二十九話 大母竜の感謝
大母竜の言葉のすぐあとにヴィリスに変化が起った。彼女はうつろの目のままに起き上がり、自分の翼を広げた。今まで嫌っていたそれを広げるとゆっくりと自分の体を翼で包み始めた。
「なっ!」
元の場所に戻ろうとしたアダルは再び彼女に近付こうとする。しかしそれも大母竜が手で制したことでその場に留まった。ミリヴァも動きたそうにしているが、今の彼女にハ容易に近づけなかった。
「慌てると想いますが、問題ありません。これもヴィリスの殻割りの一環なのです」
確かに大抵の竜は殻割りをするときに自身の翼で体を覆う。それはまったく不自然じゃ無い。だが、ヴィリスの場合は話が違う。彼女の翼は猛毒だ。それに包まれたらその持ち主であるヴィリスの命も危ないかも知れない。
「心配いりませんよ。先程の痛みを乗り越えたのですから。後は竜の姿に鳴るのを待つだけです。
大母竜が言葉を言い終えると、翼に包まれたヴィリスは浮遊し始めた。そして翼の形が徐々に楕円形になっていき、そして質感も変わっていく。完全な卵状になると仄かに光りを帯びていった。翼の色。つまり紫に光る卵はほんの少しずつ。本当に少しずつであるが、肥大化していっている。それは目で見えるほどに。喩えるなら風船が空気を入れる度に巨大化していくような光景だった。
「無事我が娘が卵化する事が出来ました。あとは孵化。つまり殻割りを待つばかりです」
そこで竜達が漸く安堵したように息を吐いたのが分かった。ここまで来るまでに死亡するケースがあるからだ。正直言って先程ヴィリスが倒れたときはその場の竜達は誰もが失敗したとおもっていた。しかし運良く卵化したことでそれが間違いだったと言う事が証明された。毎回これを見ることになる竜達は正直言って気が気では無い。そのまま死んでいくのをただ見ているしか無いのだから。
「我が娘の友人である虹翼を持つ鳥人・アダルよ。これまで我が娘を支えてくださり、誠に感謝いたします」
アダルに近付いてきた大母竜はそう言うと頭を下げた。それにはさすがにその場が喧噪と化す。誇り高い竜達の長である大母竜が一体どこの誰とも知れない種族であるアダルに頭を下げるなど、本来合ってはならない。
「頭を上げてください。自分はそこまでのことをした覚えはありません。今回から割りを為ると決心したのはヴィリス本人です」
アダルはそう言いつつ頭を上げるように懇願した。さすがに彼としてもこれは居心地が悪いのだ。
「いいえ。貴女が居なければヴィリスは帰って来ることは無かったでしょう。ですが彼女は帰ってきました。それは何か心持ちを変えるような出来事が起ったか。・・・・貴方のようにあの子の苦しみを理解しつつも、その乗り越え方を示す方と出会った為なのか。・・・・それともそのどちらもなのかは分かりませんが、貴方のお陰である事に変わりません。これは正式にお礼をさせていただきます」
そう言うと彼女はまた頭を下げた。その言葉は国家元首としての言葉では無く、正しく母親としての言葉だとアダルは受け取った。
「・・・・・・そうですか。・・・・では楽しみにしています」
そう言って、アダルは彼女に一礼すると自分の席に戻っていく。
「あの者。中々わきまえているな」
「母様にあそこまで言われて返答があれだなんて。無礼ですわ」
「なぜあいつが褒められているんだ。そもそもなんで母様が頭を下げたんだ。あいつはそこまでのことをしていないだろう」
竜達の声はアダルにも当然ながら聞こえている。賛辞する声。嫉妬する心。侮辱する言葉。その全てがアダルには聞こえている。そうなる事は。そのような的になる事は大母竜が頭を下げてから。・・・・・いや、アダルが倒れるヴィリスも元に駆けつけた時から分かっていた事だ。だから別になにも想わない。賛辞されたって、それは自尊心を保つためにやっているというのは分かっているから真に受けない。嫉妬されたってそれは多分一時的な者だというのも知っている。他に嫉妬する対象を見つけたら自ずとそっちにシフトしていくものだと。ただ侮辱するような言葉を投げかけている奴等に関して言えば可哀想に思えてくる。そんな事を考えていたらアダルは他の神獣種達が待つテーブルに着いた。
「おかえりー」
「お帰りなさい」
そう言ってくれたのはミリティアとハティスだった。二人は何か面白い事でもあったのか、含み笑いをしている。明らかに馬鹿に為るような笑い方だった。
「ああ、ただいま」
返答して自分の席に戻るとアダルはため息を吐いた。
「なに? 自分の行動に後悔でもしてるの?」
馬鹿にしたように聞いてくるミリティアにアダルはデコを弾く。
「っ!」
少し痛そうにしながらその箇所を押える彼女は明らかに批難するような目を向けていた。
「そんな目をしたって無駄だ。最初に弄ってきたのはそっちだからな。この程度の仕返しはしていいだろ」
対してダメージにもなってないくせに痛がるような仕草をしているがそれも対して可愛いとは想わないで無視した。
「大母竜という方。今日初めてお目にしましたが、なんというか、オーラが凄いですね」
ミリティアの件を見ているためかハティスは話しを変えた。別に自分も同じ目に遭うのでは無いかとは全くおもっていない。ただアダルを弄ることに集中していたら話しが進まないに気がしたからだ。
「それは同意するよ。毎回逢うときにあの人のオーラに圧倒されるからな」
アダルに取って大母竜という存在は不思議な存在だ。威圧感があると想えば柔和的な雰囲気を醸しだしているし。かといってやさしい雰囲気というでは無く、厳しく険しいオーラを出している。決して他の種族を見下しているわけでは無いが、竜という種族に誇りを持っていることは窺える。共存を望んでいるのかと想えば竜を優先することがある。かといって子供達に優しく接していると思いきや時に自分の子供だというのに興味が無いのではと想わざる終えない行動を取っている。そう言う存在だ。言葉で表すとするならば大母竜は矛盾という単語がぴったりだと思える。
「不思議な人っての言うのはわかるけどさ・・・・。なんて表せば良いのか困る人だよね・・・」
ミリティアもそんな事を同じ事を思っていたようだ。だが彼女は大母竜という存在を表す言葉が見つからないようだ。まあ、今回初めて目にして答えを出せる方が凄い事だとアダルは想っているから彼女の意見の方が当たり前だろうと思い至る。
「そうですね・・・・。僕も何というか圧倒されてしまって。彼女を表す言葉が見つかりません」
「それが普通だ。気にする必要は無いだろう」
そう言うとアダルは酒を口に含んだ。
「・・・・・もしかしたらあなたは分かるんですか? あの方を表すような言葉を」
「・・・・まあ、ない事は無い。だがそれは俺の見解だ。それにそれを言うつもりは無いしな」
アダルは自分の意見を言わないと宣言すると今度はテーブルにのっている後月の鶏肉を手にとってかぶりつく。それを見たミリティアは少し惜しそうな表情をした。
「それあたしの!」
「別にミリティアのためだけの物じゃないだろ。俺だってさすがに腹が減ったんだ。少し位食べさせろ」
彼はこの会場に来てから酒しか口にしていない。酔うことは無いがさすがに空腹だった。
「別にあの人を表す言葉を見つけなくてもいいだろ。少なくとも今は。そんなつまらない事を考えていないで今は精々愉しめよ」
アダルの言葉に確かになとハティスは納得した。自分はなんてつまらない事を証明しようとしたのだろうと。今は式典の最中だ。愉しんだ方が良い。折角招かれておいてこれを愉しまないのは損だという考えに到った。
「確かにそうですね。では・・・存分に楽しませて貰うとしましょう」
そう言う溶かれもテーブルにのっていた分厚いステーキを頬張った。
「ああ! またあたしの分食べた!」
「これは・・・すごくおいしいですね」
感想を言ったハティスは満面の笑みでまたそれを頬張るのであった。




