を向けた。その目からは彼の強い意志が感じられる。
「今回の件と裏で動いている悪魔種の事は大陸にある全ての国の王に伝えた。各自対策はするだろうが、それが出来ない弱い国も存在する。分かっているな」
「悪魔種がその国に攻め込んだとき、俺がそれらと退治するって事だろ」
分かっていた様な口ぶりで返すアダル。彼がこれを言うことを予想出来ていたのだろう。
「これからはお前を酷使することになるだろう」
それを言うとフラウドは重い腰を上げ、彼に言葉を投げかける。
「だから今はそんな心配を忘れて休め。自分から疲れるような事をするなよ」
「善処する。しばらくは鍛錬も自粛するさ」
「分かればいい」
彼はそこで笑みを浮べるとカウンターに足を進めた。
「今日もうまかった」
「当たり前でしょ。私を誰だと思って居るのよ」
「そうだったな」
彼女とのやりとりを終えると、フラウドは体をアダルの方に向けた。
「俺は仕事に行く。王都にはそれなりの娯楽があるからな。楽しんで休んでこいよ」
その言葉を言い捨てると彼は扉の方に歩き出し、それを開いて向こう側に消えていった。
「分かっている」
噛みしめる様に呟き、アダルはコップの水に目をやる。手持ち無沙汰に読みかけの本を開くが直ぐにそれを閉じ、そっとテーブルに置いた。彼の中では他の事に頭を使っていたため、本が邪魔になってしまったのだ。
「次は何をしてくる?」
彼が思考の中で思い描いたのはスコダティの不敵な笑みだった。アダルに取っては因縁の相手であり、悪魔種以上の懸念の種。そんな彼が何故今になって自分の前に現れ、何故協力しているのが悪魔種だと言うことを教えたのか。いくら考えても分からない。気まぐれだったのか。何か糸賀合ったのか。スコダティ自身は目的のために教えていると言っていたが、それもアダルは百%信じられていない。彼の言葉を鵜呑みにする事ほど危険な事は無いと分かる。
「埒が明かないな」
スコダティの考えが理解出来ないアダルはそこで考えるのを止めた。しかしアダルは違う疑問が生れた。何故彼の考えが理解出来ないのかという物だ。その答えは案外すんなりと答えを導き出せた。スコダティとアダルは決して交わることの無い平行線或いは真逆の位置にいるからだと言う答えを。喩えるなら一人と闇。自分が光なのかは疑問だが、彼奴は明らかな闇。それは理解出来る。
「これ以上考えるのは不毛だな・・・」
言葉を吐き捨てると今度こそ彼を連想するような事を止めたアダルはコップに手を取り口を潤す。調度そのタイミングで扉が開く音が響いた。
「お待たせ! 明鳥君!」
現れたのは装いを変えたヴィリスだった。彼女扉の前で足を止めるのを見て、アダルは腰を上げて彼女に近づいていく。
「どこに行きたい?」
ヴィリスとの距離が近づくと、彼女は要望を問いかけてきた。アダルは悩む様子も無くその返答を返す。
「お前が楽しいと思える場所で良い」
その言葉を言い終える頃には二人は扉の奥に消えていった。
 




