三十六話 眠るアダル
時刻は夕方。この階層の日がゆっくりと沈んでいく。ミリヴァが帰ってからかれこれ四時間以上が経過した。アダルは体を休めるように目を瞑り、瞑想を繰り返していた。危うく寝付きそうになる事もあるが今に関してはそうなることは絶対にないと断言できた。しばらく続けている瞑想を止めようと思い立ったところで飛び裏が勢いよく開く音が耳に入ってきた。かれは目を開けて誰が入ってきたのかを確認するために首をその方向に向けた。
「ミリヴァが来たのだろう? あいつは何のようで来たのだ?」
部屋に入ってくるなりヴァールは唐突に質問している。アダルは彼の質問に対し少し呆気にとられた表情を浮かべた。
「随分と直接的に聞くんだな」
「ミリヴァの訪問は予想がつかなかったのだ。そもそもお前を嫌っているのに態々会いに来るとも思えなかったのでな」
「俺も同じ意見だ」
ヴァールの発言にはアダルも同意見だった。過去の事を考えると彼女は間違い無くアダルを敵視している。それは今回の態度から見てもわかりきったことだった。だからこそアダルは驚いたのだ。彼女の急な来訪を。
「彼女がなにを思ってかの訪問かは俺にも計り知れない。だが、謝られた」
その言葉にヴァールは眉を顰める。
「なにに対してだ?」
「今回の竜達の暴走は自分のせいだからという理由らしい」
珍しく真面目な顔で聞いていた彼はあからさまに興味が失せたように息を漏らす。
「その程度の理由で訪れたのか。ミリヴァは相当な暇人なのだな」
「そういってやるな。彼女なりに責任を感じているんだろう。だから俺は言ってやった。今後は今回のようにならないように竜達をきちんと教育しろってな」
「ははっ! よく言った。これで少しは竜という種族が生き残る可能性が増えた」
明らかに楽しげに笑い上げたヴァールの言葉にアダルも釣られて口角が上がった。
「お前はそんなこと考える奴じゃないだろ? 誰の入れ知恵だ?」
「失礼なやつだな。自分もそれなりには考えているのだぞ?」
半笑い気味に発言する彼に胡散臭さすら感じるアダルは曖昧な表情を見える。
「まあ、いい。それより何でお前がここに彼女が来たことを知っているんだ?」
ミリヴァは窓から入ってきては窓から帰って行った。つまりはこの屋敷の使用人達とは一切顔を合わせていないはずなのだ。もしかしたら来るときも帰るときも目立つようにしていたのかも知れないが、それだともっと屋敷もこの階層にある末も騒がしくなるはずだった。しかしその気配はまったくしていない。つまり彼女は秘密裏にここに訪れたと言う事だ。その筈なのにヴァールは知っていた。その理由が如何しても気になったこそアダルはこの質問を投げかけたのだ。
「簡単なことだ。本人から事前に聞いたのだよ。今日中に鳥人の元に行ってくるとな」
「・・・・・・・なるほど。それは知っていて当然か」
理由を聞いて損した気分になったアダルは苦笑いをした。正直溜息を吐きたくなるくらい面白くもない事だったが、それはなんとか我慢した。別に彼の前だからしても良いのだが、ここは見せるのも癪だったから呑み込んだ。
「まあ、理由は聞いていなかったからな。どのような会話をしたのか気になったのだ」
「そうだな。それなら気になっても仕方が無い。っというかそのくらいなら言ってもいいだろ。別に聞かれて困るようなことを言いに来たわけではないんだから」
最早呆れるしか出来なかった。それにはヴァールも同意見だったらしく少し不満げに先程彼女が座っていたソファにドカッと腰を下ろした。
「全くだ。むしろ聞いて損した。それ程つまらない理由程度でお前の元に訪れるとはな。自分はもっと違う理由でお前の元に行ったと思って居たのだが、期待外れも良いとこだ」
「それは悪かったな。で? お前は彼女がどんな用事で俺の元に来たと思ったんだ?」
問うとヴァールはその表情に笑みを浮かべる。
「お前への報復だと期待したのだがな」
「・・・・・・。お前の予想が外れて良かったと心から思うよ」
頭が痛くなり、手を添えるアダルは心底疲れた表情をしていた。その様子を見ていたヴァールは彼の様子を見て怪訝そうに為る。
「お前の体はそれ程ボロボロだったか?」
ここに来た時。彼の体は既に戦闘で負った傷や疲労の蓄積によってそれなりにボロボロだった。しかし今はここに来たときよりも酷く見える。
「なにが原因でここまで酷くなるんだか。休んでいるはずなのに状況は少しずつ悪化しているように感じる」
今日のことと言い、この間の襲撃と言いアダルの体には大して負担など掛かってるはずはないのだ。それなにこの熱は一向に下がらない。これ以上悪くなることもあり得る。この症状にはさすがにアダルも堪えていた。
「もしかしたら巨人がお前の力を吸っているのかもな」
笑い話として。冗談として振った。しかしアダルは急に真顔になる。
「やめろ。冗談だとしても笑えない」
そこでアダルは目を閉じた。
「疲れたか?」
「ああ、正直喋るのもしんどいほどだ。頭も痛くなってきた」
先程の痛みがさらに酷くなったのか彼は想わず顔を歪める。彼がそうなるほどにアダルの頭痛は酷くなったのだ。
「なら今日はここでお暇させて貰うとしよう。お大事にな」
そう言い残すと彼は立上がって足早に部屋から出て行った。
「・・・・・。ッたくなんで急に頭痛が始まるんだよ」
今頭の中を襲っている症状へ悪態をつくと再び目を開いた。
「あ、駄目だこれ。本格的に駄目になったな」
見える景色のピントが合わず、さらには動いてもいないのに視界が揺れる。
「・・・・・・・・。あの雰囲気が止めになったのか。これは本格的にいつ本調子になるのか分らなくなったぞ」
ミリヴァと張り合ったあの今にも攻撃を仕掛けあうのではないかという緊迫感。アダルはあれが原因だと思い至った。頭がいたい中それだけ分析できるのは彼だからこそだろう。
「・・・・・。仕方がない。こればっかりは本当に仕方が無い。しばらくは考えるのも止めて休養に本腰を入れないともっと体調が悪化するな」
そういいつつ、彼はなんとか起き上がるとその体を発光させた。発光が収まるとそこには元の鳥人の姿になった彼がいた。人間の時の大きさのままの彼が。
「最後に・・・・・・。うん、大丈夫だな」
自身の中で封じている巨人に意識を向ける。先程のヴァールの発言が如何してもあたまに残っていて、それが気がかりだったための行為だった。結果から言うと巨人に力を吸われていると言う事などではないことが判明した。それで安心したのかアダルの意識がゆっくりと落ちて感覚に襲われる。
「これは・・・・。しばらく起きない奴だな」
この様な感覚に陥ったことが過去に何回か経験していたため直ぐに分ることが出来た。
「今回はどのくらいで起きれるか・・・・・。周りの迷惑にならなきゃ良いが」
もしこのまま数日間起きなかったらさすがに周りが心配するだろうなと考えながらも眠気には敵わないのかその感覚に抗わずに身を委ねる。
「頼むから次起きたら全快であってくれよ」
最後に願いを口にすると数秒後には寝息を立て始める。
休んでいる彼以外誰も存在しない室内。西日が辛うじて来るまでから見える景色はもうすぐ夜が訪れることを知らせるように薄暗くなっていた。
月明かりが彼を照らし始めた時に黒い靄がアダルの寝台横に姿を現す。それは徐々に人の形を形成していく。それが完全に人の形になると眠ったままの無防備なアダルを見下ろす。
「今は眠るが良い」




