五話 自責の念
ヴィリスの殻割りの儀、当日。この日大樹城全体が喧噪に包まれていた。殻割りというものは亜樽のいった通り大竜種にとっての成人式。つまりは御目出度い行事なのだ。それが大母竜の子女のものとなればそれはもう種族全体が祝うのは当然のことである。
だが当然ながらこの行事をよく思っていない者も存在する。面倒くさがりや、祝い事そのものが退屈と感じる者。そして大事の祝い事の主役になることが恥ずかしいと感じる者たちが主にそれに該当するであろう。もちろんのこと他種族の参加者たちの中にもなぜ参加しなければならないのかと思う者もいる。だが他種族の参加者たちはそれを口に出すことはない。面倒だと感じてもそれよりも竜とのコネクションが作れると判断することが多いからだ。地上にいて大竜種と敵対する方が難しいほど彼らは地上最強の種族なのである。
話を戻るが、竜たちの中でもこの日一番複雑な心境の少女が存在する。彼女の部類は祝われることが恥ずかしいにはいるだろう。しかしそれだけではない。自分は祝われてしまっていいのだろうかとも思っている。
「ヴィリス! 似合っているわよ!」
鏡の前で自分の姿を見るヴィリスはその格好と姉、ミリヴァの賞賛の声に複雑な表情をする。
「ありがとう・・・・。姉様」
振り返り、ミリヴァに対してはそのような複雑な表情を見せまいと試みた。しかしその表情にはいくらか力みが残って、ぎこちない者だったことから彼女にはすぐに悟られてしまった。
「・・・・・。まだ不安なのね」
ゆっくりとヴィリスの背後に回るとその手を両肩におく。
「そ、そんなことは!」
「いいよ。わかるから。・・・・・ほら、体が震えてる。さっきの言葉が本心ならこんな症状出るのはおかしいでしょ?」
図星を突かれたヴィリスは思わず一度ミリヴァの表情を見るが、彼女の心配そうな顔を見てうなだれてしまった。
「ほら、一度座って。心を落ち着かせましょ」
促されるまま鏡の前の椅子に腰掛ける。ミリヴァも部下に用意された椅子を横に並べて、そこに座る。
「・・・・・・。まだ怖いのね」
肩を寄せ合うミリヴァはヴィリスの耳元でつぶやく。彼女は少しくすぐったそうだったが笑う気分にはなれず、ただうつむいた状態で頷くのみ。
「・・・・・・。私は・・・・・・。兄様姉様たちを殺した。とっさのことだったけど、自分のこの力で殺してしまった。それなのに私はここまで生きて、今日殻割りを迎えようとしている。私よりも先に行うはずだった兄様たちを差し置いて」
自責の念。乗り越えたと思っていたこれがこの城に在していく中でぶり返した負の感情。これがヴィリスを苦しめているものの正体。
「・・・・・・・」
ミリヴァは何も言わない。いや、いえない。これまで追い詰められた彼女の姿を見てきた。それで励まそうといろんなことを言った。自分の弟妹たちへの非難。ヴィリスには正当な理由があったのだからそこまで気にしなくていいという励まし。それで一時的には気持ちを持ち直すことができるのだが、所詮それはその場しのぎに過ぎない。数日すれば負の感情はぶり返してより彼女を追い詰める。ミリヴァはもうその場しのぎでは対応できないと悟っている。そして自分のいったことがより彼女を苦しめるということもわかっている。だからこそ何も言えないのだ。
「・・・・・私に。私が殻割りを受ける資格なんてあるのかな・・・・。兄姉たちを殺してしまった私に・・・」
今にも押しつぶされそうなヴィリスの心。壊れていないのは奇跡というしかないほど彼女の心は疲弊している。このままでは殻割りの際にヴィリスの命は持たないかもしれないとすらミリヴァは考えている。どううればいい。どうすればヴィリスの心を持ち直すことができるのか。ミリヴァも葛藤していた。
「・・・・・・だけど決めたんでしょ? 殻割りを受けるって・・・・」
ヴィリスはその問いにゆっくりと頷く。彼女の横顔を見ているミリヴァは複雑そうな表情をしながら言葉を続ける。
「じゃあ、どうして殻割りを受けようと思ったのか。初心に返ってみたらいいと思うよ」
ミリヴァにはこれをいうことしかできなかった。本当はヴィリスがいま直面している問題を解決させてあげたい気持ちなおだ。しかし自分にはそれができないというのはもうわかっていること。ならば頼るしかないのだ。ヴィリスが殻割りを受けてでも力を手に入れたいと思わせる存在に。
「初心に・・・・返る・・・・」
つぶやきながらなぜだっただろうと思い返してみる。そういえばなぜだったのだろうと。自分は力などいらないとずっと思っていたのに。それなのになぜ・・・・・。
「・・・・・あ」
不意に前世の記憶が脳裏によぎった。それは朝学校に登校したときのことだった。教室に入るとそこには傷だらけになった明鳥の姿があった。前の席だったからすぐにその変化には気づいていた。心配して何があったのかと聞いても彼は転んだだけといってそれ以上は答えてくれなかった。そのようなことがその後数回続いた。日に日に傷が増えていく明鳥の姿を見てなぜか自分は情けなくなった。なんで自分は彼に踏み込めないんだろうかと。彼は大丈夫としかいわずに、それ以上何も教えてくれなかった。だからだろうか。彼女は知りたくなった。だから放課後、明鳥の後を追った。その行動自体が間違いだったと追跡してすぐ気づいた。彼を怪我させていたのはなんと当時天梨の親衛隊と名乗っていた集団。つまりは自分のファンみたいな者だった。当然彼女はその存在を認めたわけじゃない。なぜなら彼らは決して自分が求めていないことを勝手にやっていたからだ。昼食の時、混んでいた売店の前で少し落ち着いたら以降と考えながら立ちすくんでいたとき、彼らは無理矢理人を追い払い、それでもなお悪びれもせずに、売店に招いてきた。傍目から見たら完全に自分が支持したように見えるようなやり方で。さすがにその場に居づらくなり、その場から逃げたことがあった。そのほかにも:彼らは天梨のためと言いつつ、様々な素行の悪いことをしていた。自分のせいじゃないのに日に日に自分の悪行が増えていくような感覚に襲われた。そんなときに彼女を助けたのが明鳥だった。明鳥は親友の王来と共に天梨を信奉する集団を解体させたのだ。どうやってしたのかは詳しく聞かない方がいいといって教えはしなかった。彼女のためだと思い。しかしそのせいで逆恨みを買い、毎日放課後にこうして呼び出されたのだ。見ていると明鳥は一切反撃せずに、ただただ殴られているような感じだった。何でしないんだろうと彼女はそこで意を決して止めようとした。しかしその瞬間に肩に手を置かれる。恐怖によって体は硬直する。結果的に言って彼女を止めたのは王来だった。なんでこんなことになっているのかと問いただすと彼は逆恨みを買ったとしか答えない。なんで明鳥が反撃しないのかと問うたら彼は珍しく苦い顔をして言うのを渋る。それでもなお問いただすと彼は答えた。「お前のためだ」と。彼女はその瞬間に思考が止まった。王来は話を続ける。何でも本来明鳥は仕返しの対象ではなかったらしい。彼らに仕返しを受けるはずだった本来の対象。それは彼らが信奉していた天梨自身。今度は呼吸が止まった天梨は思わず声を上げそうになるが、寸での所で口を塞ぐ。それを知った明鳥がそれを実行する前にここに乗り込んで天梨は関係ないと言うのを話す当然のごとく激怒した信奉者たちは彼を袋だたきにした。それでも明鳥は反撃しなかった。理由はいくつかあるのだが、己の意地故に。当然の如く王来は知っている。だからこそ毎回傷だらけになっている親友をこのまま見過ごすはずがない。だからこそ今回明鳥をつけてきた天梨にあることを持ちかけた。
『この状況。どうにかしたいんだったらお前の力を貸してくれ』
悩む理由などどこにもない。だけど決心がつくまでに少し時間を用いた。だけど彼女はそれに頷いた。王来の目をまっすぐと見て。自分の意思が揺らぎないことを見せつけるように。




