五話
「うお!なんだこりゃ!」
「こっちもすげぇぞ。これ全部一人でやっちまったのか。」
戦闘は終わり、後片付けが始まっていた。主にコボルトの死体処理だが。数か所に纏められた遺体は順次、火葬されるようだった。神父らしき男性もいるので簡易的な供養の様なものを行うつもりなのかもしれない。
幸い、村の住民には大きな被害はなかった。骨折や裂傷の者が数名いたようだが1、2ヶ月の入院で済むそうだ。
「お疲れ様。」
疲労のあまり、地面に座り込んでいる所にそっと差し出されたビール瓶はよく冷えていた。シェリーだ。少々怒っているようだが無理はない。
「やっぱり怒ってる?」
「逆になんで怒ってないって思うかな?」
「ごめん。」
「ダメです。許しません。でも、村とみんなを守ってくれたから、明日には許してあげてもいいかな。」
少々照れながら意地悪っぽく舌を出す。思わず笑みがこぼれる。
「でも、凄いね。森の奥にコボルトの死体がいっぱいだって騒いでたよ。なんて言うかちょっと・・・」
シェリーはそこで言葉を詰まらせた。適切な言葉を探っているようだ。
「・・・怖い?」
言わせるのは酷だと思いこちらから聞いてみる。暫く沈黙が続いた。
「・・・うん。正直ね。あれだけの生き物を殺せるって事にちょっとびっくりしたかな。」
自分でも、そこには違和感があった。いくら醜悪とはいえ二足歩行の生物だ。人間と重なって見える部分もある。にも拘わらずそれを殺せると言う事。深く考えなかったが、自分の中が急速に変化してきているのだろうか。
「・・・いや。多分違う。」
「?」
キョトンとした顔で覗き込まれ無意識に声を出していたことに気付く。
「ああ悪い。多分だけど、意志の疎通が不可だから、だと思うんだ。だから殺すのにあまり抵抗がないんだと思う。生物と認識出来ているけど意識はしていないのかもしれない。」
現実感がない、虚構の中での出来事。そう感じるわけではない。これが事実とはっきり認識出来てるし相手と剣を交えた時の恐怖感や不快感、息遣いや熱気を非現実と思うにはあまりに無理がありすぎる。にもかかわらず殺めた時の罪悪感の無さははっきり言って皆無だ。まるで人形やぬいぐるみを攻撃しているような感覚は、つまりそう言う事なのだろうと思う。
生物と認識出来ているけど意識はしていない、と。
「なんだかよく分かんないね。まあでも・・・」
そこで一旦区切ると彼女は榊の両頬を両手で挟み強引に自分に向けるとじっと彼の瞳を見つめた。
「綺麗な瞳だから大丈夫よね。」
深い緑の瞳で覗き込まれ、年甲斐もなくドキドキしてしまう。魅入ってしまいそうな衝動を抑える様に立ち上がり手を差しのばす。
「そろそろ火がつけられる。居辛くなるだろうから取り敢えずこの場から離れようか。」
(まあ、一廻りも年下と何か起こることは無いんだけどね)
心地良い振動に揺られながら榊は夢の中にいた。
十年前に親元を離れてから、と言うより捨てられたといった方が適切かもしれないが、それから彼は一人で生活してきた。
原因は17歳の6月、修学旅行中に起きた悲劇。
クラスメイト全員と教員、ガイド、運転手を含む総数32人が乗るバスが何者かに襲撃された。犯人は一人。32人中31人が被害にあい、何もされなかったのが、榊だけだった。
他の全員が精神と記憶を弄られ約半生の記憶を消されていた。その光景を、榊はただ見ていただけだった。一人、また一人と彼が知る人物が知らない人物へ変わっていくのを、ただただ見続けていた。
みんながパニックで泣き叫ぶ中、一通り済ませた奴は放心状態でなにも出来ない榊に近付き耳元でこう言った。
『それが恐怖だ』
それを最後に榊の意識は途切れる。
目を覚ましたのは精神病院の一室だった。彼だけが無事だった事で警察は彼を疑っていたがドライブレコーダーに記録されていた音声データでその容疑は晴れはした。しかし被害にあった生徒や教員の家族や関係者からの避難罵倒が凄まじく転校と引っ越しを余儀なくされた。この事件で唯一救いだったのが、完全に事件を隠匿出来ていた事だった。そのおかげで妙な時期での転入にもあまり疑問を向けられることなく新生活は問題なく過ごせ無事に高校卒業まで出来た。
しかし卒業後に再度彼には現実を突付けられる。無事に過ごせたことが、最大の問題だった。
帰宅後、部屋の異変にすぐ気付いた。家具が少ないのだ。残されているのは必要最低限の家具と僅かばかりの自分の持ち物だけだった。ダイニングに残されたテーブルには彼宛の一通の封書が置かれていた。
両親からだったが内容は、あまり覚えていない。ただはっきり覚えているのは、
『何事もなく過ごせる貴方にある種の恐怖がわきます。なにより貴方だけが無事だった事への恐怖感も払拭出来そうにありません。』
だった。それ以外は謝罪や贖罪が綴られていた。
寂しくなったアパートで、彼は何日も悲しみに明け暮れた。そんな時だった。幼少の頃から指導してくれていた空手の先生が訪ねてきてくれたのは。全ての事情を知っていた彼は、榊に会うと同時に優しく抱きしめてくれた。周り全てから敵視されていた榊にとって、それは唯一の救いとなり衰弱しきった榊に食事を摂らせるだけの気力と活力を与え、生きていく希望を与えた。
なにより榊がこの約二年間を平然と過ごせている様に見える事を見抜き彼が今どのような状態なのかを理解していた。
榊の心は、壊れていた。
恐らく、バスの中で既に彼は壊れていた。事件後も壊れたまま過ごし人としての本能だけで生活していた。そこで両親の失踪で壊れて止まっていた彼の時間が動き出したようだった。
ある程度の回復を見せると榊は先生の道場で指導員としての生活を始めた。進学予定だった大学を止め、バイト時代に習得したPOP作成の技術を活かした仕事も始めた。
「・・・十年か。」
呼ばれた気がして目が覚める。
「ついたよ。本当によかったの?もう一日くらい泊まってもよかったんじゃないかな?」
荷台を覗き込み、シェリーは心配そうに聞いてきた。既に陽は昇り容赦ない日差しを降らせる。
コボルト戦後、もう一日村に泊まる様に進められたが、襲撃の原因が自分なら他の襲撃があると皆に迷惑が掛かってしまう。そう思いすぐにあの場所を離れて予定通りトットネスへ出発することにした。
正直、あの村の住民があれほど自分を、覚醒者を守る為に全てを捧げる覚悟がある理由が分からなが、これ以上の負担を彼らに強いるわけにはいかない。
命を救われ、生き抜く知恵と知識をくれた。それで十分すぎた。
荷台を降り、大きく背伸びをする。二時間程、荷台で揺られていたせいか体のあちこちが軋みを上げている。目の前に広がる駅は普通で、どこにでもあるような駅で観光地と言う訳ではないせいか地元の人が目立った。
荷物を担ぎ、チケットを受け取ると力強く握手する。
「一段落したらまた来るよ。それまで元気でな。」
握り返された両手は温かくあの時の様な優しさを感じる。
「・・・そうね。待ってる。」
どことなく陰りのある笑顔に僅かばかりの不安を感じたが、後ろからトラックを運転していた男性が頭をくしゃくしゃに撫でてきた。初日に村まで連れて行ってくれた人だ。
「まあなんだ。色々しんどくなるとは思うが、今は自分の事をしっかり考えろ。それが俺等の最後の希望だ。」
さあ行ってこい、そう背中を押されて歩き出す。次はレスターだ。
「最後の一人が動き出したよ。」
「今更?役に立つのかそれ。」
「あの事件の生存者らしい。」
「そうは言っても周回遅れどころの遅さじゃないだろう。殆どの覚醒者は破滅種と対等に戦えてるんだ。今更感がはんぱないぞ。」
「膠着状態が何年も続いているのは事実だよ。相手の目的が分かってないのもね。そしてそれを探っていた連中はみな消えた。それに、イングランドのコボルトの集落を潰したそうだ。」
「あそこはデカいのがいたが基本、襲うような連中じゃなかっただろう。そんなの倒しても・・・」
「襲われたそうだよ。全員で。だから迎え撃って戦闘になった。」
「・・・訳ありなのか?そいつは。」
「生存者だからね。なにか有るのかもしれない。」
(チケットの見方が分からない・・・)
シェリー達と別れたあと、発車時間が迫っていたので慌てて乗り込んでみたが、これでよかったのか不安になってきていた。字を読めない弊害がまさかこんな状況で発生するとは思わなかった。
(まあいいか。幸い人が少ないし適当に座っとこ。)
流れる外の景色を見ながらふと思う。
(なぜチケットは3枚あるんだ?)
ポケットから3枚のチケットを取り出すと改めて見比べる。
(・・・ああ、乗り換えるのか。)
「は!?」
(読めないっつったのにあいつら!)
「仕方ない誰かに聞くかぁ。」
「着いた・・・」
リースで一度乗り換えてスタンステッド空港で再度乗り換え。あまり、と言うかまったく旅をしたことなかったが意外と上手くいくもんだと感心する。
「空港って聞いた時は騙されてると思っちまったよ。まさか空港に鉄道の駅があるとはね~。さてと。」
聖トラビス教会。スタンステッドで出会った老婦人が教えてくれた教会。彼女曰く、もっとも古い建物なら教会だろうとの事。
レスターの北西にあるらしく雑木林に囲まれた教会らしい。
「でもあそこは私が生まれる前から廃墟みたいになってたらしいからねぇ。聞いた話だと最初の司祭様以降誰もなり手が無かったらしいけど。」
老婦人の言葉を思い出し思わず溜め息が洩れる。
「さてと。取り敢えず北西に向かうか。」
陽が登り始めた午後、心地よい温もりの中、彼は廃墟を目指す。
そこは雑木林と言うにはあまりにも鬱蒼と生い茂り、森と言うには拓けた場所だった。
生い茂る樹木をすり抜けて進んだ先には古ぼけた教会が姿を現した。長い年月で朽ちた外壁は茶色く変色し、支える様に壁に這い茂る蔦や苔のせいで一見すると回りに同化して見える。建物を囲う柵や壁はなく教会だけが静かにそこにたたずみ、その姿はどことなく寂しさを感じる。
教会などに入った経験のない彼は少々怯えながら近付き、厚い木製の扉を押す。と、思いのほか簡単に開く。軋みをあげながら開いた奥から吹き出した埃とカビの臭いが鼻につき顔を背ける。
「こんなとこに何があるってんですかね~。」
再び出る溜め息に若干の嫌気を覚えながらも挨拶をしながらそろりと内部へ移動する。
そこは、埃は目立つが、外見程の痛みはないように見えた。むしろ高い天井と窓から差し込む太陽の日射しで照らされた白い壁のおかげで荘厳ささえ感じる。光に反射する埃はキラキラと輝き、張り詰めた空気は肌を振るわせた。しばし見とれるが、喉がなる音で我に返る。
「なんだよちょっとびっくりしちまったよ。作法とかあるのかな。」
お邪魔します、と声を掛け、奥へ進む。革製のブーツが床を叩き乾いた音を響き渡らせ、積もった埃が足下を舞う。人の気配は感じられず、外観から判断してもここ以外に部屋が有るようには思えない。拍子抜け、とは正にこのことだが、このままでは路頭に迷ってしまう。くまなく見渡すが講壇以外に何もない。いや、あるべきものまでない事に気付いた。講壇の左側の床に埃がないのだ。
「これは、ずらした跡、か・・・?」
しゃがみ込み床に触れると講壇の下から微かに風が流れてきているのを感じる。
「なるほど、ね。」
やはりと言うべきか、こう言う仕掛けの様な存在には心躍るのを隠せないし思わず笑みもこぼれる。たとえその先にあるものがなんであれ。