四十三話 従者の名
瞬間的に空気が無くなった。比喩ではなく、全くの真空状態に一瞬だけだがなってしまった。
『我らが主人への侮辱は許さすことは出来ないぞ』
次第に戻ってきた空気。其れを吸い込むのはその場に巻き込まれたアリスだった。
「ごほっ! えっほっ! い、・・・・まのは・・・・なん・・な、えほっ!」
何が行われたのかを問いただしたい彼女だったが、嘔吐いてしまってそれどころではなくなった。
「・・・・其れが奪った天使の力か。・・・こわ」
空気を扱う能力。其れによって出来る事。そのなかで一番思いつきそうなことがこの真空状態を作り出す事であり、生物であるならばこれが一番恐ろしいこと。アダルが怖いとずっと思って居た能力であり、体験して和恐ろしいと思ってしまった。それでもアダルが平気にしている。
『はははははっ! 君! 自分の周りだけの空気を光で覆ったんだ。面白い使い方をするね』
メアリが愉快そうに笑いながらその仕組みを開示する。別に隠していたわけではない。見る者が見ればすぐ分かること。実力者は己の魔力などで行なう事でもある。
「まあな。だけどこれの弱点。わかっているだろ?」
『覆っている中の空気。詳しく言うなら酸素が全部二酸化炭素になったら終わりって事だね』
正しく其れが弱点である。そしてこれは周りが真空だった場合特に問題がある。
以前。アダルがリヴァトーンと共に戦った軟体獣との戦闘は海中だった。そのときもアダルは一切の息継ぎもしないで海中で戦っていた。そのときも今回開示された方法を使用していた。そのときは特に問題は無かった。理由は簡単でそのときは周りが水だったから。学校の理科の時間に習う通り、水とは水素と酸素から成り立っている。アダルは周りの海水から光を通して酸素だけを囲い、はき出す二酸化炭素を外に排出していた。
「その通り。だから俺が真面に戦えるのはこの中の酸素があるときだけ。二酸化炭素で充満されたら俺は戦えない」
弱点を自ら晒している理由。それは向こうにアダルの対策がバレてしまったから。見れば分かるものだから露見することは分かっていた。だが其れを一発で見破られてしまった。ならばもう隠す理由はないのだ。言わないままだったら苦しむのはこっちで向こうは此方の反応を見て笑う。嘲笑うのだ。だからそのような態度を後々させない為に態々弱みを言わせた。だがそれでも魔王種二人の笑いものだろうが。
『はははっ! 肯定したよ、こいつ』
『この程度で侮るな。まだ何か隠しているぞ』
男の魔王種の方は警戒を解かない。勿論其れに反応為るつもりもない。確かに隠し事はしている。其れは正解である。だがここで其れに付いて言及したとしよう。裏を掻かれる可能性が高い。おそらくこの男の魔王種は頭が良く回るのだろう。立った数回言葉を耳にしただけで其れが伝わってくる。そのような相手を前にしたとき、慌てないのが一番の対策であろう。
『・・・・・さすがにぼろは出さないか』
「何のことを言っているのか分からないが。・・・・まあいいや。そろそろ話を進めさせて貰うとしよう」
今までの会話は所詮閑話休題にすぎない。本題はここから。
「一体何が目的でこの騒動を起こしたんだ? この国を狙ったのはその体だけが目的ではないと俺たちは踏んでいるんだけどな・・・」
一番気になっていたこと。何故今この国を狙ったのか。臆測も何もない。いや、しようが無いと言って良いほど、そこに関しての情報が全く出てこなかった。気分でと言われる可能性もある。だがおそらくこの男の魔王種が来ている事でその線が消える。ここまで頭が回るものが気分でなんて言うとは思えない。性能を試すためだとしても其れは魔王種一体いればこの国は壊滅する。彼らは分からないのだ。何故二体も同時にここに居るのか。疑問で仕方が無い。
『教えるとでも?』
『教えるか、バーカ!』
「・・・・・・まあ、そうか」
予想通りに返答を拒否された。アダルは納得為る素振りを見せる。残念ながらこの二人には武力で脅すと言う事が出来ない。向こうの方が圧倒的に強いのだから。
『問答はそれだけか?』
「何も答えてないくせに問答とか使うな。勉強し直して来いよ」
勝手に話を終わらせようとしたので挑発の言葉を投げかける。それを耳にしたメアリは嘲笑うように吹き出した。
『そうだよ。あんまり難しい言葉は使うべきじゃないよ? エアトス』
エアトス。其れがこの男の固有の。・・・・いや、体を奪った天使種の名前であろう。そういえば星の意思は名前までは教えてくれなかったと言う事を思い出す。あの時は奪われた能力のことだけに考えが持って行かれてしまい、名前を聞くのを失念していた事を後悔する。
『メアリ。敵に俺の名を開示するとは。何を考えている』
エアトスの声に怒りが交じっている。其れの矛先は仲間であるメアリに向かっている。
『ええ! 別に良いじゃん。名前くらい教えておこうよ! 情けなく死ぬ前に。あの世へのお土産としてさ』
其れは誰に向かって言っているのか。おそらくはその場にいる全員なのであろう。真祖がここに居るというのに。不死である彼も殺せるという確信が有る発言だった。
『だが、まさか黒の言っていた鳥が来るとはな。真祖を連れてくるのも予想外ではあるが・・・・』
エアトスはアダルに目を向ける。まるで品定めするかのように。
『・・・・・まだ成熟していないじゃないか。このような輩。警戒する黒もたかが知れる』
興味がないと言わんばかりの態度にアダルは鼻で笑った。
「ああ、そうだとも。俺はまだまだ未熟だ。だがな。その分成長の伸びしろがあるって言うことでもあるだろ? ・・・・・もしかしたら・・・」
口角を上げて何回かした挑発的な言葉と視線を乗せて口を開く。
「お前ら二人を倒してしまうくらいの力をつけるかもな。今回の戦いで!」
『ははははははっ! 面白―い! 面白いよ。このくそまじめなエアトスよりも何倍も面白い!』
普段なら絶対にしないであろう下品な笑い方だが、今は中身が品性を持たない存在。だがその様な行いにアリスだけがきちんとショックを受けている。彼女は直前で聞かされた。妹の中身が妹の其れではないと言うことはなんとか納得した。それでも其れを目の当たりにしたらショックだったのだ。
「アリス。もういい。下がれ」
「・・で、ですが!」
見かねた真祖がそう口にするが、彼女は食い下がろうとしている。当然ながら其れは敵にも見えている。
『正体が知られてしまっているのに、逃がすわけがないよ。お姉様!』
狂気的な笑みを浮かべるメアリを目にして、彼女は全身に悪寒と鳥肌が襲う。目が離せないでいた。彼女の濁った目がアリスを釘付けに為る。
「・・・・・わるいが此奴だけは守らせて貰おうか・・・・」
其れを遮る様に真祖は彼女の前に立った。その行為にメアリは吹き出す。
『はははは! 今さら血族を守ろうとしているんだ。なんで? 他の血族は見殺しにしたのに!』
「見殺してはいない。其方らの行動を見誤っただけだ」
淡々と返答されたことにメアリはまた笑う。
『ものは言い様。見殺しと変わらないじゃん! ・・・・・分かっていたはずでしょ? 私らの凶暴性を』
その顔から笑みが消えると、威圧は発せられる。
「ひっ!」
あてられてしまったアリスは悲鳴を発したすぐ後に気を失った。
「・・・・・仕方が無いか」
真祖はそう言うと後ろの空間に穴を空けた。
「悪いがアリスをその穴の中に放ってくれないか?」
アダルへ優しく言葉が投げられる。
「・・・・・仕方が無いか・・・・」
最早了承は受けていると変わらない事を問答するのは時間の無駄だと感じたアダルは彼の言葉に従う事にした。




