第Ⅰ章 竜族の遺産
これは、はるか昔、世界創世の神話の時代より語り継がれている伝説。
かつて、人界には五つの種族が存在していた。
人間族、巨人族、竜族、獣族、妖精族。それぞれの文明とそれに属する領地の民たちは、外交こそはすれども、軍事的、政治的な干渉は決してしなかった。
しかし、ある時、一人の人間がある竜と結託し、妖精族の領地にある国を一つ滅ぼした。
その一人と一匹を筆頭に《黒竜軍》なる軍勢を築き上げ、人界の全領土を支配下に置いた。そして後に《暗黒竜》と呼ばれるかの竜が、同胞を人界中へと派遣し、数々の土地を統治させた。次いで首領である男が魔力に秀でた竜とともに作り上げた、領地の見張り塔が迷宮である。
たった数日での所業はいよいよ神の知るところとなり、神界より降りた神々と《黒竜軍》の全面戦争にまで発展した。後50年続いたこの戦争がが、語り継がれる《黒竜戦争》。人界暦538年、今から650年前の出来事。
時は流れて650年。人界暦1188年。ガーシア大陸西部、人間族領、砂漠の国《ラグニア王国》。
「おいアッシュ、足元気ぃつけろよ」
「分かってる。そっちこそまたツチビルに噛まれてパニックにならないでよ」
薄暗い遺跡の中を、松明とランプを持った少年二人が縦に並んで歩く。
前を歩くアッシュと呼ばれた少年は、古びたランプを右手に握り、麻布製のグローブをした左手を壁にあてがい歩いている。
「なあ、ホントに隠し部屋なんてあんのか?この迷宮は粗方探索したはずだぜ?」
「本当だよ。もうすぐ着くよ」
「とか言って何分経ったよ。軽く10分はかかってるぞ」
「ただでさえ広いんだから仕方ないじゃん。それより、後ろもしっかり見といてよ」
「へいへい。なんかいてもせいぜいツチビルかサバクヘビだろうけどな」
そう言って後ろを歩く少年は後方に松明の光をかざして一瞥する。その背丈は彼がアッシュと呼ぶ少年より少しばかり高く、ツンツンと逆立った短い赤茶の髪が特徴的だ。
「この迷宮がまだ生きてたらどうすんだよ。今頃その隠し部屋の入り口は消えちまってるかもしれないぜ」
「しつこいよジューロ。この迷宮は《黒竜戦争》が終わって《原初の五文明》が崩壊した650年前に廃棄されてるんだ。魔力の供給源も無ければここを守護する竜だっていない。迷宮としては完全に機能を失ってるよ」
ジューロと呼ばれた後方を歩く少年は、赤茶の短髪をがしがし掻きながら低く唸る。
「はあ、やっぱ勉強はニガテだな・・・・・・・。探検家には一生かかってもなれないかもな」
「おいおい、偉大な探検家になって世界中駆けまわるって言ってたの、どこの誰だよ。それに、探検するなら力や体力だって必要だよ。そう悲観することはないさ」
そう言ってアッシュは急に立ち止まった。ジューロはつんのめりそうになった体制を慌てて立て直す。
「なんだよ急に!止まるならそう言えよ」
「ちょっと待ちなってば。確かこのあたり・・・・・・・・・」
アッシュは少し屈んで壁を掌で撫でる。そして目星をつけるように一定の範囲を叩く。
「さて、勉強嫌いの出番だよ」
彼がジューロに向かってそう言うと、ジューロは一瞬首を傾げた。しかし、すぐ首をまっすぐに戻した。
「押せばいいのか?」
「うん。思いっきり押してね。壁突き抜くくらいの勢いで」
アッシュは拳で壁を軽く叩く。ジューロはそこに手を当てると、壁がめり込む。そしてジューロが壁の一部をバタンと盛大に押し倒した。
「これでいいのか?」
「うん、十分。ただ壁をどうやって塞ごうか・・・・・・・・・・・・・」
「おいちょっと待てよ。てことはなにか?この先に行くのは初めてだってのか?」
「ん、当たり前じゃないか。じゃないと壁は塞げないよ」
「じゃあどうやってこの隠し通路見つけたんだよ」
「家の近くから適当な鉄の棒拾ってきて壁叩いてたんだよ。そしたらここだけ音が変だったからさ。他のところは棒叩いてもその音が壁に吸収されて消える感じだったんだけど、ここだけは向こうに抜けてく感じがしたからさ」
ジューロは思う。じゃあコイツは迷宮銃の壁を鉄棒でこんこん叩きながら進んでいたのだろうか、と。さすがにそんなわけはないだろう。本当にここを見つけたのは偶然もいいところのはずだ。
「ここから先は何があるか分からない。用心して進もう」
アッシュはそう言って自分の前方にランタンの灯を向けた。そこで、ジューロは1時間ほど前、ここに来る前の彼の言動に合点がいく。
「ああ、だから武器になるもの持ってこいって言ったのか。こんなちんけな鉄の棒しかなかったけどいいのか?」
そう言ってジューロは自らの背に負った鉄棒を撫でる。するとアッシュはなにやらため息を吐く。
「長さがあるだけいいじゃないか。僕なんか古びたナイフだよ。頼りないったらありゃしない」
アッシュは腰のベルトに吊るされた鞘から、その短い刀身を抜いた。刃渡りは彼の上腕ほど。幅はそこそこにあり、しかし太くは無い。刃に鋼特有の光沢は無く、霞んだ刀身がランタンと松明の明かりをぼんやりと跳ね返している。
通路の幅は広く、天井は高い。軽く彼らの身の丈の2倍半はあるだろう。一切の明かりは無く、冷たく乾いた空気が充満している。二人は首元に巻きつけてあるスカーフで鼻と口を覆い、腰のポーチから取り出したゴーグルを装着する。
アッシュは右手にナイフ、左手にはランタン。ジューロは右手に鉄棒、左手に松明。暗い通路をゆっくりと歩いていく。
しばらくまっすぐ歩き続けると、二人は開けた場所に出た。天井を見上げると、通路より高い。そして目の前には螺旋を描き下の階へ繋がっていると見える階段。
アッシュは背に負っていたバックパックを地べたに置き、紐を解いて中から羊皮紙の筒を取り出した。こちらもまた麻紐を解き広げると、そこには迷宮の地図が記されていた。もちろん、アッシュが自ら測量し、その手で描きあげたものである。
「さっきの入り口がここだから・・・・・・・この感じだと僕らは多分ここにいる。迷宮のど真ん中だ」
アッシュは地図上に指を置き、表面をなぞる。そこはちょうど、何もないはずの場所。上の階には部屋があり、いくつか骨董品や、人骨などが見つかった。つまり、二人はその部屋の真下にいることになる。
「多分この先がこの迷宮の最深部・・・・・・・・・・・・。ここを守護する竜がいた場所だ」
「最深部?ここの最上階じゃないのか?」
ジューロが天井を指差す。確かにこの迷宮の最上階には広間がある。天井も高く、竜が一匹鎮座するには十分な広さだった。
「あれはきっとハズレだよ。罠かなにかが仕掛けてあるんだ。それに、あんなに簡単に敵の寝床まで行けてたまるか。それなら、この隠し通路の方がそれっぽいでしょ」
「まあ、一理あるか」
二人は灯りで足元を照らしながら階段を下りる。階段は岩からそのまま削り出されたようなつくりで、壇の上には薄らと土埃をかぶっている。足を壇につけるたび、じゃりじゃりと音がする。揺らめくランタンと松明の炎は、階段を薄い赤色に照らす。
階段は、かなり下へと延びているようで、一向に終わりが見えない。この迷宮は、思っていたより底が深いらしい。
「ん、なんだこれ?」
ジューロが足を止め、手に持った松明の灯りを壁に近づける。
「壁画でもあるのかい?」
「ああ、見て見ろよ」
アッシュはジューロの隣に立ち、壁を覗き込む。
確かに壁画だ。壁にはこの迷宮の守護竜と思しき生き物と、手に剣や槍を持ってそれと戦う人間が描かれていた。大昔にも、このダンジョンに挑んだ者たちがいたのだ。そして皆散って逝った。この絵は、そんな出来事を過去に伝えるべくして当時の人間たちが書いたのだ。かつて、ここに住まう竜に挑んだ剛の者たちがいたことと、この先にはそれらを蹴散らしてきた恐るべき怪物がいるということを。
「この竜の周りにあるこれ、一体何なんだ?」
ジューロが壁に描かれた竜を指差す。竜の巨躯に何か付きまとっているようにも見える。
「魔法・・・・・・・・・ではなさそうだな」
「なんでだ?魔導士なら大昔からいたんじゃないのか?」
「うん、いるにはいたさ。ただ、数はとんでもなく少なかったらしい。魔導士の血族は、大体が多種族との、特に妖精族との混血の家系だ。まだ別種族との婚姻がタブーだった時代、今でもあまり良くは思われてないけど、混血がまだ全然進んでなかった頃のことだ。先天的に魔力の量が常人より多くて、かつ無意識に魔力の操作が出来た人間族なんて、いないに等しかったんじゃないかな」
つまり、この竜の周りに描かれたものは魔法ではない何か、或いはこの竜が発動させた魔法である可能性が高い。判断しようにも、情報が少なすぎる。
「多分まだまだありそうだな。先進もうぜ」
「そうだね。これはまた新しい発見がありそうだ」
そう言って、二人は足を再び動かした。
それからと言うもの、壁には様々な絵と、それに準じた説明と思しき文章が古代文字で描かれていた。恐らく、当時の人間たちが決死の調査と探険の末に見つけ出したものだろう。それらの記録は、一種の《攻略法》のようで、明らかに後に現れるであろう挑戦者に向けられたものであった。そして、その《攻略法》から見出した答えが一つ。
ここにいた竜は《風》を操る特性を持つということだ。
壁画に描かれていたあれは、竜の起こした風だったのだ。竜の起こす風は、大地を駆け、空を裂き、遙か彼方の大地にまでその刃を届かせたという。
「当時の人たちは、これに苦しめられたんだろうなぁ・・・・・・・・・・・・・・・」
風は本来目に見えないのだが、魔力によって操作されているのなら、話は別だ。魔力の流れを追うことで、風の動きを追うことができる。けれども、魔導士が極端に少なかった当時、そんな芸当ができた者は恐らくいなかっただろう。ましてや、魔法や魔術、魔導が今ほど盛んではなかった頃だ。魔力の動きを追うなんて考え方すらが無かったかもしれない。
「おいアッシュ、あれ・・・・・・・・・・・・」
ジューロが前方を指差す。ランタンの灯りを向けてみると、視界の先に階段の続きは無かった。あるのは平たんな地べたの通路。
「ようやく下まで来たか。結構深いんだな、ここ」
通路の前には巨大な扉。扉の面には様々な彫刻が施されており、竜の───────────恐らくここを守護していた竜の───────────レリーフで装飾されている。
「開けるよ?」
「おう。どんと来い」
アッシュは扉に手を置き、恐る恐る押し開けた。
中は巨大な空洞、と言うか空間が広がっており、灯りは勿論だがない。恐らく、照明器具か何かはあるのだろうが、魔力の供給がなされていないために、機能していない。ランタンと松明の灯りで照らしても、向こう側なのか壁なのか区別がつかない。恐らく天井や外周、至る所に照明装置が存在するのだろう。
「さて、と。測量を始めよう。まずは外周をぐるっと回ろうか」
「あいよ。じゃあ俺が先行くぜ」
「ちょっと待った。その松明はここに置いていくよ」
「えぇ!?なんでだよ?」
「目印だよ。もし出口が閉まったり、見失ったらどうするのさ。何かあったとき用だよ」
「ああ、それもそうだな」
ジューロは松明を床に置いた。
「それと、僕が先行するよ。君じゃちょっと心配だしね。トラップ踏んだりしそうだし」
「おいおい、俺はそんなヘマしねえぞ」
「この間動くはずのないトラップ踏んで落っこちそうになってたのは何処の誰さ」
「えっ!?ああ、あれはだなぁ・・・・・・・・・」
アッシュは壁に手を添え、壁伝いに歩き出した。その後をジューロが追う。
外周部には、やはりと言うべきか、照明と思しき細い柱が幾つも並んでいた。
「魔導士か誰かがいれば、この照明も使えるんだろうなぁ・・・・・・・・・。灯りがあるって便利だねぇ。文明の発展ってすげぇや」
「なんか、君がそんなこと言うなんてらしくないね」
「おい、さらっと馬鹿にしたろ」
そしてちょうど、入り口の真正面の位置に来た。置き去りにしてきた松明の灯りがとても小さく見える。
「結構広いな。天井も高いんだろうな」
小さな炎の揺らめきを眺めながら、アッシュが呟く。
その後も外周を伝って歩き、いよいよ入り口に戻ってきた。アッシュは何やらブツブツ呟きながら木の皮に鉄ピックで文字を掘っている。
ジューロは、部屋の中心を見つめた。暗がりにも、そろそろ目も慣れてきた。灯りなしでも、薄ぼんやりは見える。
足りない頭でも、この部屋が同心円状に広がっており、従ってそこには必ず《中心》があることくらい、容易く読み取れた。そして松明の灯りを、ちらちらと、その中心と思しき辺りに向かって翳す。そのたびに、闇の色にしては明るい、しかし曇った鈍い輝きが明滅する。恐らく、中心部には、何かしらの鈍い光沢をもったもの、十中八九金属ないしそれに相当する何かがあることが推測される。
「よし、記録は取れた。じゃあジューロ、縦の距離を測るついでに、中心にあるあれを見に行こうか」
背後からアッシュの声がする。どうやら、自分が今さっき気付いたことを、彼はとっくに気づいていたらしい。つくづく、こいつの脳みそは自分のような平民以下のそれとは違うんじゃないかと思う。本人曰く、生まれも育ちも辺境の国の似たような場所の似たような環境。君と大した差なんてないさ、とのこと。
別に彼のことを、本当は平民以上の身分の出なんじゃないか、なんて疑ってるわけではない。ただ、アッシュは本当に頭がいい。歳は自分と同じ、数えて十六。出会ったのが三年前、その翌年からダンジョン散策を始めた。
彼は、ジューロの夢を嗤わなかった、唯一の男だ。
ジューロの夢は探検家。世界の秘境や未開の地を冒険することだ。だが、王国の身分制度において、平民以下に位置するジューロ含めたスラム街の住人達は、貧しい暮らしを強いられている。もちろん、学校に行ったりなんて出来るわけがない。つまり、まともな教育を受けた人間は一切いない。教育を受けていないということは、仕事にはつけない。ましてや探検家なんてなれっこない。周りの子供や大人は、みんな彼の夢を嗤った。
しかし、アッシュは違った。
ジューロの言葉を聞いた彼は、ジューロをここへ連れてきた。目指すなら手近なところで、手っ取り早く経験を積もう、と言った。かくして二人の迷宮散策は幕を開けた。あの時の言葉が、ジューロは忘れられない。
かたや相棒がそんな回想に耽っているとは知らず、ブツブツと独り言を言いながら前を進んでいたアッシュは、その歩みを止めた。
「これがこの部屋の、いや、この迷宮の中心だ」
アッシュはランタンの灯りを翳した。
この大空間の中心にあるものは────────────────剣だった。
ゆるく波を描くように湾曲した、一本の剣。
刃の色は霞のかかった真鍮色。鍔や柄も同種の金属色を湛えており、しかし同様に光沢は曇っている。かなり古いものだが、それでもその刀身の曲線は美しく、刃の線も凹凸がない。
「この迷宮の中心にあるってことは、この剣は、古の大戦が終結した650年前には既にここにあったってことだ。雨風なんてないだろうけど、それだけの時間が経っても金属がほとんど劣化してない。かなりの業物だ」
そう言ってアッシュはいつの間に拾ったのか、まだ一枚の青い葉で、その刃を撫でた。すると、葉は一切の音も抵抗もなく、真っ二つに切れた。
「これは、魔法的な何かでこんな切れ味があるのか?それとも、この剣自体の切れ味がこれか?」
ジューロはアッシュに尋ねる。
「分からない。魔力が見えたら判断できそうだけど。でも風の流れはほとんど感じないから、魔力操作ではないと思うけど・・・・・・・・・・・・・」
かと言って実際に指で触れてみるのはおっかない。
何せ、このダンジョンの最深部。ここを守護していた竜の床に安置されているこの剣は─────────────────────
「間違いなく《遺産》だね」
《遺産》。
黒竜戦争中、人々は強大な竜の力に対抗すべく、”人ならざるモノの力を自分たちのものにする”研究を続けていた。そして、討伐した竜の魂だか魔力の波形だか何だかを武器や防具に宿し、人の身で竜の力を使える武具をこしらえた。
いずれ戦争は終結し、人の手に余る武器、防具、装飾品となったそれらは《遺産》という名称で呼ばれるようになり、この大陸や海の向こうの数多くの国の建国者たちが所持することとなる。以後、遺産は権力や武力の強大さの象徴とされてきた。
中でもこの剣のように、宿っている魂だか何だかが竜に起源があることから、『竜族の遺産』と呼ばれている。
「遺産・・・・・・・・・か。なんか誰か死んじまったみたいだな」
ジューロが呟く。
「姿形が一番人間族に近い個体の多い妖精族ならその言い方は正しいと思うけど。普遍性を重視するなら”誰か”じゃなくて”何か”だね」
「それもそうか」
二人で剣を挟んで向かい合い、剣をまじまじと見つめる。
「・・・・・・・・・・・・なあ、触るか?」
「嫌だよ、君が触りなよ」
「いやいや、俺だってヤだよ。お前が触れよ!」
「手が真っ二つに裂けたりしたらどうするのさ!」
「だからって俺に触らせんのか!?」
「君だってそうじゃないか!!」
口論を始める。口調こそ強いが、お互い本気ではない。猫がじゃれ合うときに甘噛みするのと似たようなものだ。
「だったら触ってやるよ!!」
勇み口調でジューロが剣の柄に手をかける。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何も起こらない。
「・・・・・・・ほらな?」
「みたいだね。検証ご苦労様」
「ったく、人を実験台みてえに・・・・・・・・・・・・・・・」
「実際問題、僕より君のほうが丈夫じゃないか。冒険家になるんだったら、それくらいの度胸は必要だよ」
言い返せずにジューロは呻く。
「とりあえず、これのスケッチしようか。灯り、持っててくれる?」
「はいはい、仰せのままに」
ランタンをジューロに預け、アッシュは足元に置いたバックパックの中身を探るべく、その場にしゃがむ。
そして、中から植物の繊維を使って自作した紙を、木の板の上に置き、次いで栓のされた瓶を取り出す。中には、絵の具の代わりに使う、木の実を磨り潰して、何種類かの液体と混ぜたものが入っている。こちらも手作り。そして、木の枝を筆代わりにして絵を描くのだ。
「刃の切っ先まで見たいんだけどなあ」
画材を抱えて、立ち上がり、剣の全貌を見る。想像で描くこともできるが、やはり、記録として残すなら正確なほうがいいだろう。
剣を抜くべく、画材を置いく。そして、立ち上がるために剣の柄に手をかける。
その瞬間、何かが頭の中に流れてきた。
何だ、これは。記憶?違う、感情だ。
何の感情だ?誰の?
悲しみ?心配?
子供・・・・・・・・・・・・・母親・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「───────────────────────おい、アッシュ!!!」
「───────────────ッ!!!!」
反射的に手を放し、後ずさる。
「今の・・・・・・・・・・・何だったんだ?」
体感したことのない恐怖に、冷たい汗が噴き出る。
あれは、間違いなく誰かの、もしくは何かの感情だった。別の命の持つ感情を感じることは、これほどまでに恐ろしいことなのか。
「アッシュ・・・・・・・・・・・大丈夫か?」
「大丈夫・・・・・・・・・・・だといいけどね」
呼吸を落ち着けて、状況を整理する。
あの感情は、間違いなく誰かの身を案じるものだった。まるで、何処かへ行っていしまった我が子を心配する母親のような・・・・・・・・・・・・・・・。
なんだか、皮肉を言われたようで気に障ったアッシュは、小さく舌打ちする。
考えるのは描きながらでもできる。気を静めるためにも、振り落とした画材に手を伸ばす。
その瞬間────────────────
───────────────────ボッ!!
暗闇の中に、強烈な一筋の光が差し込む。それだけじゃない。二筋、三筋、それ以上。何かが燃え上がる音を響かせながら、外周を炎が駆け巡る。
「おいアッシュ、この迷宮は止まってるんじゃないのか!!?」
「そのはずだ!!動き出すなんてありえない。誰かが魔力を供給してるんだ」
それと同時に、大地が揺れ動く。そして、入り口と反対側の壁の近くの地面に亀裂が走る。
土は隆起し、大地の底から爬虫類の鱗に似たものがちらりと見える。
「まさか・・・・・・・・竜・・・・・・・・・・・・・・・!?」
「そんな!!ここを守ってた竜は誰かが倒してあの剣に封じたんじゃないのかよ!!!!」
そうだ、守護竜が生きているわけがない。しかし、自分たちの目の前に現れたのは紛れもなくドラゴンだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・まさか。そういうことなのか?」
「おいおい、こんな時になに考えてるんだよ!!さっさと逃げるぞ!!」
「ダンジョンが動き出したならそこの扉も閉まってるはずだよ。逃げ場なんてない!!」
大地を押しのけて翼が現れる。炎の赤に照らされて、鱗は紫や緑のじった色───────────────ちょうど、蛇などの爬虫類のような───────────────を朱く跳ね返す。
振り上げられた尾は照明を破壊し、打ち付けられた前足は地面を砕く。鋭い光彩は二人の肝を射抜き、恐怖が足を地面に縫い付けた。
「こいつが・・・・・・・・・この迷宮の守護竜か」
ようやっと竜は地下から這い上がると、蝙蝠のような翼を大きく広げ、咆哮する。
その伝説の復活にはある種畏敬と恐怖の念を起こさせるが、アッシュは一つの違和感を感じていた。
「なんだか・・・・・・・・・・・・・小さくないか?」
「はあぁっ!?お前こんな時までなに暢気言ってやがる!!!何とかしてここを出ないと!!」
アッシュの場違いな発言にジューロは喚き立てる。その声を聴きながら、アッシュは先刻の出来事を思い出した。
あの剣から流れてきた何か・・・・・・・・・・・・。形容するなれば先のとおり、子供を案ずる母親のような気持ち。そして目の前に突如として現れたドラゴン・・・・・・・・・・・・・。
「まさか、子供かッ!?」
「はぁ!?子供!?ここの守護竜のか?」
「身体的な特徴も共通点がある。間違いない、守護竜の幼体だ!!」
反射的に壁際に走った。逃げ回りながら解決策を考えようと言う考えを察したのか、ジューロも同じ方へ走る。
「で、どうすんだよ」
「とにかく逃げ回ろう。固まってるのは危険だ。なるべくお互い反対側に」
「分かった。行くぞ!!」
ジューロが走り出すと、アッシュはその逆へ走った。
竜は蛇のように長い体をうねらせ、前後の足を忙しなく動かしてジューロを追った。
これは好都合だと思い、アッシュは足を止める。
もとより、アッシュはそれほど運動が得意なわけではない。その点、武闘派なジューロに目をつけていてくれれば、焦らず思考して正確な判断ができる。
「うおぉっ!!!」
と思ったのも束の間、蛇竜の長い尾に叩かれそうになり、慌てて身を捩った。危うく壁に叩きつけられるところだった。地面も一部崩れている。焦らず思考できるかと思えば、あまり悠長に構えてはいられなさそうだ。
「おぉいアッシュ!!!!どうすりゃいいんだよ!!!」
ジューロが外周沿いに追い詰められているのが分かったので、手ごろな石を竜に投げつけて注意を引く。
すると、再び何かが頭に流れ込んできた。やはり、あの剣から流れてきている。
「・・・・・・・・・・・・・・・・ジューロ、一瞬注意を引いてくれ!!!」
俺がそう言うと、ジューロは足元に転がる石を手に持ち、竜に向かって投げつけた。放たれた小石は放物線を描き、あやまたず竜の首筋に直撃。首を巡らせジューロの方を向くと、身を翻した。
アッシュは咄嗟にその場にしゃがみ、その頭上を竜の尻尾が掠める。そして部屋の中央へ向かって走り出した。途中何度か尻尾を躱しつつ、遂に剣のもとへ辿り着いた。
「ハァ・・・・・・・・・・・・ハァ・・・・・・・・・・・・・・」
再び剣をまじまじと見る。
先ほどは松明の薄暗い灯りのせいでよく分からなかったが、色は真鍮ではなく青銀。やはり古びてはいるが、業物であることは間違いない。
「お前が呼んでるんだな・・・・・・・・・・?力を借りるぞ」
剣を地面から抜き、中段に構える。そして地面を蹴り、竜に斬りかかる。
竜の後ろ脚に刃を押し当てると、鱗ごと肉と骨を大きく切り裂いた。竜は悲鳴を上げ、身体をうねらせて尻尾を振るう。
尻尾を回避しつつ、一旦後退する。
「すごい切れ味だな・・・・・・・・・・・・」
青銀の刀身を三度まじまじと観察する。今しがた血肉を立ったはずの刃の上に血の赤はなく、代わりに薄い膜のようなものに覆われていた。細い音がすることから、それが風だと認識するのにさほどの時間はなかった。この風の起こす斬撃が、あの驚異的な切れ味を生み出していたのか。
「よし、もう一度!!」
アッシュは再び床を強く蹴る。なおも勢いよく振り回される尻尾を回避しながら、致死の一撃を見舞うべく駆ける。懐に潜り込み、首元めがけて刃を向けた。
「ギュワアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!」
竜の首が巡り、その双眸がこちらを捉えると、その巨体を空に浮かせて反転。アッシュと正面で対峙し、その両翼を大きく羽ばたかせる。
「うわぁっ!!!」
強烈な突風に晒され、アッシュの身体は宙を舞う。吹き飛ばされた勢いと落下の速度が相まって、途轍もない速度で床に落下する。
痛みを堪え竜の方を見ると、竜はその場に着地し、乱暴に尻尾を振り回した。ちょうどそこは、ジューロが逃げた方向だった。
「ジューロ、危ないッ!!!!!」
言葉を放った時にはもう遅かった。ジューロは懸命に体を捩り、尻尾を避けようとしたが、竜の振るう尾は過たずジューロの体側を捉え、軽々とそれを外周の壁に叩きつけた。瓦礫に交じって重力に従い、ジューロは直下の床へ落下した。
「ジューロ!!おいジューロ!!!大丈夫か!!?」
アッシュの問いかけに応える様子はない。血の気が引き、冷たい汗が体中を伝う。
反射的にアッシュは竜目掛けて駆け出した。咆哮する竜はその咢を大きく開き、咆哮する。竜は体を捻り、尾による攻撃を仕掛けた。
剣によって生み出された風を背に飛び上がったアッシュは、そのまま竜の首を切り落とさんと、剣を振りかぶった。しかし、一回転し再び真っ向から対面した竜は両翼を強く羽ばたかせた。危険を察知したアッシュは剣の側面を前に出して防御姿勢を取った。次いで突風が吹き抜けた瞬間、強く金属を打つ音が響いた。
これだ、これが壁画に描かれてた風の正体だ。
心の中で、アッシュは確信した。
不可視の風の刃。これがこの竜が大勢の犠牲を生み出すことに成功した秘訣。なるほど、見えない凶器は防ぎようがない、と。無茶苦茶だ。これが守護竜なのか。
散り散りになった無数の細かい風の刃が、アッシュの頬や腕、足を掠める。浅く刻まれた傷から血が滴り、一層その心を焦らせる。視界にジューロが横たわっているのが入り込む。彼があの程度でくたばるとは到底思えないが、危険な状態だ。早く何とかしなければ、手遅れになってしまう。
「クソッ!埒が明かない。こうなったら・・・・・・・・・・・・・・・・」
先ほどの疾風の刃。あの幼体の竜が魔力によって風を圧縮し、飛ばしているのならば、それと丸っきり同じ力を持っているこの剣で、理論上は同じことができるはずだ。しかし、魔力を操る以上、あの竜の眼には魔力がはっきりと見て取れる。風の刃を飛ばしたところで、避けられるか相殺されるかのどちらかだ。残された時間は少ない。ここで確実にあの竜を倒すにはこれしかない。
「力を貸せ、《リンドヴルム》!!!!!!!」
着地した後、アッシュは剣を逆手に持ち替え、刀身に意識を集中させた。すると、すぐに刀身を中心として風が渦巻き始める。
もっとだ、もっと強く。もっと鋭く。もっと向こうまで届くような刃を────────────!
すると、ガシャガシャと甲高い金属音を立てて、刀身が延長した。本来の刀身の内部から大小様々な小さな刃が現れ、それぞれが風を纏っている。
「ぅおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!」
アッシュはそれを斜めに振り上げた。風の刃は外壁を抉り過たず竜の首に接触。鈍い音を立ててそれを切断した。
首がボトリと地面に落下し、次いで竜の身体が重力によって横たえられる。
アッシュは肩で息をしながら、視界の先にある竜の身体をじっと見つめた。
動かない。どうやら、息絶えたようだ。
「・・・・・・・・・・・・ッ!!ジューロ・・・・・・!!」
アッシュは外周壁の傍に横たわるジューロのもとに駆け寄った。うつ伏せになった体を反転させ、息を確かめる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・浅い。心臓も辛うじて動いているが、そう長くは持ちそうにない。急いでここから抜け出さないと。
アッシュがジューロを背に負い、出口へ向かおうとしたその瞬間。重く閉ざされた扉が音を立てて開き始めた。その向こうには松明の灯りがいくつも輝き、鎧に身を包んだ男どもが大量に流れ込んでくる。
「王国軍・・・・・・・・・・・・・・」
アッシュは無意識にそう呟いた。やはりこの迷宮の再起動は、外部からも確認されていたようだ。
「民間人を発見しました!!」
若い兵士の声を発しながらこちらに走って向かってくる。男は二人の傍までやってくると、そこで片膝を地面についた。
「僕は大丈夫・・・・・・・。それより、こいつの手当てを」
兜の奥の双眸に訴えかけると、男は振りむいて叫んだ。
「重傷者一名!!急いで手当を!!!」
彼がそう言うと、鎧の兵士たちを押しのけて、若い女性の兵士がこちらに向かってきた。
女兵士がここまで来ると、ジューロの傍に座った。
「少し離れててください」
そう言うと、女はジューロの胸元に両手を当て、目を閉じた。するとすぐに、淡い青色の光が二人を包み込む。
その光景に、アッシュは驚愕した。光の粒が女性の体内を、空気中を流動している。間違いない、これは魔力だ。アッシュは、どう言うわけか魔力を視認できるようになっている。
光が徐々に弱くなり、やがて消えると、ジューロの傷はすっかり塞がっていた。
「おいジューロ、生きてるか?」
アッシュは軽くジューロの肩を揺さぶる。数回の後、ジューロの瞼が薄く開かれる。
「・・・・・・・・・・・よう、相棒。ひっでぇツラしてやがんなぁ・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・一体誰のせいだと思ってやがる・・・・・・・・!」
ジューロが力なく、しかしいつも通りの笑うと、アッシュも自然と口元が綻んだ。
「ふぅ・・・・・・・・成功。傷も骨折も全部直したけど、暫くは安静にしないといけませんね」
女は安堵の溜め息を吐く。それにしても、胸元に手を置いただけで怪我の把握をしたり、傷をあんな短時間に癒すとは。下手をすれば背骨だって。当然頭蓋骨も破損していただろうし、おまけにあの出血量だ。そんな芸当は、よほど高位の治癒魔法か、それに特化した遺産の力でもない限り不可能だ。この女、いったい何者なんだ・・・・・・・・・・・・・・?
「ひとまず撤収するぞ!!」
兵士を率いて部屋に入ってきた男が声を上げると、兵士たちは一斉に引き上げていった。傍にいた若い男がジューロを背負い、出口に向かう。その後を女が追いかける。
「さて・・・・・・・・・・・・・・これからどうするかな・・・・・・・・・・」
細かいことはここを出てから考えよう。
アッシュは立ち上がり、彼らの背中を追った。