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第Ⅲ章 湖の国

 巨大な泉が方々に細い枝を伸ばす、巨大オアシスの上に築かれた国、《クレタ王国》。かつてこの国には、圧政を敷いた独裁者がいた。泉のほとりに巨大で豪勢な城を建て、世界中からあらゆる美術品などを取り寄せ、黄金をちりばめた皇室で日々を過ごす。その様子はまさしく豪華絢爛。


 しかし、職業王族。その生活資金の基盤に存在するものは、国民の血税であった。私腹を肥やすための厳しい税の取り立て。国王に異を唱えるものがあれば、即刻国家反逆罪として処刑。極刑に処された人数は、多い年で十五人を越えたという。


 自らの欲望のために民を犠牲にし、弓引く者へは死を言い渡す。傲慢を極めた王であった。


 しかし、古今東西そのような状況下において、市民が国王に取って代わり革命を起こさなかった例はない。今回もその例に違わず、市民たちは立ち上がった。国王に不満を持つ貴族や富裕市民が後ろ盾となって、革命の運動は農民層を中心に発展。国王とその妻を断頭台にかけ、その子息を湖の中央の迷宮(ダンジョン)に幽閉した。


 こうして革命は終了し、独裁者とその因子は取り除かれた。この出来事は《湖の革命》と呼ばれる。










 「・・・・・・・・・・・水の匂い」


 アッシュがふと、そんなことを口にする。


 「分かるんですか?」


 向かいで膝を抱えて座るリーナがアッシュに問う。


 「なんとなく。ラグニアではあんまり嗅ぎ慣れない匂い。まあ、ラグニアは砂漠の国で、クレタは巨大オアシスの上にある国だからね」


 そう、現在二人はクレタ王国南部の高原地帯を北上していた。砂漠地帯を抜け、豊富な水資源があるせいか、道中ちらほら小さなオアシスを目撃した。


 「この国にも、迷宮(ダンジョン)があるのか・・・・・・・・・・・・」


 アッシュは広げた地図を眺めながら呟く。


 クレタ王国の王都には、巨大な湖の中心に迷宮(ダンジョン)が存在する。ただ、ラグニアにあった迷宮(ダンジョン)とは、また少し別物だ。


 「巨人族(タイタニア)迷宮(ダンジョン)か・・・・・・・・・・・・」







 ─────────────────────巨人族(タイタニア)


 人間族(ヒューマニア)を遥かに凌駕する巨躯を持ち、その剛腕は山をも砕き、海を断つ。多くのものは牙や角を持ち、人間族(ヒューマニア)とは似て非なるものとして、神話時代より語り継がれてきた。現在ではその数は妖精族(フェアリア)に次いで少なく、《原初の五文明》が崩壊して以降、絶滅の危機に晒されている。


 「迷宮(ダンジョン)って、守護してるのは竜だけじゃないんですよね?」


 「うん、《黒竜軍》にいたのは竜だけじゃないからね。そして迷宮(ダンジョン)の守護者となって、遺産になった。まあ、リーナさんのそれは、また違った経緯で遺産になったんだけどね」


 「え、そうなんですか?」


 「だって、四大精霊の一角ともあろう存在が暗黒竜に加担するとはどだい思えない。それに、妖精族(フェアリア)の貴族階級の存在は、自らの力をそう言った装飾品なんかに宿して、身内に受け継がせるってのがよくあるらしい」


 「そうなんですか・・・・・・・・・・・・・。だとすれば、どうして先代たちはこれを」


 そう言ってリーナは胸元の首飾りを掌で弄ぶ。切り取られた面が、時折荷台に差し込んでくる陽光を青く反射する。


 「何処かで会ったか・・・・・・・・・・・・もしくは奪ったか、奪ったものを貰ったか」


 「そんなこと一貴族としてするはずがありません!!ましてや四大精霊のものを盗むなんて罰当たりなこと!」


 「誰もそうとは言ってないでしょ?だから、どういう経緯でか、本人かそれに近しい者に会う機会があったんだと思う」


 しかし、それが一番妥当な答えだとしても、考えづらい推測には変わりない。一体どうやって、彼女の先代はこれを手に入れたんだろうか・・・・・・・・・・・・。


 「で、話を戻すけど、今回の迷宮(ダンジョン)巨人族(タイタニア)用に作られたものだから、内部構造が色々と違ってるんだ。それに、湖のど真ん中の島みたいなとこに建てられてるから広さもそんなにあるわけじゃない。地下には水源があるし、塔みたいな建造物じゃないらしいから、上下もない。なのに、巨人が居座れるだけのスペースがある。楽しみだ、一体どんな建造物なんだろう」


 アッシュはまだ見ぬ迷宮(ダンジョン)に心を奪われていた。生粋の冒険者気質なのだと、リーナは思う。


 「それはそうと、私たちアカデミーに行く移動手段を確保するためにクレタに向かっているんですよね?いくら商業の国と言えど、そう簡単には見つからないのでは?」


 「そうだね。いろんな国からいろんな人が来るからね。さすがに直通ってのは難しいと思う。だから、いくつかある当ての中から一番アカデミーの近くまで行くものを選ぶつもりだ。何回か乗り換えることになるのは覚悟しといてよね」


 それもそうだ、とリーナは尋ねておいて納得する。


 「では、その当てが一日で見つからなかった場合どうします?」


 「とりあえず安い宿を取るか、野宿かってとこだね。個人的には野宿の方が気が楽なんだけど」


 アッシュがそう言うと、リーナは露骨に嫌そうな表情を浮かべる。


 「何さ、軍の訓練でやらなかった?」


 「いえ、何度か同期たちと訓練でやりました。・・・・・・・・・・・・けど、あんまりいい思い出がなくて・・・・・・・・・・・・・・。朝目が覚めると得体の知れない虫が顔の上に乗っていたり、靴を履くと中に蜂がいて足の裏を刺されたり、危うく蛇に噛まれそうになったり・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 「そりゃまた・・・・・・・・・・・・お気の毒に」


 涙ぐみながら膝を抱えて丸くなったリーナを見て、さすがのアッシュも同情してしまう。


 まあ、さっさと足を確保しさえすれば野宿の心配はないんだが。


 しかし、ここ数日狭苦しい荷台での生活が続いているが、彼女は今しがたの回想以外、弱音を吐いていない。アッシュは密かにリーナを観察していた。泣き言一つ言わず、昼夜木製の車輪に転がされていながら。軍人と言えど貴族、とアッシュは思っていたが、なかなか彼女は骨がありそうだ。


 「あともう暫くすれば王都に到着する。日も高くなってきたし、着いたら何か美味いものでも食べよう」


 アッシュがそう言うと、リーナは俯けていた顔を上げてその目を輝かせた。

















 「予想はしていたけど・・・・・・・・・・すっごい人の量だな。ラグニアじゃ考えられないよ」


 王都に到着し輸送業者と別れたアッシュとリーナは、街の市場を歩いていた。空腹を満たすための食糧調達のためである。


 「見てくださいアッシュくん、この果物美味しそうですよ!」


 青果店の前で足を止めたリーナは、鮮やかな黄色の果物を指差した。


 「それもいいけど、なるべく腹持ちのいいものにしよう。それは食後でも大丈夫でしょ」


 そう言ってアッシュは果物を一瞥し、店の前を通り過ぎた。リーナは慌ててアッシュの背を追う。


 「なんだか、楽しいですね。店先に並べられてる商品を見てるだけでも」


 「リーナさん、ひょっとしてラグニア以外の国は初めて?」


 「いえ、東隣のダスタリアには家族で行ったことはありますけど、私が小さいときだったので。記憶にはないです。アッシュくんは慣れてるんですよね、こういう違う国の感じ」


 「確かにいろんな国に行った記憶はあるけど、それでもラグニアでの生活が長かったからなぁ。違和感はそれなりに」


 そんな会話をしながら市場を歩く。途中、風に流されてきた匂いに釣られて立ち寄った店で、丸ごと焼かれた骨付きの肉を購入し、その数軒隣でナンを購入。人混みの中で食べるのも面倒なので、湖の畔まで行くことにした。


 「へぇ、水がとんでもなく綺麗だ。ラグニアの井戸水とは大違いだ」


 アッシュは蒼く透き通った湖面を覗き込む。このまま飲んでも害はなさそうだ。


 「あの~、アッシュくん・・・・・・・・・・。これってこのまま食べるんですか?」


 振り返ると、困り果てた表情でリーナが右手に骨付き肉、左手にナンを構えていた。


 「そうだよ、山賊食い。大胆にかぶりついて」


 そう言うと、リーナは顔をしかめ、一口かぶりついた。あの様子だと、山賊食いをしたことがないらしい。口元にべったりついた肉の油を拭いながら、咀嚼する。


 「美味しいですね、これ!もっと脂っこいと思ってましたけど、柑橘系の酸味が利いてて食べやすいです!」


 リーナは言い終わるともう一口齧った。その様子を見届け、アッシュも一口齧る。


 かなりの肉汁だ。味付けは塩胡椒とシンプルだが、柑橘系の爽やかな風味が肉の味をより引き立てている。うん、確かに美味い。


 「うん、美味い。肉を塊で食ったのなんて、何年ぶりだろう・・・・・・・・・・」


 「アッシュくんはこういう食べ方慣れてるんですね」


 「まあ、ね。小さい頃、父さんがよくやってくれたんだよ」


 そう言ってアッシュは肉塊を見つめる。数少ない父親との思い出に浸りながら、もう一口齧る。


 食事を済ませると、アッシュはいそいそと自分の荷袋に手を伸ばした。そして中から木製の小箱を一つ取り出し、さらにもう一つ箱形のものを取り出した。


 「アッシュくん、それは?」


 「これ?これは水質調査用の道具だよ。『冒険者たるもの、水には気を遣え』って、父さんの教訓でね。誕生日の日に貰ったんだよ」


 言いながらアッシュは小箱の紐を解き、蓋を開けた。中には藁がぎっしりと敷き詰められており、アッシュはそれを掴み、蓋の上に乗せる。すると、藁の中から透明な何かが姿を現した。


 「硝子・・・・・・・・その形、試験管?」


 「正解。硝子は貴重だからね。きっと、これを探すのにはすごく時間がかかったと思う。僕の宝物さ」


 そう言ってアッシュは水際に腰を落とす。


 「綺麗なのは分かってるけど、記録に残しておいて損はないと思う」


 アッシュは試験管の口を水につけ、採取した。それを陽の光に透かし、じっくり眺める。


 そして”とある異変”に気付く。


 「なんだこれ・・・・・・・・・・・・・どうして・・・・・・・・・」


 目を見開いて驚愕するアッシュの様子を見て、リーナは腰を持ち上げた。


 「アッシュくん、どうかした?」


 アッシュの傍に歩み寄ると、アッシュは試験管をリーナの鼻先に突き付けた。


 「分かる?」


 「ええ・・・・・・・・でも、どうして?」


 二人は目を見合わせる。


 そしてそうしている間にも事件は起こった。


 「があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 二人の後方で、男性が叫び声を上げた。咄嗟に二人が振り向くと、男はその場に崩れ落ちた。


 リーナが走って男の傍へ行く。そして男の肩を揺すって呼びかける。反応が無い。


 そうしている間にも次々と人が倒れだした。


 そんな中、アッシュは試験紙を一枚引きちぎり、試験管につけて内容液を振る。試験管の緑色は、たちまち毒々しい紫へと変わる。


 「リーナ!!!浄化の力を街全体に届けるんだ!!!!」


 「そんな無茶な!!いくら何でも私には────────────」


 「君のその力ならできる!!!迷ってたら何百人と死ぬぞ!!!!」


 アッシュに一喝されたリーナは震える両手を無理矢理抑え込み、胸の宝石に手を当てた。これを使いこなせてはいないから、浄化の仕方なんて分からない。それでも、今が切羽詰まった状況だということは分かっている。やるしかない。


 リーナの周囲を、蒼い光の粒が渦巻く。新たに生まれては遠くへ飛び去り、それを繰り返す。アッシュはリーナの魔力(マナ)の動きを確認すると、口を開いた。


 「全員湖の水を口にするな!!!誰かが毒を流してる!!!」


 アッシュのその声を聞いて、多くの人々が驚愕を露わにした。誰一人として、その場から一歩も動こうとしない。


 アッシュは湖の中央、湖面に影を落とす迷宮(ダンジョン)をなまじりを鋭くして見遣った。湖面からは微かだが、微細な魔力(マナ)の漂流を感じる。粒を極限まで細分化し、勘付かれないように水中に拡散させているのだ。なるほど、よく考えられている。それほど精密な魔力(マナ)の操作が出来るということは、恐らくこれの犯人は─────────────。


 「倒れた方はお医者さんの所へ!被害状況をまとめてお役所に報告を!!湖には近づかないようにとたくさんの人に伝えてください!!」


 リーナの声でふと我に返る。見ると彼女は倒れた者の搬送や状況の整理、警戒体制の敷設など、全て手際よく指示を出していた。流石は衛生兵、やはりこう言うのには慣れているようだ。


 アッシュは彼女のもとへ走り、被害者の搬送を手伝った。












 数時間後、被害を受けた全ての患者の医療施設への収容が完了した。被害者総数は数百人に上ったが、全員無事なようだ。今更だが、アッシュはリーナの持つ遺産の力に溜め息が出た。


 クレタ王国軍も出動し、現在は湖周辺の立ち入り規制や、犯人の捜索に動いているらしい。




 「これは、僕が湖の水質調査の時に使った試験紙です。普段は緑色ですけど、毒性を示すものに触れると紫色に変色します。勿論、毒性の魔力(マナ)に触れても色は変わります」


 「なるほど。して、それほど大量の魔力(マナ)を湖に放ったとなれば、誰かしら異変に気付くと思うのだが」


 「難しいと思います。魔力(マナ)の粒の大きさを小さくすれば、人間が認識するのは難しくなります。砂埃の砂粒が見えないのと同じです」


 「ふん・・・・・・・・・・・・そうか」


 中年の男性は腕を組み、難しい表情を浮かべた。その腕や体は白を基調とした軍の制服に包まれている。


 現在アッシュたちはクレタ王国軍の詰め所にて、今回の事件の重要参考人として事情聴取を受けている。この短期間で二回も大人に囲まれて話をさせられるのも珍しい、とアッシュは思った。


 「そして貴方が毒に侵された人々を救ってくれたのだな。礼を言う」


 男性は両手を膝の上に乗せ、リーナの方に向き直って頭を下げた。


 「いえ、とんでもないです。それより、死者が出なくて幸いでした」


 そう、今回はリーナの活躍によって事なきを・・・・・・・・・得たと言えば得たが、それでも毒を体内に含んだ時の衝撃が大きく、未だに目覚めない人も少なくはないらしい。


 「不甲斐ない話だが、数時間経った今でも犯人の足取りは掴めていない。どうしたものか・・・・・・・・・・・・・・」


 男性は溜め息交じりにそう漏らす。


 「犯人は、多分迷宮(ダンジョン)の中ですよ」


 アッシュがそう言うと、男性は勢いよく頭を振り上げ、アッシュを真っすぐ見た。


 「それは、どういう・・・・・・・・・・?」


 「湖の中央、迷宮(ダンジョン)から溢れ出る魔力(マナ)に紛れさせているんだと思います。毒性の魔力(マナ)の生成には、儀式と材料が必要です。犯人は、魔力(マナ)の操作が可能な人物、あるいはそう言った存在なはず。だったら、街中で儀式でも始めようもんなら、事件が起こる前に御用になってますよ。粒を細かくした魔力(マナ)は操作はほぼ不可能。何処か離れた所からっていうのは考えにくい。だとすると、答えは一つ。迷宮(ダンジョン)から、と言うことになります」


 アッシュは自分の推理を展開した。その場にいた全ての人間がアッシュの言葉に聞き入り、茫然としていた。


 「すごいな・・・・・・・・・。君、本当に十六歳かい?」


 男性は苦笑いしながらアッシュに問うた。リーナも頷く。


 「まあ、一応は。それより、迷宮(ダンジョン)の中に入ることって出来るんですか?」


 「出来なくはないが、入り口には封印がかけられていて、限られた人間以外入ることは・・・・・・・・・・・・・まさか犯人は王国軍人か?」


 男性はそう言って右手を顎に添える。


 「それも考えられなくはないですけど、ひょっとしたら封印を破って中に入ったのかも。連れて行ってくれますか?」


 アッシュの問いかけに、男性は快く頷いた。


 男性とアッシュ、リーナは数人の王国軍兵とともに小舟に乗って湖の中央の島へと向かった。島に上陸した後、丘を登り、その斜面から島の内部へ進入する。石段を下っていき、遂に迷宮(ダンジョン)の入口へと至る。


 「予想通り、だね」


 アッシュは小さく呟く。


 入り口の石扉は砕き割られ、破片に混じって千切れた鎖が地べたに横たえられている。アッシュが予想した通り、迷宮(ダンジョン)の封印は破られ、何者かの侵入を許していた。


 「なんてことだ・・・・・・・・。宮廷魔術師の編んだ最高位の封印魔術だぞ!」


 アッシュは顎に手を当てた。宮廷魔術師が誇る最高位の封印魔術を破るということは、封印をかけた本人以上の実力があるということ。これをやった犯人はかなり腕が立つ魔導士であろう。となると事態はかなり厄介なことになる。アッシュには近接格闘の素養はあっても、魔術や魔法に関する素質は皆無。今でこそリンドヴルムの恩恵もあってある程度風を操ることが出来るが、向こうの圧倒的優位は揺るがない。リーナに攻撃系魔術は使えない。これは本人談だ。そもそも彼女は魔術師でも魔導士でも何でもない。


 「中に入ってみますか?」


 簡素なつくりの槍を持った兵が、男性に尋ねる。彼は頷くと、手勢を集めて中へ入ろうとした。


 「ちょっと待った。魔術に精通した誰かが中に入ったってことは、迷宮(ダンジョン)が機能を取り戻しているかもしれない。自殺行為だ」


 アッシュは左手で彼らの進行を制する。彼らが停止したのを確認すると、アッシュは右手を顎に当てて考える。出来るものなら今すぐにでも中に入って調査をしたいが、何の予備知識もなく突っ込むのはそれこそ自殺行為だ。


 「ここの迷宮(ダンジョン)って、中はどうなってるんですか?」


 アッシュが尋ねると、男性が答えた。


 「ここの中はかなり複雑な構造になっている。一度中に入れば脱出するのはほぼ不可能。ゆえにここは他の迷宮(ダンジョン)と区別してこう呼ばれているんだ────────────────」


 そして男性は一拍置いてからこう言った。


 「────────────────不帰の迷宮(ラビュリントス)と」


 不帰の迷宮(ラビュリントス)────────────────。アッシュには聞き覚えがあった。いや、聞き覚えではない。見覚えだ。ラグニア出立時にジューロに譲った本の中に、それに関する記述があったはずだ。一歩踏み込めばそこには無限に広がるかのような空間。来る者去る者すべてを拒む、難攻不落、魔の迷宮(ダンジョン)


 ただ、この迷宮(ダンジョン)の正体が分かったなのなら、対策の取りようもあるというものだ。いくら脱出不可能な迷宮(ダンジョン)とは言え、攻略法は存在する。そして、かつてその攻略法を用いてこの迷宮(ダンジョン)を攻略した者がいるのだ。


 「だったら、”糸”があればなんとかなるんじゃないですか?」


 アッシュがその言葉を口にした途端、クレタ王国の衛士たちは驚愕の表情を露わにした。


 「き、君は”あの伝承”を知っているのかい!?」


 アッシュは小さく頷く。片やリーナは小首を傾げる。その視線を受け取り、アッシュはリーナの方を向き直って口を開く。


 「むかしむかし、ここに挑む勇者様に一目惚れした王女様が用意した、来た道を辿るための糸玉のことだよ。確か現存してるって話を聞いたことがあるんだけど、どうなんですか?」


 「残ってはいるが・・・・・・・・・・・あれは国宝として皇室にて保管されている。それを持ってくるとなると、かなりややこしいことになるぞ」


 アッシュが尋ねると、男性衛士は困り果てた表情で言った。


 「もし渋るようなら、この現状を話の引き合いに出せばいいさ。さすがに国の一大事に躊躇するような王じゃないでしょ。それでも煮え切らない態度取るなら脅してでも持ち出せばいいと思う」


 アッシュがさらりと言うと、衛士たちは全員貌を引き攣らせた。


 「君、本当に十六歳か・・・・・・・・・・?」


 そんな衛士の言葉は、既に思考の水底へと没入したアッシュの耳には聞こえていない。







 小さい頃から、望めば何でも手に入った。上質な着物であろうと、凝った芸術品も、山を断つとも云われる宝剣も。欲しいものは何でも手に入った。そして、何でも手に入れられる財力が、確かにそこにはあった。


 しかし、それは永遠に続くものではなかった。五年前、革命が起こったあの日から彼の生活の全てが一変した。


 父親の圧政を押し退けるが如く爆発的な広がりを見せた革命は、瞬く間に国民全てを巻き込み、ついぞ王城は包囲された。農民、貴族、商人から職人、軍人までもが宮廷に押し寄せ、国王と女王を断頭台へかけた。


 それからと言うもの、独裁者の因子を継ぐ彼らは難攻不落の迷宮(ダンジョン)に幽閉され、ありとあらゆるものから隔離された。昔は小間使いに言えば簡単に手に入った薬草の類も、今となっては一日に一回使う分量を手に入れられるかどうか。僅かに残された書物と、ともに閉じ込められた召使いの知識を使って薬の調合を行っているが、それで彼女の身体はいつまで持ち堪えることが出来るだろうか。


 「姉上、お加減はいかがですか」


 「ええ、今は何とも。貴方の薬のおかげです」


 マティアスはそっと溜め息をついた。心の内に引っかかったやるせなさを、しかし姉に気取られぬように吐き出そうとした。


 「マティアス、無理をしていませんか?」


 「姉上、どうして?」


 「貴方が私の世話をするようになってから五年、いい加減疲れたでしょう・・・・・・・・・・・・元々私が病弱なせいで。ここ数日は薬の調合で満足な睡眠がとれていないのではありませんか?」


 「そんなこと。俺は姉上に生きていてほしいのです。姉上は俺のたった一人の大切な家族だから」


 マティアスはそう言って毛布をフェリシアの肩に被せた。フェリシアは小さく礼を言って瞳を閉じた。


 彼女の言うとおりだ。マティアスはここ数日ろくに寝ていない。全ては自生する薬草を調合して姉フェリシアの命を繋ぐため。そして残されたただ一人の家族を守るため。無理をおして作業に当たっていた。しかし、姉にはなるべく気付かれないようにと気を配っていたつもりだが、どうやらお見通しらしい。少しでも彼女に心配をかけまいとしていたのだが。


 マティアスは首を横に振り、立ち上がって部屋を出ようとした。人の身の丈を優に超え、建築物二,三階分に相当しうる巨大な石扉の前に立ち、扉を軽く押す。見てくれこそは国中の力自慢が何十人集まったところでびくともしなさそうだが、実はとても軽い力で開けることが出来る。


 自室に戻って仮眠でも取ろうかと廊下に出ようとした瞬間、


 「あ・・・・・・・・・・・」


 一人の少年と目が合った。見たこともない少年だ。そしてその背後には女性が一人。どちらもともに幽閉された召使いではない。


 マティアスは混乱してその場に立ち尽くす。しかし対する少年は、多少の驚きはあるものの、落ち着いた様子でこう言った。


 「ごめんなさい、間違えました」


 そう言って少年は石扉を閉めた。


 「いやいやいやいやいや、ちょっと待て!!!!!」


 マティアスは石扉を突き飛ばす勢いで開け放ち、二人の背中に声をぶつけた。


 「お前たちはいったい何者だ!装いからして宮廷魔術師でもあるまい。名と身分を名乗れ!!マティアス・レーフグレーンの御前であるぞ!!!」


 マティアスが捲し立てると、少年が少し片眉を動かす。


 「レーフグレーン、ってことは・・・・・・・・・・湖の革命のときに処刑された国王の皇太子様ですか!?これはとんだご無礼を!!」


 女性が慌てて床に膝をつく。しかし、少年は微動だにしない。


 「どうした貴様、俺を前にして何事か」


 「ああ、いえ。失礼。お目にかかれて光栄です、『傲慢王子』」


 少年がそう言うと、今度はマティアスの眉根が動いた。


 「貴様、今なんと言った?」


 「お噂はかねがね耳にしていますよ。親の権力に物言わせて、色々好き放題やってたって。個人的にも、本名よりそっちの方が口馴染みがありますし」


 マティアスは危うく少年に掴みかかりそうになった。しかし、すんでのところで彼の理性が待ったをかける。幽閉されて五年、いい加減嫌と言うほど自分が既に王位継承者でも王族でも何でもないことを思い知らされている。ある種諦観のようなものが、彼を抑えつけた。


 「マティアス、どうしたのですか?そんなに大きい声で騒ぎ立てて」


 マティアスは後ろから聞こえた声に咄嗟に反応した。見ると、そこには姉のフェリシアの姿があった。扉に凭れ掛かっている。


 「姉上!?なりません、無茶をしては!!寝室に戻ってください!」


 マティアスは彼女に肩を貸すと、寝床まで移動を開始する。床に彼女を横たえ、毛布を肩まで被せた。


 「姉上、無茶はお止めください。身体に障ります」


 そうしていると、再び背後から声がした。


 「失敬。貴女はもしや、フェリシア王女殿下でありますか?」


 マティアスが振り返ると、声の主はさっきの少年であった。少年はつかつかと彼女の寝室に入ってきた。


 「貴様、姉上の寝室に──────────────」


 「よしなさいマティアス。良いではありませんか。客人なんて滅多に来ないのですから。おもてなしはして差し上げないと、それこそ不敬にあたります」


 マティアスは言い淀んだが、観念して閉口した。


 「そなた、名はなんと?」


 「僕はアッシュです。彼女はリーナ・クルサーチェ」


 リーナと呼ばれた女性も、フェリシアの前に慌てて膝をついた。


 「お話は伝え聞いておりました。大変優れた美貌の持ち主で、なんでも諸侯から引く手数多だったとか」


 アッシュがそう言うと、フェリシアは微笑んだ。


 「過去の話です。今となってはこのように・・・・・・・・・・・。マティアスや使いたちの手を借りなければ三日持つかどうかすら分かりません」


 「ご病気なんですか?」


 リーナがフェリシアに尋ねる。フェリシアはゆっくりと首を左右に振りました。


 「昔から病弱体質ではありましたが、今度は病なのかどうかすら見当がつきません。迷宮(ダンジョン)に自生している薬草で症状は和らぐのですが、一向に回復の兆しが見えません」


 リーナはじっとフェリシアを見ていた。


 「何か見える?」


 「いいえ、病気らしいものは何も。ただ・・・・・・・・・・・」


 「うん、僕にも見える。これは『呪い』の類だね」


 アッシュがそう言った瞬間、マティアスとフェリシアの表情に驚愕の色が濃く映る。


 「貴様、冗談はほどほどにしろよ・・・・・・・・・・・・・。どういった根拠で、どうして、誰に姉上が呪詛を掛けられたというのだ!!!」


 マティアスはアッシュの服の襟を掴んだ。マティアスは鋭い剣幕でアッシュを睨んでいるが、アッシュは平然としてマティアスを見つめ返す。


 「よしなさいマティアス。みっともないですよ」


 「しかし姉上!!こやつは姉上を愚弄しています!!」


 「落ち着きなさい。貴方は頭に血が上りやすいからいけません。少しは他人の声に耳を傾けなさい。それが出来なかったがために、お父様とお母様は処刑され、私たちはこうしてここに閉じ込められているのですから」


 凛としたフェリシアの声に、マティアスは冷静さを取り戻した。病人らしからぬ芯の強い声に、マティアスはおろか、アッシュやリーナさえ圧倒された。


 「アッシュさん、と申しましたね?どうして私に呪いが掛けられていると判断なさったのですか?」


 「貴女の魔力(マナ)の流れが少しおかしい。病気に罹った時にも魔力(マナ)の流動に変調があることはありますが、今の貴女のは明らかにおかしい。何か心当たりはありませんか?例えば、まだ王室で生活していたころ、宮廷魔術師か誰かに何かしらの施術をされてたとか」


 アッシュがそう言うと、マティアスの瞳が再び大きく見開かれる。そしてわなわなと顎を震わせながら、喉奥から息を漏らす。


 「まさか・・・・・・・・・・・!!ヒュルデが我々を謀ったのか・・・・・・・・・・・!?」


 マティアスがひとりごちる。


 「貴方の言う通りかもしれません。確かに私は王室で暮らしていたころ、体調調節の一環として宮廷魔術師による魔術医療を受けていました。その時かもしれませんね、呪いを掛けられたのは」


 フェリシアが応えた。どうやら、そのヒュルデという人物が彼女の呪いに関係しているかもしれない。もしかすれば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


 「アッシュと言ったか。姉上の呪いを解くにはどうすればいい」


 「知ってどうする?」


 「姉上を救う。俺の大切なただ一人の家族を守る」


 マティアスがそう言うと、アッシュはしばらく黙り込んだ。


 「・・・・・・・・・・基本的には、呪いを掛けた本人にしか解呪は出来ない。それかそいつを殺すかだ。呪いを掛けるのに使った陣や触媒があれば、そこから解呪することも出来るが、そういうのは大体呪いを掛けた直後に処分するか、自分の懐に隠しておくかするはす。どの道、呪いを掛けた本人を見つけ出さないと話は進まないってこと」


 アッシュがそう言うと、マティアスは徐に立ち上がった。


 「どこに行くつもりだい?まさか一人で何とかするなんて言い出すんじゃないだろうね」


 「そのつもりだとすればどうする?」


 「無謀だよ。そもそもその宮廷魔術師は今何処にいるのさ。そもそも君はここから出られないだろ?」


 「アリアドネの糸を使ってここまで来たんだろう?それを辿れば外へ行ける」


 「だから外に行ったところでどうするのさ。聞いた話によると、君らの王朝が崩壊してから人事異動が色々あったらしいじゃないか。宮廷魔術師も何人か別の国に左遷された。その中にそのヒュルデって魔術師がいたらどうする?」


 「ならばどうしろと言うのだ!!このまま黙って姉上が呪いに蝕まれていくのを見ていろとでも言うのか!!!」


 マティアスは再びアッシュに掴みかかる。しかし相変わらずアッシュは落ち着きを払った様子で、こう言った。


 「人の話を聞けって今さっき釘刺されたばかりだろ?少しは落ち着いて僕の話を聞いてくれ」


 アッシュはマティアスの手を払い除けた。


 「ちょっと気になることがある。あと、その魔術師にも心当たりがある。手を貸す代わりに君の手を貸してくれ、傲慢王子」


 そう言って、アッシュは片頬に笑みを浮かべた。

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