八話
「おっお俺もそれは思った。隠す意味はないし地下道を作る必要もない。でででもレイア王を迫害していた子達の一族ならそれもあり得るんじゃないか?」
彼は言った。伝説ではレイア王は晩年、三人の子のうち二人の子からはあまりいい扱いはされていなかったそうだ。最後に頼った子の力を借りて二人の子をこの地から追い出した。もしかしたらその追い出された二人の子の子孫が今回の黒幕ではないか、と。
「なる程。なくはない話だね。でも、じゃあ仮にそうだとしたら遺書の人物はレイア王と言う事になるよ。突拍子もない話だけどそう考えたらあの文章は納得いくかもしれない。」
でも、と言うと睦生は困惑する。そうなると神話の人物が眠る地を捜さなくてはならない。それははっきりいって不可能に近い。
「一応、伝説ではソアー川の地下にお墓を作ったそうだけど、これ探せるかなぁ?」
「見渡すって書いてあったなら探すなら地下じゃなく地上だろう。案外あの箱の真上だったりしてな。」
「それはマジで有り得る。」
「探す気満々みたいだけど普通に考えて有り得なくない?神話よ?伝説よ?その手の話は誰かの創作の可能性が高いのよ?」
「でも証拠?みたいなのもあるし何かしらあると思いますよ。」
「そうですね。探す価値はありますよ。まあ問題が無いわけではないですが。」
「問題しかない気がするわ。妨害も有るだろうし。」
「妨害?」
「彼を雇っていた人物からの妨害よ。忘れたの?話を聞く限りかなりヤバそうだけど。」
「おっおお俺の就職先も忘れんなよ。ちゃんと片をつけろよ。」
「あ、そうだ忘れてた。あなた大学の先生覚えてる?BARで会った。あの先生が一度大学に顔出せって。なんか美術の助手だが准教授だかで働いて欲しいって。」
「いや、助手と准教授じゃ大分違うからな?しかもそれあのおっさんから言い出した事だからな?あんたも声にならないくらい泣き喜びしてないで身なりくらい良くしていこうな?」
「よしっ!じゃあ明日からは探検だ!今夜はぱーと騒ごうぜ!あんたも身なり整えて一緒に行こうぜ!」
「私甘い物が美味しいとこ知ってます。是非そこにも!」
「いや、今日くらいゆっくりしとかね?俺、スゲー疲れてんだけど。」
「あの二人がノリノリになったらもう止まりませんね。諦めて一緒に楽しみましょう。」
「そもそも甘い物が美味しいとこってこの時間やってんの?閉まってね?」
「君は文句ばかりね。いいからさっさと準備するの。」
あの晩からもう一週間経つ。結局、地下の箱が安置されて真上には特に何も無く街中を流れるソアー川周辺を片っ端から探査する羽目になっていた。もっとも、遺書の文面を見る限りこの街を全体的に見渡せる場所に絞られるため然程歩き回る必要はなかったがそれでも支流がいくつもあり中々に捗らないのも事実だった。
北からじわじわと南下してそろそろ街の外が見え始めたころ、将が大声で皆を集める。窪みがあるとのことだった。
「てかさー榊さーケータイ持てよ!お前の為だけに大声出さなきゃいけないだろ!」
覆い茂る草木の中からひょっこり顔を出すと将の文句を浴びる。思いのままに各方角へ散っていた他のメンバーもぽつりぽつりと集まってきた。
「そこには近付かないでいただけるか。」
突然の知らない声に皆、ピタリと動きが止まる。
「あまり表立った行動は、する気がないんでな。」
二人目の声。最初の人物より若く、何処となく苛立ちを感じる。
「まあ何かの縁だろう。このままここで終わらせるのもいいだろう。」
三人目。他の二人より年配で落ち着きがあるが、冷淡な印象もある。
榊達はゆっくりと三人の方へ身体を向ける。思いの外落ち着いているのはやはりある程度は予想出来ていたからだろうか。そしてこれは目的に接触できた事へ確信が持てた。
真ん中の男がおそらく三番目の声の持ち主だろう。一部に白髪が混じり初老の様だが意外と皺は少ないようだ。ただ、三人の中では一番年齢が高いようで老獪さが滲み出ている。左側の男は一番若く眉間に皺を寄せ威嚇しているような視線をこちらに向け抑えきれない苛立ちを強く前面に押し出している。一人、フードを被り容姿がよく見えないがそれがなお不気味さを醸し出していた。
「ほう。覚悟はあるようだ。ならば分かっているだろう。」
榊達は少しばかり小高い丘に居たため三人は彼らを見上げる様な形になるが特に陣形を取っている様には見えない。油断なのかそれとも戦略さえ必要無いほどの差があるのだろうか。
真ん中の男がゆっくりと腕を上げると聞き取れない旋律を紡ぐ。身体全体からふわりと淡い光の粒が幾つも浮かび上がるとそれは弾けた瞬間一つの巨大な円となる。
「この一帯を隔離させてもらったよ。聞いただろ?表に立つつもりは無いのだ。」
一瞬の頭痛を伴う耳鳴りの後、その場は静寂に包まれた。心なしか、景観の現実味が薄らいだ様に見える。先程まで揺らいでいた草木が止まった所を見るとどうやら本当にこの一帯は別次元になっているようだ。
にわかに信じがたい話だが。
「おい。あれは魔法だろ?こんなことまで出来るのか?」
「いや、あんなのは知らない!こんなことあり得ない!」
そう叫ぶ椿の声は恐怖と驚愕に震える。ある程度の予測はしていたがここまで得体の知れない連中とは思いもよらなかったのだろう。その動揺は手に取る様にはっきりと分かる。ひょっとしたら見た目は完全に人のそれと同じだが纏う雰囲気があまりにも現実味を欠き過ぎ、思考の混乱を招いているのかもしれない。
他三人も同じように動揺が見て取れる。
「始める前に聞きたいんだが、あんたら何者だ?」
「ヴィルナラ、といっても分からんか。君らの言葉で言う破滅種だな。」
「地下に居た奴と大分違うが、あれもあんたらの仲間なのか?」
「あんなものと一緒にされたら困る。あれはただの試作だ。君らと違って我々は非常に少ないのでな。駒として作っているだけだ。こちらかも質問があるが・・・」
一旦そこで区切ると初老の男は榊をじっくり見つめる。その視線は、冷徹のそれだった。
「他の者と違って君は随分落ち着いている様に見えるが。もしかして我々の事を知っているのか?」
「どうかな・・・」
固唾を呑む音が聞こえやしないかと不安になるが大丈夫のようだ。落ち着ている。そう見えているなら幸いだった。他のメンバーもそう感じてくれているなら直に彼等も落ち着きを取り戻すだろう。問題はその後だ。上手く戦えるのか、立ち回れるのか。ちらりと皆を見てもう少し時間を稼ぐ事を決める。
「それよりも・・・やっぱりここにあるのは神代のそれなのか?あんたらはその頃から生きているのか?」
少し、笑ったような気がした。嘲笑うような笑みだったが。
「あれが神代と言うならそうだろうな。君らの“神に対するその想い”には不快でしかないがね。もっとも我々にとって神などただの言葉であまり意味はないが。」
冷たい眼差しはそのままに初老の男は続ける。少しずつだが、仲間の落ち着きも戻りつつあるようだ。聞こえていた荒い吐息も、幾分か静になっている。
「・・・残念ながら、ここにいる我ら三人は当時を知りはしない。正直な話、昔のことなどどうでもいいが縛られた血は・・・」
一番若いスーツ姿の男が会話を遮る。おそらくこの男が例の現場で騒ぎを治めた男だろう。喧嘩や力が自慢の男達を力でねじ伏せた程の実力の持ち主だ。あまり正面から関わりたくはないがそうも言ってられない。
「なあ。もうどうでもいいだろう。連れの者もそろそろ動けるだろうしな。」
そこまで話し、彼は唇を噛み、締めていたタイをゆっくりと外しふわりと投げ捨てる。
感謝しろと言いたげな笑みが怒りを助長する。実際助かりはしたのだが余裕あるあの顔を見ているとその恩恵を投げつけたくなる。
緊張と萎縮は、解けた。
みな、武器をその手にいつでも動ける様に身体に力を込めている。堅すぎず、柔すぎず。
浮つきや浮き足はなりを潜め明確な意志の強さが全面に現れている。
張り詰めていた空気は次第に混ざり合い、霧の様に全身に纏わり付く。
スーツ姿の男が動いた。
一歩。足を踏み出す。地面を踏み潰す渇いた音がやたらはっきり聞こえた気がした。
刹那、風を切る音と共に男は一瞬で距離を詰める。めり込んでいた土が跳ね上がり落ちる前には彼は目の前で拳を突き出していた。風圧と共に目の前に来るまで気付かずそこには明確な殺意の塊がある。にも拘わらず偶然と言うにはあまりに正確にその拳を剣で防ぐ。金属がぶつかり合う音に大気が弾け、衝撃はそのまま体に襲い掛かり僅かに地面に沈む。
(なんでどいつもこいつもこうなんだ!)
心の声は絶叫に近く理不尽な速さに辟易する。前回もそうだったが認識出来ない速さで彼らはまず襲い掛かってくる。刃で受けたにも拘わらず何の障害を感じることなく拳を捻じ込まれることを不審に思い受けた拳を凝視する。
「ガントレット!」
舌打ちと共に吐き出された言葉には忌々しさが滲み出る。拳が武器なのならばそれは当然の装備なのだが彼らがそれを着ける事に奇妙な違和感が伴う。
「椿はフードのやつを!睦生、将、霞は真ん中のを頼む!」
咄嗟の指示に特に考えがあった訳ではない。魔法には魔法を、正体が分からない相手には遠距離攻撃が可能でかつ足止めが出来る椿を宛がったにすぎない。当然、こちらも一人で対応するしかないがどこかが崩れると全滅しかねない。それでも一人に全員で掛かるより遙かにましだった。
金属が擦れ合う嫌な感触と巨大な壁にでも押し上げられている様な圧力に次第に足は地面へめり込んでいく。しかし均衡はすぐに崩される。
押されていた力はすうっと消え行き場を失った力を利用されバランスを欠いた身体は持ち上げられると丘の下まで投げ飛ばされた。空と地が交互に数度入れ替わり自由の効かない身体は重力にされるがまま地へと落とされる。上手く足から落下出来たおかげで衝撃は下半身の伸縮で何とか吸収出来た。
着地と同時にスーツの男へ向かおうとするも相手は既に間合いに入り込んでいる。真っ直ぐ突き出された蹴りを辛うじて剣の柄で防ぐ。が、そのまま上下に散らされた蹴りが襲う。それを何とかしのぎ反撃に出るも強烈な回し蹴りで勢い良く後方へ吹き飛ばされる。
「くそっ!器用に動きやがって!」
(こいつさっきから変!)
将達から離れるためにフード男の気を引いたのはいいが手ごたえの無さに不気味さが募る。銃を使い始めてもう何年にもなる。既に体の一部と言っていい。目視出来なくとも自分が撃った弾丸の軌道くらい分かるし、着弾ならなおさらだ。今回も例外じゃない。しかしフード男には間違いなく当たっているが、妙な言い方だが感触がまるでない。宙に浮く綿でも撃っている感じだ。
最初から嫌な予感しかしなかった。フードのせいで表情も分からないうえどのような攻撃をしてくるか推測すらできない。そもそも榊と出会ってから訳の分からない連中に遭遇しすぎな気がする。旅に出て五年が経つが破滅種との戦闘などした経験はないしせいぜい彼らが言う試作品とやらの小競り合い程度を数度の経験しかないのだ。なのにだ。今回で三度目、榊本人にいたっては四度目だ。彼の旅はまだ半月も経っていないはずなのに。
排出されたマガジンは落ちる前に跡形もなく消えてしまう。
「リロード!」
再び装填されスライドを引き狙いを定める。仁王立ち、とまでは行かないがそれなりに威嚇できる程度には相手と対峙する。もう大分、将達から離れた。向こうがどうなっているのか不安だが彼等だってこの一週ただ探索をしていたわけではない。それなりに準備もしていた。今は、信じるしかない。
「さて、二人っきりになったんだから顔くらい見せてくれてもいいのよ?」
精一杯の虚勢。鼻に突く硝煙の匂いが強気でいさせてくれる事に少々戸惑いがあった。銃は、わりと幼い頃に選択したが誰かに教えを請うたり師事した事は一度も無い。遊びの一環として射撃の技術を習得したのだ。思い入れがそれ程あるとは言い難いのだがまさかこれ程までに拠り所になっているとは思わなかった。
自分の意外な一面への戸惑いはいい意味で高揚し冷静さを維持できる。
ぞくりっ。
突如、首筋への不快感に全身に総毛立つ。咄嗟に、と言うか反射的にと言うか、前転でその場から離れ片膝を付いたまま今まで自分がいた場所へ銃口を向けるも何もない。ちらりと視線だけをフード男へ流すがあちらも動きはない。
もう一人いる。
嫌な汗が首筋を伝い服の中に流れていく。気配はあの男のものだけだ。だが確実にもう一人いる事に確信が持てた。
あれは生き物のそれだ。
曖昧な感覚だがそれは榊と出会い急激に鋭敏になってきている。
それは五感と六感の覚醒。ここまではっきりと石の力を意識出来た事はなかった。
その感覚が全力で危険を知らせてきている。微かな変化も見落とさないように神経が鋭利になる。
ふと、身体が自然に動く。右側への横転。身を屈めくるりと回ると今まで自分がいた場所へ撃ち込む。それは地面へ。
中央に取り残される様な形で迎え撃つ事になった三人は唯々相手を見つめることしか出来ないでいた。
この三人、実は榊や椿と出会うまで一度も戦闘の経験をしたことがなかった。前回の怪物が初めてでありましてや人と同じ姿をした者との相手などまったく覚悟が出来ていなかった。
椿もそうだがここ十年内に旅に出た者はあまり戦闘の経験は無い。先人達の活躍で殆どの破滅種は活動を抑え闇に深く潜んでしまっている。それは手練れの覚醒種でさえ追えない程に深い闇の底に。
一方で破滅種が言う試作品との戦闘は年々増加傾向にあった。悪魔や魔物、怪物や妖獣と色々呼び方はあるが破滅種との数少ない繋がりの一つのせいか彼らの退治はもっぱら熟練の覚醒種が我先にと相手をしている。その為、後続の者たちの成長の機会が失われあまり戦闘の経験の無い者が増え始めているのは皮肉な話だ。
さて、そんな状況で旅に出たこの三人も先日の戦闘で流石に身の危険を覚えたのかはたまた別の理由からなのか積極的に新しい術の開発に勤しんだ。結果、それなりの物を作り出せていた。実戦での使用はもちろん初めてなのでどの程度の効果があるのか定かではない。文字通り作り出しただけだ。使用できる回数や規模もよく分かっていない。当然、不安はあるはずなのだが将は訳の分からない自信で相手に食って掛かる。
「残念だなじーさん。恐らく俺らが一番手強いぜ。あんたにゃそのまま闇の底に帰ってもらおうか。」
指をさし、杖を勢いよく地面に突き立てると老人への宣戦布告を行う。まあ、あまり様にはなっていないのだが。当然の様に老人もそのことには気付いている。
「そうか?もっとも厄介なのはあの剣士と思ったがな。この時代になんとも不憫な武器を選ぶ物好きのようだが。君らで私の相手が務まるのか?私も少々魔術を使う。が、君らが使う紛い物とはわけが違うぞ。」
言い終わるが先か出すが先か、老人は右手を大きく振り払うと不可解な旋律を紡ぎだす。大地は揺れ、大気は震える。見ると地面は急速に盛り上がり土壌は岩石と姿を変える。それは数メートルの先の尖った柱となり地面から宙に浮くと拳大の礫となって三人へ襲い掛かる。
「私の特異だよ。旋律で自然の事象を歪められる。君らの杖と同じかね?違うだろう。小難しい科学の方程式など関係ないのだからな!」
流れる汗は視界を邪魔し、途切れぬ攻めが徐々に体力を奪う。疲労のせいか焦りも出始めた。攻撃自体は単調なのだがそれ故に洗練されており予備動作が全く認知出来ず防御のみになってしまっている。出所の分からない蹴りを何とか躱してもその直後に来る風圧で皮膚が開き一つ一つの蹴りは重く腕に痺れを残す。
「最後にこうやってやりあったのはいつだ?」
身体の芯にずしりと来る前蹴りに何とか耐えると相手の気を削ぐために話しかけてみる。勿論、返答があるとは思っていない。が、意外なことに少なからずこの男の琴線に触れたようだ。
「・・・最後に相手をしたのはお前の様な剣士だったよ。数百年前の話だが・・・な!」
後方へ回転しそのままつま先で榊を狙うも彼はそれを躱す。躱し際に剣を横へ薙ぎ払うも間に合わず空を斬る音だけが無様に主張するだけだった。すぐさま態勢を整えると重心はやや下に、左脚は大きく前に踏み出され上に構えられた右手とそれを挟むような左手はまるで攻め来る者を噛み砕く様に威嚇する。
「もっとも貴様の様に変わった戦い方をする者はいなかったがな。」
「そいつはどーも。こっちっもまさかこんな異国の地で空手を見るとは思わなかったよ。いや、似てはいるがそれは別物か?」
「生憎、剣や魔術は得意ではなくてな。まあ人の肉が潰れる音を聞くのが心地よいのもあるが。貴様らの種族は特に、な。」
(サイコかよ。まあいい。少し距離を取れて落ち着いた・・・)
気味の悪い笑みを浮かべた口元に嫌悪感を抱く。透き通るような白い肌に深いグリーンの瞳が目立つ。銀に近い金髪は陽の光で輝き白金で出来た芸術品を思い出させた。しかし感情のない瞳がその思いを一瞬で破壊する。
ちらりと将達を確認する。まだ、上手く立ち回っていてくれてるようだが戦況がいつ暗転するか分からない以上あまりこちらの戦闘を長引かせるわけにはいかないだろう。もっともそれが至難の状況なのだが。
「・・・それにしても東洋人が剣とはいささか不可解・・・ああ、なる程。そう言うことか。お前はあの者達とは違うのか。」
あの者達とは違うのか、の言葉に僅かな動揺。その隙を突かれた。間合いの外からの踏み込みと同時の右の突き。それは経験と実績と訓練で身に付けられた人を確実に殺める為だけの突き。激痛と同時に身体は吹き飛ばされ地面へとめり込み腹部と背中への強打で肺が潰され呼吸が出来なくなる。
「お前は本物なのだな。」
ゆるりと近付いてくる男から逃れようと身体を起こすもままならないため諦めて呼吸を戻すことに切り替える。吐き出されてしまった酸素をかき集めるように激しく息を吸うがその度に胸部に激痛が走る。耐えられず咳き込むと口の中には生臭い鉄の味が広がり血が逆流してくる。内臓が、破壊されているのは間違いないだろう。
男は近付くと榊のこめかみを片手で掴みゆっくりと持ち上げる。頭蓋骨が軋みをあげ、声にならない呻き声が口から血と共に洩れる。
(本物ってなんだよ・・・)
痛みと苦しみで意識が混濁する中、漠然とではあるが一つの疑問を常に感じていた事を思い出す。今はそんな事に気を回しているような状況では無いのに気になる自分が少々おかしかった。
「何か、楽しい事でも思いだしたのか。」
笑みが洩れていたのか男は不思議そうな顔で覗き込む。
「・・・たの・・しいこと・・さあ・・?どうか・・・な・・・」
可笑しくてよかった。おかげで混濁が少なからず薄れていく。先ほど視界の隅に椿の姿が入ったがまだやれているようだが向こうもあまりいい状況では無いようだ。こちらを早く終わらせなければ。
剣を握り締めまだ力が入ることを確認すると消えかけていた闘志を込める。まだ戦える事を悟られない様に直前まで力を抜く事に集中し機会を伺う。隙を作らなければと思いやっと絞りだせる声を投げ掛ける。
「・・・なぁ・・・あんたらは、不死・・・なのか・・・?」
「・・・この状況でそれを聞くとはな・・・折角だ答えよう。」
「不死でも無ければ不老でもない。・・・これは、ただの呪いだ。」
ああ、そうか。ならば倒す事は可能なのか。
希望が、垣間見える。お陰でほんの僅かだが意識を逸らすことが出来た。だが、もう少し時間が必要だ。
「なあ・・・本物って・・・なんだ・・・?」
相変わらず身体の中は痛みが暴れ回り今にも気を失いそうだが問い続ける。意識はもう、殆どの覚醒しているがそれが余計に痛みを認識させる。呼吸を整え、全身に意識を行き渡らせ、細胞の一つ一つが活性していく事を意識する。徐々に身体中が熱を帯びていくのを実感すると体内の中心に熱の塊を作りそこへ身体中の熱を溜め込んでいく。
(これは、石の力か?)
昔に試した時よりも遙かに早く出来る事に驚く。石の力の一つ、経験値の上乗せ。普段の生活ではあまり実感する事はないが一旦戦闘が始まるとその有り難さを痛感する。
(まぁだから疑問が有るんだけどな・・・)
わだかまりを頭の隅に追いやる。拳を数度握り締め下準備が出来ている事を確信するがここまで酷い傷を負った状態で試した事は無いのでどれ程の効果があるのか不安はある。それでも少しでも可能性が有るなら試してみる事にこしたことはない。
「・・・もう、お前には関係ない。」
時間は作った。後は一気に畳みかけるだけだ。そして―――
それは多分、スーツ男にとって予想外の攻撃だった。数発の、背後からの銃撃。生憎、当たったのは左肩へ一発だけだがそれで十分だった。彼の思考を榊から外すことは。
思いも寄らない背後からの攻撃で一瞬だが彼は混乱する。そしてそれは冷静な判断が下せなくなる。彼の最大のミスは榊から意識を逸らしたこと。目の前の男が既に瀕死だと思い込んでいたことに尽きる。
背後から攻撃されたと言う事実は仲間の一人が倒され敵がこちらに加勢しに来ていると思った彼はあろう事か榊に背を向け椿を凝視する。瀕死の男より銃口を向ける女が危険だと判断したからだ。
作られた一瞬の隙。当然、榊は見逃さない。
溜められた熱の塊は一気に全身に行き渡り傷ついた身体を癒す。完全にとは行かないまでも今、この時に全力で動ける程には回復出来ている。
「ああ、あんたにゃ関係ないな。」