鷹堂明鳥 幼少期1
疫病神。鷹堂明鳥は幼少期そう呼ばれていた。思えばこれが彼が自罰的な性格になった元凶だと言えよう。
特に何かをしたわけでは無い。幼少期の彼に関わっていた子供達は何故か小さな不幸が襲いかかった。友達と遊んでいた時。その友達だけが怪我を負った。明鳥は無傷だった。これだけだったらよくある事であった。その冬。あるウィルスがその幼稚園で猛威を振った。当然の如く、免疫力の弱い子供はその耐性がない。クラス全員がそのウイルスに倒れ、一時的に幼稚園は封鎖になった。だが何故か明鳥はそのウイルスに掛からなかった。不思議な事に幼稚園で彼だけが何の症状も出なかった。その事実は両親と幼稚園の職員だけが知り得る情報であった。そんな事もあるよねと言う笑い話のはずであった。ただ元気な子と言うだけのはずだったのだ。だが話はそれだけで終わらなかったのである。そのウィルスによって引き起こされた症状が重症化した子供が出た。なんとか命までは奪われなかったが、その後その子は歩けなくなってしまった。そしてその子こそが明鳥が当時一番遊んでいた友達であった。
結局その後明鳥はその子と再開する事は無かった。歩けなくなったのだ。今まで通りの生活というわけにはいかなかったのだろう。そのことは幼稚園を辞めてしまった。そのとき明鳥は止めたことしか聞かされていなかった。園児達に詳しくは説明されなかったからだ。その頃からだ。大人達が陰で明鳥を疫病神と呼び始めたのは。
彼が病気にかからなかったことは両親と幼稚園の職員だけしか知らない情報のはずだった。しかし何故かそこへ通う子供の親たちはそのことを知っていた。当然の如く職員の誰かが他の園児の親に其れを漏らしたからであろう。その職員も別に悪意があったわけでは無かった。ただ興味本位で聞かれたことに答えただけであった。だがその判断が過ちになる事なんて想像もしなかったのである。
そこから明鳥が病気にかからなかったことが園児達の親に一気に拡がった。ママ友の情報伝達速度は異常なまでに早かった。そして悲しいことに。話しを面白くするためのか、それとも彼女らの性なのか。それとも悪意による者なのか。分からないが明鳥の話しは少しずつ盛られていった。最初は小さな者だった。しかし人から人に伝えられるうちに話しは大きくなっていく。最終的には疫病神と心ない言葉になっていった。
そのとき幼稚園では事件が起こっていた。小鳥の暴言が火を吹いたのだ。これによってこの噂が助長されてしまった。そして最終的に鷹堂夫婦が悪いという風潮ができあがってしまう。この事に関しては明鳥も覚えていた。そしてその空気は園児にまで移っていた。有るときから彼は遊ぶときにハブられるようになってしまったのである。子供というのは残虐である。純粋が故に大人の言葉をすぐに真に受ける。そこに真実なんてものはなくても関係が無いのだ。ただ自分達は苦しんだと言う記憶はある。その記憶が共有できていない。そして何で苦しまないのか。其れが許せないのだ。これは別にどちらかが悪いという話しではない。敷いて言うなら大人が悪くて、子供は一切悪く無い。だがそのとばっちりを受けてしまったのが明鳥であった。ただそれだけ。
その内ウィルスに掛からなかった事が悪い事。其れが子供達の中に蔓延してしまった。そしてウィルスに掛からなかった明鳥は悪い子。悪い子には何を言ってもいい。何故なら悪いのは明鳥であり、此方は正義である。正義に憧れるのは子供なら当たり前であった。だが子供達は知らないのだ。間違った正義を振り翳していると言う事を。其れを教えるのは教員のはずであった。だが残念ながらその教員は恐ろしいほどに鈍感であった。鈍感だったからこそその教員は見逃してしまった。園児達が明鳥を省いていることを。
明鳥は活発な子であった。体を動かすことがとにかく好きで、そのために遊んでいると言う子供であった。そしてなによりも友達と遊ぶことが好きな子供だった。其れが何故か急にその友達が周りからいなくなっていた。何故なのか当然の如く彼には理解が出来なかった。だがある日から急にハブられるようになっていった。理由を聞いた。帰ってくる言葉は彼には理解が出来ないものだった。
『疫病神とは遊ばない』
言葉の意味も。そしてハブられている理由も。返答された言葉から理解が出来ないものだった。だが悪く言われたことだけは分かった。そしてとても悲しい気持ちになった。だがそこで彼は顔には出せなかったのだ。あまりに衝撃的すぎて表情が追いつかなかった。
その日の夜に明鳥は当然の如く両親に疫病神の意味を聞いた。聞いたが答えてはくれなかった。二人は驚いた様に口を開いた。
『そんな言葉。どこで覚えた?』
父親に語気強めで言われたから明鳥はその日起った事をそのまま口にした。すると何故か母親は泣き出してしまった。彼らは疫病神の意味を教えてはくれなかった。だがその言葉は泣き出してしまうほど酷い言葉なんだと思った。
その後父親は幼稚園に抗議を行った。そのような事実があったことを教員はわかっていなかった。だから無い物だと思われた。そんな事よりも小鳥のことで抗議を逆に受けてしまったのだ。その結果彼ら兄妹はその幼稚園を追われた。この事に小鳥は自分のせいみたいに思って居たようだが、別に明鳥は彼女のせいとは思っていなかった。一切無かったのだ。其れよりも明鳥は自分のせいでというおもいがあった。その当時。純粋な子供だったとき。同い年の園児に言われた悪い言葉というものはとても響くものである。疫病神という言葉は彼の心に刺さってしまった。刺さって抜けなくなってしまった。自分は身に覚えのないことで悪く言われてしまったことがショックで仕方が無いのだ。そして同時に思ってしまう。自分の何が悪いのかと。ただ健康に過ごしてきただけだ。其れを悪い事と決めつけるのはおかしいことではないのかと。そう言う怒りの感情が芽生えてしまった。だが幼少期の彼の性格的に。この怒りを肯定することは出来なかった。だからこれは悪い感情だということで蓋をしたのだ。優しいと言えば聞こえは良い。だがこれは自己否定して仕舞い、性格形成で障害になってしまう物でもあった。結論を言ってしまえばこの怒りを肯定できなかったことこそ彼が自罰てきな性格になってしまった原因である。
その後母親の地元に引っ越し、新しい幼稚園に通い始めると彼の活発さは失われてしまった。別に話さなくなったわけではない。会話は成立する。そして自主的に喋らなくなったわけでもなかった。新しい地で友達を作るために。ただ一つだけ明らかに変わってしまった事があった。何事も一歩引くようになってしまったのだ。前の幼稚園でハブられたとき。そのことに明鳥は気付くのが遅かった。それはそのとき周りを見るという行為をおろそかにしたためである。其れまでは活発であったが故に周りが見えていないことが屡々あった。だから今度は周りに目を向けた。別の場所から来たのだ。過去を知るものはいない。しかし過去と同じ目に遭うかも知れない。そして何よりも既に関係が出来ているところに新しく入るのだ。気をつけなければすぐに前の幼稚園と同じになってしまうという想いもあった。そんな事を考えて行動した結果。新しい幼稚園では地味に活動して、ハブられるようなことはなかった。そこに通う子供達が優しく受け入れてくれたお陰でもあった。最初の時新しく入ってきたから目立ってしまった事に腹を立てた子もいたが、そこは明鳥の持ち前の武器ですぐにそのことも仲が良くなった。と言うか気に入られてしまった。この気に入られてしまった子供こそ王喜であった。彼はここで親友と出会ったのである。
鷹堂小鳥、鷹堂綾鳥の姉妹は異常。勿論その兄である鷹堂明鳥が普通なはずもなく・・・。




