七十二話 瞬く間に
「よそ見するなんて余裕だね」
いつの間にか目の前まで近付いてきていたヴィリスは両手に持った大鎌を振り上げていた。
『余裕なんてないってーの!』
振り下ろされる鎌の予想出来る軌道は確実にメアリを殺す事への躊躇の無さが窺えるくらいに真っ直ぐであった。ヴィリスにはその軌道をなぞるように鎌を振り下ろす。だがもう少しで切っ先が胴体に当るというタイミングでガキンっという金属がぶつかる音と同時にそれ以上鎌を振り下ろすことは出来なくなった。何が鎌の進行を阻んでいるのかを見れば、血液で作られた大きな盾をメアリが持っており、それによってそれ以上進まなくなった。
『奇襲なんてひどくない!』
「・・・・・・貴方達がやってきたことよりは酷くないでしょ。・・・・・・それに卑怯って戦場では当たり前でしょ」
いつもの優しい雰囲気であるはずのヴィリスが珍しく殺気だっている。その理由は明白である。
「・・・・・・よくもアダルくんを痛めつけてくれたね」
『怒っているのはそこなの!』
正直そこに怒りを感じていることに驚きながらもメアリは力任せに彼女を押し返す。ヴィリスの方もその力を利用して空へ吹き飛ばされる。すぐに翼を羽ばたかせてメアリの方を見下ろす。
『・・・・・・・こわぁ。綾ちゃんのお兄さんを痛めつけたことなら、アレは私だけのせいじゃない。さっきまで一緒にいた男も同罪のはずだけど?』
彼女はどこまでも罪の意識という物が無い。その態度が余計にヴィリスの機嫌を損ねているとも知れずに。
「・・・・・そう。なら貴女を倒したらすぐに私もあっちに向かうとするよ」
普段の彼女からは想定できないほど冷たい声音で言放つヴィリスはメアリに向けて鎌を向ける。
『・・・・・・そんな簡単に倒せると思われているのが凄く侵害なんだけど』
「・・・・・・倒せるよ。・・・・・私は貴女を倒せる。・・・・・・殺す意思がある。どうしようもない殺意が湧いているんだ。それをぶつけさせて貰うね」
ヴィリスの翼から突如として雲が出て来た。それは徐々に大きくなり、ここら一帯の空を覆い隠した。それと同時にぽつりぽつりと水滴が地上へと落ちる。それは時間が経つにつれて量が多くなり、やがて雨になった。その量も徐々に増えてすぐに豪雨と呼ばわる物になった。
『・・・・・こんな雨出したからってあたしには聞かないね』
余裕そうにその雨を浴び続けるメアリの姿を見て無表情を貫いた。
「・・・・・・貴女は私のことが分かってないんだね」
上空から見下ろすヴィリスもまたその雨に当たり続けている。その雨は彼女には効かないのだから当然の事である。
『・・・・・・ぅっ!』
突如として胸を押え出すメアリは咄嗟にヴィリスの方に目をやる。彼女の表情は何お答えてはくれない。だがそれだけ見て感じた事がある。
『何を! したっ!』
声を出すと同時に彼女は血を吐き出す。それを目にしてようやく自分が迂闊だったのを感じ取った。
「・・・・・・何をしたか? ただ雨を降らせただけ」
一切の感情を表情に見せないヴィリスは珍しい。だがそれだけで分かることがある。彼女が本当に怒りを感じていることを。
『・・・・雨? ・・・・・確かに雨だけど。これは普通の雨じゃないでしょ!』
血液で作った屋根に入ったメアリは訴えるように叫ぶ。見れば全身ずぶ濡れで寒さを感じてか明らかに見て取れるほど震えている。
「・・・・・・当たり前だよ。私の翼は大竜種でもころせる毒で作られている。・・・・・ならこの翼から出た雲から降った雨にも毒が含まれていてもおかしいことではないでしょ?」
毒という単語を聞いて彼女は直ぐさま全身を発火させる。これはメアリの能力ではなく、魔王種としての彼女の能力であった。
『・・・・・危ない危ない。本当に危ないところだった。ありがとね、口を滑らせてくれて』
彼女の炎は全てを効果を破壊できてしまう悪魔の炎。彼女はその炎をもってして体内の毒を消し去ろうと試みていた。体内の毒を壊すことが出来ると確信できているメアリはお礼の言葉を口にした。それに対してメアリは全く反応しようとしない。それを目にして彼女は勝ち誇ったように胸を張る。しかし
『がふっ!?』
彼女は再び血を吐いた。今度は結構大量に。
『・・・・・なんで?』
不思議に関していると次第に見るものが紅くなってった。いや、目からも流れる物があった。
『・・・・・なんで! 壊れてないの?』
すぐに流れ出していたのが己の血だと分かる。全身を燃やして毒の成分を壊しているはずなのに一向に収まる気配がないことにメアリは困惑為る。
「ああ、よかった。あなたの炎でも壊れなかったんだ」
そこでようやく安堵した声音になったヴィリスは胸を降ろす。
『?! まさか私の能力のことを知っていて?』
「そんなわけ無いでしょ? 貴女が突然発火しだしたときは驚いちゃったよ。まさか吸血種の能力以外にも使える能力があるなんて私は分からなかったから」
心底安心したのか何度も息を吐いていた。
「・・・・・だけどよかった。私の毒は貴女でも壊せないことが分かって」
彼女の今の発言には全く悪意が存在していない。なぜなら心の底から出た安心感が声に出てしまった物だから。だがいっている方からは悪意がない事は分かるが、言われた方からは完全に悪意が宿っているように聞える。
『・・・・・煽っているようにしか聞えないけど?』
息も絶え絶え、視界も紅く染まり、嗅覚も最早血の臭いしか感じない。そんな弱った状況のメアリは反論の言葉を述べた。弱々しい声で。
「・・・・その意思は全く無いよ。今のは完全に私の言葉が悪かったね。ごめんなさい」
謝罪の言葉が出るが、勿論彼女の本心ではない。
『・・・・・・・こんなことならもっと調べるべきだったなあ』
後悔の念が今さらながら生じた。完全に敵対する相手を間違えてしまった事を悟ったメアリ。彼女の中でこれ以上戦うという選択肢はとれない。折角手に入れた器をボロボロにされてしまい、目の前のヴィリスによって戦う意思を折られてしまった。ならばすることは一つだけ。
『・・・・・悔しいけどここで退散させて貰うから』
その表情からは彼女の言葉通り悔しいという想いが本物だということは分かった。なにせ彼女は心底苦い表情で顔を歪めていたから。ふと彼女の足下に目をやると仄かに光っている術式陣が巡らせてあったのが見て取れた。
「・・・・・自分の血で退却するための術式を組んだんだね」
『・・・・バレないように展開するのは苦労したよ』
術式陣の光は徐々に強くなって、最終的にはメアリの姿を覆い隠すくらいにまで発光した。
『じゃあ、さよなら。出来ればもう逢いたくないけど』
「さよなら。次は確実にその命。・・・・・うんうん。貴女の魂まで壊してあげるから覚悟していてね」
ヴィリスが言い終わると同時くらいにその光は徐々に弱まっていき、今までそこにいたメアリの姿は後方もなかった。
「・・・・・・・呆気なかったな・・・・」
思わず口にしていた言葉は不意に出てしまった物。つまりは本音であった。だが思わず言わずにはいれないくらいに彼女たちの戦いはあっさりと時間も掛けずに終わってしまった。先程までアダルが時間を稼いでいたことが嘘に思えるくらいに。
「・・・・・さっさと明鳥くんのところに行って看病しないと。・・・・・・起きたら叱るくらいは良いよね・・・」
口にしながら翼以外を人化させて、彼がいる方向へと飛んでいった。
 




