五十九話 不調
「私はね、リヴァトーン。あの時のことを凄く感謝しているんだよ」
彼女は少し恥ずかしそうに。しかし淀みなく言葉を言い切る。あの時のことはリヴァトーンも覚えている。その時を思い出してみて、リヴァトーンは顔を顰める。彼に取ったらあの時の思い出は苦い物だった記憶がある。しかし彼女に取ってはそうではなかったらしい。
「あの時の俺様の行動のどこに感謝される要素があるんだよ」
そんなに苦い思い出の中、彼女に賞賛されるような事をした覚えはない。そのため自分がどのような行動を取ったのか気になった。リヴァトーンから放たれる言葉に彼女は一瞬以外そうな表情を垣間見せ、直ぐに吹き出すように笑う。
「まあ、覚えていなくて当然だね。何せリヴァトーンからしたら当たり前の事をしただけ何だから」
当たり前の事という単語が彼は余計に混乱させた。当たり前の事と言うことは無自覚にそれを行なっていたと言うこと。そんな覚えてもいない行動を賞賛されても本人は言われなくては分からない。そんな必死に悩む姿がよほど滑稽だったのか、彼女はその場がどのような場所なのか忘れて笑い出した。当然それに反応して、触手の一本が飛んできた。直ぐに反応しようとするが、それがコチラに届くことはなかった。大分距離を取っていたのもそうだが、アダルが注意を逸らしてくれたのが二人から見えていた。アダルは彼らに注意するような睨みを見せたのち、溜息を吐いて再び軟体獣との戦闘に戻った。
「少しは場所と状況を考えて笑えよ」
アダルが言わなかった注意をリヴァトーンが代弁して彼女に言う。しかし彼のその言葉はあまりユリーノには響かなかったようで、依然としてへらへらとしている。
「ごめんって。だけどなんだか、そんなに面白い反応を見せるとは思わなくて・・・ぷっ!」
一応謝罪の言葉は入れる彼女だが、先程のリヴァトーンの反応を思い出し、再び吹き出しそうになる。最初の声は漏れてしまったが、それ以上の声は寸でのところでリヴァトーンが口を押さえて事で防ぐことに成功した。
「だから状況と場所を考えろ。また触手が飛んでくるぞ。あとあいつの痛い視線も」
操作とされたことによって、ユリーノはなんとか自分の感情を呑み込んだ。
「そうだった。ごめんリヴァトーン。余計な気を遣わせちゃって」
いつもの調子で彼女は振る舞う。このような時、ユリーノに甘い判断を下す傾向がある。今回もリヴァトーンはそれ以上何も言わずただ呆れた様な息を吐いただけだった。
彼は分かっている。今の謝罪で彼女のペースに飲まれていることを。いや、ここで会話をはじめからずっと彼女に主導権を握られていたのだろう。
「そろそろ教えろ。これ以上引っ張るなら俺は行くぞ」
リヴァトーンの体力は彼女と話し始めた当初より大分回復していた。話していた時間としては二、三十分程度。話した内容は薄かったが、やはり一人で延々と重いことを考えているより、人と何かくだらないことを話していた方が心が気楽になる。そして心に掛かるお守りが減れば減るだけ体力の回復力は増える。他の者はどうなのか知らないが、リヴァトーンはこの様な特異体質を持っている。
「いいよ。どうせ教える気なんか無かったから」
彼女の悪戯が成功したと言いたげな悪い笑みを浮べ雨R。口端からはしたが出されている。彼女のその発言にリヴァトーンは唖然とし、少しの間、思考停止状態になった。傍から見たら驚いた顔の状態で止まって呆然と立ち尽くす人が完成してしまった瞬間だ。
「お、おい。今、なんて言った?」
思考停止状態から復帰した彼の最初には成った言葉からは動揺が見えた。それに追い打ちを掛けるように彼女は空気を読まず言葉を繰り返す。
「だから教える気は無いって言ったの。無自覚でやったやつだったら私が言ってもピンとこないだろうし」
彼女の主張にリヴァトーンはそうかも知れないと納得して唸ってしまう。
「ただ、リヴァトーンのしてくれた行動に帯して感謝している事はいつか伝えない取って思って居たし。本当はもっと違うところで伝えたかったけど。普通の時なんかに」
言い終えると同時に彼女は平時の時にそのことを伝える場合の想定を始める。直ぐに彼女は若干頬に僅かな朱に染めて、恥ずかしそうに言葉をつづけた。
「でも、そう言う何にも無いときに言うのもなんか凄く恥ずかしいな。やっぱり異常事態の時にどさくさに紛れていちゃった方が良いわ」
補足していくことが余計恥ずかしいことになる事に途中から気付くもなんとかさあ以後まで言い切るユリーノ。彼女が恥ずかしがりがっていることに鈍感ではないリヴァトーンも気付いている。ここまであからさまに恥ずかしがっていて気付かない人物はアダル以外にあまり存在しないであろう。
「お前、恥ずかしいなら補足いらなかったろ」
そして長年の付き合いになるリヴァトーンにとって彼女のその反応は面白い物でしかなく、同時に玩具と同じ扱いになる。つまりは彼女のその反応当然の如くいじる。
「それは途中で気付いたけどさ。だけどそこで止める方が恥ずかしいって思って頑張って言い切ったの。最後まで言った方がバレないかなって思ったのにな」
「爪があめぇよ。俺様がお前の表情を読めないとでも思ったか?」
リヴァトーンの言葉にユリーノは悔しそうにうなり声を上げるしかなかった。
「だからってさ。なんで掘り返すの!」
「お前が羞恥にさらされる姿を見たかったから」
さすがに絶句した。しかし何故かユリーノは戸惑った表情から段々と笑顔になっていった。
「よかった」
「何が良かったんだよ。笑顔なんか浮べやがって。もしかして今の俺様の言葉でマゾに目覚めたか?」
卑しい顔つきでからかい続けるリヴァトーン。そんな彼に近付くと同時にそっと手刀にした右手をスッと挙げ、それを彼の脳天にたたき込む。
「いってぇな!」
チョップをされた箇所を摩りながらにユリーノへ向け抗議の睨みを入れる。
「勝手にマゾにするな。変態か、君は」
注意する言葉使いがガイドルに似ていた。彼女が意図して似せた物だろう。
「折角リヴァトーンの調子が戻って安心してた所なのに。なんでそんな解釈するわけ」
彼女の言葉を聞き、リヴァトーンは少し自分の言動について思い出してみた。
「だけどいつもの調子に戻って良かったね。今の絡みは少し過剰だった気がするけど」
「・・・・・そうか。おれは調子が悪かったのか」
言われて、自分のした言動と態度を思い返して。そこになってようやく自分の調子が悪かったのだと自覚し、同時にそれが戻ったのかと漠然と感じ取った。彼としたら今まで調子が悪かったという感覚ではなかった。しかしそれは自覚がないだけで実際は不調だったのだろう。体ではなく精神が。だから彼らしくない考えを抱いたりしてしまい、彼らしくなく一人で思い詰めたりといった行動に出てしまった。今更ながらどうしてだろうとリヴァトーンは考えてしまう。しかしそれを思考する事を直ぐに止めた。何か行動する時に直ぐに頭脳に頼るなど自分らしくない。自分の専門は体を動かし事。そこはアダルがそのように行動していたからリヴァトーンも無自覚に真似してしまい、悪い方に影響されてしまったのかも知れない。
「自覚してなかったんだ。まあ、それは良いけど。調子戻ったんだったら行かなくていい訳? 体力も戻った感じでしょ」
「そうだったわ。お前のせいで余計な時間食ったじゃねぇか!」
「絶対私のせいじゃないし! リヴァトーンが遊んでいたのが問題でしょ!」
お互い言い合いに成る寸前まで主張する。その周辺は緊迫した雰囲気となるが二人が同時に笑い出したことによってその空気は和らいだ。
「じゃあ、行くとするか。直ぐに戻ってくるからここで大人しくしていろよ」
「おお! 行ってこーい! あの鳥野郎の出番を無くすくらいの戦いを私に見せるために」
最後にお互い軽口を叩くとリヴァトーンは戦場に戻っていった。その背中をみて、ユリーノは僅かながらに自分にあのような力が無いことを悔いたのだった。




