二十七話 普通じゃない
「詳しい場所を教えろ」
アダルの声がその場に響いた。それを耳にして、一瞬誰もが話すのを止めた。彼が大きな声を出したわけじゃない。彼の声から出る圧力が声を響かせていた。彼の顔は今にも爆発しそうな怒りを必死に堪えていることが伺って、誰もが気付いていた。フラウドとヴィリス以外のその場にいた者は彼の威圧で動けなくなっていた。
「早くしろ」
奇しくもその言葉が皆の意識に掛かっていた、アダルの威圧を解いた。それを眺めるフラウドは少し剣吞な表情をしていた。
「分かった。これを見ろ」
フラウドに促されるがままに、彼はテーブルに置かれている数々の情報が書き込まれている地図に目を落とした。
「お前はどこまで話を聞いていた?」
「ほぼ全部だ。耳はお前の声を拾っていたからな」
怒りが宿っている眼差しで地図を眺めるアダルの言葉にフラウドは「そうか」と呟き、言葉を続けた。
「なら、大体の状況は知っているわけだ」
「ああ。分からないのは、今、地図のどの辺に猪王がいるのかだ」
「理解した。端的に言うと、奴は今、この辺りにいるだろう」
彼は地図の襲われた街の名前の書かれた場所のすぐ右に指を置いた。それを目にして、アダルはすぐに扉に向って歩き出そうと行動をした。しかし、フラウドが彼の行動を阻むように腕を掴むことで、彼は歩みを止め、鋭い目を向ける。
「離せよ。俺は今すぐこいつを退治しに行くんだからよ」
「行くなら俺の話を聞いてからにしろ。自分でも分かっているだろ。今の頭の状態が正常じゃないって事くらいは」
アダルは再び威圧の交じった声を発する。その言葉にその場にいたほとんどの者達が先程と同じく体を固める。しかしフラウドには彼の威圧が全く効いていなかった。そんな彼は少し頭を冷やすように促すと、彼から手を離した。その間、フラウドは真摯な目を向けていた。その目を見たアダルは彼の言葉通り、少し頭を冷ます為に彼の言葉に耳を傾ける。
「聞いてやろうじゃねぇか。お前の話を」
いつも通りのアダルに戻ったことを確認して、フラウドは息を吐く。彼から発せられた威圧の効果が切れたため、その場にいた者達は自分の仕事に戻っていく。
「奴は街を襲った後すぐにその進軍を停止させている」
「それは聞いた。だが、何故進軍を停止させたんだ」
不思議そう何顔を歪めるアダル。そんな時にフラウドは神妙な表情をする。
「これは俺の見解だが。猪王は現在休憩を取っているのだろう」
「休憩か」
「ああ、そうだ」
その言葉を耳にした誰もが思わず息を飲む。
「奴の進軍スピードは明らかにこれまでのデータでは考えられないくらい早い。だが、それは本来可能だろうか」
「どういう意味だ?」
思わず首を傾げそうになるアダルにフラウドは問いかける。
「お前は猪王って言うのはどういう風にして発生するか知ってるか?」
その問いかけにアダルは首を横に振る。その様子をみて、フラウドは納得したような顔になる。
「猪王っていうのはな、四季豚が突然変異して発生する魔物なんだ」
「あの、小さな群れを成す雑魚共からか」
アダルがフッと呟いた言葉で彼は額に手を添えた。
「お前からしたら雑魚なんだろうがな、荒れでも結構対処が大変な部類の魔物なんだ。何せ、彼奴らはとてつも無く数が多い。その上に繁殖能力が高い。一回に母体が産む子供の数は約二万だ」
「そんなにか」
あまりにも途方もない数を耳にして、アダルは顔には出さなかったが、それなりに驚いた。
「ああ。そして、二万も産んでいたら最低でも一体。最悪で十体ほど突然変異した個体が発生すると言われる。そしてその突然変異した個体こそが」
「後に猪王となる個体って事か」
「そういうことだ」
フラウドは近くにあった椅子にくたびれた様子で腰を下ろした。
「だが、猪王になる個体っていうのは大概、体が巨体である為にあまりスピードを出せないんだ」
「まあ、そうだろうな。だが、俺が会った個体は相当なスピードで走っていたが」
アダルは彼の近くに足を運ばせ、それの答えを求めた。フラウドは面倒そうな顔をしながらもそれを答えるために口を開いた。
「それを唯一可能に出来る方法が猪王にはあるんだよ」
彼はそういうと、おもむろに自身の来ている礼服の懐に手を突っ込んだ。彼は何かを探るようにしばらくそこをまさぐり、目的の物を見つけたのかそれを取り出し、アダルに見せる。
「これは、何だ?」
見せられたのは、赤く染まった宝石のような輝きを放つ球体。それを目にしたアダルは一瞬それを宝石と勘違いするほどだった。周りにいた人達もそう思っているだろう。皆がその球体の綺麗な輝きに目を奪われていた。しかし彼はそれを綺麗とは思わなかった。むしろ卑しい輝きを放っているとすぐに分かった。
「これはな。魔物百体分の血液を圧縮して固めた物だ」
「これがなんだって言うんだ?」
「猪王が口に入れるのはな、魔物の血液だけだ。それが猪王の爆発的な力を与える。喩えるなら、ガソリンと一緒だ。一度それを車につぎ込めば、車はそれなりの距離を走行することが出来る。逆にそれを入れ忘れたら車は一切進まない。今の猪王はガス欠になった車だ」
彼の言いたいことがなんとなく分かってきたアダル。
「猪王が今ガス欠状態って事か」
「そういうことだろうな。聞いた話じゃ全長に30メートル程の巨体の上に、いつも以上に早く進行している。想像より早くガス欠を起こしたために、あそこで進行を停止しているんだろうな」
そういうことかと、アダルは納得する。しかしある疑問が頭に浮かんだ。
「その場合、こいつはどうするんだ? さすがにずっと活動を停止させる訳には行かないだろう」
この質問をすると、フラウドはそのままの調子で答えてくれた。
「まあ、普通ならこういう場面になる事は少ないんだが。猪王が自分の中なおガソリンの残量を間違えるはずがないんだからな。その場合は時間と共に、自分の中の魔力が回復して、少し動けるようになる。その状態になったら、彼奴らは近場にいる魔物を襲って、血液を残らず吸い取るんだ」
「ということは、こいつは今動けない状態にあるって事か?」
アダルの言葉にフラウドは頷きでこうていしたが、否定的な言葉を続けた。
「確かにそうだ。だが俺の話したかったのは、ここからだ。先程普通ならと言ったが、今回は明らかに普通じゃない。もしかしたら、あいつは何かしらの補給手段を持っているかも知れない。それかあいつに補給する存在がいるかも知れない」
「それだったら、早く行った方が良いじゃないですか」
するとヴィリスが慌てた様に話に入り込んできた。だが、フラウドはそれには耳を貸さずにアダルへの問いかけろ続ける。
「お前なら、何か知っているんじゃないかって思ってな。昔、巨大化した魔物を数体倒したことがあるんだろ」
彼が一番聞きたかったのは、多分ここなのだろうとアダルは考えた。その言葉に周りの目線が一気にアダルに向く。彼は悩んだ。確かに彼の中ではそれを行いうる存在は知っている。しかし、確証がないのだ。そんな確証のない事を言えば、頭が可笑しいと言われる。
「まだ、確証はない。だから今からその確証を得る為にも早く行きたいんだよ」
「分かっている。だが、心当たりがあるんだな?」
少し自分でも驚いた様な顔をしているフラウド。
「ああ。だが、まだ言えない」
アダルは謝罪するように彼らに頭を下げた。周りの人々もアダルのその様子を目ににして、混乱した面持ちになった。
「まあ、いいさ。お前がそれに確証を持ったら俺らに教えてくれ」
彼の言葉にアダルはただ頷き、口を開く。
「お前の話って言うのは今ので終わりで良いんだな」
「ああ、そうだ。少しは頭が冷めただろう?」
彼は前世で良く見せた悪戯的な笑みを浮かべる。その表情を見てアダルは瞬時に引き出しそうになる声を抑える。
「最後にこれだけは行っておく。決して油断為るなよ。先程言った通り、今回相手に為るのは普通じゃない奴等だからな」
その言葉がアダルの耳に刺さるとき、彼はすでに急ぎ足で扉に向っていた。アダルは最後に室内を一瞥して、外に出た。
「油断なんか為るかよ。こういう仕打ちを為る奴等にはな!」
少し冷めていた心を熱く燃やして、彼は誰にも聞えない声で呟き、その場から駆けだした。
 




