三十話
レバノン空港から一時間ほど車を走らせた場所にそこはあった。
季節の変わり目で紅葉に染まり始めた木々に囲まれあまり人の手が入っていないその湖は美しく、この時期では珍しく降り注ぐ陽の光りに湖面を輝かせている。淡水魚も豊富で日本人にはあまり馴染みのない魚も生息していた。
岸から伸びた桟橋から二人は足を投げ出し座り込みきらきらと光を反射している湖面をぼんやり眺めている。湖の半分は周りの紅葉に彩られた樹々たちを写していた。
昨日まではそこそこ引いていた釣り竿も今日は一度も動くことなくただ時間だけを浪費する。空を見上げても流れる雲は少なく抜ける様な青空が広がり時たま大きな鳥が通り過ぎるだけだった。
山と木々に囲まれているせいか風はあまりないのが幸いだがこの地方はこの時期から冬の気候に変わるため肌寒くもう一枚上着でも着なければならなかった。もっとも榊は例の特殊なコートのおかげであまりその辺りを気にしているようではない。
「暇だなー」
「そうだなー」
「あいつらまだかなー」
「そうだなー」
「なあ。」
「何?」
「少しは話題を振れよ。」
「いやだよめんどくさい。」
「だよなー」
「だろ?」
「なあ。」
「なんだよ。」
「脳がくさりそう。」
「そうだなー」
「じゃねーよ!いいのかよこんなことしてて!」
「おおう!?いきなりなんだよお前。」
「俺達だけこんなとこでこんなことしてていいのかよって話だよ!」
「しょうがねえよやること無いもん。それに食料の確保を頼まれたろ?」
「それだってやること無いならって無理やり理由を付けて袖に振られたみたいなもんだったろ?もう三日だぞ!?三日も釣りしかしてないんだぞ!?」
「うるさいなぁ。魚が逃げるだろ。大人しくウキでもみてろよ。楽しいぞ。」
「そんなわけねーだろ。今日の分の魚は昨日釣れた分で賄えるだからちょっと出かけてみよーぜ。」
「どこにだよ。車ないんだぜ?湖の周りでも歩いてみるか、男二人で。」
「そうじゃなくてさ。昨日行商人来てたろ?で、ちょっと面白い話聞いたんだよ。」
「行商人ってなんだよ。野菜売のおばさんな。」
「行商人って言ったほうがそれっぽいだろ。まあ聞け榊。」
「呼び捨てかよ。まあいいけど。さっさと話せよ。」
「この地に眠る伝説だ。」
「はぁ?」
遥か昔、まだ人と妖精が共に生活していた頃。この地に一匹の獣が訪れる。銀色の毛を纏い人の丈を超える巨体にはいくつもの槍が刺さり血を流しながらふらふらと現れたと言う。人と妖精は怯え暫くすれば息絶えると思い見てみぬふりをした。だが二日経ってもまだ息があり七日経っても生きていた。見かねた村の少女がその獣に近付き手当を始める。
威嚇する獣を少女はなだめ深く刺さった槍をその小さな手で引き抜く。獣は苦痛に悲鳴をあげるがその度に涙をながして謝る少女の姿にその獣は苦痛に耐え悲鳴を上げることをやめる。ぽっかりと空いた槍を抜いた痕に少女は薬草をあてがい布で塞ぐ。半日かけてやっと終わった頃には少女は疲れ果て獣に寄り添って深い眠りについた。白く、傷一つ無かったその小さな手は獣の血で汚れ槍の破片で傷ついていた。
三日三晩、少女は獣と共に過ごす。とは言え、自身も食わねば死んでしまうので食事をしに家には帰ってはいたが。
傷が癒えた獣は暫く村の近くの湖に棲み着いていたがある日忽然と姿を消した。毎日のように獣の元へ通い前日の出来事を事細かに話聞かせていた少女は悲しみ寂しさのあまり獣が去った後も湖を訪れ一日中湖を眺めて過ごす日もあった。
数年経ったある日、村人が奇妙な違和感に気付く。その違和感は噂として村中に広がり例の少女に村の住民たちが詰め寄った。
『お前は何者だ』
少女は応える。何を言っているのかと。
村人は責める。
『少女を返せ』
少女は応える。私は私だと。
村人は責める。
『嘘を付くな。その証拠にお前は歳を取らないではないか』
少女は逃げた。
村人からもだが、薄々気付いていた現実からも。湖の水辺で疲れて眠る少女に妖精がそっと囁く。
『あなたは人ではなくなったの。あの獣の血をあびたときから』
「え、終わりなの?」
「うん。」
「いや、『うん』じゃなしに。何そのモヤモヤする終わり方。そもそもそれの何が伝説なんだよ。」
「わかんねーのかよ。まったくこれだから年寄りは困ったもんだ。」
「そんなに年寄りじゃねーよ。失礼なやつだな。」
「いいか、じーさん。少女は歳をとらなくなっていた。それはつまり不老の力を手に入れたんじゃないかと俺は思うわけよ。という事はだよ、この話が本当にあった話ならこの少女は今も生きているんじゃないかと俺は思うのよ。もしくはこの獣もな。それがどう言う意味を持つかは流石にわかるだろ、じーさん。」
「じーさん呼びは許せんがお前が恐ろしくバカなのはわかった。アホな事言ってないでさっさと魚釣れよ。」
「アホとはなんだアホとは!俺は真面目に言ってんの!」
「いいか、アホ。お前に大切な三つの事を教えてやる。まず第一に妖精なんかいない。第二にその話は伝説でありただの言い伝えだ。第三にそんな少女や獣がいたら大騒ぎだ。」
「アホゆーな!まったく榊はまだ現実を認識出来てないみたいだな。俺達は何と戦ってる。破滅種だぞ?実際に奇妙な生物をお前も見ただろ?妖精や不老不死の少女や獣がいてもおかしくないだろ。いや、むしろいるね。いなきゃおかしいね。」
「何がお前をそこまでさせるかは置いといてそれでどうしたいの。そんな話を聞いてもちっとも楽しくないぞ。」
「探そう。」
「は?」
「だから探そう。」
「暇すぎて脳がバグったか?」
「いや、手がかりはあるんだって。あのおばさんから教えてもらったけどこの湖は地下があるそうなんだ。その入り口を見つければ不老不死の生物を見つけられるかもしれないだろ?」
「お前はホントになんて言うかあれだな。残念だな。」
「なんでだよ。いいだろ、どうせ暇なんだし。」
「ヤダよ面倒臭い。俺は今日はダラダラするってあのお天道様に誓ったの。探すなら一人で行ってこいよ。」
「ヤダよ。」
「なんでだよ。」
「馬鹿みてーじゃん。」
「お前それを二人でしようとしてんだぞ。何言ってんだ。」
「やめとけ。ろくなことにしかならんぞ。」
二人の会話に、突然背後から入る。振り返った先にはまるで樽のような体型をした老人が酒瓶を片手に立っている。匂いから相当の量の酒を呑んでいるはずなのだが日焼けの様に赤くなった頬以外特に変わった様子はなくふらつきもせずに二人にのそりと近づく。横幅の割に身長は霞ほどしかなく手入れを怠った口ひげはどことなく汚らしく正直、椿の師匠でなければ近寄ることを躊躇ったかもしれない。ただ、話してみるとわかるが椿の師匠と思えないくらい常識的で理性的な人物でやめとけばいいものを初日にそれを指摘した将は再度椿から追いかけ回されていた。
「その伝説は、まあ所謂言い伝えだ。言い伝えは、大抵事実に基づいて語られている。そしてその話はそこで終わりじゃない。続きがあるんだ。そしてその続きは決して語られない、語ってはならない。少女の悲しみは、時間を与えて癒やしてやらねばならない。」
「触れちゃいけないって事ですか?」
「そうだな。ま、簡単に言っちまえばそう言う事だ。」
「だそーだ。諦めろ。」
「俺だって本気で探そうと思ったわけじゃねーよ。あまりに暇でしょうがないからさー」
「師匠がここに来たって事はあっちは終わったんですか?」
「終わったぞ。」
「結局あの鉱石は何なんですか。」
「言っちまえばあいつは神話の代物だな。お前らもゲームなんかするんだから聞いたことあるだろ。アダマントって。」
沈黙の後、二人は絶叫する。それは驚きであり喜びでもあった。
アダマント
それはおそらく男児なら一度は憧れる未知の物質だ。数多の物語に登場し主人公達に一時の絶対的な強さを与えてくれる。その物質を手に入れる為に幾つものを危険を冒し強敵や宿敵と剣を交える。
もちろん榊と将の二人も例にもれず憧れを抱いていたほうなので暫く興奮が醒めず師匠の冷めた視線に気付きもしないでいた。
「なんだかな。向こういた小僧も似たような反応していたな。女性陣はドン引きしていたが。まあわしも引いたがな。あっちでも話したが本題に入っていいか?」
目を輝かせこくこくと頷く二人に彼は飽きれるが睦生も同じ様な様子だったらしく二度目のせいもあり彼は淡々と結果を話し始めた。
「その反応見る限りどういった鉱石かもうわかっただろ。あれを加工するのは現状無理だな。」
一転し落ち込む表情を無視し彼は続ける。
「榊。お前の剣がひょっとしたらあの鉱石を吸収するかもしれんのだろ?はっきり言うがそんな話を聞いたことは一度もない。だがお前たちは現に一度その現象を見ている。元の赤い玉が何なのかわしには判断出来んがもしそいつも鉱石だったのなら、あの黒い玉も吸収することは出来るかもしれん。その結果なにが起きるかはともかくな。だがどうしても加工して弾丸として使いたいのなら、手がないわけじゃない。決めるのはお前たちだ、あいつらにはもう話してある。お前達だけで話し合ってみてはどうだ?」
パキンッと薪が割れる音がする。ふわりと立ち上った火の粉は暖められた空気と共に煙突に吸い上げられていく。揺らぐ炎はまるで意思でも宿っているかのように薪を包み込み新たな炎の命を燃やし続けていた。
十分に暖められた室内には七人の影が思い思いに形作り暖炉から漏れる炎の揺らぎに合わせるようちらちらと緩やかにその姿を変えていく。
丸太を組み合わせただけの小屋は二部屋しかなく、そもそも人を招き入れる事を想定していない作りになっている。窓際に置かれた大きなオーク材の机の上にはいつの時代のとも知れない古い書物が乱雑に積み上げられよく崩れ落ちないものだと感心させられる。榊達が訪れた当初は脱ぎ捨てられた衣類がそこかしこに散らばっていたのだが椿が慣れた手付きで片付けをしてくれたおかげである程度は人が生活する環境が出来つつあった。
彼女曰く、毎度のことだそうだ。
机に備えられた椅子には師匠が座り、相変わらず酒瓶を手放さないでいる。部屋の中央には脚の短い机とそれを挟むように大人二人は余裕で座れるソファが二組ありそこに椿、霞、シェリー、睦生の四人が座り睦生の後ろにソファの背もたれに寄りかかるように将が、榊は室内のあちらこちらに無造作に置かれた奇妙な造形物を見て回っている。
「で、どうすんの。」
「どうしたもんかね。」
「何を他人事みたいに。僕達は正直なところどちらでも構わないんですよ。」
「睦生君、冷たーい。」
「うわー」
「うわーって何よ。それで師匠、方法って本当にあるんですか?」
「あるぞ。おそらく、だがな。噂と言うにはあまりに眉唾な話だが地中海のある島に隠された炎があるらしい。なんでも神話の時代から燃え続けているそうだ。その炎を使えばあるいは、加工が可能かも知れない、ってやめろそんな顔するな。言いたいことはわかってるから。」
「いやいやいやいやいや、流石にねぇ?」
「だよな。」
「ありえないです。」
「そうか?面白そうだろ。俺は構わないぞ。」
「お前、俺の話は疑って聞いてこの話は乗り気なのかよ。なんなんだよ。」
「地中海だろ?俺は行ってみたい。」
「バカンス気分かよ。」
「師匠は、どうしたほうがいいと思いますか?」
「わしはなぁ。本音を言うとここまで話がぶっ飛んでると判断つかんな。実際なぁ、わしらの若い頃でもお前たちみたいな経験を積んだものはそういなかったと思うぞ。殆どの者は開かれた道を歩んだだけだしな。だから椿。お前の故郷がああなったのはわしらの世界でも異常事態だったんだ。現にあれ以降、ああいった事件は起きていないからな。それにあの事件は破滅種とはあまり関係ない事件だったしな。だからな、椿。お前が決めろ。あいつに拘り続けるか違う道をこいつらと歩むか。」
このときの椿は既に決めていたのかもしれない。それは師匠の言葉だからではなく榊の存在に影響を受けていると感じたあの時から。ただ、その背中を押してくれてあの事件を心の片隅に納めてくれる言葉が聞きたくてここまできたのだろう。携帯端末で地中海のリゾート地を検索している榊の横顔を見つめながら彼女は少しだけ微笑む。
「その炎、探してみる。使うにしろ使わないにしろ、何かの役にはたつかもしれないしね。それに私もリゾートを楽しみたい。」
師匠はそうか、と呟くと嬉しそうに酒を呑み干す。彼女が被り続けていた仮面を外し素顔で笑顔を見せたことが嬉しかった。
「伝を頼って詳しい情報を仕入れてみるか。」
ポツリと呟いた声は誰の耳にも入っておらず、既に地中海で何をするかの話し合いになっている。
「交換条件を出された。」
「は?」
「しょうがないだろ。お前らが身元を明かしたくないと言うからだぞ。」
「すみません意味がわかりません。」
「誰からの依頼なのかを言わない代わりに口止めとして別の仕事を引き受けてきたってことね。」
「まあ、そう言う事だ。」
「相変わらず馬鹿正直ですね。」
「問い詰められるとどうにもな。まあお前たちならなんとかなるだろう。」
「え、俺らがやるの?」
「当たり前だ。わしはもう引退してろくに動けんからな。で、依頼内容はある要人の護衛だ。」
「いきなり話を進めてきますね。」
「ある要人?」
「わしも詳しくは知らん。元政府関係者らしいがこの地で隠居中らしい。が、最近身の回りで不審死が相次いでいる、そうだ。大方昔関わった機関のとばっちりだろう。」
「死人がでてんのかよ!やだよおっかねえ!」
「バージニア州にある政府機関までの護衛だ。そう長い間じゃないから安心しろ。」
「時間の問題じゃなくてだな。そもそも要人なら政府から派遣出来る護衛がいるだろう。FBIとかCIAとか。」
「殺された。」
「は?」
「だから派遣された職員は死体で見つかった・・・やめろ首が絞まる!椿も止めろ!」
「殺しの本職が関わってんじゃねーか!俺達も狙われるだろ!大事な愛弟子もいるんだぞ!?」
「なにいってるんだ。可愛い愛弟子にそんな危ない仕事させるわけ無いだろう。行くのは男だけだってやめろ!剣を出すな!」
「もうっ!しょうがないから私も行くわ。流石に私個人の事でみんなを危険な目に合わせたくないもの。」
「駄目です。急な増員は認められない。」
「・・・誰?いやそれよりいつからいたの?」
「あ、安心して下さい。今来たばかりなので。極秘での行動とは言え同じ空間に気付かれずに潜伏出来る技術は持ち合わせていませんので。」
「いや、だから誰?」
「私は、まあ要人の側近です。古くからの知人です。」
そこには齢五十を超えていそうな初老の男が立っていた。身長は榊より少し高くだがその体つきは長い間鍛えられた事が安易に想像できる程、がっしりとしている。短い頭髪は完全に白髪になっており普通ならおそらく実際の年齢より歳を取って見えるのだろうが整った姿勢やその表情からこの男性は若く見えるかも知れない。
「あのちょっとお聞きしたいのですが、犯人の目処はついているんですか?」
「目処と言うか実行犯ならすでに始末したのですが背後関係はわかっていないですね。」
「ちょっと待て。始末?誰が?」
「あ、それは私が。」
「いやいやいやいやいや、じゃあ俺らいらないよね?あんた一人でいいよね?」
「私は別件がありますので。まあ背後関係の割り出しなんですが。」
「それを政府職員にさせればいいだろ。」
「信用がないので。私が優先するのは友人の安全です。」
「信用出来ないのは僕達も同じだと思うのですが。」
「境遇は聞いています。ですからどの組織とも関係が希薄な事も。それだけであなた方は信用出来るのです。まあグダグダ言ってないで引き受けて下さい。」
「このおっさんさらっと本心出したぞ。まあいい。それで?いつ始めればいい?」
「今からです。さ、お願いしますよ。」
車が動きだして既に一時間は経過していた。いまだ空港には着かずそれどころか逆に遠ざかっている。政府要人の護送、しかも命を狙われるほどの人物なら高級車の代名詞でもあるリムジンでもくるのかと思えば少し大きめの車高の高いSUVで榊一同は若干の残念感を滲み出していた。
要人の名はヒース・マクレーン。四十年ほど前に設立されたある特殊な組織の創始者の一人で立案者でもある。既に七十歳を越えているが言葉も足腰もしっかりしている。彼の横には榊が座り二人と対面に将と睦生が座る。運転手は元々ヒースの執事として長年仕えているらしく今回の護送には適任だった。
車は平坦で大自然が残る山間を通り一定の速度で進んで行く。道路は特に整備されているわけではないようだがあまり車の行き来が少ないのか道の痛みはないおかげで随分と快適な進み具合だった。
「こんな年寄りのせいで迷惑をかけてすまないな。」
ヒースはぽつりと呟く。思えば初めて言葉を交わしたかも知れない。少し驚きはしたが気にしないように伝える。
「仕事ですから。それに暇を持て余していた部分もありますし。」
「以前に一緒に働いた日本人も同じようなことを言っていたよ。君たち日本人の気遣いは少々特殊だな。」
「あまり国外の方と話す機会がないのでその辺りのことは分からないですね。奇妙に見えるんじゃないですか?」
「奇妙と言うよりは言葉通りに受け止め愚かな対応をしたりはするな。そしてその考え方に気付き自分の狭量を恥じる。私の場合はそんな感じだったな。」
「人は人からしか教わりませんからね。そこで生じた恥なんて他人には見えないのだから全力で隠してもいいと思いますよ。」
「ふ、そうかもな。」
初めて訪れた和やかな雰囲気は一瞬のうちに崩壊する。車体が向きを変え重力が横から押し付けられる。体の自由は奪われるが車内へ叩きつけられないように踏ん張る。
「どうした、何があった!」
長年連れ添った運転手にヒースが叫ぶ。
「申し訳ございません!何者かが道を・・・・!」
「どうも出番みたいですね。まさか本当に襲撃があるとはね。ヒースさんはここで睦生と隠れててください。睦生、頼む。行くぞ、将。」
二人は静かに車のドアを開き周りを確認しながら身をかがめて車から降りる。体を車体に寄り添わせ注意深く前方を凝視する。直線の一本道、両脇は切り拓かれ残された大きな岩石がちらほらと目立ち道の先には鉄橋が吊られている。そして阻む様に人影が一つ、立っていた。いくら山間部とは言え街灯くらいは設置されている。古いタイプの街灯だがそれでも夜間に視界を確保出来る程には明るく灯される。そして道に立つものを正確に認識出来るほどには。
「止まってもらって悪いね。」
彼は最初にそう声をかけてくる。少し潰れたような声には言葉とは裏腹に妙な圧力と微かな殺意が見え隠れしていた。
「ターゲットはそこの爺さんだけなんだよね。だからさ、他の人は邪魔しないでほしいんだけど。」
「そう言うわけにもいかねーんだよな。そっちこそ今日は下がってくんないかな?後日なら俺らはいないし。」
「いいから黙って去れよ。」
急激に落ちる声のトーン。同時に見え隠れしていた殺意が全面に姿を現す。全く隠す気のない殺気に当てられ二人は思わず武器を出す。
「へぇ。同じ覚醒者か。まさか正義の味方なんて言うんじゃないだろうな。」
「あんたも、覚醒者なのか。なぜこんな事してんだ。目的が違うんじゃね。」
「いやいやいや、俺の目的はハナっから変わってないね。まああれだ、せっかくだ。とっとと姿を現せよ。じゃねーと押しつぶしちまうぞ。」
榊は舌打ちをするとちらりと将を見る。額に大粒の汗を浮かべどこか焦点が定まってないように思う。珍しく一言も話さないからおかしいとは感づいていたようで将に静かにしとくように身振りをすると榊は車の影からゆらりと道を阻む覚醒者の前に姿を晒した。
「なんだぁ?俺と同世代かよ。それに、なんだ、そりゃ。」
男は余程おかしかったのか涙を流しながら腹を抱えて笑っている。見たところ榊より少し若い。赤と黒の縞模様のパンツに白のタートルネックの上から丈の長い黄色のコートを羽織っている。非常に目立つ格好だがこの服装でここまで来た事に僅かだが榊は驚きを感じていた。
「その反応はいい加減飽きたぜ。もっともそこまで笑ったやつはいなかったけどな。」
「そりゃそうだ、このご時世に剣なんて馬鹿げてる。まさか本当に英雄でも目指してんのか。」
「うるせえよ、成り行きだ。気にすんな。お前こそその格好でこんなとこまできたのか?」
「おしゃれだろ。PTOなんてクソ喰らえだ。で、どうすんだ。」
「退かなきゃ退かせるしかないだろ。」
「だな。」
それが合図だったかのように男は杖を払うと呪文を唱える。それはとても短く効果は直ぐに表れる。榊を襲ったのは自分自身の重量だった。咄嗟に使った息吹で地面に這いつくばる事は避けられたが自重で身動き出来ないでいる。
「驚いたよ。まさか耐えるとは思わなかった。その体のどこにそんな力が有るのか疑問だが、まあ動けないんじゃ一緒だけどな。」
「てっめえ、重力なんて、使えるのかよ・・・」
「正確には重量を使ってるわけじゃないが、まあ似たようなもんだ。俺の属性は地。鉱物を自由に使うことが出来る。例えばこんなふうにな!」
地鳴りと共に榊の真下から岩石の先が尖った柱が数本飛び出してくる。人を突き刺すには十分な威力。だが榊はそれを剣で薙ぎ払うと転がるようにその場から離れ難を逃れたが極度の疲労が彼を襲う。呼吸は荒く唇は薄っすらと紫色に変色していたが不足した酸素を補給出来たのか次第に赤みを帯びてくる。
「おいおい、なんだそりゃ。どんな理屈だよ。」
「そいつは、こっちのセリフだ。鉱物を使って、なんで重力が出来るんだよ。」
「企業秘密さ。俺以外にこんな芸当出来るやつはいねえよ。俺と間合いを詰めなきゃならねえお前とじゃ相性最悪みたいだな。勿論、お前にとってだが。」
再度振られる杖。だが榊は既に場所を移動しており徐々に間合いを詰めていく。
(ちっ!もうカラクリに気付きやがった・・・どんな戦闘センスだよ・・・)
重力を使えても欠点はある。それは範囲が極々限定的だと言うこと。半径3メートル。それが重力を加えられる範囲だった。その効果範囲から出ることさえ出来れば重力など怖いものではないが重力など見えもしないものに対策を講じられるわけでもなく通常は術が発動すればそれは相手の敗北を意味している。実際、男も対処された経験は殆なく一瞬の怯みを見せる。だがそれでもやはり経験の差なのだろう。効果範囲をきっちり避けて接近する榊に別の魔術で迎え撃っている。
無数の礫を薙ぎ払いそそり立つ壁を迂回し背後から襲いかかる柱を避け徐々にではあるが間合いを詰めていく。攻撃がなくても道は抉れまともに走り抜けることすらできそうにないのに。その姿を後ろから見ていた将は歯ぎしりをしていた。役に立てないことにではない。守ってもらっていることにではない。以前見たときよりも遥かに実力を付けた榊に嫉妬したからだ。彼はタリスマンの力を、覚醒者としての血の力を最大限に活用している。そのことがたまらなく羨ましく思う。
「ありえないだろ!なんだその動きは!」
遠目にその影を追っているにも関わらず気を抜くと姿を見落としかねない。はやいだけではない、男には理解できない人の性能に彼は最大のミスを犯す。
驚愕。
それが彼を支配する。戦場では、戦いの場では常に冷静さを保たなければならない事を理解していても目の前で見せられたはじめて戦うタイプの男に思考は完全に短絡的なそれとなり打つ手すべてが榊の予想の範疇にあった。
鋭利な刃物で狙われる恐怖が男を襲う。
確実な死をもたらすためだけに生み出された凶器に体は硬直を選択する。
男は前にいる。剣は既に自分を捉え、後は振り払われるだけですべてが終わる。情景は全ての色彩を失いコマ送りの不出来な動画でも見ているような錯覚に陥る。
だが刃は来ない。
放たれた矢を叩き落とすと榊は一歩退き周りに警戒する。矢は垂直に落ちてきた。それはつまり狙撃者の位置を特定できないという事だ。一方的に狙われる恐怖を、榊は思い出す。
「情けないよ、樹。一旦引いて態勢を整えな。」
よく通る、中性的な声。静かだが十分な威圧もそこには含まれている。二人目の存在だが榊は落ち着いている。少し腰を落とし剣をくるりと回すと視線だけを左から右へすっと移動させる。二人目の姿が確認出来ないと、当然か、とつぶやき視線を地面に落とし出来る限り神経を周囲に広げる。
弓矢の恐怖を、彼は覚えている。
コボルトとの戦闘の際、死角から幾度となく狙われ背筋を凍らせた思いが蘇る。銃には火薬の匂い、銃器のオイルの匂いが風向きによるが感じることが出来る。射撃の際の大きな炸裂音も相手の位置を割り出す基準になる。だが弓矢は死角から射られると回避不能な距離に来るまでその存在を検知する事が困難になる。匂いも音も感じさせずに射られるのはまさに驚異だった。
銃の利点が視認出来ない速さと射出の際の炸裂音による恐怖なら弓矢はいつ、どこから来るかわからない恐怖があった。
二人目の存在を覚悟はしていた。もしくはそれ以上も。最初からそのつもりでいたし驚く事ではないが、榊は弓矢の存在に多少なりとも同様はあった。彼は銃と魔術を使う覚醒者しか知らない。便利性と近代を考えると当然だ。だから剣を使う彼に異質な視線を向けられる。だからまさか弓矢を使う者がいるとは思わなかったのだ。
「もうちょっと、見ててくれると助かったんだけどな。」
「まさか。仲間を見殺しには出来ないよ。」
「タイマンに横槍は無粋と思わないか?」
「言い回しが古いね。お兄さん。」
徹底した隠密。言葉を交わしても居場所の特定が出来ない。山間部とは違い拓けたこの場所で一体どこに潜んでいるか疑問だが。樹と呼ばれた男は後退すると冷や汗を拭い落ち着かせるためなのか震えを抑えるためなのか右腕を強く押さえているようだった。助かった、とつぶやいた声はどことなく震えている。
「それに、そっちも仲間がいるみたいだし加勢するかも知れないでしょ。」
「なんだ、気付いてんのか。それなら話が早い。こっちは三人いるんだ、引いてくれないか。」
「馬鹿だなあ。そう持ち掛けた時点で自分たちが不利って言ってるようなもんじゃないか。お兄さん交渉に向いてないんじゃない?」
「わかってないな。そう思うのを見抜いての相談なんだがな。」
「駆け引きかい?無駄だよ、こっちにもまだ仲間はいるんだ。樹は先走りするから最初に仕掛けただけだよ。」
思わず舌打ちが出る。既に橋の上にその存在を確認できたから。茶系のライダースジャケットを着た男が大きなバイクから降りてこちらへ向かっている。拳にはめられていたグローブが一瞬で別物に変わる。
「さて、これで三対三だね。もっともそっちの一人は護衛に専念させているようだけど。どうだろう、ターゲットを置いて君たちは帰ってくれないかな。」
「つまらない提案してんなよ。護衛を依頼されたって事はそれなりの実力者なんだろ?最近は戦闘の経験者は珍しいんだ、少しは楽しませろよ。」
嫌なタイプだ。榊は感覚でそう思う。橋の上を歩いて来ていたはずがもう橋を渡りきって樹の前に立っている。瞬発力が榊のそれとよく似ているようだった。だが彼が気に入らなかった理由はそこではない。狂気をはらんだ低い声に、彼は嫌悪した。力に溺れ誇示し、相手を屈服させることに喜びを見出すタイプによく見られる話し方だ。気が進まないがやるしかない。
「交渉決裂だな。あとで文句言うなよ。」




