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三十九話

離れた工房から規則的に微かに漏れる金属音を気に留めず、彼は基礎的な剣技の型をなぞり続けている。日中は過ごしやすいが流石に朝方は冷え込む日が増えてきており、その為か熱を持った身体からは蒸気が立つ。無論、習ったことなどない剣術だ。映像で見た動きを真似てそこに威力が備わるように力の入れ具合や細かな軌道の修正をし今の型を作り上げていた。

彼が目覚めてから既に五日目の朝が来ようとしている。今だ旅立てていないのは彼の体調が理由ではなくペルから暫く待つようにと止められていた。もっとも、目覚めて二日ほどはまともに動けなかったのも事実ではあるが。肝心のペルは工房に籠りっきりでおそらく不眠で何かを作り上げている。昼夜を問わずなり続ける金属を叩く音に椿はこんな事は初めてだと呟いていた。その表情は心配こそしてはいたが何処となく嬉しそうで、不思議と不安な要素はないように見えた。

皆は、特に将などは、暇を持て余すかと思ったがそれぞれに思うところがあるらしく、術の開発や精度の向上などに勤しんでいる。幸いここはこの地方でもかなり小さい部類の湖のうえこの湖まで来れる道が一本しかなく、その道自体も手入れをしていない白樺の樹が乱立するおかげで上空からも見えず、更には町を結ぶ車道から非常に気付きにくい脇道となっているため人が尋ねてくることがないうえ、一番近い町でも車で一時間はかかる。唯一来るのは食料や日用品を届けに来てくれる雑貨屋の店主くらいだ。昔は近くに村があったそうだがある事件をきっかけに二百年ほど前に廃村となり井戸と朽ちた家屋の残骸が僅かに残る程度となっている。

人目を気にせず術を試すには都合が良かった。

こんな場所にペルが住居を構えているのは単に人目を避けるためだけでなく、魔成を効率よく蓄え排出できる特殊な鉱石が採れるからだ。もっとも最近では彼の事を知るものは少なくなっており武器の依頼も減っているためかここの工房に火が入ったのはずいぶん久しぶりかもしれない。

季節はすでに冬支度を始めており周辺の樹々は赤や黄色などに色づき始め、湖面にその姿を映している。その景色はどこか幻想的ではあるが懐かしくも感じる。それでもやはり、榊は異国の地にいるのを改めて実感していた。不意に、鏡のように静かだった湖面に波紋が広がる。魚でも跳ねたのかもしれない。その波紋に、彼は僅かに反応する。広すぎるというわけではないにしろ、彼の耳に魚が跳ねる音が届くはずもなく何より日の出が近付いているとはいえ湖面の様子など見えるはずもない。


波紋になど、気付くはずがない。常人には。


だが彼は、榊は、元々そうではあったが、それでも徐々にであり急激な変化があったわけではなく、あくまで常識の範囲内での変化であり、常人よりほんの僅かな差でしかなかったのだが、目覚めてから、正確には『還元』を使用して以降、彼の中で急速に感覚の鋭利化が進んでいる。

勿論、常時そのような状態になっているのではなく、あくまで集中力を擁している場合に限るのだが。

奇妙な感覚だ、と彼は改めて思う。

見えていないものまで脳裏に、あるいは瞼にその情景が浮かぶ。どちらに浮かんでいるのかは定かではないが確かに視覚的に見えているような錯覚に陥る。

見えてはいないのに。

その範囲はおそらく実際の視界と同じ広さのようで、また障害物があると遮られる。端的に表現するならば視覚が360度になったような感覚といえる。色々と使いどころを想定しているようだが、今のところこれといって決まった考えがあるようではないようだった。

素振りを終え、吹き出た汗を持ってきていたタオルで拭き取りながら岩に腰を下ろし小屋を見る。隣の工房は相変わらずだが流石にこの時間は皆が寝泊まりする小屋に灯はなくまだ彼らが寝ている事を教えてくれる。そしてふと、榊は少しだけ落ち込む。

他のメンバーは基本的に身体を動かす必要がない戦術のため、あまり榊のようなトレーニングを必要としていない。寧ろ、直感や考察が必要なため動くとマイナスにさえなる。

特に霞やシェリーは想像力が必要になるため、まるで僧侶のような精神修行を行っている。

ちなみに椿は榊がまともに動けるようになって、リハビリのつもりで空手の型を初歩からなぞっていると自分にも体術を教えてほしいと申し出があった。多少、動きを真似できても実践には使えないと諭しても空手を使えるようになりたいわけではない、身体能力の向上が目的だと押し切られ毎日2、3時間ほどつき合わされていた。

筋はともかく身体能力の強化と言う一点については申し分ない成果を上げている。多少の突発的な行動や対処なら問題ないだろう。タリスマンの影響なのか彼女本来の性能なのかは分からないが、戦闘に関してはそうそう後れを取ることはないかもしれない。もっとも、そういった場面に出くわさないのが一番いいのだが。


「そうも言ってられないか。」


つぶやきとともに取り上げたタオルで汗を拭きながら、今更だが自分の武器に少しだけ不服を感じていた。

以前、襲撃をしてきた覚醒者から通常の武器なら使うことができると聞いた榊は早速、銃を試してみたが奇妙な違和感に妨害され的に当てることが出来なかった。センス以前の問題で的を狙うと視界がブレて定まらなくなる。他のメンバーはそういった現象はなく、普通に射撃することが出来ていた。

ペル曰く、今使っている剣が特殊なため何かしらの影響が出ているのではとのこと。ちなみに、シェリーが榊が本物の覚醒者だからだよと発言したが見事にスルーされてしまっていた。

魔術が使えないことは既に諦めていたようだがペルの不用意な発言で少なからず夢を見る榊に将のダメ出しで落ち込んでいた。

ペル曰く、それはこの世に現存する奇跡の現象について。


この世界には将や睦生が使う魔術とは別に、様々な術がある。たとえば霞やシェリーの様な覚醒者が使う術は便宜上、神聖魔法とよばれ、術者が思い描く事象を旋律に変換し発現させる。その旋律は万物の波長へ干渉し事象を捻じ曲げ術者の思い描く事象へ変換している。

これは望む事象に対し深い理解が必要であったり旋律を受け取れる才能が必要とされる。その旋律が何処から来ているかまでは解明されていないのも神の御業の所以でもある。

また、レイニーやラリペスターのような破滅種が使う魔法は純粋に彼らが保有する魔力を具現化しその力を行使している。これは物質の変換と言う意味では錬金術に似ているが具現化には術者本人が持つ特性を媒体にしているためあまり汎用性はない。そのため錬金術ほど科学的に変換しているわけではない。

他にも古代生物、現種のヒトの歴史より遥かに古い時代から脈々と受け継がれてきた血統を持つ生物が使う術、これも魔法になるのだが、魔力を使うのはレイニー達と同じだが具現化させるための手法が少々特殊だった。それは既に滅びたヒト種が使っていた言語で言葉、所謂、呪文に魔力を通して様々な現象を発現させる。集積回路に電気信号を通すのとよく似ているかもしれない。

その他にも特殊な現象を生み出す術はいくつか存在し、例えばナスターが使う精霊術や賀茂が使う陰陽術、その他に確認されているものには錬金術や呪術や呪法といったものまで意外と多く存在している。


ただただ淡々と説明するペルはそれらの力の行使には何かしらの代償を求められると締めくくる。

しかしその代償を保有していない榊にはやはり手の届かない現実を突き付けられただけだった。

もっとも、彼には彼にしか出来ない事がありそれがどれだけ貴重であるのかを理解すればあまり嘆く必要はないのだが、他の誰よりも『強力な敵に接近』しなければいけない事に対する不満のせいでその事に気付かないでいた。

太陽は既にそこまで上がっているようで白み始めていた空が青さを取り戻し始める。既に夜空の主役達の星々は帰路につき残りわずかとなっている。いずれ彼らもその場から姿を隠すだろう。

ペルの言葉を思い出しながら見上げた空から視線を剣先にむけ、そして気付く。

金属が叩かれる音がしていない事に。

それは旅立つ日が来ていることを告げていた。





















「さて、ワシはもう眠いので簡単にしか説明せんからそのつもりで聞け。」


かなり上機嫌で酒を呑み続けるペルはそう告げると六つの武具を机の上に置く。

二つの杖と中型の盾、二組の装飾品と弾丸が入った小箱。


「盾は榊、お前のだ。上半身が隠れる位のサイズにしてある。お前の要望だが、特殊な術などは一切ないがワシが保有する中で最強の強度を誇る鉱石を元に作ってある。鍛え上げた鉱石を更に練り上げておるからな。かなり丈夫に出来てるはずだ。それから杖は将と睦生、それぞれに調整してある。感謝しろ、属性は三つまで可能だ。せいぜい組み合わせに頭を悩ませろ。それから霞とシェリーには少々特殊な鉱石を使った髪飾りだ。魔法への抵抗力と多少の事では乱れない集中力が身につくぞ。」


皆が喜ぶのを少し眠そうに、だが心から嬉しそうにはしゃいでいるのを眺め一息つくと改めて椿へ弾丸が入った小箱を手渡す。


「椿、久し振りに見たお前の姿にワシは嬉しかった。あの事件を吹っ切れたと思えたからな。だがそうじゃなかったんだな。」


椿は困ったような笑顔を浮かべ各々が与えられた道具ではしゃぐのを横目にこくりとうなずく。


「多分、みんなのおかげ。特に榊かな。あんな変なの見たことなかったし。」

「そうか。何も過去に縛られ今を生きる事をやめる必要はない、好きに生きればいい。眼の前にいない過去なんぞ相手にしている暇はないぞ。そんなもん眼の前に現れたときだけ相手してやればよい。それまでに色々経験すれば戦う武器など自ずと手に入ってるだろうさ。」

「うん、わかってる。心配してくれてありがとう。それに武器はともかくヒントはもう手に入ってる。そして私達の秘密も。」

「私達の秘密、だと?」

「師匠も薄々気付いてるでしょ?私達の矛盾に。」

「・・・まあなぁ。だがなぁ・・・」


ペルの言わんとしていることはわかる。そしてそれを言葉にするのが難しいことも。椿はくすりと笑うと弾丸の説明を求める。


「眼の前にないものなんて心配しても仕方ない、でしょ。それで?この弾丸はどんなものなの?」


呆れたように笑うペルから弾の説明を受け、椿は驚きと喜びにしばし興奮が冷めなかったようだ。試し打ちをしたがる彼女を何とかなだめて止めてこの弾丸の希少性を熱心にペルは伝えるが彼の熱意の十分の一も伝わらなかったかもしれない。

ひとしきりお披露目が終わり皆が落ち着いた頃には既に陽は上りきり昼食の時間を迎えている。

食事の準備が始まると再び皆が騒ぎ出す。それはいつもの事だが今日は特に騒がしいようだった。理由はおそらくもうここでペルを囲んでする食事が残り僅かであることを感じているからだろう。

本格的に冬が訪れる前にここを離れる必要がある。寒さは人の温もりを与え旅立つ決心を鈍らせる。滞在する期間が長いとそれだけ襲撃の危険が伴う。

襲撃そのものは問題無いのだが『何が』、もしくは『誰が』来るかで話が変わってくる。彼らには今のところ大きく分けて三つのグループに心当たりがある。

一つは言わずもがな破滅種、所謂、ヴィルナラだ。そしてもう一つは亜人、もしくは亜種。想像上の生物と思われていたが実在しており彼らの多くはヴィルナラの支配下にあるが独自の判断でへティカルを襲う事がある。非常に稀な場合だが全く例が無いわけではなかった。特に榊は特殊な例との遭遇率が異常に高いのでこれからもそれは悩みの種だろう。

そして最後が同じへティカル、というよりは彼らを使う組織、もしくは国家だ。どうやら違う立場の同士がいるようで関わることはほぼないだろうが気をつけるに越したことはない。現に一度襲撃に遭遇しているのだから。もっとも、あれは不可抗力によるものだが誰かとかかわりを持つ限り今後も可能性がないわけではなかった。現にギルドと一部の政府に不穏な動きが出てきている。少しずつではあるが榊の存在に違和感を覚え始めている者たちが出てきている。

当然、躍起になって探している者もいるのだが、如何せん榊本人は別人の戸籍とパスポートで移動している上、日本で行方不明扱いになっており更にギルドとの関わりを絶っているせいで彼の現状にたどり着ける者は皆無である。

更に言うならば、彼の情報を手にした者がことごとくギルドや政府へ非協力的な立場にいるのも幸いなのかもしれない。


「じゃあ、今日は俺が何か作ろうか。久々すぎて少しばかり味付けに自信がないが、まあ大丈夫だろう。」

「え?お前料理できんの?」

「何年一人暮らししてると思ってんだ。凝った料理は出来んが基本の料理は一通りできるぞ。」

「マジかよ大丈夫かよ。」

「お前も多少はできるようになった方がいいぞ。特につまみを作れるようになると捗るぞ。」

「それは、ちょっと気になるね。」

「ふふ~ん♪何なら手ほどきしようか?」

「気にはなるけど、今はいいかな。」

「オレも今は食い専門で。」

「つまんねーの。」

「じゃあ私達も今日はあまえていいかしら?」

「どうぞ、御嬢様方。お口に合うかはお約束できかねますが。」

「あ、あたしは手伝うよー。」

「お?じゃあ頼もうかな。」

「任せてー」


榊とシェリーの二人はそう言いながら厨房へ足を運ぶ。その背中にペルが、眠いから出来るだけ早く準備するように声をかけソファに深く腰を下すと五日ぶりの酒を一息に飲み干すと幸せ交じりの吐息を精一杯吐く。二本目の酒瓶を手に取りふと室内を見渡す。そこには談笑交じりの冷やかしと雑談に盛り上がる若者たちの姿があり、かつての仲間達との旅を思い出す。当時の若さ故の過ちと苦い思い出。そしてそれを霞にする経験と忘れられない仲間との確かな絆。何より外を知らなければ気付けない現実はかけがえのない指針となる。


「ま、今は当時より安全にはなったが旅はしずらくなっとるかもしれんなぁ。」


ぽつりと呟き酒瓶の栓を抜く。

当時のことを忘れたことはない。だが、思い出すことはなかった。思い出すには少々、現実は当時の彼らには受け入れがたいことが多すぎた。ペルの人生においてその時の旅はそう長いものではなかったが考え方や生き方を固めるには十分すぎる経験だった。

だが、とも思う。

当時の仲間はもうだれ一人生きてはいないがかけがえのない仲間であり友人だったのは確かだ。その友人達の血縁で唯一生き残ったただ一人の弟子が、それを手に入れていることを心の底から誇りに思っている。たとえそれが過去の出来事とどう向き合っていようとも。

数百年ぶりに断っていた酒は二本目でようやくその実力を垣間見せ彼に癒しを与える。喉を潤し、空っぽの胃へ注がれていく。一本目では感じられなかった胃の熱に多幸感を覚え全身に酒気が伝わっていくのを実感し更に酒をあおる。

キッチンで榊とシェリーが多少の言い合いをしながらもテンポよく料理を進め、将と睦生は新しい術の考案を話し合っている。将は炎を、睦生は風を基本にしているがそれぞれ、何の属性を追加すれば最も効果的な現象が出来るかを喜々と話し合っているようだった。次の目的地が地中海ということもあってか椿と霞は手元の端末で観光地の検索と水着の商品ページを見比べああでもないこうでもないと年頃の娘らしく盛り上がっているが、この時期は普通に寒いと知りもっぱら地元の料理に興味が移っているようだった。

今年も残り僅か。六人にとって急速に人生が変わった数カ月が過ぎ新たな機転を迎えようとしている。その先にあるものが彼らの想像しているものとかけ離れたものであり多くの者達との繋がりがある事を思い知らされるのだが今はただただおろした荷物の存在をかみしめているだけだ。

日は既に天高く登り切ってはいるがもうそこまで太陽のぬくもりを感じることはなくなってきている。

冬は、もう来ていた。





















「お前の大切な玩具が二つ目の玩具を手にしたようだよ。」


何もない白い世界にぽつりと座っている男に、彼女は話しかける。あの時から一度もこの場から離れていない事を知ってはいるが、ここに来たのはあの時以来でこの場から動いていないのを確認したわけではなかった。それでも、動いていないという確信は持っている。それほどこの男はあの男に執着していた。


「返事くらいしてくれてもいいのではないかな。十年振りとはいえ、私のことを忘れたわけではないだろう?もっとも、私たちに時間など無意味ではあるけどね。」


肩をすくめ、少しお道化た様な言い回しをしてみるがやはり反応はなく、一点をただただ見つめる彼にため息を投げつけると彼女もまた、無言でその場にただただ佇んでみる。


「・・・十年?そうか。十年動いてるのか。」

「お、やっと喋ったね。そうだよ、十年動いたよ。」

「あーちょっと待って・・・ここか?いや、こっち、か・・・?」

「もうちょっと手前じゃない?」

「そうか?お、あった。」

「そう。ならよかった。」

「これでどうだ?」

「ああ、ちゃんと動いてるよ。それで?今後どうするつもりなの?」

「そうだな。少し、表に出てみるとするよ。どう変わったか、見てみたいしね。」

「お前も妙なやつね。今更人間なんかに興味を持つなんて。」

「気にならないのか?ある時を境に、まるで切り貼りしたみたいに変わったのを。」


確かに気にはなった。だが、彼女らにとってそれはどうでもいい話でありどうにかするべき問題でもなかった。更にいうなら、彼女らにはそれをどうにかする権限も資格も役割もない。ただ、出来上がった物を見ているだけだ。それに出来上がった時も一瞬で出来ているのだからとある瞬間に変わったからといって調べるほど気になるわけではなかった。介入できないものに逐一気にするほど愚かではない。

彼らにとって時間の概念はない。すべてが同一に存在し同時に更新し続けている。彼らにとって時間とはたとえるならば一本の糸のようなものだ。その一本の糸に、この世のすべてが乗っかっている。そのような状態の中からある一瞬だけを見つけ出すのは至難の業だ。だから彼らはこの一本の糸が自分達が望む瞬間まで動くのを待つ。


「気にならなくはないけど、そもそもそれは私達にはもう関係ないことじゃない?何が起きても、この世界は出来たと同時に終わっているのだから。」

「欲しくはならないのか?時間の概念が。」

「それこそ無駄ね。私達は変えられない。」

「そうだ、変えられない。それはこの世界の流れもだろう?」

「そうね。流れ、というより在り方は変わらない。法則や因果律は変わらない。」

「そうだ。それは絶対だ。だが僅かに変わりつつある。」

「・・・それは今まで気付かないでいただけではないの?」

「部分的に変わることなどいくらであったろうさ。だが、長期にわたり変化をもたらした事などなかった。見てみろ。これではまるでいくつかの世界の融合だ。確実に、人類は時間に干渉する技術を手にしているぞ。」


見てみろと言われても実際に目の前に有るわけではない。感覚的に認識しているだけで時間や世界が実在しているわけではないので見ることなどできるはずもなかった。そんなことはわかっているはずなのに彼は『見てみろ』と言っている。


(おそらく無意識か)


「・・・随分と嬉しそうだね。」

「そうかもしれない。」

「何がお前をそうさせてるのかな。そもそも何故、彼に執着しているの?」

「あれは異物だよ。この世界のね。改変前も後もね。そんな異物が何故生きながらえているか不思議に思わないか?本来なら彼の存在は世界に拒絶されているはずなのに。」

「随分と、入れ込んでるのね。たまたま見つけて降り立っただけでしょう?それともあれかしら。私達には何も変えられないから彼に何かを託そうとしているのかしら?だとしたら随分と滑稽な話よね。」

「君は一度も降りていなかったな。私もすぐ戻ったが、あの感覚を一度でも経験すると少しは変わるだろうよ。」

「・・・そう。それで、なぜあの男にあんなことしたの?あれに、何の意味があったの?」

「意味?そんなものないよ。でも、そうだね、意味があるとしたらあれはただの枷さ。」

「・・・趣味が悪いわよ。」


くすくすひとしきり笑うと男は再び黙り込みその場に座り込み続けた。が、次の瞬間その瞳からは生気は失われ身体は糸が切れた操り人形の様にその場に倒れ込む。それを見届けると彼女は来た方向へ歩き始める。別にこの場を離れる必要は無いのだが、何となく、彼女はこの場に居心地の悪さを感じ長居したくなかったようだった。

二人が居た空間に静けさが戻る。残ったのは中身の無い肉体のみで他は何も無く、何も変わらない世界。ここでは当然の様に二人もまた、何も変わらない。二人に時間の感覚はなく、ただただここにいる。ひょっとしたら初めは何かしらの感覚はあったのかもしれないがそういった思いに至る事すらしないほど彼らは長い期間この場に捕らわれていた。『今の代』のヒト種が誕生して以来この場からヒト種の道程を見守っている。いや、『見守っていた』と表現した方がいいだろう。既に見守る事すら彼らは止め、ただただその時を待ち続けている。彼らを創り上げた者の優しさなのか残酷さなのか、人の歴史の終わりを見届ける為に時間の感覚を感じないように作られている。だが、彼はこの場を離れ、それは僅かな時間ではあるが、その身で『変化』を感じて以来、彼は人の世に興味を持ち続けている。

実は彼はたまたま榊を見つけたわけではない。

延々と見続ける人の世に、変化を見つけた。変化自体は珍しくない。始めから終わりまで全て出来ていても、変化は起き、それは自動で書き換えられる。その現象を表現するのならば、変化ではなく改変に近いかもしれない。一本の時間の中のどこで変化が起きるのかは、特に規則があるわけではないようで僅かなきっかけで変化は訪れ改変される。たとえ過去に変化が起きても、その変化に関連する事象は全て未来に渡り改変される。そしてこの変化には絶対的なルールがあった。


『この世界を作り上げている理に関わる変化や改変は行われない』


あらゆることが起こるこの世界の中でそれだけは絶対だった。地形が変わるほどの事象や多くの生物が地上から姿を消すようなことが起きても、たとえその事実がなかったような変化や改変が行われても、それはあくまで理の範疇であり比較的、起きやすい変化のため特に珍しいわけだはない。あくまでルールに沿っての変化や改変だ。

だが、ある時を境に人類のあり方そのものが改変されていた。しかもそれはこの一本の時間の全てに影響を与えるほどに。その原因を探しているときに彼は榊の存在に気付く。


それは本来この世界に存在しない異物だった。


当然、変化に伴い生まれる生物はある。本来いた生物にも、新たに加わった生物にも、この星の遺伝子が組み込まれる。それは加護にもにたもので、この星で生まれた存在がこの星の理に対応できるためのものだ。


それが、榊にはない。


彼は、たまたま榊を見つけたわけではない。探し出したのだ。この異物を。

長期に渡る改変が行われたあの日を拠点に彼は原因の発端を探した。普段はそんな事はしていないのだが、ちょっとした気まぐれだったのかもしれない。時間の感覚がないとはいえ、この状況に飽きが来ていたのかもしれない。それはおそらくちょっと近くの公園に散歩に行く程度の感覚だったのだろう。そして彼は発端をすぐに特定し、同時に改変の終息に奇妙な時空の歪も見つけてしまう。

歪自体は珍しくない。問題はそこに蜃気楼のように揺らぐ影。その影は世界から拒絶されているにもかかわらず、なおも存在し続けている。

興味をひかないわけがなかった。

彼はひたすら時間を遡り、ようやく榊にたどり着く。見つけた瞬間、彼は榊の前に飛び出していた。それが、あの日のバス内での接触だった。

目的があったわけではない。あくまで突発的なものだった。だから榊に再び会うためのキーワードとなる何かを植えつけたかったのかもしれない。それがたとえ榊が壊れるような手段であったとしても。

そして彼は再び動き出してしまった。何もない自分の欲求を満たすために。


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