四話 不安の中の帰還
「ヴィリス様。到着いたしました」
「・・・・・・・分かりました。直ぐに降ります」
外から聞える従者の促しに、ヴィリスは溜息を吐きたい気持ちを我慢して返答する。彼女の心情的にはこのまま馬車から降りたくないという気持ちでいっぱいだ。其れも仕方が無いことだろう。しかし言ってしまったからには降りなければいけないのは承知なので、渋々開けられた扉から外へ飛び出る。
「・・・・・・・久しぶり」
その場で見上げて、嘗て見た固形と変わらぬ大樹城に無意識にそう呟いていた。そしてその表情は徐々に苦々しく成り、徐ろに俯き口に手をあてていた。
「大丈夫ですか、殿下?」
その様子を見ていた竜人の従者が心配して近付いてきた。しかしその前に彼女は膝を付き余計気持ちが悪そうに振る舞う。
「殿下。ご気分がよろしくないのですね?」
従者はそっと背中を摩り始めた。周りにいた者達もその様子を見て、急ぎ対応を始めた。ある者は医者を呼びに大樹城へ駆けだし、ある者は馬車に備え付けてある桶とタオルを差し出した。ヴィリスはその者からタオルだけを受け取り、それで顔を押えた。少しして声を殺して無く声が聞え始める。近くにいた従者達は彼女を囲っているため、その声は諸に聞える。だが、その場にいた者達は彼女の事情を知っている者達だった。そのため彼女が何故泣いているのか察しがついている。だからこそ誰もその声が聞えないふりをした。傍から見たら冷たいと思われる光景だろうがそうするしかなかった。何故ならその場にいる誰もが彼女の問題に踏み込む事は出来ないのだ。ここで安易に同情の言葉を掛ければ、彼女の心を傷つける結果になるのは明白だった。なにより、彼らにはなにも言えないのだ。何せ、ここまで一人で来させたのは彼らなのだ。もし誰かと一緒に大樹城へ帰還したのならこの様な事は無かったのかも知れない。しかし大母竜の命令で向かいに行き、その言葉を彼女に伝えて自分らが彼女を一人で来させてしまったのだ。彼女だって一人で帰ってきたくは無かっただろう。何せ心を抉るほどのトラウマが刻まれた場所だ。それを帰還させてしまったのは自分たちだという自負があるからこそ彼らはなにも言えずにいた。
「・・・・・・。すいません。取り乱したした。・・・・・・・これありがとうございます」
数分後。漸く心の整理がついたのか、彼女はタオルから顔を上げた。目は微かに赤く、声も少し枯れていた。
「いえ、これも仕事ですので」
タオルを受け取った一人がなるべく柔和な声で応答する。
「それではまず、ミリヴァ様の元へ参りましょう。あの方は貴方様の帰還を心待ちにされておりましたから」
「そうなんですか。それは嬉しいです」
従者が徐ろに歩き出す。その背中を少し長め、数回深呼吸をした後に漸くヴィリスも前を行く従者を追うように一歩を踏み出す。その足取りは少し重いが、従者の後ろ姿を確実に捕らえている。従者の方も彼女を思ってか、少し足並みを遅くしていた。
「・・・・・・・」
再び大樹城を見上げる。久々に見ても変わらずにそこに佇む巨大な城。思い出されるのは心に刻まれたトラウマ。最早彼女を軽んじる者は存在しない。そのことが彼女にとって尤も深い傷。何せその者達を殺したのは自分なのだから。先程気分を悪くしたのも、その時の光景が過ぎったからだ。
「ミリヴァ姉様は。私の事を受け入れてくれるのかな」
彼女にとって自分の存在は弟妹を大量に殺した存在。彼女は弟妹に対して愛情が深い。そんな彼女が自分という存在を歓迎してくれるのかという不安を燻らせている。だからこそ正直、会うのが怖い。なにを言われるのか分からないから。もしかしたら罵詈雑言を浴びせられるかも知れない。そのときはその言葉を真摯に受け止めようと心にした。
「先程も申しました通り。ミリヴァ様は貴女様の帰還を心待ちにしておりますよ。それこそあの方はヴィリス様が帰還の時、自ら出迎えると仰っていたほどです」
苦笑いしながら語る従者の言葉は不思議と信じられた。何せ、目の焦点が合って無く、その表情も疲労がにじみ出ていたからだ。
「それは・・・・・。大変でしたね。すいません私のせいで余計な苦労を掛けてしまったみたいで」
「いえ、ヴィリス様は悪くありません。強いて言わせて貰うのなら、悪いのはわがままを言って我々を困らせたあの方です。まったく。あの方にはもう少し落ち着いて貰いたいものです」
彼はヴィリスの前だという事を一瞬忘れていたようで、後半本音が漏れてしまった。言い終わった後に失言だったことに気付き、彼女に振り返って頭を下げた。
「今の失言は駄目ですね。失礼いたしました。今の言葉はお忘れしていただけると助かります」
失言に対して素直に謝罪をする。そして大母竜の子女に対しての苦言を口にしてしまった事へのフォロー。その姿を見るだけでこの人は真面目な人なのだと分かった。
「大丈夫ですよ。私、口は堅い方なので」
「助かります」
そう言うと彼は振り返って歩き始める。ヴィリスも彼に付いて行く。不思議と先程の不安は少し薄くなっていた。姉の奇行を聞いて心が軽くなったのだ。それを聞けば思い悩むことは無いのかも知れないと思った。そこまで自分の事を受け入れてくれるのだ。蔑まされる事は無いのではないかとも思ってしまう。そしてヴィリスは過去に接したミリヴァという姉について思い出し始める。彼女は大母竜の長子であり、後継者として生れた。そんな彼女は弟妹に愛情を注ぐ様な人物だった。だから過剰とも思えるような保護を施してくれる。そんな彼女の愛をヴィリスも注がれた。半分しか竜の血を引いていないのに彼女は他の兄姉と変わらず愛情をくれた。
「もしかしたらそれ以上だったのかも」
独り言ちるその声は従者の耳には届いていない。ここで思い出してみてその考えに思い至った。もしかしたらあの人は自分には特別な愛を注いでくれていたのかも知れないと。思えば他の兄姉より自分には過保護のような気がしていた。そしてそれが兄姉達を怒らせる原因になってしまった。みんなに優しい姉が末子の。しかも半分しか竜では無いヴィリスの事を特別扱いするのを気に入らなかったのだ。そんな要素が含んでいたのでは無いかと彼女は後から気付いた。しかし気付いたところでどうすることも出来ない。何故なら最早その者達は存在しないのだから。
「あの。クリト王国の王子と私が同行を求めた彼はどのくらいでここに着くんですか?」
ふと急に分かれた彼の事を思い出し、訊ねてみる。ヴィリス的には悪い事をしたなと言う重いと、一緒に来て欲しかったという思いが交じっている。やはり覚悟を決めたとは言え、一人で帰ってきたことに恐怖を感じてしまうのだ。今だって彼女の心情は変わっていない。だからこそ自身が勝手に心のよりどころにしている彼とどのくらい離れなければいけないのかという思いから聞いていた。彼女の心情を知らない従者は振り返らずに答えてくる。
「クリト王国から参られる賓客の方々はやく六日後にここへ到着する予定です」
「そうですか・・・・。ありがとうございます」
気丈に大丈夫な風に装うが、雰囲気は暗くなった。彼女からしたらあと六日もアダルに会えない事が不安で仕方が無いのだ。その間、自分を保つことが出来るのかとい思いも交じっている。彼女の心情は今とても複雑な状況で、何か異物が入れば直ぐに壊れてしまうほど脆い。そんな中でどうにかその均衡を乱さないように生活しなければ成らないのだと思うと、ヴィリスは胃が痛くなった。




