十二話
最初はただの模写だった。偉大な画家の技法を知りたいが為に何枚も何枚もただただ書き続けた、書き写した。日の目を浴びることがないと分かっていても彼は描き続けた。
自分の描いた絵を見て身震いした。人の目で見て見分けが付かないほどの出来栄えだったがゆえに。
そんな彼が出来た作品を人目に晒す欲望に抗えなくなるのにそう時間はかからなかった。
切っ掛けがあった。
一人の男が彼のアトリエを訪ねる。その男が贋作の依頼をしてきた。そこから全てが変わった。
彼の人生は終幕を引く。
最初はただの贋作だった。それが何時しか紙幣へと変わった。もちろん最初は断っていたが、結局、折れた。
贋作を作り始めて暫くした頃にスランプへ陥った。作れない事に対し男は責める。客を待たせているからと、違約金を払わなければならないと。
解決策として男は麻薬を薦める。
試してみてはどうだと。誰もが経験あると。
効果は、驚くほどあった。しかも寝ないおかげで倍の量を描けるようになった。
それと引き替えに薬なしでは描けなくなった。自分の絵も描けなくなった。
紙幣の話を持ちかけられた時には既に薬なしでは生活出来なくなっていた。
供給を経つと言われて、紙幣の下描きを引き受けた。
心が、折れた。
男に言われるがままに紙幣の原画を作成し完成した時には既に彼は人を辞めていた。
やたらと明るい照明が一つだけ付けられた机だけがある薄暗く汚れきった部屋で彼は今も飼われている。
「冗談、ですよね?」
上擦った声は掠れ出された声のせいで塞がった喉を潤す為に生唾を飲み込む。
出来上がったばかりの原版を差し出す手は震え滲んだ汗が原版を軽く濡らす。
「錆でも付ける気か。作業中は手袋しろって言ったろ。」
謝り、その場で待つ。こうして待つのは何度目だろうか。もうあまり猶予は無いように思う。
慎重に、ゆっくりと原版をルーペで覗き確認している作業を待つのはいつも胃がきしむ。何度作り直しても次の工程へ進まない。
「よし。これでいく。」
男はそう言い放つと席を立ち急ぎ足で別室へと向かう。あまり明るいとは言えない薄暗い室内をよくその速さで移動出来ると感心する。が、それよりも認められた事の方が驚きだった。
男は鉄製の錆びが目立つ扉を勢い良く開けると中にいた白髪長髪の初老に原版を渡し指示を出す。様々な電子機器が並ぶその部屋は空調がよほど管理されているのか、湿度が比較的高いこの地方のコンクリートに囲まれ尚且つ換気が適切に行われているとは言い難い造りのこの部屋において湿度と気温が快適に保たれている。そのせいなのか先程の話を聞いたせいなのか寒く感じ思わず身震いする。
初老の男は黙って原版を受け取ると大型の顕微鏡の様な機器に乗せ機器の横に備え付けられたモニターに拡大された原版の溝を映すとそれを凝視し表示された数値を確認し始める。溝の深さを調べているようだ。溝の深さは通常、均一にならない。本物と同じ凹凸が必要でそれを行える者は限られている。何よりその様な特殊な技術を熟させる機会などありはしない。それを行える数少ない人物の一人がこの初老の男なのだろう。
そしてこの部屋の空調が完全に管理されている理由も電子機器の為ではなく印刷する偽札の出来が大きく左右されるからだ。
部屋の奥に並べられた業務用の冷蔵庫並の大きさがある印刷機や電子機器を目の当たりにして偽札作りをしていると言う実感が否が応でも増していく。
寒気は、いつの間にか止まっていた。代わりに言いようのない虚無感が彼の心を支配する。それが何なのかわかりきっているが考えないようにする。もう普通の生活には戻れはしないのだから。
「もう何枚か作っとけ。それとな・・・」
男は彼を見るとにっと笑う。この男が笑うのを見たのはこの時が初めてで最後だった。
「地下には足を踏み入れるなよ。うるさいからな。」
「それで、見つかったの?」
「この通り、さ。」
「まったく。半年もかけてやっと見つかるなんて。割に合わないんじゃ無い?」
「しょーがねーだろ。一つを解いたらまた別のヒントになってんだから。」
「結局いくつの謎解きしたの?」
「・・・七つ。」
「見返りは大きくないと納得いかないわよ?あなたに付き合ってたおかげで他の仕事もできなかったんだからね。」
「心配しなさんな。今回のお宝は本物だからよ。なんせ俺が長年調べた集大成だよ?間違うわけ無いでしょ?」
「でも本当なの?『ウェールズの宝樹』なんて財宝があるって。」
「ああ、そいつは間違いない。ウェールズが古代ローマ帝国に支配された際に国外へ持ち出された宝樹はこの街で紛失したそうだ。一説によると奴隷剣闘士にするつもりで連れ去ってきた一人の男に奪われたって話だがウェールズの英雄だったその男を民衆が庇ったおかげでその話はお偉いさん方の耳にまでは届かなかったようだな。」
「あら。随分いい男がいたのね。」
「だろ?まるで俺みたい。」
「その話が本当なら奴隷になったその英雄はどうなったのかしらね。」
「さあな。英雄と讃えられたほどの男だ。案外なんとか生き延びたかもしれねぇな。」
「で、その宝樹って結局なんなの?普通は珠よね?」
「淑女がタマなんていっちゃダメよ。まあ伝説によるとの祭祀に使われていた枝らしいんだなこれが。」
「・・・だからそれが何なのかって聞いてるの。」
「さあ?見付けてみりゃ分かるんじゃねぇの?」
「・・・あんたそんな訳分かんない物の為に私を使ったの!?大したものじゃなくてもしっかり報酬は貰うわよ!」
「そんな世知辛い事言うなよぉ。だが安心しな。俺の考えが正しけりゃこいつはとんでもないもんだぜ。」
既に作業着からベルベットのスーツに着替え終わった男は挑戦的な笑みで流れる景色を見つめる。それはまるで目の前に自分が求める品がそこにあるかのような視線だった。
滑る様に車を走らせる彼女はちらりと男を見ると少々諦め気味に苦笑いを浮かべるもまだ見ぬ宝への期待に胸が躍るのを強く感じる。
この男と組んでもう随分たつが毎回何かしら楽しませてくれる。そしてそれは今回もそうなのだろう。
車内はいつの間にか沈黙が続いていた。別に気まずいわけでもないのだがなんとなしにラジオを付ける。そこには随分昔に流行ったロックバンドの名曲がシックなジャズに編曲された特集が流れている。特別な関係ではないのだがそれでもこの穏やかな時間をこの男と過ごすのは嫌いではなかった。
(出会いは最悪だったけどね)
見えてきた隠れ家で過去の記憶が甦る。あまりいい思い出とは言い難いし鮮明に覚えているとは言えないがそれでも今では懐かしく思う。
「着いたわよ。」
いびきをかいて寝ている男を揺らして起こし車を降りる。窓明かりが見えていたから例の如くあのふたりも来ているのだろう。いつの間に連絡したのか相変わらずで呆れるが抜け目のなさは流石としかいいようがない。
大きなあくびを一つして車から出た男も灯りに気付きニヤリと笑う。
「さ~て忙しくなるぞぉ。」
飄々と、だが悠然と佇み細身の煙草に火を付けると咥えたまま他のふたりの仲間が待つ隠れ家へと足を踏み入れる。
半年調べて分かった事は既にあの二人には話してある。今回のお宝を狙っているのは自分たちだけでは無いことも。今日手に入れた物もただのキーアイテムでしか無いことも。
面白くなってきた。
素直にそう思う。競う相手を出し抜く快感は何物にも代えがたい。しかしそれ以上に危険な相手と渡り歩くスリルが彼を突き動かす。
「それじゃみんな報告よろしく。」
「じゃあ、私から。皆にはメールで知らせた通り作業着の不審者だけです。あの後、他の生徒に聞いてみたら構内に作業着の人物がいてもおかしくないそうです。年中何処かで作業をしているらしくいちいち気にしていないって。そんな環境だから誰もあの男性を覚えている人はいませんでした。」
「まあ幸い車種とナンバーは分かってるからギルドに聞いてみて調べて貰おう。」
「そんじゃあ次は俺な。休講した講師は羽振りがいい奴と同一人物みたいだな。ちなみにそいつはもう辞めたらしい。」
「それは私も聞いた。休講目立ち始めたのは半年くらい前で辞めたのは4ヶ月くらいまえだっけ?」
「だな。ちなみに美術担当だった。」
「それって贋作と繋がるの?」
「かもな。消えた学生もそいつの講義を受けてたらしいし。」
「他の講師はどうなったんだ?」
「特に不審な点はなかったよ。ただの偶然が重なっただけじゃないかな。無断の休講が増えたと言っても殆どが一回で終わってるし大学側も特に問題視はしていないようだし。」
「あとは地下の怪音くらい?誰か聞いた?」
「穴掘ってたりしてな。」
奇妙な笑い声を上げながら将が茶化す。それには誰も反応せず仕切り直すように榊が先を続ける。
「結局、ヴェルノさんから依頼された事はたいして解決してないってことか。」
「まあそうなんだけど、沈静化してる問題は別に気にしなくてもいいんじゃないかな。」
「そう、ですね。贋作の方も随分前から話題にならなくなっていたようですし。」
「じゃあ当面はその作業着の男を調べればいいのかな。」
「そうね。唯一現状で手掛かりが繋がっているのはそれだけだしね。」
お互いの情報がある程度出尽くしひとまず話がまとまると後は雑談へと移る。毎日の事なのによく話題が尽きないものだと感心するがそれだけ今の生活が充実しているのだろう。
この店は将が見付けてきた。彼がこの店の海鮮料理が気に入ったらしく最近ではもっぱらここで皆で夕食を取っている。
古いパブだがこの手の店では珍しくまともな食事を提供しておりまたそれを売りにしている。一般的にパブではあまり食事にはウエイトを置いていないのだがここは料理の種類が豊富でパブと言うよりアメリカのダイナーに近いかもしれない。雰囲気はパブで食事はダイナー、そんな感じの店だった。
「今のオーナーが料理好きでこうなったって聞いたぜ。」
オマールエビを頬張り幸せそうな顔で将がそう説明する。ワインで蒸したエビは香ばしくふわりとしており将はこれが特にお気に入りだった。意外なのが睦生で見た目の割によく肉を食べている。ローストビーフがメインのようだがステーキの様な肉を挟んだバーガーもよく好んで食していた。ただ、一度朝からステーキを食べてシェリーに引かれて以来、朝から肉は控えてはいるようだ。
食事も終わりそれぞれ好きに行動し始める。
将と睦生はよく一緒に行動しており女性陣は女性同士での活動が多いように思う。たまに霞が将達と行動するくらいだろうか。
そして榊はよく一人で行動する。さすがにヒーローの真似事は止めた、と言うより暴漢に会わなくなったと言った方が正解かもしれない。どうも噂のせいで治安が若干よくなっているようだった。
そのせいで運動不足を心配していたが最近は大学の生徒と体を動かしているおかげで個人での空手の鍛錬はあまりしおらず、そのかわり剣術の訓練をよくするようになっていた。幸い宿泊中のホテルから片道三十分ほど走って行った場所に木々に囲まれたあまり手入れが行き届いてない墓地がありもっぱらそこが剣術の訓練場になっていた。端から見るとかなりシュールな状況なのだが幼い頃から墓地や寺を遊び場にしていた彼にとってあまり気になる環境ではないようだ。
師もいない彼が参考にするのはネットがメインだが同じ動作をひたすら繰り返す。ただそれだけで石の力で常人の数倍の速さで習熟していく。徐々に無駄な動きは省かれ最短の動作をするようになる。そこから派生する見よう見まねの小手先だけの剣技もそれは実剣となり達人の域にまで昇華される。
いくつかの技をつなぎ合わせ一つの型を作り出す。牽制し防御をさせてこちらの隙を見せ攻撃させる。防御から攻撃へ転じる僅かな間を突き最大の効果を出す。
基本のパターンさえ出来ればあとは状況に合わせつなぎ方を変えればいい。変えても確実に動ける様に基本の動作と技をひたすら繰り返す。普通はそれが最も困難な事なのだが石の力でそれが安易になっている。
(つくづく武器での戦闘に向いてるよなぁ)
タリスマンの三つの効果の一つである経験値の上乗せ。将や睦生にはあまり恩恵が無いように思う。椿には多少ありそうだなと思いつつ霞の能力を思い出す。
(ありゃなんなんだ。白髪のおっさんと同じような能力みたいだが効果が段違いだな。霞にはタリスマンなんか必要ないんじゃないか?)
タリスマンと武器選択への疑問とあの時の『本物』と言う言葉。
覚醒者がなぜタリスマンが必要なのだろうか。『適用能力の高さ』が覚醒者の所以ではないのだろうか。覚醒者と言われてもタリスマンがなければただの人だ。村長は全ての種族の能力を備え持つ者が覚醒者と言った。ならばなぜ武器の選択が必要で他の武器が使えなくなるのか。
(あいつらは気付いててやってんのかな)
もし彼が言った本物が全ての種族の能力を備え持つ者の事なら自分でも彼らの様な能力を使えるようになるのだろうか。逆にタリスマンが必要な理由はなんなのだろうか。
そしてもう一つの疑問は本物と言われる覚醒者はいるのだろうかと言うこと。いるとしたら自分達が覚醒者と呼ばれるのは何故なのか。結局最初の疑問へ戻る。
(どうどう巡りだな)
シェリーや村長、もしくはギルドに聞いてみるのも良かったのだが一連の関係者への不信感からそれは出来ずにいた。
胸の内の黒い感情と体内に溜まった疲弊を吐き出すように大きく息を吐き剣を納め転がっているほどよい大きさの岩へ腰を下ろし空を見上げる。そこには無数の星が煌めき暗い夜空を飾り付けている。
(ああ月がないせいか)
思えば一日中天気が良かったのは呼ばれて以来初めてかもしれない。火照った体の熱を岩が奪っていくの感じながらそんなことを思う。街外れにいるせいかこの辺りは静かなのだがそれでも耳を澄ますと激しい動悸に混じり街の喧騒が聞こえる。
乱れた呼吸は次第に落ち着き流れた汗が更に熱を奪い貼り付くシャツが不快に感じる。深く吐いた吐息は白く、それは本格的な冬がもうそこまで来ている事を意識させた。
(冬かぁ。こっちは雪は積もるのかね)
自分が生まれ育った地方ではあまり雪が積もる事が無かったせいか雪に多少なりとも憧れに近いものがある。数年ぶりに積もった時は嬉しくて小さめの雪だるまをいくつも作ってみたりもした。懐かしい記憶と共に家族の怯えと不審を隠しきれない表情を思い出す。
吐き気にも似た胸の締め付けを忘れるように勢い良く立ち上がると脱いで掛けていたコートを羽織りホテルへと足を運ぶ。これ以上寒くなるのならもう一枚下に着込んだ方がいいだろうか。皆に聞いて準備をした方がいいかもしれない。彼らの方が慣れているだろうから。過去を、脳裏をよぎる醜い感情をかき消す為に、誤魔化す為に今の仲間を強く思い出す。以前はなかった弱さに戸惑いはあるが仲間の存在が有り難かった。
「見付かったのか。」
その声は掠れ生気が失われていた。どうかすると聞き取れないほどくぐもった声の持ち主は一人で寝るには大きすぎるベッドで虚ろな瞳で天井を見つめている。知らない者が見ると本当にこの老人から発せられたのか訝しむかもしれない。
豪華な装飾が施されたアンティークのベッドの横には酸素を送り込む機械が設置されそこから伸びたチューブは老人の喉へとつながっており、その姿は誰の目にも死を迎えるだけの老人にみえた。にもかかわらずベッドの横に不動で佇む男には怯えが見える。
「はい。例の男が順調に進めております。」
静寂の中、吸入器の作動音だけが静かに聞こえる。
「彼奴の参入は予想外だが手中に収めるまで事態の制御を怠るなよ。」
掠れた声の中にある確かな風格。既に消えた筈の威圧に気圧され見えているはずも無いにもかかわらず頭を下げると静かにその場を後にする。
(齢百を超えてなおあの風格とは恐れ入る・・・)
幼少の頃から裏の稼業の人物達と関わってきたがあれ程の欲の塊で生きる人間を見たことが無い。醜く、嫌悪の対象でしかないにもかかわらず畏怖のみならず畏敬すら感じることがある。
(あの人の前だと借りてきた猫だな)
内ポケットからハンカチを取り出すと汗ばんだ手を拭き自嘲気味に口元が緩む。数多くの修羅場を潜り抜けてきたこの自分が、と。
「報告があります。」
廊下を出ると待っていた部下がすぐに報告を始める。
部屋の前には警護は付けていない。そのかわり部屋へ通じるこの廊下の入り口を24時間体制で警護している。廊下自体が特殊なセキュリティになっているおかげで銃器すら持ち込めないが。
「例の男がアジトへ着きました。未確認ですが仲間の二人は既に着いていたようです。」
愛銃を受け取り脇の下のホルスターへ仕舞いながら彼は眉をひそめた。
「分かった。目を離すなよ。あれは、超弩級の一流だ。」
自分達では解けなかった長年の謎をあの男は僅か数ヶ月で解いてしまった。数ヶ月も、と言うものもいるだろうが謎自体は数百年単位で解かれなかったものだ。その常軌を逸した推理力は驚嘆せざるを得ない。数十年前から欲していた我が主があの男から奪うと決めるのは無理のない事だろう。
「このままではただの警備員だな。」
「は?」
「なんでもない。」
正直な話、あの男が現れて助かった。あの欲の塊の老人が求めた『ウェールズの宝樹』は眉唾ものの宝だ。あるかどうかも分からない不確かな物を探し続けるのはかなりモチベーションの維持が難しかったのだがあの悪名高い男が探しているのならまず間違いなく存在しているのだろう。
「すみませんまだ報告が。レフ様がお待ちです。」
「分かった。今夜はもう動きがないだろう。みなに休むように伝えといてくれ。ああ、廊下の警護は外すなよ。」
一礼してその場を去る部下の背中を見送りながらタイを緩め友人が待つ離れへ足を運ぶ。面倒な話だがこの館にはあの老人しか住んでおらず、警備や警護をする者は離れで寝泊まりするように指示されていた。
そこの一室に来客用の部屋が割り当てられあの老人の関係者は大体この部屋で彼からの指示を仰いでいる。財政界やマフィアのそうそうたる面々がこの部屋で身を縮ませて待つその姿は滑稽だったが。
あの老人はおそらく誰も信用していない。事実この数年あの老人と直接対面しているのは自分だけだろう。が、だからと言って自分が信用されているなど愚かな考えなど持てるはずも無かった。
中庭を抜け離れに入ると一番手前の部屋の扉を開けると中では懐かしい男が待っていた。既にウォッカを一瓶空にしており二本目を開けようとしているところだった。
ストライプ模様の半袖のシャツとジーンズと言うこの季節にしては随分ラフな格好だが彼にとってこの程度の気温はたいしたことないのだろう。
「相変わらず、気苦労が絶えないようだな。辞めて俺と一緒に来たらどうだ。」
「そっちこそ相変わらず生傷が絶えないようだな。その横腹には風穴でも開いたか。」
「この短時間で気付くのはお前くらいだよ。気にするなただのかすり傷だ。」
グラスをひょいと投げるその腕は太く筋肉に守られている。この腕でよく軽く投げられるといつも不思議に思う。
グラスを受け取ると男の正面の椅子に腰を下ろし傾けられたボトルへと向けるとそこへは並々とウォッカが注がれる。一気に飲み干し喉を暴れ回る熱と鼻腔を突き抜けるアルコールを愉しむ。
「それで、今日はどうした。」
タイを外し別の椅子へ放り投げると襟元のボタンを外し今度は自分で注ぐ。
「俺がどこにいたかは知っているよな。」
「中東だろ?最近また騒がしくなってるみたいだが。」
「まあそうなんだが、ちょっとこいつを見てくれ。」
テーブルに投げ出されたそれはコツンと音を立てるとくるくると回る。
「なんだこれは?」
「それを聞きに来たんだ。俺は戦場ばっかであまりこういった物には疎くてな。裏の世界と繋がりが深いお前なら何か知ってるかとおもってな。」
「いや、分からない。私にはただの黒い水晶にしか見えないが・・・」
暫く手の中で弄んでいたが何かに気付きレフへ食ってかかる。
「レフ、レフ!これを何処で手に入れた!?」
「その様子じゃ、知ってるらしいな。そいつはな、とある村を守ってた奴がぶら下げてた物だ。形見と思って首から外したら紫に輝いていたその石は黒くなっちまった。」
ウォッカの入ったグラスに光を差し込ませその情景を眺めていた彼は震えながらそれを握り締める。音を立てて割れたグラスはウォッカと共に床へと落ちていく。
「教えてくれ。あれは、あいつらはなんなんだ!?」
レフがここまで取り乱し感情を表に出したのは初めて見た。表情が乏しい彼の恐怖に歪む顔を初めて見た。
「彼らはヴィルナラとヘティカルと呼ばれている。私もあまり詳しい事は知らないが、君が見た物を想像が出来る程度には知っている。」
レフはぽつりぽつりと話し出した。
「あいつらが戦っていた相手は人間くらいの大きさの泥人形みたいな連中でな。いくら吹き飛ばしてもその辺の泥を集めてすぐ復活しちまう。二個小隊で乗り込んだにもかかわらず生き残ったのは俺を含めて三人だけだ。それもあいつに助けられてだぞ!」
怒りにまかせはじき飛ばされたボトルは壁に叩きつけられ砕け散るとウォッカが壁と床にじわりとシミを広げていく。
「小柄の、しかも年下にしか見えない東洋人数人が一番奥でふんぞり返ってた野郎を抑えてた。けどよ、途中で現れたもう一人の女のせいで戦況は一変しちまった。たった一度の訳の分からない攻撃で俺達の部隊は半数が死んだ。」
その女がふわりと戦場に舞い降りた直後、伏せろ、と誰かが叫んだ。戦歴の猛者ほど、味方の警告には敏感に、迅速に反応する。不思議な話だがたとえ混戦の中でもそれははっきり味方の声だと認識出来る。
当然、レフはそれに従った。理解出来なかった者は無残にも胴を切り離された。
無慈悲な惨状は生き残った者に混乱を与えた。態勢を立て直し隊の組み直しが出来ればあるいは勝ち目はあったかもしれない。しかしそれは叶わず浮き足立った兵は錯乱しその機会を奪った。そして最悪な事に次々と殺されていく兵達を助けるために東洋人の一人は前線から離脱。結果、均衡は崩れ東洋人にまで犠牲者が出た。
「彼等の仲間の二人目が倒れた時にその石の持ち主が何かをした。他の仲間達はそれを止めさせようとしていたが。」
辺りは白い輝きに包まれ輝きが消えた後にはその男と兵士の遺体と生き残った三人だけが残されていた。
「教えてくれ。あれは、何だ。」
石をそっと差し出しレフに渡すと彼は椅子から立ち上がり割れたボトルの破片を集め始める。
「多種間戦争を知ってるか。」
「いや、聞いたこと無いな。」
ガラスの破片はカチャリ、カチャリと音を立てて片付けられていく。
「遥か昔、数万年も昔から行われている人類とその他の生物との間で起きてる戦争、らしい。」
「からかっているのか?まさか宇宙人とか言い出すんじゃ無いだろうな。」
よほど癇に障ったのかその声には怒りと苛つきが込められている。
「どうやら事実のようだ。人とよく似た生物がこの星の支配権を掛けてい戦っている。驚いたことに魔法の様な力も使うそうだ。」
少しだけ戯けたように、だが皮肉めいた口調で付け加える。
「我らのご先祖様は一度は勝った様だが数百年前からまた始まったようだ。」
「それを、信じろと言うのか?」
「見たんだろ?」
返す言葉を失いレフは黙り込む。ガラスの欠片を集め終わった男は椅子に再び座るとすまないと謝罪する。
「君が彼らヘティカルを殺したのかと。すまない。」
「いや、気にするな。それよりこの石を遺族へ返したい。何か手掛かりになるような事は知らないか。」
「相変わらず、義理堅い男だな。そうだな、偶然か導きか。最近、この街に現れたそうだ。へティカルの連中が。訪ねてみたらどうだ?街外れのホテルに宿泊中らしい。この街で東洋人のグループは珍しいからな。すぐ見付かるだろう。」
「助かる。」
セラーを開けワインを数本取り出しながらこの男にしては珍しいな、と思う。いつもならそう聞けばすぐにでも向かいそうだが。
ああ、自分の中で整理しているのか。
「今夜はもう遅い。泊まっていけ。ちなみにそのホテルは今時のお洒落な門構えをしている。君が行くと非常に目立つだろう。」
投げ渡されたグラスとワインを受け取りほっとしたような気がした。
「君は少し弱くなったんじゃ無いか?」
思わず呆れて口に出てしまったが思いの外、核心を突いたようでせっかく手にしたワインを落としそうになる。この男のこんな姿を見る機会があるとは夢にも思わなかった。
「ロシア人は表情を表に出さないんじゃなかったのか?」
「う、うるさい!少し妙な気に当てられただけだ!大体お前は少しS気があるんじゃないか!?あの内戦の爆破の時だってギリギリだったじゃないか!」
「馬鹿言え。あれはかなりゆとりを持たせたぞ。」
「嘘を言うな!俺はあの時に爆破の破片が背中に刺さってたんだぞ!」
「それに気付いたのは三日後くらいだっただろ。その分厚い筋肉のおかげで。」
「そもそもお前は爆弾の知識なんてなかったそうじゃないか!」
「うるさいな。仕方ないだろ。爆破専門の野郎が犬に○○○を食いちぎられて使いもんにならなくなったんだか。」
「なに上手いこといってんだ。だったら別の作戦立てろよ。お前は小狡いんだから。」
「嫌だよ。面倒くさい。」
「他にもあるぞ。この際だ全部ぶちまけてやる。付き合え。」
久々に飲む旧友、戦友との酒は格別だった。ここ数年の糞みたいな仕事を忘れられるほどに。




