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三十六話

「珍しく、消耗しているな。」


しゃがれた声が彼に投げかけられる。通路は広く、天井も高いこの場でもその男の声は響くことを知らず只々聞く者に不快感を与える。もっとも声の質だけの問題ではないのだが。


「皮肉を言う暇があったら貴方も出向いたらどうです。」

「僕は貴方様と違って他にも用が有りますのでね。」

「似もしていない真似をしないでもらいたい。」

「これは失礼しました。高貴な方よ。ま、冗談はこれくらいにして、と。お呼びだぞ、レイニー。少々、お怒りの様だ。」


小馬鹿にしたような薄ら笑いと仕草に苛立ちを感じつつも疲労による思考の低下からなのか、それともこれから対面する相手の事で気もそぞろなのか、レイニーは男に視線を合わせる事なく彼の横をすり抜けて行く。男もまた、視線を合わせようとすることはなく正面をじっと見据え険しい顔つきになると溜息交じりに、呟くようにポツリと一言罵声を投げかけた。


「・・・バカめ。」


当然返事はない。男は彼の足音が聞こえなくなるまでそのままその場に立ち止まり強く握りこぶしを作る。全てが、存在そのものが正反対なためなのか決して相容れる事はなく、寧ろ憎しみさえ持つ者同士だが実力だけは互いに認めている。だからこそ、なのかもしれない。今回のレイニーの失態に大きな苛立ちを感じているのは。

何かを呟くと彼はその場から砂塵の様に消え去り薄暗い廊下は静寂だけが残され窓から射し込む月の光はどこか淋しげに見えた。

無駄に長い廊下を進み木製の扉に立ったレイニーは深く息を吸い込みまだ髪に土埃が纏わりついている気がして手櫛で髪を梳かす。軽くノックをすると入りますと一言だけ発し返事を待つことなくそのまま扉を開ける。

相変わらず変わり映えのしないつまらない部屋だなと思う。大きな窓際に置かれた重厚な机と壁際に比較的幅が広い本棚があるだけで他には何もなく、広いとは言えない部屋とは言え椅子ぐらい置けばいいものをとレイニーはいつも思う。机に腰かけた男が彼に一瞥くれると視線を再び携帯電話へと落とす。彼の名は椎葉亮賀。見た目は二十代半ばだが実際は人類の有史以来、生存し続けていると伝えられている。


(そう。あくまで伝えられている、だ。実際ヒトがそう長く生きていられるはずがない。だが・・・)


自分が幼少の頃から変わらぬその姿が、否定しきれていないのも事実だった。現実的に考えても物理的に考えても紛れもなくヒトである椎葉には不可能なはずだ。どういったカラクリがあるのか、レイニーには見当がつかないでいた。なにより見た目にそぐわない得体の知れない雰囲気が他の者を萎縮させていた。そしてそれがレイニー達がこの男に付き従ってる理由の一つでもある。

携帯電話から目を離さなず、彼は話始める。


「始末しろ。僕はそう言ったよね?あれはまだ力の使い方を理解していない、だから簡単なはずだよ、と。100年以上も生きてるくせにまともに作戦も立てられないのかな?ああ、暴走の件なら言い訳にはしないでよね。そこまで行く前に仕留めなかった君が悪いんだから。何よりあの程度なら大した問題じゃない。で、何かh言い訳でもしてみるかい?」

「いや、何もない。」

「だろうね。まったく何てことしてくれたんだい。これで僕が手を出したことがあいつにバレたじゃないか。流石に僕の目的にまでは気付かないと思うけど今後、あの男が障害になるのは間違いないだろうね。」

「すまなかった。」

「まあいいさ。然程、君達に期待しているわけじゃないからね。僕の目的の過程に、君達の目的がある、ただそれだけの関係だしね。ただだからこそあの榊と言う男は処分するべきなんだよ。別に僕が嫌いなあいつのお気に入りだから嫌がらせのつもりってわけじゃないんだ。あれは、僕が作ったものじゃないからなんだよ。わかるかい?」

「ああ、理解はしているつもりだ。」

「半分でも理解しているならば、今回の様な結果にはなっていなかったと思うけどね。僕は自由に動くことが出来ないから君らに頼んでいるんだ。あまり不甲斐ない姿は見せないでくれよ。僕の自信がなくなるからね。」

「今度は失敗しない。」

「もういいよ、君は自分の事を進めて。別の者に頼むから。」

「・・・罰は?」

「あるわけ無いだろうそんなもの。ああ、でも一つ頼みがあったんだった。」


男の頼みに終始無表情だったレイニーはその顔に陰りを見せた。当然、彼の目の前にいる男にはそれは見えはしないのだが。いや、気付かないだけだろう。それ程までに椎葉にとって他者はどうでもいい存在だった。おそらく手駒としても見ていないだろう。

その後、彼は一言も発せずただ黙々と携帯ゲームに精を出していた。レイニーは彼に背を向けそのまま部屋を出る。戸が閉まると音と同時に自分の軽い溜め息に少し驚くが榊の顔を思い出し自嘲気味に笑みを浮かべると今度はわざとらしく大げさに溜息を漏らす。

酷い疲労感が彼を襲う。ここまで精魂尽き果てたのはいつ以来だろうかと自問する。生まれながらに魔力も高く身体能力も非常に優れていたおかげで本気で身体を使った事は無かったかもしれない。心地良い疲れと言ってもいいだろう。狭い視界の中、まるで夢の中を歩いているような感覚であてがわれた自室へと足を向ける。今はとにかく体を休ませたくてしかたなかった。だからだろう、椎葉の様子がいつもと違う事に気が付かなかったのは。休息を欲する体と頭に逆らえず、レイニーは自室へ入ると服もそのままにベッドへ倒れ込みそのまま深い眠りへと付いた。





















「さて、剣の秘密を聞かせてもらおうか。」


少し偉そうに、だがその表情は食後の為か少し眠そうに見える。なんせ数日ぶりにまとも食事を楽しんだのだから満足感もひと際その胃袋にしみわたっているのだろう。


「何となくだが、お前には聞かせたくない感じだのぉ。」

「わりぃわりぃ。宜しく頼みます、師匠。」

「調子のいい男だな。まあいいが。じゃあ、ちょっろっと話すぞ。」


ペルが紐解いた古い本に書かれた内容は神話以前より伝えられる一振りの剣の話だった。ペルは前もってこの話に出てくる剣が榊が持っている物と同じ確証は無いと伝え話を進める。


それは前の世界に作られたもの


それはただ一つの種族を絶やすために作られたもの


それはこの世に一振りしか作れなかったもの


それは世界の終焉をもたらすもの


それは、作るべきではなかったもの


それは幾つもの星の力を集め作った。目的はただ一つ、自分達の存続のため。

突如現れたそれは全ての存在を消そうとしていた。その力は星を砕き、星を創り、新たな世界を作る事さえできた。それに抗うために作った剣は急拵えのために不安定で我々では扱うことが出来なかった。我々は滅びを選ばされた。おそらく世界は造り変えられるだろう。理も、法則も全てが違う世界へと。

もう時間がない。のちの世界が災いしかないのであればこの剣を試してみるのもいいかもしれない。我々では扱えなかった力は抜いておく。のちの者たちよ、その気があれば試してみるといいだろう。もっとも、理が変わった世界でどれほど役に立つか分かりはしないが。

だが気を付けてほしい。この剣は世界を終わらせるものを倒すために作られたものだ。それはつまりその一振りは世界を終わらせる力を持つと同義だ。扱い方を、選択を誤らない事を願う。


「まあ、少々無理矢理にだが翻訳するとこういった感じだな。」

「いや、意味がわからないが。」

「だろうな。簡単に言うと榊のあの剣は前の世界の遺物だな。シェリーの里にある他の武器とは別物だ、よかったのう。一安心で。」

「前の世界って何だよ。普通そこは前の時代とかだろ。」

「前の世界で合ってるわよ、多分ね。」

「どーゆーこと?」

「何度か滅んでおるからな。この星の生物と文明は。全て消え去りゼロから始まる。それを何度か繰り返している、らしいのぉ。世界は滅び、再度始まる。」

「ほーん?なんとなくわかった。で、つまりなんなんだ?その剣は。」

「つまり見た目は何てこと無い剣だが作られた過程を考えると、今の常識とは別の常識で作られている、となるのぉ。まあ大きな問題点は三つか?」

「そうね。本来の力は抜いてある事、今の法則とは違うモノで作られている可能性がある事、そして特定のモノへ対抗する為だけに作られた物、といったところね。」

「抜かれた力ってやっぱりあの紅い球や黒い球なんだろうね。他にもあるのかな?法則についてはどうかな?」

「法則については、正直分かりはせん。ただ、いまいちはっきりせん配合が使われているのは事実だ。理や法則が変わったことなど確かめる術はないからの。」

「何だか難しい話でついていけない。」

「安心しろ、俺もだ。」

「おかしな点はまだある。扱うことが出来なかった、とあるがそれを榊は使っている。力を抜いてあるとはいえな。全く別物なのかたまたま榊が使い方を見付けただけなのか。そしてもう一つ、これがもっとも重大なんだが、この書物に書かれている事が引き継がれて書かれていると言うことだのぉ。」

「それに問題があるんですか?」

「事実かどうか分からんと言うことだ。」

「なんだそりゃ。榊の剣かもそれが事実かも判断出来ないんじゃ結局なんもわかんねぇってことじゃねぇか。」

「でも仮定はできるわ。書かれている事が榊の剣としてあれは何かを倒す為に作られた。そしてデンホルムに多少なりとも効果がり、あの剣を脅威に感じていたのは破滅種に関わっている亜種達だったてこと。両方の種族に何の共通点があるのかまでは分からないけど何にせよ、世界が変わっても繋がってるのよ、その剣が作られた世界と今の世界は。」

「ちょっとまて!じゃあ前の世界を終わらせたのは今の人類の神様ってことかよ!?」

「少なくともわしはそう考えてる。正確には神を創造した存在をだがな。」

「でもあの剣は破滅種にも効果がある様なんですよね?」

「お前たちの話を聞いている限りは、そうだな。理由は分からん。だからそれは今は置いておく。大事な点は榊が破滅種から狙われていると言う事だ。そしてあいつにはそれに対抗できる武器を扱うことが出来る。そしてその武器は恐らく世界中に散らばった力を集める必要があり世界を滅ぼしかねない力を持つことになるかもしれんと言う事だ。言わんでもわかっとるとは思うがあいつに付き合うのは中々に骨が折れるかも知れんぞ。」


結局、現状では何もはっきり出来るものはないとペルは締めくくり皆を見渡す。

みな、思い思いの表情をしているが誰も嫌な顔はしておらず寧ろそこには期待が込められている。事情はそれぞれにある。将と睦生、霞の三人は組織から逃れるため、椿は故郷を滅ぼした男を止める手がかりを求めて。だがそれは今は些細なことになりつつある。

榊と共にこの先を見たい。

それがみなの共通した想いだった。

結局、最も身近で重要な事は分からないまま話は終わるがそれでもそれぞれが同じ思いであることが分かり嬉しく感じる。彼らは覚醒種として定められた道を歩む必要があった。だがそれは既に停滞し何も変わり映えの無い道だった。だからこそ自分達が背負ったものがおそらく解決しないであろう覚悟をしていた。それでも将達は逃げ出し椿はまだ未発掘の遺跡を探していたのは諦めたくなかったからだ。そんな彼らの前に現れた男はとても奇妙な存在だった。停滞していた道が、動き出した気がした。

導かれるように少々強制的に一緒に行動を共にするがそれが不快ではなく寧ろ心地よく離れがたくなってくる。気付けば自分達の事は後回しにしてそれぞれの為に何が出来るかを考えている。唯一の味方であるはずの組織は信用できず、多少なりとも孤独感があった四人には今の居場所はとても大切で、恐らく何を置いても守りたいと思う場所になっている。だからこそ、それを与えてくれた榊の力になりたいとみなは思っている。





















これは夢だとはっきり分かるときがある。理屈ではなく感覚で。そこにいるのが自分なら、夢の中で自分の意志で動き回ることが出来た。だがほとんどの場合、夢の世界は誰かの物語を見ていた。


『誰かの物語』


そう思うのは誰かの視点で見ているのではなくまるで映画のカメラワークの様に見えるからでそれは誰かの夢をのぞき見しているような感覚だったからかもしれな。登場人物の一人になるわけでもなく物語に関わるわけでもない。映し出される風景も人物も何一つ見覚えの無いものばかりでたいていの場合、このタイプの夢を見るのは好きだった。何故なら自分が出てくる夢は何者かに殺される事が殆どで質が悪い事に殺される時の痛みまでリアルに感じ痛みで目を覚ますことさえある。

だから今、目の前で繰り広げられている戦いが夢であると直ぐに実感できた。場所は直ぐに分かった。なんせつい最近、訪れた場所だったから。歓声とも怒号とも分からない声が辺りを包み闘う男たちへ送られるがおそらく本人たちはその声を聞いてはいないだろう。

男たちはみな一様にみすぼらしい服装をしている。殆どの者が上半身は裸で心臓などの急所を鉄製のプレートで覆った者や相手を痛み付ける為に肩に防具を付けている者、兜で頭を守っている者などそれぞれ思い思いの対策をしている。手に持つ武器も様々で巨大な剣や鉄球、小振りの剣を二本使う者や中には己の拳のみで闘う者もいた。それらを見守る観客の眼は血走り吹き出す血と繰り広げられる凄惨を今かと待ち望んでいる。

広い闘技場には二十人以上の男たちがいる。この状況なら普通なら各々が自分より弱い者をみつけ倒していく筈だがどうにも様子がおかしい。一人の男と対峙するように他の者達は彼を遠巻きに様子をうかがっている。よく見ると既に何人かは地面に転がり傷口を押さえ呻き声を上げていた。観客の反応を見る限り膠着状態が続いているのかもしれない。何より死者が出ていない事に不満を募らせているようだった。

囲まれている男の赤みがかった茶色い頭髪は無造作に切り揃えられ細い捻じられた紐を額に巻き余分な部分は後ろに垂れ流している。両刃の剣と所々欠けた木製の丸い盾を持ち取り囲む男たちへ挑発するような視線を向け少しふざけた様に力を抜いて体をゆすっている。

彼が何かを呟くが当然、この場にいる誰にもその声は届かない。だが自分にだけはその言葉が聞こえる。


「足りないぞ。さっさとかかってこい。」


最初に三人が動く。男の言葉が聞こえたからではない。しびれを切らしたからだ。

雄叫びを上げ、己を奮い立たせる。ひと際沸きあがる歓声を浴び男たちは彼に襲いかかる。各々の武器は両刃の斧、短剣、人の丈程の大剣。最初に襲いかかったのは斧使いだった。大振りに降り下された斧は地を抉り土埃を巻き上げる。直後、大剣が下から男を襲う、がそれを難なくかわすと振り下ろされた斧を足で押さえつけようとする。意識が自分から外れたことを感じた短剣使いは男の背後から覆いかぶさりそのまま首を引き裂きにかかるもくるりと反転した男に腕を掴まれそのまま投げ飛ばされてしまった。

触発されたように他の者達も行動を起こす。一人対多数、通常なら勝ち目などないのだがこの男にはそのような常識は通用しないようだった。

その場に踏みとどまりながら両刃の剣で攻撃を防ぐ姿は重鈍のように見えるが次の瞬間には自分を狙う者達の間を縫うように素早く移動しおまけとばかりにすれ違いざまにそれぞれの武器を剣で弾き飛ばしていく。

たった一人の男により翻弄される多数の男達の構図に否が応でも観客の熱は最高潮へと達する。事実、今日の観客の殆どはこの男を観に来ているのだから仕方のない事だった。

攻撃を躱され地を転がされた者達が冷静さを欠き力任せに向かってくるが単調な動きでは当然ながら敵うはずもなくまたしても観客に無様な姿を晒すことになる。大きく振り回される武器を紙一重で躱して見せ、組み伏せようと身を屈めて突進してくる者にはまるで曲芸の様に相手の頭上高く飛び上がり難なく躱す。皆が攻めあぐね、暫しの時間ができるとその度にまるで挑発するように少し大げさにそして仰々しく観客と他の剣闘士へお辞儀をし淑女からの艶のある歓声を受け、男性からは嫉妬なのか畏怖なのか区別のつかない罵声にも似た声援を受ける。

剣闘士の中に一際目を引くものがいた。身のこなしや戦い方などではなくその身なりが他の者と比べ随分立派だったからだ。何よりその男は戦闘には参加せず後方から多くの者達に指示を出していた。顔さえ覆い隠された兜の鶏冠にはおそらく何かの鳥の羽で作られた大きな赤い飾りが誂えてあり、一切の肌を見せない鎧は銀色に輝いている。

彼は剣を掲げ皆にその場から引き下がるよう大きく声を張り上げる。それを聞いたものは聞き逃したものを誘い闘技場の壁際まで引き下がっていく。闘技場は静まり返り観客は固唾を飲み中心に一人残された剣闘士を見守る。指揮官が皆が引き下がったのをじっくり確認すると天高く掲げた剣を振り下ろす。

闘技場の一箇所に大きな鉄柵がある。人の腕ほどの太さのある鉄の棒を熱で溶かし組み上げたその柵は堅牢な扉としての役割を持っている。普段は使われることはなく閉ざされたままで闘技場からの侵入は出来ないようになっている。薄暗い通路の先には柵ではなく鉄製の分厚い扉で仕切られておりその向こう側からは猛獣の雄叫びのようなものが聞こえてくる。そこには、一体の奇妙な生物が飼育されていた。飼育といっても身の回りの世話をしているわけではなく飢えで死なないよう食料を供給しているだけだったが。

指揮官が振り下ろしたのを合図にその部屋の扉と柵が開放される。暫くすると静けさを打ち破る雄叫びが闘技場全体に響き渡り地を揺らす足音とおそらく壁を殴りつけているであろう振動が観客と彼らが座る石製の腰掛けを震え上がらせる。

姿を現したのは、牛の頭を持つ人型の巨人。身丈は三メートル程あり両肩から腹部にかけ逆三角の形で黒い長毛に覆われそれは背中にまで及んでいる。閉じ込められていた状態でどうやって維持していたのか定かではないが分厚い胸筋は多少の武器では傷さえ付かないのではないかと疑ってしまい握りしめた剣が心もとなく感じる。

威嚇するように吠える度に涎を撒き散らし黄金色の瞳は瞳孔が開き正気を失っているようで血走っている。とても知能があるようには見えないためその手に持つ三叉槍を扱えるのか疑問だったのだがどうやら余計なお世話だったようで、振り回されるそれは尋常ではない太さの腕から生まれる剛力により視認出来ないうえ、その風圧で砂塵でも跳んできているのか対峙しているだけで露出した皮膚に裂き目ができる。

剣闘士が一人、怪物と対峙する中、観客の誰からとなく足を踏み鳴らす音がし始める。静かに、だがはっきりと。次第にそれは会場全体に広がり一つの大きなうねりとなり会場全体を震わせ、振動は大地も揺らし戦士への大きな力となる。それに呼応するように彼も雄叫びを上げ剣を掲げ目の前の怪物を威嚇する。

均衡は無い。

先に動いたのは怪物だった。

一足飛び、どころではない。地を蹴りほぼ水平に跳び数メートルあった距離を瞬時に無くす。突き出された三叉槍が剣士を捉える。が、槍の叉に剣を宛てがいふわりと体を浮かせ勢いを相殺する。もし盾で受けていたら体を貫いていたかもしれない。もしくは衝撃で吹き飛んでいただろう。咄嗟の最善の手、ではない。事前にこの怪物の戦い方を見ていたからだ。この怪物は、数多の剣闘士を屠ってきている。それが、この男は許せなかった。

剣闘士同士、命を懸けて戦うのだから云わば敵ではあるが同じ境遇、立場で過ごす仲間でもある。相対すれば躊躇わず相手の命を断つし殺される覚悟もしているが、それでもやはり仲間意識はある。甘い考えと彼の周りの剣闘士は呆れ笑うがこの男はそれを誇りにしていた。

散った命を糧に彼は怪物と渡り合う。嘘か本当か神話の迷宮から連れ出したと言われるミノタウロス。その実力は百の戦士を凌駕すると言われ、実際その片鱗を目の当たりにしてきた。この怪物が厄介なのはその怪力ではない。戦闘に特化した感覚の持ち主なのが問題だった。

戦士の殺し方を熟知している。

恫喝のような咆哮。並の戦士ならば、その一声で萎縮し動きを止め始末される。突き出された穂先は目前で急激な回転を加えられ錯覚なのか実際に加速しているのかは判断できないが一気に伸びてくる為に避けられず胴を捉え腸をえぐり人体を真っ二つにする。この目前で伸びる現象は実際に体験した者でなければ分からない感覚で外から見ている者には穂先が回転しているだけにしか映らない。

だがこの男は今までの戦いから大方の予測をしていたのか後方に派手に飛び下がると盾を地面すれすれの下方から穂先を跳ね上げ三叉槍をあらぬ方向へ向けると大きく開いたミノタウロスの懐へ一気に入り込む。萩払った剣先と剥きだしたの腹部をみて男は舌打ちをすると体を回転させながらミノタウロスの背後へ移動する。強靭な筋肉の鎧は彼の持つ剣では皮膚一枚さえ切り裂くことが出来ないようだった。

相対してわかる事実に彼は歯軋りをし苛立ちを抑えようとしていた。ミノタウロスの想像を超える性能に若干の焦りを覚える。

そう、まだ『若干』だ。切れないのであれば切らなければいい。本来なら正面、もしくは側面から狙うのがいいのだが背後に回ってしまった手前、仕方ない。全身の力を軸足の爪先に集約させそこから剣先へと力を流がし回転を加え威力を上げる。その剣速は初動から最大速度へ到達する。

だがそれをもってしてもミノタウロスの鋼の肉体には致命傷を与えることは出来ず10センチ程度の刺傷に留まっていた。

慌てて剣を引き抜き少し距離を置くため飛び下がる。案の定、巨大な腕が薙ぎ払われるが既にそこには目標の者は無い。が、振り向きざまに突き出された三叉槍が容赦なく襲いかかる。幸いあの回転は加えられておらずかろうじて盾で防ぐ。

完全に正面を見据えたミノタウロスは止められた三叉槍を引き戻し高速で連続の突きを繰り出す。それを全て器用に盾で弾くあたり流石だが一瞬でも気を抜くと貫かれる事は明白でありまた、気を抜く余裕があるわけでもなかった。

埒が明かない事を悟ったミノタウロスをその動きを止める。

笑った気がした。

気のせいかもしれないがこの怪物の口元が一瞬、綻びを見せた気がした。それが何を意味するかは分かりはしないが好機とばかりに男は盾を構えたままミノタウロスの懐をめがけて突進する。


ああ、夢が終わる。


折角なのでもう少し見ていたかったが覚醒には抗うことが出来ない。自分の意志で覚醒する事は出来るのだが、強制的に行われる覚醒は阻止する事は何故か出来なかった。何度も抗ってみたが一度も出来なかったので最近は大人しく目が覚めることを受け入れている。視界に霞がかかったように全ての景色が朧気になり、はっきりしていた意識が徐々に薄れぼんやりと一つの思いが脳裏をよぎる。世界は完全に白く包まれ、視界の外側から徐々に灰色から闇へと変化していく。変化に合わせるように意識は消え入りいつもの様に眠りにつく時と似た感覚だななどと思いながら榊は現実の世界へと引き戻されていった。

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