本田夢亜の不幸な人生
夢亜の人生が大きく変わったのは10歳の時だった。それまでは少し大人しい、ありふれた子供だったと思う。
夢亜にはかつて母親がいた。夢亜を出産した時は15歳という若さだった。
父親は当時の彼氏で、五つ上の20歳だった。妊娠が発覚した時、責任を負いたくない彼は中絶するように言った。母の両親も堕ろさなければ、絶縁すると脅した。
それでも母は産む事を諦めなかった。結局、夢亜の父となるはずだった男はふらりといなくなり、実家から飛び出す事になった。この時の母はとても強い人だったのだと思う。
母は昼に育児を、夜には夢亜を託児所に預けてキャバクラで働いた。
娘には、可能な限り愛情を注いだ。
周りは母を悪く言う連中も少なくはなかったが、夢亜は母が大好きだった。しかし、この生活は長く続かなかった。
母に、夜の毒が回り始めたのだ。
若く美人で、夜の蝶としての才能があった母は人気もどんどん上がり、男達を虜にした。
華やかなドレスに身をまとい、毎日浴びるように酒を飲み、男達から貢いでもらったシャネルのバッグを手に持つと、自分がおとぎ話に出てくるお姫様になった気分だった。
それと同時に母親というものが、ひどくつまらない物だと思うようになっていった。
夜ではこんなに輝けるのに、昼の私はなんて平凡なのだろうと。
母は次第に夢亜に興味を無くしていった。彼女にとって夢亜はもう、ただの足枷でしかない。
そしてある日、ついに母は一線を越えた。
ある日、母は夢亜を児童養護施設に連れて来た。
「夢亜、用事が出来たからここで遊んでいなさい。後で迎えに来るわ」
その言葉に夢亜は素直にうなずき、待ち続けた。
しかし一日経っても、一週間経ってもついには母が迎えに来ることはなかった。
見かねた職員から事情を話され、夢亜は自分が捨てられた事を知った。
そのとき夢亜の中で何かが壊れた。
誰にも心を開けなくなったのだ。
施設の職員もそこで暮らす子供達も学校の
教師もクラスメートも。
みんな嘘をついているのでは無いのか?
私をまた捨てるのでは無いのか?
誰も信じられない。誰も信じたくない。
こうして夢亜は今まで一人で生きてきた。
毎日本を読み漁り、自分だけの世界に深く潜りこんだ。施設で暮らし始めてからも夢亜の不幸は続いた。
中学一年の時、女子グループに母親に捨てられた事を理由にいじめにあったのだ。噂は小学校の同級生から瞬く間に広がった。
ある放課後、帰り支度をする夢亜を後に、二人組の女子が夢亜に聞こえる声で話し始めた。
「あーあ。本田ってかわいそー、母親に捨てられたらしいじゃん」
「親が水商売だったらしいし、父親が誰だか分からないからじゃね?」 きゃははと笑う声が耳を貫く。
「今頃新しい男つくってるよ、絶対」
「うるさい!」
自分でもびっくりするくらいの声で叫んだ。
自分を捨てた母も許せなかったし、その事についても、赤の他人に絶対に言われたくなかった。
夢亜は驚いている二人組のところまでツカツカと歩き、女子一人の頬を思いっきり引っぱたく。
「いった……」
一人が頬を押さえうずくまる。
「てめえ! なにすんだよ!」
もう一人が夢亜の頬をはたく。
痛みを感じると共に、理性までが吹き飛んだ。
その後は髪をひっぱったり、殴ったりの乱闘になり、事態を聞きつけ、慌ててやって来た教員が夢亜を取り押さえるまでの記憶がない。
この件以来いじめはなくなったが、同時にクラスは夢亜を”腫物”として扱い、誰一人夢亜に近づこうとはしなかった。
そして最近、ふと思った。
私は誰からも愛されない。この世界で、とても生きていける気がしない。毎日が地獄だ。
――それなら生きなくてもいいじゃないか。
そう思うと心が少し軽くなった気がした。
夢亜は高校を卒業したら死のうと決めた。
死ぬ事に対して恐怖は無かった。今回、事故で死ねたのは、ある意味運が良かった。
きっと自殺は勇気がいるのだろうから。