二十九話 猪王の心情
猪王は不甲斐ない気持ちでいたたまれなくなっていた。影らの期待に応えることが出来なかったと。つい昨日、猪王は偉大なる影達の会合が行われている場所に主である緑の影に呼び出された。猪王は遂に害虫の掃討作戦に打って出ると感じ取り、事前に緑の影に了承を得て、害虫の巣の一つを破壊して力を蓄えてきた。会合の場に行くと、思わず歓喜に震えた。その場には猪王にとって憧れの存在である色を持った影達が一同に介していたのだ。その震えを押さえつけ、猪王はそっと頭を垂れる。
『勇敢なる緑の戦士よ。よくぞ参った。今回の呼び出し。応じてくれたこと感謝の念しかない』
影達に囲まれた黄金の球体が猪王に感謝の言葉を贈る。猪王はその声に、最早感激を通り越して失神思想になった。しかし住んでの所で自身の舌を噛みそれを堪え、より一層頭を下げる。
『その勇敢なる貴殿に命令を下す。地上に蔓延る害虫の駆除。その第一陣として彼の地にてそれを全うして欲しい』
球体の言葉に発声器官のない猪王は顔を下げたまま頷き、それ命令を承った。その様子を目にした黄金の球体は機嫌の良さそうな声を出し、影達に命令を出す。
『青、此奴に駆除の内容と、場所を伝えろ。緑、お前は此奴に力を注ぎ込め。それが終わり次第此奴を目標地点に転移させる。黄、準備をしておけ』
『了承しました』
『おぉ! 任せておけ』
『は、はい! わ、分かりました』
彼らは黄金の球体の命令に従い、各々それを全うしていく。黄はいち早く転移の準備を始める。緑と青は猪王に近づいてくる。
『まずは俺からだぜ』
彼は愉快そうに笑みを浮かべながらそっと猪王の頭に手を当てる。
『じゃあ、行くぜ!』
緑の影の手から卑しい光りが放たれる。それが徐々に猪王の体を包むように纏わり付く。
『どのくらい掛かる?』
『俺はこういうのが苦手だからな。六時間位掛かるだろうな』
『だそうです。主君』
その言葉を青はそのまま黄金の球体に言う。為ると黄金の球体は愉快そうに笑い声を上げる。
『はっははははは! 良い。余も緑は強化系統の術が苦手な事も知って居るしな。それくらい誤差に過ぎぬよ』
そう言葉を発すると黄金の球体は再び声を上げて笑うそれを目にして、力を付与している当の本人である緑は苦笑いをする。
『まったく頭は性格が悪い。苦手な事を押しつけるなんてな』
『それは同意する。強化なら藍か白だろう』
呆れた声で青は緑の意見に同意をする。しかし彼の意見に緑は訝しげな顔をする。
『黒はどうなんだ? あいつなら誰よりもそういう術はうまいと思うが』
その言葉に青は一気に不機嫌そうな顔をして、緑のからだをにつかみかかろうとする。住んでの所で彼の理性が働き、その行いは未然で済んだ。
『確かに強化という部類であいつは我々より抜き出ている。それも圧倒的にな。だがあいつの強化は質の悪い薬だ』
歯ぎしりをしながら彼は言葉を吐き捨てた。そんな青を目にして緑は彼に聞えないように小さく溜息を吐く。
『青、黒のことは良い。それよりこいつに駆除内容を説明してくれ。その方が時間も無駄にならないだろ』
『そうだな。時間は有限だ。これ以上主君を待たせるのは忍びない』
そして青の口からその内容が告げられた。猪王は全てをお墓園と必死でその内容を頭に詰め込む。その間も緑からの施されている強化は続いている。そんな事をしている内にあっという間に六時間が経った。
『黄。準備は良いか?』
黄金の球体が黄の影に問いかけると、彼女は首を勢いよく頷かせた。
『だ、大丈夫。で、す。じゅ、んび。万端です』
どもりながら彼女は力強い言葉を返す。
『ならば始めろ。勇敢なる緑の戦士を目的地まで転移させるのだ』
『は、はいなのです!』
黄金の球体の命令に従い、黄はおもむろに呪文を唱え出す。その言葉は猪王には一切聞えず、ただ口を動かしているようにしか見えない。だが確実に術は発動しており、猪王の真下に魔方陣が展開され、それが徐々に光りを放っていく。
『主君。最後にこの者に一言を』
青は猪王への言葉を黄金の球体に求めた。黄金の球体は促されるまま、自分の言葉を口にした。
『我が種族の悲願の為に励め。勇敢なる緑の戦士よ』
その言葉が聞え終わると魔方陣がさらなる輝きを発し、一瞬その場が眩い光りに包まれた。影達はその光景を目を瞑る琴無く見続ける。ようやく光りが収まると、その場には猪王の姿がなかった。
猪王は眩い光りから解放されるとそこはだだっ広い緑が生い茂る草原だった。彼は自身が受けた命令を実行しようと行動を起こした。まずは前回待ちを害虫の巣を破壊したときと同じ要領で体を巨大化させる。一度巨大化している事もあってそれはスムーズに行われた。巨大化の途中で猪王はある事に気付いた。それは自身の牙が緑がかっていることだ。それを目にして猪王は理解した。これがきっと主である緑の影から与えられた物なのだと。これがあれば黄金の球体の期待に添える物だと。だからその思いを無駄にしないように、猪王は早々に目的を果たすことに決め、足を動かす。
『待って追ったぞ。緑の従者』
ふと巨大化した自分の頭上から不遜そうな声が聞える。彼は一度進行を止め、その方向に目を向ける。為ると、そこには黒い輪郭の無い影が此方を見下ろしていた。彼は此方を見るなり鼻で笑い、猪王の目線まで降りてきた。
『やはり貴様が来たか。我が友は分かっているな』
彼は嬉々とした声でそれを口にする。その体勢を猪王は不思議そうに眺めていた。
『事をなすのは早いほうが良いだろう。お前に力を与えよう』
一瞬優しげな笑みを猪王に向け放ち、ゆっくりと近づく。その様子を眺めて、猪王は感激した。今殺気あこがれの色を持つ影達に見初められ、今回はその影の中で偉大なる黄金の球体と同程度の実力者の黒の影に気に入られた。それに緑の影に強化をさせて貰った上に黒の影からも強化を施してくれるなんて感激の極みだ。これで偉大な黄金の球体のお役に立てる。そう考えると、彼は涙を流すほどだった。
『何だ? 涙を流しているのか。魔獣のくせに変わった奴だ』
それを不思議そうに口にして彼は猪追うの眉間に手を当てる。その瞬間猪王は嫌な寒気が走った。まるで何か悪い物に取り憑かれたように。
『すぐに終わる。次に目を開くとき。貴様は今より遙か強大な力を手に入れるだろ』
その声は猪王にはかすかにしか聞えなかった。何故なら猪王には今変な感覚に飲まれて聴覚がまともに機能していなかったからだ。何が起こっているのか分からない猪王は黒の影を見つめる。すると彼は卑しい笑みを浮かべだす。その瞬間猪王は青の影が言っていたことを今更になって頭を過ぎった。
『あいつの強化は質の悪い薬だ』
その言葉を今に成って実感する。だがもう遅いのだ。猪王は最早黒の影に抵抗できない。変な感覚になった事によって今はもう体の自由が効かなくなっている。猪王は黒の影に恐怖を抱いた目を向けた。
『精々自我を失って暴走しないことを祈ろう』
遺体を乗せた声を放ち、黒の影の手から漆黒のもらがあふれ出した。それが徐々に猪王の体を包んでいく。緑の影からして貰った物とは全く違うそれは猪王の自我を蝕んでいく感覚があった。それに必死に抵抗しようと猪王は声を上げ用途試みる。しかし最早それすら出来なかった。自分の体が言うことをきかないその焦燥感も加わり、猪王はその感覚に耐えられなかった。そして猪王は自ら意識を飛ばした。
目を覚ますと猪王は地に横になっていた。何があったのか分からなかった。すると眼前に黒の影が現われた。彼は失望した目を猪王に突きつけた。猪王は黒の影に願った。このままでは偉大なる黄金の球体に逢わせる顔がない。そのために自分にもう一度強化をして欲しいと。しかしその言葉は決して彼には届かなかった。黒の影は言葉を吐き捨てるとその場から消えていった。その後猪王はこれからどうするかを必死で考えた。しかし良い案など思い浮かぶはずもない。そもそもそれほど知能が発達していないのDあ。彼の中にあったのは影達の役に立ちたいという思いだけ。それだけで生きていたのだ。それなのにこのままではその影達に結果を残せないと失望を与えてしまう。猪王はそれが耐えられなく今この状況をどうにかしようと必死で模索を行っている。
『ははっ! まだ諦めて居らなかったのか。往生際の悪い奴め』
ふと、眼前に今さっき消えた黒の影が立っていた。猪王は驚きの目を彼に向けた。黒の影は先程の不機嫌そうな表情とは一変して会った時と同じように愉快そうに笑っている。
『だが、その気概に免じてもう一度チャンスをやろう』
そう言葉にすると黒い影は自分の顔の前で掌を広げた。そこから何か得体の知れない純度の高い黒い靄が発生した。
『どうする?』
悪魔的な笑みが黒の影の表情にこびり付く。猪王はそれを目にして恐怖心を抱く。しかし彼の中ではすでに答えは決まっていた。猪王は・・・・。




