三十八話 帰還
消え去った後もしばらくその場に目を向け続けるアダルは不意に舌打ちを鳴らす。
「不愉快な気分だ」
彼は怒りを露にした顔つきをし、言葉を吐き捨てる。彼が不愉快と吐き捨てた理由。それはスコダティがアダルの性格を完璧に理解していた事についてだ。彼は態と全魔皇帝の目的を話したのであろう。そうすればアダルが必ず行動を起こすことを理解した上で。
「くそったれ」
自分の耳に聞えるだけの清涼で吐き捨てた言葉はすぐに消え去る。彼には選択肢など無い。行う事が決まっている。その事実がアダルを縛り付ける。ここで行動を起こさなければ全魔皇帝は必ず星冠を手に入れるだろう。そしてその先の未来は容易に想像できる。ずっと地下に封印されてきた者達の頂点に立つ者なのだ。おそらくは地上に住む者達に復讐を考えている。そして星冠を手に入れた全魔皇帝には全種族のそう戦力をあてても歯は立たない。敗北は免れない。ここで行動を起こさ無い訳には行かないのだ。しかし、彼の中である考えがあり、それがある限り彼は容易に動けない。その考えというのは、スコダティに利用されるという懸念だ。彼は過去に一度これを経験し、挙げ句の果て逃げられているため容易に彼を信用することは出来ない。虚言を付いてないとも限らないし何よりあいつの思い通りに動くのは憚られた。
何せ、あいつは今回の件の主犯、もしくは共犯者という立場の人物だ。そう簡単に信じられるものではない。全魔皇帝の配下のせいで今回沢山の人物の命が奪われたのだ。そして今はどのような思惑を持っていたとしてもスコダティも全魔皇帝の配下である事は変わりない。
「ったく。どうするかな」
いくら思考していても考えが纏まらないアダルは困った風な声を上げつつ、不意に空を見上げる。そこにはいつもより澄み切った綺麗な青空が広がっていた。それを見上げながらアダルは溜息を吐く。
「一人で考えても仕方ないか。帰ったらフラウドにこの事を伝えよう」
そう口にすると彼に猛烈な疲労感が襲ってきた。その衝動にアダルは思わず顔を歪める。
「今さっき起きたばかり名気もするが、さすがに疲れが溜まったか?」
時刻としては未だに九時半くらいであろうとアダルは思いつつも相当な疲れからか彼は瞳を閉じる。巨大な獣と戦闘をしたのだ。疲れるなという方が難しいであろう。
「といっても眠くはないんだがな」
未だ戦闘によりアドレナリンが放出されっぱなしの彼の体は休養を必要としていないためか、すぐには眠気が襲ってこない。それでも少しでも休みたい彼はそのまま目を閉じ続ける。
「・・・・・・・」
周りは荒野であるため耳に届く物は何もない。先程まで草原断ったということが嘘の様に命の気配が全く感じられない。そのことがアダルの心を静かに締め付ける。
「・・・・・。ん?」
しばらく為ると、遠くから此方に飛翔してくる何かの気配が感じられた。その気配に一瞬警戒したが、すぐに止めた。何故ならその飛翔してくる何かの気配からは決して邪悪な軽輩を感じとれなかったからだ。その速度はアダルほどではないが、それなりのスピードが出ている。
「・・・・・」
彼は一度瞳を開けて、全身に痛みを伴いながらも上体を起こして、気配を感じる方向に顔を向ける。そこで彼は再び瞳を閉じて死傷してくる気配の詳細を探り始める。
「ん?」
探り初めて三十秒もしないうちに彼は婚w買うしたような顔つきを為る。
「人型に翼。天使種か? だとしたら何で・・・・。あ」
そこでアダルは思い出した。自身の身近に天使種の血を引く人物が居ることに。そしてその人物を置いて自分一人でここに来てしまったという事実に気付いてしまった。彼はバツが悪そうな顔をしつつ、そっと瞳を開け、その方向に目を向ける。小さくだが、飛翔している人影が目視で確認出来る。その人影も此方の位置に気付いたらしく、スピードを上げて降下を始める。段々とその人影の詳細がはっきりとしていく。その人影は修道服に身を包み、毒々しい翼を広げた、ヴィリスだった。
「明鳥くん!」
彼女は地上に足を着けるなりすぐに翼を霧散化で消し、アダルの方向に駆けてくる。途中危なくバランスを崩しそうになりながらも、アダルの元に辿りついた彼女はその勢いのまま彼に抱きつく。
「うおっ!」
その衝撃に耐えられなかったアダルは彼女に押し倒される形で倒れる。その際体には相当な痛みが走り思わず苦悶した顔つきに成るアダルだが、ヴィリスの顔は彼の胸部に収まっていたためそれを見ることはなかった。彼はただ痛みを我慢して彼女の肩に手をやり、無理矢理体から引きはがす。そこで彼女の表情を伺うと今にも泣きそうな表情を浮べていた。
「猪王は?」
表情と同じく泣きそうになる声を上げながら彼女はアダルを見つめる。その返答にアダルはフッと口角を上げて微笑む。
「もう倒した。跡形もなく消え去ったぞ」
彼が優しげな声でそう伝えると彼女は再びアダルの胸に顔を埋める。
「おい! どうした」
彼女の行動が理解出来ないアダルは不思議そうなに問いかける。
「・・・・・。なんで先に行っちゃうの?」
すると胸の中から小さな声が発せられる。その問いかけが理解出来ないアダルは眉を顰める。
「心配したんだよ。君が怪我をしていないかとか。猪王にやられてないかとか。いろいろと心配したんだよ」
必死に泣くのを我慢した声で発せられた言葉を聞き、アダルは彼女が俺を思ってくれている事を悟った。しかしどういう風に思っているのかは理解出来なかったが。久しぶりに会った仲のよかった友人への心配か。はたまた俺の体の心配か。もしくは・・・・。アダルはそこまで考えてすぐにその考えを否定した。それでも彼女の言葉は確実にアダルの心にまで伝わり、少し軽くなった様な感覚もあった。
「そうか。ありがとな」
彼はそう口にして彼女の頭に手を乗せる。為ると彼女はおもむろに顔を上げる。頭に手を伸ばして乗っている彼の手に触れる。
「っ!!!!」
今の状況を理解した彼女は瞬時に顔を真っ赤にして急いで後退してアダルから離れる。
「嫌だったか?」
彼女が行った行動に目を点にしつつ、ヴィリスの方に目を向け彼女の様子を伺う。
「ち、違うの! 別に嫌だった訳じゃなくて。ちょっとびっくりしちゃって。ごめんね!」
上擦った声を上げながら彼女は再び近づき、必死に弁解を為る。しかし彼女が何に謝っているのか分からないアダルは少し目を点にした後におもむろに首を振り口を開く。
「謝るべきは俺の方だろ。なのになんでお前が謝っているんだよ」
少し呆れたような物言いをし、彼はそっと頭を下げる。
「ごめんな。いろいろと心配をさせたみたいで」
「あっ! えっと」
困惑した様子のヴィリスは再び彼に近づき、その手を取った。
「心配はしたけど、明鳥くんが無事でよかった」
彼女はその言葉を発すると、仄かに微笑みを見せた。しかしそれはすぐに変化を為る。
「だけどね、今度は私も連れていって欲しいな」
強がりのようなどこかぎこちない笑みを浮かばれ、アダルはどういう表情をして良いのか分からず困った様に頭を掻く。すると、彼女はしっかりとした口調で言葉を続けた。
「私も。覚悟は出来ているから!」
その瞳は真っ直ぐとアダルに降り注がれる。その目は決意と迷いのない真っ直ぐさが宿っていた。アダルは思わずその目に見惚れてしまい、息を飲んでしまった。
「・・・・・」
しばらくその目を見た後、アダルは徐ろにその立ち上がり、翼を広げつつヴィリスに問いかける。
「とりあえず帰るか。俺はさっきの疲れで眠くなった」
彼の言葉を耳にしたヴィリスはしばらくの間呆けた様な顔をした。しかしすぐに何かを諦めた様に溜息を吐き、アダルに追従為るように立ち上がる。彼女の様子を伺っていたアダルはヴィリスが立ち上がるのを目に為ると、先に地面から足を離す。彼の行動に驚いた彼女は慌てて自身の翼も展開し飛び立つ。
「ちょっと、早いよ!」
「ははっ! このくらいで驚くなよ」
文句を言いつつもヴィリスにアダルは愉快そうに笑い全くその言葉を気に止めすらしない。彼はその目を王都の方ぬ向けると一度溜息を吐く。
「さて、帰るか」
そう口にした大きく翼を羽ばたかせ王都に向けって言った。ヴィリスも追従していき、数秒もうしないうちにその場から彼らの姿は消えたのだった。




