観覧車の中で眠る
ニーナは夢亜を待つ様にベンチに座っていた。空は赤く、夕日が沈もうとしていた。閉園時間は迫り、客のほとんどは帰宅を始める。
もうすぐ一日と二人の少女が終わろうとしていた。
ニーナは夢亜を見つけると、軽く手を振った。
「ニーナ、もしかして貴方がお母さんをここに呼んだの?」
彼女は微笑み、静かに首を振る。
「ううん、”天使の力”は一応、そんな事も出来るけど、今回、あたしは何もしていないよ」
母は、自分の意思で来た。
少し、胸が苦しくなる。
「夢亜、貴方はお母さんに愛されていたんだね」
ニーナは優しい顔で告げた。
夢亜は無言で頷いた。泣いてしまいそうだったからだ。
あのとき夢亜を見る母の顔は、10歳の頃と何も変わっていなかった。
「ねぇ、最後にあれに乗ろうよ」
彼女が指をさした先には、夜間用のイルミネーションが灯し始めた、巨大な観覧車がそびえ立っていた。
二人で観覧車に乗り込むと、ゆっくりと上に登り始める。。一番高いところまで行くと、、夢亜の住んでいる街が見えた。ぽつぽつと灯りが付き始め、生活の輝きを発していた。最初に連れられ、ダリアも含めて三人で酒を飲んだビルも見えた。
夢亜はガラス越しに地上を見つめ呟く。
「私の街は、こんなに綺麗な場所だったんだ……」
「うん、普通に過ごしていると分からないけれど、本当はこの世界は、とても綺麗で、幸せなんだよ」
夢亜の前に座るニーナも、同じ様に眺めていた。
お互い少しの時間無言が続いた後、ニーナが静かに話し出しす。
「――ダリアから私の事は聞いたんだよね?」
夢亜は頷くとニーナは苦笑した。「ダリアに悪い事しちゃったなぁ」
「……本当なの? 貴方が、不幸で、今日消えてしまうという事」
「本当だよ。……実は怖かったの。過去を話す事、過去を貴方に打ち明ける事が。でも今日決心が付いた。――あたしの話をするね」
夢亜は初めて会ったときからずっと彼女を、強い少女だと思っていた。
どんな時でも笑顔を絶やさない、向日葵のような少女だと。
だけど目の前にいるニーナは、震えている、一人の幼い女の子だった。
「あたしが人間の時はね、ここと似ている綺麗な街に住んでいたんだ。街のあちこちに向日葵が咲いていて、少し遠い所に観覧車が見えた。パパとママがいて、学校に行くと友達や先生がいて、すごく幸せだった。
だけどあたしが12歳の時、世界中で大きな戦争が始まったの。街はどんどん戦いの色に染まっていって、みんな他の国の人を殺す事しか考えなくなった。毎日銃声と大砲と戦闘機の音が鳴り響いていた、毎日が怖かったなぁ。
そのうちパパは戦場に行き帰ってこなかった。少しすると毎日沢山の飛行機が爆弾を落としっていった。向日葵畑も燃えて、観覧車も壊れちゃった。友達も、先生も、ママも。みんな爆撃に巻き込まれて死んじゃったんだ」
「もう話さなくていいよ!」
夢亜は耳を塞ぎ叫ぶ。夢亜を救ってくれた彼女が一番不幸だなんて、あまりに残酷で嘘だと思いたかった。
ニーナはそっと夢亜の手に触れる。
「夢亜はあたしの友達だから――全部聞いて欲しいな」
耳を塞いでいた手がゆっくりと降りる。そうだ、私はニーナの友達だ。彼女の過去は、知らなければならない。
「ありがとう、続けるね」
ニーナは静かな笑みを浮かべた。
「両親を亡くしたあたしは、孤児院に住むことになった。シスターのおばさんは優しかったなぁ。そこであたしは毎日聖書を読み、神様の像に祈り続けたの。死んでしまったみんなが、天国に行ければいいな。そんな風に考えていたんだ。
ある日、おばさんと一緒に買い物の帰り道を歩いていたら。敵国の戦闘機があたし達に機銃を撃ったんだ。おばさんは頭を撃たれて即死、あたしは胸を撃たれた。血が溢れて、視界がどんどん暗くなって、最後に灰色の空を見上げたとき、もしかしたら神様や天使は、いないのかもしれないなぁと、ぼんやり思ったんだ。
そう思ったらとても悲しかった。……これで私の話は終わり。夢亜、聞いてくれてありがとう」
話を聞き終わる頃には夢亜は、涙を流していた。泣かないと決めたはずだったが、どうしても無理だった。あまりにも酷すぎる。
「こんな……こんなのっ、悲しすぎるよ」
「でも戦争は沢山の人を不幸にしたから、あたしだけが特別じゃないんだよ」
「そんな事ない!」
夢亜は叫ぶ。
ニーナは自分の事を話しているのにまるで、夢の中の出来事であったかのような、口調だった。
「ありがとう、夢亜はやさしいね。 でもね、あたしの人生は、悪いことばかりじゃ無かったよ。
次に目が覚めて背中に翼が生えていたのが分かったとき、すごく嬉しかったの。本当に天使存在して、あたしはその天使になれたんだって。あたしの力でどんな辛い過去があった人達も笑顔で天国に連れて行ける。
それはすごく、やりがいがあった。嬉しかった。そして最後に――」
ニーナは空の様に青い瞳で夢亜を真っすぐ見つめた。
「夢亜に会えた。だからあたしは、今日消えたっていいくらい幸せだったんだよ」
夢亜は強く頷く。
「私もだよ、ニーナ。」
「あはは、そっか、おんなじだ」
その時初めて、ニーナの瞳から一筋の涙が流れた。
それはどんな宝石にも負けない美しさだった。
――直後、とても強い眠気がやってきた。ニーナも同じ様で、彼女の青い瞳は目蓋に隠れていく。
「いよいよだね、ニーナ」
「うん。ねぇ夢亜、手を握ってもいいかな?」
「もちろん」
ニーナの小さい手を取る。
「……あったかい。夢亜、大好きだよ」
「私もニーナが大好き。」
ニーナは微笑むと、ゆっくりと眠りについた。その表情は、とても幸せな子供の顔だった。
夢亜は 閉じゆく瞳で夕焼けが終わる瞬間の街並みを眺め微笑み、一言だけ呟いた。
「やっぱり、綺麗……」
観覧車の中で、二人の少女は祈るように手を重ね、深い深い眠りについたのだった。




