四十一話 昔語り
アダルが再び目を覚ましたのは、そのその日の夕刻になってからだった。状態を起こさずに外に目をやるとすでにほとんど太陽が沈んでおり、空は暗闇に支配されつつあった。
「漸く起きたか。少々眠り過ぎだと思うぞ」
不意に聞き慣れた声が耳に届く。未だ寝ぼけた様な瞳をその方向に向けるとフラウドの姿があった。彼は寝台近くの椅子に腰掛け、足を組んで読みかけだったであろう文庫本サイズの本を開いたままアダルに死んだ魚の目の様になっている瞳を向けている。
「・・・・・。お前だけか。ユギルはどうした」
アダルは頭に手を添えて上体を起こしてフラウドに顔を向ける。ユギルのその後の動向が気になった。さすがに無礼なことだったかも知れないと反省しつつも、アダルはそれを口にしていた。すると彼は手に持っていた本を閉じてつまらなそうな顔をして答える。
「あいつはもう帰ったさ。あいつもそれなりに忙しい身の上だった物でな」
「そうか。悪い事をしたな」
どこか寂しげのある声をだして彼は顔を俯けけ、後悔したように息を吐く。
「大丈夫だ。別にあいつは無礼だなんて思って居ない。むしろこっちが眠りの邪魔をしたんじゃないかって落ち込みながら帰って行ったぞ」
「そうか・・・・。ナチュラルに俺の心を覗くのはやめろ」
呆れた様に軽口を叩くとアダルは再び寝台に倒れる。しかしだが、疲れたという訳じゃない。今はこの態勢の方が話しが続けやすい。そう判断してのことでしたことだ。それをくみ取ってくれたフラウドは乾いた笑みを浮べ、口を動かした。
「さて、改めてお礼を言うとしよう。お前のお陰でこの国は救われた」
別になんの変哲も無い冷淡な口調でフラウドはアダルに賛辞の声を与える。それに答える様にアダルも軽く頭を下げる。
「もったいなきお言葉。・・・・・とでも言った方が良いか?」
「好きにしろ」
彼にそう言われたので彼は自分の判断でそれを口にはしなかった。アダルが言わないことを知っていたかのように彼は軽い感じで鼻笑いをする。しかし次の瞬間、彼の表情は真面目な物に一変し、突如として立ち上がり、深々と頭を下げた。
「っ!」
突如の事で反応できなかったアダルは、少しの間呆けた様な顔をし、その後は眉を顰めつつ首を傾げた。そのタイミングで彼は頭を上げ、その口を開いた。
「そして済まなかった。お前が飛び出そうとしたあの時、俺はお前を無闇に止めてしまった。それによって猪王は強化する時間を与え、お前に余計な手間を取らせてしまった」
そう口にして、彼は再び頭を下げる。
「本当に済まなかった!」
彼の真摯な声がアダルの耳に響く。正直そのことについて思わない訳では決して無い。しかし今と成ってはその件はアダルに取ってどうでも良いことに成っていた。
「別にいいさ。気にしていない。今度から気を付けてくれると助かる」
呆れたような声でそう言うと、フラウドは頭を上げ頷いた。
「次からはそうしよう」
どこかに命じるように重い声でそれを口にすると、彼は先程腰掛けていた椅子に座る。
「しかし、俺の予想通りだったな。猪王は何かしらの補充機能を持っていた」
当って欲しくない予想があってしまい、フラウド少し参ったように肩をすくめる。
「それは違う。あいつには補充する機能なんてついていなかった。違う存在が無理矢理力を注ぎ込んだんだ」
彼のはっきりした物言いにフラウドは首を傾げる。
「まるで知っているみたいだな。その存在の事を」
口にした事は、彼が抱いた疑問その物だった。それは独り言よろしく、出てしまった物だったため別に彼に問いかけた代物ではなかった。
「ああ、知ってるよ。というか、戦闘後に向こうから逢いに来た」
参ったように口にして、アダルは目元に手をやる。その言葉にフラウドは驚愕し、思わず立ち上がる。アダルは軽く彼の顔を見て、続きを離しても大丈夫だろうと判断し、続きを話し始める。
「今回猪王に力を補給した奴の名前はスコダティ。芸術的な破壊を愛する破壊魔だ」
アダルが口にした芸術的な破壊を愛するというスコダティという存在。しかしフラウドはその滅命が気になった。
「破壊が芸術的なのか?」
「知らない」
素っ気ないような口ぶりで返すアダルは分からないといった風に首を振る。
「ただ、あいつが言うには破壊をするのにも美学という物があるらしいな」
理解できないといった口ぶりで困った様に息を吐き、彼は話しを続けようと口をひらくが、その前にフラウドの口の方が早く動いた。
「知り合いか?」
「っ!」
その問いかけにアダルは返答を迷った。下手したら自身が彼奴らの繋がっていると捕らえかねないかも知れないと思ってだ。しかしフラウドはそう判断しないだろうと重い口を開く。
「ああ、知っている奴だな・・・・」
彼は一瞬だけ辛そうな表情を見せ、すぐに素知らぬ顔に戻す。しかしその表情の変化にフラウドは気付うた。それは前世から変らない彼の癖だと知っているからだ。彼は自身の辛い経験を口にするとき、淡々と話す。しかしその前に必ず顔を歪ませるのだ。そのことをフラウドは理解しており、これから話されることも彼にとってもは辛い事だったのだろうと悟った。
「あいつと出会ったのは百六十年前だな。調度お前が生れたくらいか・・・」
彼は過去の光景を思い出すように黄昏れつつ、どこか懐かしそうにそれを口にした。
「お前は知っているよな。その頃俺はある巨獣と闘っていたって」
「ああ。そういう話しがあったのは俺も小さいときだが覚えているぞ。気になって調べたこともあったしな」
その問いかけに答えると、フラウドは足を組んだ。
「まあ、当時は何かしらの突然変異の個体が争っただけだろうと結論が出たわけだが。まさかそのうちの一体がお前だとは思わなかったが」
乾いたような笑みを浮べ、自嘲するフラウド。その笑みに釣られて、アダルも同じような表情をする。
「そうだろうな。あそこまで図体が大きい種族なんて、それこそ大竜種くらい。それ以外は突然変異した魔物というのが当時の考え方だったからな。それに加えて、突然変異した個体がまさか知能を持っていて、人の前世を持っているなんて信じられる事じゃないよな」
アダルは流暢に当時の常識を思い出しながらそれを語る。彼の言葉にフラウドは頷きを入れる。
「確かしな。当時だったら信じられていないだろう。今でさえ怪しいんだからな」
結局そういう認識は一度定められてしまったら、中々覆すことは出来ないということだ。コチラでも前世の世界でも。
「話しを戻す。それで俺が闘っていた巨獣。いや、正確には突然変異をした鋼の体毛を生やした大猿。いや、この場合はゴリラの魔物と言った方が良いのか?」
「ゴリラで良いんじゃないか? 文献では大猿と書かれていたが・・・」
嘗て読んだ記憶を蒸し返して、アダルに伝える。すると彼は面倒臭そうに頭を掻き、言葉を「どっちでもいい」といって殴り捨てる。
「とにかく其奴と闘っていたんだ。だが其奴は無理矢理巨大化させられた哀れな魔物だった」
「無理矢理?」
訝しげに聞き返すフラウドの問いかけに、アダルは頷く。
「そうだ。無理矢理な。俺があいつ。スコダティと最初にあったのはその魔物を退治したすぐ後のことだった」
徐々にいらいらとした声音をになっていくのがアダルは自分でも分かっていた。しかし当時の子事を思い出すだけで未だに怒りがこみ上げる。これは一種の憎しみと言ってもいいのかも知れない。
「あいつはその戦闘が終わりに姿を現すと、其奴のつがいであろう猿を無理やり巨大化させ、凶暴な巨獣に変えやがったんだ」
静かな声で発せられた声は何故かその空間に響いていた。




